【現代アフリカ史19】アフリカ社会主義―ジェンダー平等との関連で

掲載:2015.09.24 執筆:富永智津子

独立を契機に、多くの新興アフリカ諸国は、植民地下で推し進められてきた資本主義路線ではなく、「社会主義」路線を選択した。アフリカ社会主義の理論構築に寄与した指導者も輩出された。たとえば、タンザニアの初代大統領ニエレレである。その理論と政策は、ニエレレの手になる1962年のパンフレット『ウジャマー―アフリカ社会主義の基礎』と1967年の『アルーシャ宣言』に示されている。その中で、女性が登場するのは2か所、ひとつはパンフレットの中の「男女を問わず・・」、もう一か所は『アルーシャ宣言』の「すべての男女に平等の機会を・・・」である。その他には女性への言及はなく、ジェンダー平等は「すべての人民が、アフリカ伝統社会の家族共同体を支えてきた平等と相互扶助という理念と、平和で格差のない社会の実現に協力する」という大義名分の中に回収されてしまっている。ニエレレのいうような平等と相互扶助がアフリカ「伝統社会」に存在したのか、あるいは存在しているのかは、本稿の前半をお読みいただければ、おのずから回答が見つかるはずである。しかし、理念であっても、それが現実の女性の地位やモビリティを押し上げる後押しをしたことは否定できない。それは、筆者に向かって発せられた「ニエレレの社会主義政策がなければ、私がここにいることは絶対になかった」というダルエスサラーム大学図書館の司書をしていた牧畜民社会出身の女性の語りからも伺える。彼女の夢の実現を支えたのは、教育の機会均等であったことも間違いない。彼女と同じ経験をした男性もいたに違いない。しかし、解放闘争と同時に家父長的権威とも闘った女性たちが独立後に直面したのは、相も変らぬ男性優位の社会構造だったことも確かだ。解放闘争における女性の貢献は無視された。しかし、栗田禎子がエジプト=イギリス支配に対するスーダンのマフディー運動に関する報告の中で指摘しているように、解放運動に当事者として参加した女性たちの経験は、その後も女性たちの記憶の底に生き続けた(栗田、2006)。そうした記憶とともに、女性たちの闘いは、新たなスタート地点に立ったのである。「開発とジェンダー」という領域も生まれた。「女性は家事労働と再生産領域」という欧米的な性別分業イメージに囚われていた初期の開発プロジェクトは、一方で、女性をさらなる周縁に追いやった経済危機とそれに続く構造調整、他方でフェミニズム運動と90年代の政治の民主化という国際社会の潮流とも共振して、大きく変わりつつある。しかし、その政治の民主化が、従来の民族間の抗争や男性の権力闘争を激化させ、20世紀末~21世紀にかけて各地で内戦が勃発、多くの女性が性暴力の犠牲となったのは、悲劇としか言いようがない。なぜ、このように多くの女性が内戦に巻き込まれているのか。紛争はジェンダー秩序やジェンダー関係にどのような変化をもたらしているのか。

 

【現代アフリカ史19】内戦と性暴力

【現代アフリカ史17】制定法と慣習法