目次
【独立後の歩み―国別年表】《南部アフリカ》
掲載:2016-05-28 執筆:富永智津子
<アンゴラ共和国>
- 1956
・ネトやモンドラーネにより「アンゴラ解放人民戦線」(MPLA)結成。 - 1961
・MPLA、首都ルアンダの監獄を襲撃(アンゴラ独立戦争の勃発)したが、失敗し、首謀者ら、ザイール(現コンゴ民主共和国)に逃れる。 - 1974
・宗主国ポルトガルで「カーネーション革命」。 - 1975
・ソ連・キューバが支援するMPLAが「アンゴラ人民共和国」のポルトガルからの独立を、アメリカ、南ア、ザイール、中華人民共和国などの支援する「アンゴラ国民解放戦線」(FNLAの前身)と「アンゴラ全面独立民族同盟」(UNITA)の統一戦線が「アンゴラ人民民主共和国」の独立を、それぞれ宣言。→内戦勃発→1984年、FNLA降伏→1988年、UNITA国外に逃亡→1991年、MPLAとUNITA間で包括和平協定成立→1992年、武力闘争再開。
・アメリカの国務長官キッシンジャー、ソ連とキューバによるアンゴラ内戦への干渉を非難。 - 1976
・南ア軍、アンゴラから撤退。
・MPLA、ユアンボ占領。 - 1979
・ネト、モスクワで死去。 - 1983
・クネネ州で、南ア軍とアンゴラ・キューバ軍が激戦。 - 1984
・南ア軍、アンゴラからの撤退に合意(ルサカ合意)。 - 1989
・国連アンゴラ監視団の派遣 - 1990
・MPLA政権、社会主義路線を放棄。 - 1991
・MPLA,社会主義路線を放棄し、複数政党制を導入。国名を「アンゴラ共和国」に変更。
・第二次国連アンゴラ監視団派遣 - 1991
・MPLAとUNITA、ポルトガルの仲介で和平協定に調印。 - 1992
・選挙をめぐる対立から、MPLAとUNITAとの間で武力衝突再開。南アの民間軍事会社Executive Outcomes、アンゴラ政府の依頼でUNITA掃討作戦に参加。 - 1994
・国連の介入でルサカ合意が締結されたが、アンゴラゲートと呼ばれるフランスによる反政府勢力への武器密輸スキャンダルからUNITAの武装解除に失敗。 - 1995
・第3次国連アンゴラ監視団派遣 - 2002
・UNITAのサヴィンビ議長、民間軍事会社の攻撃で戦死し、MPLAとの間で休戦協定が締結され、27年間の内戦に終止符が打たれたが、飛地であるカビンダの反政府勢力「カビンダ飛び地解放戦線」との対立は続いている。和平以後、豊富な天然資源の輸出により、アンゴラ経済は急速に発展している。
・内戦による死者は360万人。
・各地に地雷多数。
歴代大統領
1975~1979 アゴスティニョ・ネト(大統領・MPLA)
1979~ ジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントス(大統領・MPLA・2016年現在も大統領)
<ナミビア共和国>
- 1897
・牛疫(リンダーペスト)、猛威をふるう(~1898) - 1908
・ダイヤモンドの採掘はじまる(ドイツ植民地時代)。 - 1989
・国連監視下で選挙が行われ、「南西アフリカ人民機構」(SWAPO)勝利。
****** - 1990
・ポルトガルから独立。初代大統領にサム・ヌヨマ。 - 1994
・南ア、1977年以降支配していた港町ウォルビスベイを返還。 - 2001
・K・リルアコに率いられたヘレロ人100名(のちに200名)が、ドイツ政府とドイツ銀行などの企業を相手に、アメリカで訴訟を起こし、1904~1908年のドイツ支配下での虐殺や強制労働に対する補償として20億ドルの支払いを求めるも棄却される。 - 2004
・植民地時代のヘレロ・ナマ民族への虐殺などに監視、ドイツの閣僚、現地で謝罪。 - 2014
・首都に「独立記念博物館」開設。
歴代大統領
1990~2005 サム・ヌヨマ(大統領・SWAPO)
2005~1015 ヒフィケプニェ・ポハンバ(大統領・SWAPO)
2015~ ハーゲ・カインゴブ(大統領・SWAPO)
【参考文献】
水野一晴・永原陽子編著『ナミビアを知るための53章』明石書店、2016
<ボツワナ共和国>
- 1966
・英領ベチュアナランド、ボツワナ共和国として独立。カーマ、大統領に就任。 - 1967
・イギリスのデビアス社によって世界最大規模のオラパ・ダイヤモンド鉱山発見。 - 1972
・オラパのダイヤモンド鉱山、操業開始。 - 1976
・南アフリカへの経済依存からの離脱を宣言。 - 1985
・南ア軍、首都ハボローネのANC基地を攻撃。 - 1990
・深刻なエイズ禍に見舞われる。 - 2012
・国民一人あたりの総所得、約7000ドル。
歴代大統領
1966~1980 セレツェ・カーマ(ボツワナ民主党)
1980~1998 クェット・マシーレ(ボツワナ民主党)
1998~2008 フェスタス・モハエ(ボツワナ民主党)
2008~ イアン・カーマ(ボツワナ民主党)
<レソト王国>
- 1966
・英領バストランド、レソト王国として独立。国王モシェシェ2世、首相にジョナサン。国王の権力をめぐり、国王、政府と対立。 - 1967
・国王は政治に介入せず、象徴にとどまることで政府と和解。 - 1970
・総選挙で敗北した「バソト国民党」(BNP)とジョナサン大統領が下野を拒み、一党独裁体制に移行。 - 1986
・クーデタ勃発、ジョナサン政権崩壊。軍政に移行し、政党活動禁止。 - 1990
・軍事評議会議長、国王を追放。皇太子レツィエ3世即位。 - 1991
・無血クーデタ勃発。評議会議長の追放と政党政治の復活。 - 1994
・国王、憲法を停止し、議会を解散。ゼネストと抗議デモにより国王退位。 - 1995
・モシェシェ2世復位。 - 1996
・モシェシェ2世、交通事故により死去。レツィエ3世復位。 - 1997
・新党「レソト民主会議」(LDC)の結成。 - 1998
・総選挙でLDC圧勝。これに不満をもつ群衆が暴徒化、クーデタ未遂事件も発生、南ア軍とボツワナ軍が治安維持にあたる。 - 1999
・治安の回復。 - 2002
・下院再選挙でLDC勝利。 - 2014
・軍事クーデタ。
歴代国王
1822~1870 モショエショエ1世(セーイソ家)
1870~1891 レツィエ1世モショエショエ(セーイソ家)
1891~1905 レロソリ・レツィエ(セーイソ家)
1905~1913 レツィエ2世レロソリ(セーイソ家)
1913~1939 ナサニエル・グリフス・レロソリ(セーイソ家)
1939~1940 シモン・セーイソ・グリフス(セーイソ家)
1940~1941 ガボサネ・マソファ(セーイソ家)
1941~1960 マンツボ・アメリア・マツァバ・サンペ(セーイソ家)
1960~1990 モショエショエ2世(セーイソ家)
1990~1995 レツィエ3世(セーイソ家)
1995~1996 モショエショエ2世(セーイソ家)
1996~ レツィエ3世(セーイソ家)
歴代首相・軍事政権議長
<英領バストランド>
1965 セクホンヤナ・ネヘミア・マセリバネ(首相・「バソト国民党」BNP)
1965~1966 レアブア・ジョナサン(首相・BNP)
<レソト王国>
1966~1986 レアブア・ジョナサン(首相・BNP・クーデタで失脚)
1986~1991 ジャスティン・レナンヤ(軍事評議会議長・軍政・クーデタで失脚)
1991~1993 エリアス・ラマエマ(軍事評議会議長・軍政)
1993~1994 ヌツ・モヘレ(首相・「バソト会議党」BCP)
1994 ハエ・フ-フォロ(暫定首相)
1994~1998 ヌツ・モヘレ(首相・BCP/「レソト民主会議」LDC)
1998~2012 パカリタ・モシシリ(首相・LDC/「民主会議」DC)
2012~2015 モツォアハエ・トーマス・タバネ(首相・「全バソト会議」ABC)
2015~ パカリタ・モシシリ(首相・DC)
<マラウィ共和国>
- 1964
・英領ニヤサランド、イギリスから独立。「マラウィ」と改名。 - 1966
・「マラウィ会議党」(MCP)による一党制を採用。初代大統領バンダ。首相職に廃止(~現在まで) - 1971
・新貨幣制度(クワッチャ)導入 - 1974
・政府、南ア鉱山への労働者の出稼ぎを停止。 - 1975
・リロングウェ、正式にマラウィの首都となる。 - 1994
・複数政党制に移行。「統一民主戦線」(UDF)のムルジ、大統領に当選。 - 2012
・前任者の死去にともない、憲法の規定により副大統領のジョイス・バンダ、マラウィ初の女性大統領に就任。(→世界女性史年表)
歴代大統領
1966~1994 ハイスティングズ・カムズ・バンダ(マラウィ会議党)
1994~2004 バキリ・ムルジ(統一民主戦線)
2004~2012 ビング・ワ・ムタリカ(統一民主戦線)
2012~2014 ジョイス・バンダ(人民党)
2014~ ピーター・ムタリカ(民主進歩党)
<マダガスカル共和国>
- 1960
・フランスから独立。チラナナ、初代大統領に就任。 - 1975
・新憲法公布、「社会主義革命」路線を明確化。国名を「マダガスカル民主共和国」に変更。ラチラカ、大統領に就任。 - 1992
・国名を「マダガスカル共和国」に改称。 - 1995
・この頃より経済の自由化政策に移行し、1997年以降、一定の経済成長あり。 - 2002
・政治危機により、経済低迷。 - 2009
・クーデタにより、野党のアンドリー・ラジョエリナの暫定政府発足。 - 2013
・大統領選挙により、ヘリー・ラジャオナリマンピアニナ当選。
歴代元首
18世紀末~ アンドゥリアナムプイニメリナ王(メリナ王国の基礎を築く)
19世紀初頭~1828 ラダマ1世(奴隷貿易廃止などの近代化をすすめる)
1828~1861 ラナヴァルナ1世(女王)(キリスト教を禁止)
1861~1863 ラダマ2世(西欧化政策への復帰→暗殺)
1863~1868 ラスネリナ(女王)
1868~1883 ラナヴァルナ2世(女王)
1883~1897 ラナヴァルナ3世(女王)フランスによる植民地化でメリナ王国滅亡
歴代大統領
<仏領マルガシュ共和国>
1959~1960 フィリベール・ツィラナナ(大統領・「マダガスカル・コモロ社会民主党」
<マルガシュ共和国(独立)>
1960~1972 フィリベール・ツィラナナ(大統領・「マダガスカル・コモロ社会民主党」
1972~1975 ガブリエル・ラマナンツォア(国家元首・軍政)
1975 リシャール・ラツィマンドラヴァ(国家元首・軍政・暗殺)
1975 ジル・アンドリアマハゾ(国軍指導委員会委員・軍政)
1975 ディディエ・ラツィラカ(最高革命評議会議長・軍政)
<マダガスカル民主共和国>
1975~1976 ディディエ・ラツィラカ(最高革命評議会議長・軍政)
1976~1992 ディディエ・ラツィラカ(大統領・「マダガスカル革命先駆党」)
<マダガスカル共和国>
1992~1993 ディディエ・ラツィラカ(大統領・「マダガスカル再生協会」)
1993~1996 アルベール・ザフィ(大統領・「民主発展国民連合」)
1996~1997 ノルベルト・ラツィラホナナ(暫定大統領・「事業審判党」)
1997~2002 ディディエ・ラツィラカ(大統領・「マダガスカル再生協会」)
2002~2009 マーク・ラヴァルマナナ(大統領・「私はマダガスカルを愛する」・クーデタで失脚)
2009 イボリット・ラマロソン(軍部理事会長・軍政)
2009~2014 アンドリー・ラジョエリナ(高等暫定統治機構議長・「決意したマダガスカルの青年」)
2014~ ヘリー・ラジャオナリマンピアニナ(大統領・「マダガスカルのための新勢力」)
【参考文献】
飯田卓編『マダカスカル地域文化の胴体』国立民族学博物館調査報告、2012
飯田卓・深沢秀雄・森山工『マダガスカルを知るための62章』明石書店、2013
<モザンビーク共和国>
- 1975
・ポルトガルから独立。「モザンビーク解放戦線」(FRELIMO)、権力掌握。1党制による社会主義路線を推進。
・モザンビーク正規軍、ローデシアに越境交戦。
・Graça Machel(初代大統領マシェル夫人)、唯一の女性閣僚(教育相、~1990)となり、教育改革に取り組む(→世界女性史年表)。 - 1976
・モザンビーク、対ローデシア制裁のため国境閉鎖。 - 1977
・反政府組織「モザンビーク民族抵抗運動」(RENAMO)、政府軍と衝突し、内戦に突入。
・民間銀行の国有化。 - 1980
・南ア、モザンビークとアンゴラの社会主義政権に対し、不安定工作を開始。 - 1983
・旱魃による飢餓のまん延。 - 1984
・南ア・モザンビーク不可侵条約(ヌコマチ協定)。 - 1985
・ジンバブウェ・モザンビーク両軍、MNRの本拠地を攻略。 - 1986
・マシェル大統領他閣僚搭乗機、墜落。後任、シサノ大統領。 - 1987
・計座再建計画。 - 1989
・社会主義体制を放棄。 - 1990
・複数政党制と自由市場経済に移行。
・大旱魃(~1991)。 - 1992
・「ローマ和平協定」により内戦終結。 - 1994
・複数政党制下での総選挙でFRELIMO勝利。 - 2000
・大洪水で100万人以上被災。
歴代大統領
1975~1986 サモラ・マシェル(モザンビーク解放戦線)
1986~2005 ジョアキン・アルベルト・シサノ(モザンビーク解放戦線)
2005~2015 アルマンド・ゲブーザ(モザンビーク解放戦線)
2015~ フィリペ・ニュシ(モザンビーク解放戦線)
【参考文献】
舩田クラ―センさやか『モザンビーク解放闘争史―「統一」と「分裂」の起源を求めて」御茶ノ水書房、2007
網中昭世『植民地支配と開発―モザンビークと南アフリカ金鉱業』山川出版社、2014
<コモロ連合>
グランドコモロ島(ンガジジャ島)、アンジュアン島、モヘリ島(ムワリ島)で構成。コモロ政府は、フランス領マヨット島(マオレ島)の領有権も主張している。
- 1975
・フランスから「コモロ国」として独立。大統領アブダラ。 - 1976
・アリ・ソワリ、クーデタにより大統領に就任。 - 1978
・新憲法採択。「コモロ・イスラム連邦共和国」と変更。アブダラ、アフメドと共同議長として政権を担う。 - 1989
・アブダラ大統領暗殺。 - 1992
・新憲法により、複数政党制導入。 - 1995
・クーデタ未遂事件。 - 1997
・アンジュアン島、モヘリ島、独立を宣言。 - 1999
・クーデタでアザリ大佐が政権掌握。 - 2001
・「フォンボニ協定」(コモロ和解に関するOAU枠組合意)。新憲法採択により、名称を「コモロ連合」に変更。 - 2007
・コモロ当局に反発したアンジュアン島が、独自に大統領選挙を実施。 - 2008
・アンジュアン島にアフリカ連合(AU)の部隊が武力介入。 - 2009
・各島の自治権の縮小と連合政府の権限強化。
歴代大統領
<コモロ共和国>
1975 アーメド・アブダラ(初代大統領・「コモロ民主連合」UDC)
1975 アーメド・アブダラ(国家元首)
1975~1976 サード・ジャファー(革命国民評議会議長→国民評議会議長・「国家統一戦線」)
1976~1978 アリ・ソイリ(国家元首→大統領・「コモロ人民民主会議」RDPC・クーデタにより失脚)
1978 サイード・アトウマニ(政治・軍事理事会議長・「国家統一戦線」UNF)
<コモロ・イスラーム連邦共和国>
1978 アーメド・アブダラ、モハメド・アフメドと共同議長として政権を担う(政治・軍事理事会共同議長・UDC)。
1978~1989 アーメド・アブダラ(UDC理事会議長→大統領・UDC/「コモロ進歩連合」UCP)
1989~1995 モハメド・ジョハル(大統領代行→大統領・UCP/民主改革進歩連合RDR)
1995 コンボ・アヨウバ(暫定軍事委員会調整役・軍政)
1995 モハメド・タキ(大統領代行・「コモロ国民民主連合」)/サイード・ケマル(大統領代行・「諸島連合統一党」)
1995~1996 エル=ヤシュルトゥ・モハメド・カアビ(暫定大統領・「民主改革進歩連合」)
1996 モハメド・ジョハル(大統領・PDR)
1996~1998 モハメド・タキ(大統領・「開発国民連合」RND)
1998~1999 タジディン・マソウンデ(暫定大統領・無所属・クーデタにより失脚)
1999~2001 アザリ・アスマニ(国家発展軍参謀総長→国家元首・軍政)
<コモロ連合>
2001~2002 アザリ・アスマニ(国家元首・軍人)
2002 アマダ・マディ(暫定大統領・「コモロ共和党」)
2002~2006 アザリ・アスマニ(大統領・「コモロ改革会議」CRC)
2006~2011 アフメド・アブドラ・モハメド・サンビ(大統領・「バオバブ運動」)
2011~2016 イキリル・ドイニン(大統領・「バオバブ運動」)
2016~ アザリ・アスマニ(大統領・「コモロ改革会議」)
【参考文献】
エルヴェ・シャニュー『コモロ諸島』(花渕馨也訳)クセジュ文庫
<ジンバブウェ>
- 1974
・民族解放組織「ジンバブウェ・アフリカ民族同盟」(ZANU)と「ジンバブウェ・アフリカ人民同盟」(ZAPU)とが合体して「統一アフリカ民族評議会」(UANC)を結成。 - 1976
・「愛国戦線」(PF)の結成。 - 1980
・総選挙を経てジンバブウェとして独立。ムガベが首相に就任。 - 1987
・大統領制に移行し、議院内閣制を廃止。首相職も廃止。ムガベ、大統領に就任。 - 1988
・Tsitsi Dangarembga、ジェンダー、植民地、ポストコロニアル文学の傑作としてCommonwealth Writers Prizeを受賞したNervous Conditionsを発表。(→世界女性史年表) - 1999
・コンゴ民主共和国内戦に1万人の軍隊を派遣。 - 2000
・白人所有大農場の強制収用と分配はじまるも、農業生産が落ち込み、食糧危機とインフレーションが起こる。 - 2005
・「ムラムバツビナ作戦」による地方都市住民の強制退去と住居破壊。 - 2008
・コレラの大流行により、4千人以上死亡。
・大統領選挙はじまるも、混乱続く。 - 2009
・連立政権の樹立により、「民主変革運動」MDCのツァギライ議長、首相に就任。
歴代大統領
1980~1987 カナーン・バナナ(「ジンバブウェ・アフリカ民族同盟」ZANU)
1987~ ロバート・ムガベ(「ジンバブウェ・アフリカ民族同盟愛国戦線」ZANU-PF)
<スワジランド王国>
- 1964
・ソブフザ2世、「インボコド党」結成。 - 1968
・イギリスより独立。 - 1982
・南ア・スワジランド間に秘密不可侵条約締結。 - 2005
・憲法制定(2006年施行)。
*国王、首相ともにドラミニ家により独占されており、憲法は持つが、国王の絶対君主制の様相を呈している。
歴代国王
1745~1780 ヌグワネ3世
1780~1815 ヌブデユンゲ(ジコゼとも)
1815~1836 ソブーザ1世
1840~1868 ムスワティ2世
1875~1889 ドラミニ4世
1895~1899 ムバンゼニ(ヌグワネ5世とも)
1921~1982 ソブーザ2世
1986~ ムスワティ3世
<南アフリカ共和国>
- 1911
・「鉱山労働法」により、人種によって職業や賃金を差別し、熟練労働を白人にのみ制限。 - 1913
・「原住民土地法」により、アフリカ人の居住地をさだめ、居住地以外のアフリカ人の土地取得や保有、賃貸を禁止。 - 1921
・南アフリカ共産党結成。 - 1926
・「産業調整法」により、労使間の調停機構を設立したが、アフリカ人労働者は除外された。 - 1927
・「背徳法により、異人種間の性交渉を禁止。 - 1948
・「国民党」政権の誕生。アパルトヘイト政策の確立。以後、「集団地域法」「人口登録法」「投票者分離代表法」「バンツー教育法」「破壊活動防止法」などが制定される。 - 1954
・「女性憲章」採択。(→「アフリカ史をジェンダーの視点で切り取る」) - 1955
・白人女性による「憲法擁護女性連盟」(のちの「ブラック・サッシュ」)結成。
・「アフリカ民族会議」(ANC)、「自由憲章」を採択。 - 1959
・バンツースタン計画の立案。 - 1961
・イギリス連邦を離脱し、「南アフリカ共和国」誕生。
・ANCの地下組織「民族の槍」破壊活動を開始。 - 1962
・マンデラ、国家転覆罪で終身刑。妻のWinnie Mandela、国際的に反アパルトヘイト運動のシンボルとなる。(→世界女性史年表)
・国連総会による南ア制裁決議採択。 - 1970
・選挙権を白人のみに限定。
・「バントゥー・ホームランド市民権法」の制定。 - 1976
・「ソウェト蜂起」、学生1万人が警官と衝突。 - 1977
・総選挙、「国民党」圧勝。 - 1978
・ボータ、首相に就任。 - 1979
・情報省スキャンダル事件により、フォルスター大統領辞任。 - 1982
・トロールニヒト、「南アフリカ保守党」結成。 - 1983
・「統一民主戦線」(UDF)結成。 - 1984
・人種別三院制議会発足。 - 1985
・南ア財界、アパルトヘイト廃止を要求。
・UDF、不服従キャンペーン。
・「雑婚禁止法」「背徳法」廃止。
・36のアフリカ人労組COSATU結成。 - 1986
・「パス法」廃止 - 1990
・歌手で人権活動家のMariam Makeba、国外追放から帰国し、Makeba Rehabilitation Centerを設立し、女性と少女のためのさまざまなプログラムを実施。(→世界女性史年表)
・ANC、PAC、南アフリカ共産党の合法化
・ネルソン・マンデラ釈放。
・アパルトヘイト法の撤廃始まる。 - 1993
・6発の核兵器を密かに製造・配備していたが、すべて廃棄していたことを発表。 - 1994
・南ア史上初の全人種参加の総選挙実施、「アフリカ民族会議」(ANC)圧勝。アフリカ統一機構に加盟 - 1996
・新憲法採択。
歴代大統領
1961~1967 チャールズ・ロバーツ・スワート(国民党)
1967 テオフィラス・エベンハェゼル・デンゲス(国民党)
1967~1968 ジョシュア・フランソワ・ノーデ(国民党)
1968~1975 ヤコブス・ヨハンネス・フーシェ(国民党)
1975 ヨハンネス・デ・クラーク(国民党)
1975~1978 ニコラス・ヨハンネス・ディーデリヒス(国民党)
1978 マレー・フィリューン(国民党)
1978~1979 バルタザール・ヨハネス・フォルスター(国民党)
1979~1989 マレー・フィリューン(国民党)
1989 クリス・ヘウニス(国民党)
1989 ピーター・ウィレム・ボータ(国民党)
1989~1994 フレデリック・ウィレム・デクラーク(国民党)
1994~1999 ネルソン・マンデラ(アフリカ民族会議)
1999~2009 タボ・ムベキ(アフリカ民族会議)
2009~ ジェイコブ・ズマ(アフリカ民族会議)
【参考文献】
レナード・トンプソン『南アフリカの歴史』(宮本正興・吉国恒雄・峯陽一訳)明石書店、1995
<ザンビア>
- 1964
・立法議会選挙で「統一民族独立党」(UNIP)圧勝。カウンダ、首相に就任。
・北ローデシア、イギリスから独立し「ザンビア共和国」と改名。 - 1965
・カウンダ、非常事態を宣言。
・ローデシア、ザンビア向けの石油供給を禁止。 - 1966
・銅鉱山の白人鉱山労働者のストライキ。
・ザンビア・タンザニア間の銅の空輸開始。
・第一次経済開発4か年計画。
・ムフリラ銅鉱山で、アフリカ人鉱山労働者のストライキ。 - 1968
・新貨幣制度(クワッチャ)導入。
・ムルングシ宣言により経済の国有化を発表。 - 1969
・「商業ライセンス法」実施、多くのアジア人商店が閉鎖される。
・産銅会社(アングロ・アメリカンとローン・セレクション・トラスト)国有化。 - 1970
・タンザニアとともに、タンザン鉄道建設に関し中国と調印。
・外国商業銀行を国有化。
・銅の国際価格の下落始まる。外国からの借り入れ始まる。→債務危機へ - 1971
・前自治相カプウェプウェ、「連合進歩党」(UPP)結成。 - 1972
・第二次経済開発5か年計画開始。 - 1973
・輸入制限を開始。
・新憲法発布。「統一民族独立党」(UNIP)の一党制国家と規定。 - 1974
・2大産銅会社、完全国有化。 - 1975
・アンゴラ内戦により、ロビト港経由の銅の輸送が止まる。
・タンザン鉄道開通。 - 1980
・銅価格の低下により、経済の低迷期に入る。 - 1983
・IMFと世銀の支援のもと、構造調整プログラムを導入 - 1986
・構造調整プログラムによる各種補助金のカットにより、市民生活が危機的状況に→暴動発生。 - 1990
・「複数政党制民主主義運動」(MMD)結成。 - 1991
・複数政党制の導入。選挙でカウンダ率いるUNIPが敗れ、チルバ率いるMMD勝利。
・自由化政策の推進。外資導入。 - 1997
・チルバ大統領に反対する軍の一部によるクーデタ未遂事件。
・チルバ、カウンダ元大統領などお主な野党政治家を反乱謀議の疑いで逮捕→欧米諸国、経済制裁発動→ザンビア経済の停滞。 - 2003
・ムワナワサ大統領、チルバの汚職を糾弾し、逮捕・起訴(2009年に無罪判決)。
歴代大統領
1964~1991 ケネス・カウンダ(統一民族独立党)
1991~2002 フレデリック・チルバ(複数政党制民主主義運動)
2002~2008 レヴィー・ムワナワサ(大統領代行→大統領・複数政党制民主主義運動)
2008~2011 ルピア・バンダ(複数政党制民主主義運動)
2011~2014 マイケル・サタ(愛国戦線・ロンドンで死去)
2014~2015 ガイ・スコット(暫定大統領・愛国戦線・白人)
2015~ エドガー・ルング(愛国戦線)
<モーリシャス共和国>
- 1965
・独立直前、チャゴス諸島の住民約1800人、モーリシャスに強制移住させられる。 - 1968
・英連邦王国として独立。 - 1969
・ポール・レイモンバランジェが中心となって「モーリシャス闘争運動」(MMM)を結成。 - 1992
・イギリス連邦内の共和国に移行。
・憲法制定
歴代元首・大統領
1992 ピーラセイミー・リンガドー(大統領・「労働党」)
1992~2002 カッサム・ウティーム(大統領・「モーリシャス闘争運動」)
2002~2003 カール・オフマン(大統領・「モーリシャス社会主義運動」)
2003~2012 アヌルード・ジュグノート(大統領・「モーリシャス闘争運動」)
2012~2015 ラジュケスウール・ピュリャグ(大統領・「労働党」)
2015~ アミーナ・グリブ=ファキム(大統領・無所属)(→世界女性史年表)