【エッセイ】「女性婚」にみるアフリカ社会のジェンダー操作
ジェンダーの風:「女性婚」にみるアフリカ社会のジェンダー操作
掲載:2017-03-17 執筆:富永智津子(宮城学院女子大学キリスト教文化研究所)
アフリカは日本の約80倍の面積に10億に近い人口を擁する大陸である。2000とも3000とも言われる民族集団が西欧列強によって恣意的に分割され、現在56か国(西サハラとソマリランドを含む)に囲い込まれている。その結果として、ジェンダー関係を実質的に規定し続けているのは国家が制定している「近代法」というよりは、民族集団それぞれが祖先から受け継いできた慣習法や民族宗教が優先されている場合が多い。
そうしたアフリカ社会との長い付き合いの中で驚かされることがいくつもあった。そのひとつが多様な婚姻制度である。一夫一婦、一夫多妻、一妻多夫、亡霊婚、レヴィレート、ソロレート、そして「女性婚」である。今では消滅してしまった制度もあるが、その多くは、女性の再生産能力を最大限に引き出し、父系社会を強化する目的で編み出された形態である。例外は「女性婚」。これは、女性がジェンダーを移行して「夫」となり、妻をめとる婚姻制度である。女性が「婚姻」という社会制度を自分のために利用して生活圏の確保を可能にするアフリカ固有の制度である。ナイジェリア、スーダン、南部アフリカ、ケニアなどで事例が報告されている。それぞれに微妙な違いがあるが、ここではケニアのギクユとキプシギスというふたつの民族集団の事例を紹介する。
ギクユでは、「夫」になることを社会的に認められた女性が、長老会(ギアマ)を通して、あるいは自ら花嫁を募集する。候補者が現れて合意が成立すると、友人や親族が贈り物を交換し、両家の長老による儀礼が行われる。そのプロセスは、ほぼ通常の慣習婚と同じである。男性と結婚している女性が、女性を「妻」として迎えることもある。その目的については、不妊症とわかったため「妻」をめとり子どもを産んでもらうため、ひとりでいる寂しさを和らげるため、家父長的権威による支配から逃れるため、男性とは一緒に暮らしたくないが家族はほしいから、といった多様な回答が当事者から寄せられたという。
次は、牛牧民キプシギス社会の事例である。この社会で女性婚が増加したのは、植民地下での「英国法」の導入によって慣習法のもとでは困難だった離婚が容易になり、離婚した女性が女性婚を選択するようになったからだという。横暴な夫に苦しめられた経験から男性との結婚は望まない・・・しかし男性にしか所有権のない土地を入手して自立したい・・・子どもも欲しい・・そのための唯一の方法が、「夫」として社会的に認知される女性婚なのだった。
こうして見てくると、女性婚は、女性同士の結婚であるが、「夫」となる女性がジェンダーを移行して「男性」として社会的に認知されるというプロセスを介入させ、なるべく通常の結婚形態に近づけようとする力学が作用していることがわかる。しかし、実質的には、いわゆる「同性婚」や「代理出産」と近似しているといってよい。アフリカには、こうしたジェンダー操作によって共同体的規制を迂回し、土地所有権の問題や、われわれが現在直面している女性の不妊や同性婚の問題を解決してきた民族集団が現在も存在しているのだ。
私が驚かされたのは、「女性婚」そのものというより、西欧がジェンダーを「発見」するはるか昔から、生物学的な性を含めて「性は文化的・社会的に構築され得るもの」と捉え、それを実践していた民族集団がアフリカに存在していたことである。
キリスト教会などによって「不道徳」のレッテルを張られ、存亡が危ぶまれている女性婚だが、家父長社会の中で女性が自己主張できる貴重な選択肢を提供してきたことは疑いない。
*参考文献 小馬徹「キプシギスの女性自助組合運動と女性婚―文化人類学はいかに開発研究に資することができるのか」青柳まちこ編『開発の文化人類学』古今書院2000.
Njambi, Wairimu Ngaruiya and E.O’Brien, “Revisiting Woman-Woman Marriage: Notes on Gikuyu Women,”in: Oyeronke Oyewumi (ed.), African Gender Studies: A Reader, Palgrave Macmillan, 2005.
(公益財団法人東海ジェンダー研究所news letter『リーブラ』no.59,2017.3より転載)(図も富永)