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【エッセイ】アフリカ事情雑感⑤「女子割礼」(1)~(5)エッセイ&イラスト 富永智津子
掲載:2014.05.14 執筆:富永智津子
「女子割礼」(1)
女性・ジェンダー・フェミニズムという3点セットのアンテナを張りめぐらしていると、時々、疲れてしまうことがある。そんな時には、ひとこと言いたいけど「まあ、いいか」とやり過ごすこともしばしば。しかし、日本で多少なりとも「女性の人権」への意識が高まったのは、この3点セットをめぐる闘いが功を奏しているからである。だから、しんどいけれど、私もこのアンテナを降ろさないで歩んでいくことにしている。
同様の闘いは、アフリカ大陸でも展開され、その成果も生まれている。かつて、アフリカでは、女性の人権より貧困からの脱却が優先された。しかし、近年、女性の地位向上が貧困からの脱却の決め手として認知されはじめているのだ。その一方で、まだ女性を束縛したり傷つけたりする慣習が存続している。
たとえば「女子割礼」(→*【ジェンダー法学4-④】女性性器切除)。最近報道された事例を紹介しよう。現在、ケニアの国会議員をしているソフィアの体験である。彼女は、国会討論の場で自分の体験を赤裸々に語り、「女子割礼」の廃止を強く訴えた。その体験というのはこうだ。
彼女は、8歳の時、同じ年頃の少女たち7人と共に割礼をうけた。割礼師は、失明寸前の老女だった。割礼を受けた仲間のうち、3人が出血多量で死亡、そのひとりは大の親友だった。彼女自身は、運よく病院で輸血を受け、一命をとりとめた。
娘のためを思って割礼を受けさせた母親は、罪悪感に苛まれたという。その後、彼女を悩ませたのは後遺症。月経困難、性交痛、難産・・・。こうした体験が廃止運動へと彼女を駆り立てている。彼女は言う。
「大勢の少女が割礼による出血や感染症で死んでいます。秘密裏に行われているために記録には残っていませんが・・・これは殺人に他なりません。」(WAAFニュースレター2011)「女子割礼」は、国家権力でさえ介入するのが難しい。廃止や禁止の強制力が働けば、地下に潜行するだけだ。その壁をどう打破できるか。ソフィアが挑んでいる壁は、とてつもなく厚く高い。共同体や家父長制を維持するためのさまざまな仕掛けが、女性の意識をがんじがらめに縛っているからだ。(『婦民新聞』2012年3月)
「女子割礼」(2)
私が「クリトリス切除」という謎めいた用語に出会ったのは、高校生の時だった。事典をひっくり返して調べ、「クリトリスは男性のペニスに相当する、だから、より女性らしくするために、男性器に類似したクリトリスを除去する風習」という解説に納得したことを記憶している。
それが「女子割礼」と言われているアフリカや中東の文化だと知ったのも、その頃だった。それから30年以上を経て、「女子割礼」には、クリトリス切除の他に、英語圏で「エクシジョン」(「切除」)とか、「インフィブュレーション」(「縫合」)などと呼ばれるさまざまなタイプがあることを学んだ。
これらは、クリトリスどころか、その他の部位も切除する、あるいは切除した上で尿と経血の排出口を残して縫い合わせ閉じてしまう、といったタイプである。アリス・ウォーカー(アフリカ系アメリカ人の作家・活動家)が制作した映像『戦士の刻印』(一九九六年)が女性に対する「暴力」としてやり玉に上げたのがこうしたタイプの「女子割礼」だった。
この映像は、日本各地でも自主上映され、さまざまな問題をわれわれに投げかけた。ひとつは、「女子割礼」という用語の問題。この用語は男子の「割礼」の女性版をイメージさせる用語であり、不適当だというのである。代わって、映像の中で使用されていたのは、施術の実態を反映した「女性性器切除」(FGM)という用語だった。
もうひとつは、「女子割礼」への介入の仕方の問題。それは、FGMという用語に象徴されるアリス・ウォーカーの断罪的アプローチに対する批判から生まれた。その結果、「女子割礼」は女性の人権侵害であるとして声高に廃止を訴えるウォーカー派と、果たしてわれわれに他の民族の「文化」を批判する権利があるのか、われわれには善し悪しを決める権利はないのではないか、という慎重派とが対立することになった。
私が所属する日本アフリカ学会でも、ウォーカー派と慎重派との間には、埋めがたい溝ができていった。それが、学会内部に「女子割礼」の問題には触れないほうがよい、という風潮を作り出していくことになった。(『婦民新聞』2012年4月)
「女子割礼」(3)
アリス・ウォーカーの『戦士の刻印』の余波が続く中、私は依頼されたエッセイのテーマに、思い切って「女子割礼」を取り上げたことがある(朝日新聞大阪版1999年)。少し黄ばんだスクラップを取りだして、改めて目を通してみた。それは、「FGMがいかに女性にとって暴力的な行為であるかは、誰の目にも疑いようのない事実である。たとえ、それがどれほど深くアフリカの伝統社会に根差す成女儀礼であると聞かされても、20世紀末の女性の人権感覚からすれば、到底容認できない悪しき慣習であると断言せざるをえない」という文章で始まっている。かなり断罪型の導入だ。
アフリカからの報告がそれに続く。「この夏、タンザニアを訪れた時、私はFGMに関する興味深い新聞記事を目にした。タンザニア最大の都市ダルエスサラームで行われた産婦人科学会でのこと、ある地区で8年にわたって調査を行ってきた現場の医師がFGMに関する報告をし、人権派の医師たちの批判を浴びたというのである。
くだんの医師は、調査した803人の少女のうちFGMを受けていたのは117人、そのうち28人は1歳未満だったと報告し、通説とは異なる具体的なデータを提示して、現状を肯定するとも思える発言をした。
たとえば、FGMが伝統的な成女儀礼と考えている人は2%に過ぎず、多くはFGMの目的を「美容」と考えていること。破傷風などの感染症による健康上の問題は過去8年間皆無であったこと・・などなど。」
エッセイは、旅の終わりに訪れたNGOの広報担当の女性へのインタヴューとその感想で締めくくられている。「なぜFGMがなくならないのか、という私の質問に対して彼女からは、FGMを受けさせなければ、娘が結婚のチャンスを失うかもしれないという母親の恐怖心がその背景にある、との回答が返ってきた。儀礼本来の意味は変化しても、女性は結婚し、子どもを産むべきだという社会通念は変わっていない。それが母親たちを呪縛している、と私は思った。」
書いた後味はよいものではなかった。案の定、時を置かず、思わぬところから「つぶて」が飛んできた。(『婦民新聞』2012年5月)
女子割礼(4)
朝日新聞大阪版(1999年)に女子割礼のエッセイを書いてまもなく、大阪の某女性学研究所から、「女子割礼」に関する研究会があるのでいらっしゃいませんか、との「招待」があった。報告の依頼でもなく、コメンテーターの依頼でもなく・・・「招待」の目的はいまいちわからなかったが、のんきな私は、深く考えもせずにいそいそと出かけた。
会場には、30人ほどの女性たち。男性はたしかケニア人の研究者ひとりだったような気がする。彼とは旧知の仲だったのだが、いつもとは異なり私に対する表情が硬かったのが気になった。研究報告が2本。いずれもアフリカ社会の側に視点を置いた分析だった。
報告が終ると、質疑応答の時間になった。あれよあれよという間に激しい論戦となり、慰安婦問題などでテレビにも登場し、国際的にも女性の人権擁護で活躍している女性が突然やり玉に挙げられた。「ここで謝罪しなさい!」「自己批判したらどうですか!」と詰め寄られている!彼女が「女子割礼」に関してどういう発言をしたのかは知らなかったが、おそらく「廃止」を訴えたことに対してなのだろう。
ここに至って、相当にぶいわたしにも状況が見えてきた。「招待」された理由も見えてきた。彼女へのつぶては、私のエッセイに対するつぶてでもあったのだ。私にも飛んでくるかも・・・と内心ビクビクしているとケニア人男性から「富永さんは、どういう意図で女子割礼を取り上げておられるのですか?」との質問。「女子学生に、自分の問題としてアフリカ女性の問題を考えてほしいから・・・」といったようなことをしゃべった気がする。
今思えば、こういう視点も、研究会の主催者側からすれば「自己批判」の対象になる。先進国の女性とアフリカの女性を同列に考えることは「植民地主義的暴力」なのだ。
在日ケニア人の彼は、日本にいて、常にこうした「暴力」を感じていたにちがいない。くすぶっていたそのいらだちが「女子割礼」問題を機に一挙に噴出したのだろう。その後、私は、沈黙の数年を過ごすことになる。やがて、その沈黙を破る時がやってきた。(『婦民新聞』2012年6月)
女子割礼(5)
大阪の某女性学研究所での議論をとおして、私は「人権」という西欧起源の概念の危うさを学んだ。植民地化された経験を持つ地域の人びとに、安易に「人権」概念を「押し付ける」ことの危うさである。
そこには、アフリカなどの「未開」社会では「人権」が尊重されていないという差別観が見え隠れしている。押し付けられた人びとは、それを「抑圧」と感じ、植民地時代に受けた差別の記憶と結びつける。「植民地主義的暴力」というわけである。
しかし、そうしたエリート集団の議論の届かないところで、女子割礼によって多くの女性たちが傷ついているという現実があるのは、やはり見過ごせない。非アフリカ人で、かつ「先進国」に住むわれわれは、いったいどうしたらよいのか。黙して、アフリカ社会の変化をじっと待つしかないのだろうか。出口を見出しかねていた私の背中を押してくれたのは、アフリカ各地の女子割礼の実情を調査していた小児科医の若杉なおみさんだった。
彼女は、アフリカ研究者であるわれわれが「女子割礼」をタブー視しているのはおかしい、というのだ。確かに!研究にタブー領域はありえない!しかも、われわれには、女性やジェンダー視点の重要性を訴える場としてアフリカ学会内に設置した「女性フォーラム」があるではないか!
こうして、2003年度のアフリカ学会の学術大会で、女子割礼をめぐるセッションが初めて開催された。聴衆も多く、反響は上々だった。しかし、女子割礼を「暴力」とみる研究者と、それを「文化」とみる研究者との溝は埋まらなかった。
考えてみると、こうした議論の対象となるのは、決まって女性の「文化」である。インドの寡婦の殉教(サティー)しかり。「女子割礼」に匹敵する「去勢」といった男性の「文化」は、何の議論もなくすんなり廃止されてきたことを思うと、こうした議論自体が差別的で不平等なジェンダー秩序を象徴しているように思われてならない。
現在、女子割礼をめぐる情況は、国際NGOや国連のサポートを受けて現地の女性たちが展開している活動により、廃止の方向に少しずつ舵を切り始めている。(『婦民新聞』2012年7月)
【参考】「女子割礼」については次の記事も参照→*【現代アフリカ史13】セクシュアリティの統制―その変化と多様な攻防(富永智津子)