【現代アフリカ史14】「私生児」の増加

掲載:2015.09.24 執筆:富永智津子

植民地下で展開した新たなもうひとつの問題は「私生児」の増加であった。ここでは、南アの社会人類学者E.J.クライジェの調査を紹介しよう(Krige,1936)。

t18調査地は、1866年以降に設置されたプレトリアのロケーション(アフリカ人居住区)である。住民の大部分は近隣の農園やリザーヴ(アフリカ人居住地)からやってきたトランスヴァールのソト人とンデベレ人であるが、ズールー人やコーサ人も混住している。人口は約1万(1933年センサス)で、半数以上がプレトリア生まれとされている。とはいえ、出身地のリザーヴとの関係は切れておらず、ヨーロッパ文化の影響は、かなり緩慢だった。

唯一の大きな変化は、私生児の増加である。どの階層に属していようと、少女は結婚前に1人か2人の子供を産んでおり、そのうち結婚にいたらず、私生児となった比率は、子供の出生届けが出されていたロケーションの警察署の記録によれば、1933~34年では、全登録数の40%、次年度には60%近くに達したという。ロケーションの女性はほとんどが15歳くらいで就職し、両親の元を離れる。それが、私生児の増加の背景にあるのだという。

未婚女性の妊娠は、集団原理や親族組織との関連でいえば、多くの共同体にとって、処女性を守ること以上に重要な案件だった。厳しい隔離制を敷いていたタンザニアのザラモ人、南アのズールー人のように男女両方に罰則を科していた民族、あるいは、ナミビアのオヴァンボ人やケニアのルオ人のように生まれた子供を抹殺していた民族の事例(Mckittrick 1999; 椎野 2008:143)などがそれを証明している。それを勘案すると、この南アの事例は、都市的状況の下で、共同体によるセクシュアリティの統制・抑制が機能不全に陥った結果であることがわかる。クライジェは、私生児をめぐる裁判や福祉といった近代的な対策が導入されはしているが、基本的にはアフリカ社会の柔軟な親族組織がそうした私生児の受け入れ先となり、それが社会の大きな不安定要因になるのを防いでいると報告している。

親族組織がしっかり機能しているうちはよい。しかし、親族組織が崩壊すると、未婚の母が孤立無援に陥る。売春や酒の醸造や行商といったインフォーマル・セクターに参入して生計を立てていくシングルマザーは、こうした状況から生まれた。そうした中で、植民地化によって欧米的なジェンダー観を植えつけられた男性の政治家によって、酒の醸造が非合法化され、女性が既得権を奪われていくプロセスが展開する(杉山、2007)。これは、女性が編み出して実践している生存戦略と、現実を見ずに欧米モデルの社会に近づけようとする男性政治家のギャップを示している。その狭間に落ち込んだ「私生児」が、ストリートチルドレンになっていくのは時間の問題だった。

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