【現代アフリカ史20】内戦と性暴力
掲載:2015.09.24 執筆:富永智津子
1980年代からの内戦を列挙してみる(→*【年表1】性暴力に関する年表(富永智津子))。
1982~2012 ソマリア内戦 女性への性暴力多発
1987~2005 ウガンダ内戦 女性への性暴力多発
1989~2003 リベリア内戦 女性への性暴力4万件以上(国連推計)
1991~2002 シエラレオネ内戦 女性への性暴力6万件以上(国連推計)
1994 ルワンダ内戦 女性への性暴力10~25万件(国連推計)
1996~2005 ブルンジ内戦 女性への性暴力多発
1998~2000 エリトリア・エチオピア戦争 女性への性暴力多発
1998~2013 コンゴ民主共和国内戦 女性への性暴力20万件以上(国連推計)
2002~2003 中央アフリカ共和国クーデタ 女性への性暴力多発
2002~2005 コートジボワール内戦 女性への性暴力多発
2003~2013 スーダン内戦 女性への性暴力多発
2013 中央アフリカクーデタ 女性への性暴力多発
2013~ 南スーダン内戦 女性への性暴力多発
「紛争とジェンダー」、あるいは「紛争予防とジェンダー」に関しては、さまざまな議論が積み重ねられてきている。しかし、なぜ、アフリカでこのような性暴力が多発しているのかについての明確な回答はまだない。とはいえ、研究蓄積がないわけではない。ここでは、ハーバード大学のコーエン準教授の研究を紹介しておこう(Cohen,2013)。
準教授は、武装集団ごとにレイプの発生率が異なる理由を、各種報告書や3,000件にのぼる家族へのインタヴューを通して分析した。彼女が取り上げた事例は、シエラレオネ内戦である。結論から言うと、さまざまな要因を統計的に処理した結果、内戦下のレイプを誘発する最大の要因は、兵士がリクルートされる方法にあったという。つまり、兵士がリクルートされる際の強制力の大小が、レイプ発生件数と最も相関関係を示したというのだ。
シエラレオネは政府軍と反政府軍との間で何年も内戦が続き、戦闘力の補充が双方にとって重要課題となった。その補充方法を調べてみると、反政府軍の兵士の78%が誘拐によって戦闘集団に放り込まれていたことが判明したのだ。この数値は、7年後の1998年になると94%に達している。つまり、反政府軍のメンバー間には親和的関係が当初から欠落しており、そうしたバラバラな兵士を団結させるために最も効果的なのが集団レイプだったのだという。一方、政府軍の兵士は、78%が友人や共同体のメンバーのつてでリクルートされており、それがレイプの抑止力となったと分析する。レイプ被害者への聞き取りも行っている。それによれば、加害者の圧倒的多数が反政府軍の兵士によるものだった。このことも、彼女の分析を裏付ける資料となっている。
筆者は、この論文を論評する資料を持ち合わせてはいないが、疑問点はいくつもある。そのひとつは、政府軍と反政府軍との政治的立ち位置の違いである。政府軍がより多くの民衆の支持を得ているとしたら、それが女性への性暴力を介して政府軍や民衆に打撃を与える反政府軍の十分な動機となるだろう。また、先に紹介したシエラレオネのメンデ社会の首長層による女性の独占と抑圧からの解放を求めて反政府軍に流入していった若者を、どこに位置づけたらよいか。確かなことは、「軍隊」という暴力装置は正規であろうと非正規であろうと、日常の性規範からの逸脱を誘発するという一般論に回収してしまうには、最近のアフリカでの戦時性暴力の被害者数は大きすぎる、ということである。
いずれにせよ、極度の恐怖と凄惨な性暴力を生き抜いた女性たちにとっての光明は、内戦後、内戦終結に立ち上がった女性たちを率いたリーマ・ボウイーが、選挙で選ばれたアフリカ初の女性大統領エレン・サーリーフとともにノーベル平和賞を受賞したことである。その大統領が初めて公の場で、レイプについて発言したこと、また、女性だけの国連PKOの派遣を要請した結果、女性が安心して警護を任せられたこと、などは、もっと知られてよい女性大統領ならではの采配である。さらにルワンダの国会議員に占める女性の割合が世界一位にランクインしたことは、内戦で男性人口が減少したことにもよるが、女性の参入を積極的に後押しする意識が、男性の方にも芽生え始めている証左である。ルワンダでは、その後、次々に女性や子供を守る法律が整備されている(戸田、2014)。
組織における女性の比率が30%を超えると「変化」が起きるというテーゼがある。アフリカのみならず、世界中の女性がそれを願っている。それを達成した暁に期待される「変化」がどの方向に向かうのか。それは、21世紀におけるジェンダー秩序の新しい展望を切り開く試金石となるにちがいない。