【特論5】Ⅰ―⑯ アカン人の結婚への西欧の影響by J.W.A.Amoo (1946)

2015.03.12掲載 執筆:富永智津子

J.W.A.Amoo, “The Effect of Western Influence on Akan Marriage,” Africa, Vo.16,No.3, 1946

【訳者注:この論文の筆者はアカン人である】

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植民地化以前のアフリカ社会(アカン人=薄茶色部分)(英wikipedia)

   「アカン」という名称は、アシャンティとゴールドコースト(現ガーナ)のトゥウィ語(Twi)を話すすべての集団に使用されている。それには、Fante, Wassa, Akawapim ,Denkera, Agona, Efuru, Ahanta, Sefwiとその他の小集団が含まれる。アカン人の社会組織は母系のクランが中心を占めており、女性の系譜をたどる集団は共通の子孫であり、それゆえひとつの魂―ntoraで結ばれているとされる。継承(succession)は母系で行われる。

 アカン人の結婚は、女性が所属するクランと男性が所属するクランとの契約である。両クランの安全を守るために、結婚は慣習(customs)と法 (laws) にのっとって行われる【訳注:「慣習」はアフリカ固有の法、「法」は植民地政府が導入した法をさす】。結婚は、集団のメンバーのひとりを他の集団に引き渡す。その目的は集団の人口を増やすことにある。個々人はそれぞれの集団に所属し、集団は彼ら/彼女たちの福祉に責任を持つ【訳注:別のクランの男性と結婚しても、妻の健康や福祉は実家に責任があるとされている(後述)】。どの子どもも、正式の結婚、つまりaseda(訳注:婚資の前に行われる贈与)のやり取りをした結婚から生まれたかどうかにかかわらず、クラン(abusuaの中に居場所を与えられ、世話を受け、相続権も保証されている。未婚の母は社会的地位を失うが、子供は失わない。

一夫多妻

 一夫多妻は慣習としてまだ容認されている。この制度は社会的にも宗教的にも認可されており、一人以上の女性と結婚できる経済力を持つ男性が、妻をひとりに限定することはまれである。一夫多妻を正当化する理由は、主として経済的なものであるが、その他にもいくつかある。(a)アカン人は農耕民である。農耕民にとって妻と子供は唯一可能な投資先なのである。大勢の妻と子供を持つ男性は金持ちとされ、尊敬される。(b)二番目の妻となることで、辛い境遇から未婚の母を解放してあげられる。妻たちは仕事を分担することで、自分が使える時間を確保できる。(c)アカン人の慣習から、夫婦はしばしば別れて暮らすことを余儀なくされる。父方居住の結婚では、妻は自分の親族を時々訪問する。彼女は親族の葬式に出席しなければならないし、両親の葬儀では、葬儀が行われる家で40日間の死者の看取りをしなければならない。こうした訪問は何週間、あるいは何か月にも及ぶことがある。産院が近くにあったり、親族が近くにいたりする場合を除き、出産のために数週間は実家にもどることもある。妊娠8か月目から子供が乳離れするまでの1~2年間は、夫婦間の性交は避けることになっている。この慣行は、最初の子どもの場合、特に厳しく守られる。避妊の知識はないに等しい。こうした状況において、一夫多妻は夫の婚姻外の性交渉を避けることができる。クリスチャンも性交にかんするこうしたタブーを守っていると思われている。(d) 離婚は夫にとっても、妻にとっても簡単である。しかし女性は帰るべき自分の親族が常にいる一方、妻がひとりしかいない男性は家事をしてくれる女性も調理をしてくれる女性も失うことになる。

 「アカン人は一夫多妻についてどう思っているのか?」という疑問を持つ外国人がいるかもしれないが、子供の時から、アカン人はこの制度に馴染んでおり、それを部族の習慣として受け入れている。一夫多妻に反対する女性がいないではないが、それは主として嫉妬からであり、労働の軽減という観点で見れば、良い制度だと思っている。

 一方、一夫一婦制も、それなりの利点はある。愛情の絆という観点から見れば、一夫一婦制は他のどの形態より好ましい条件を備えており、夫婦間、夫婦と子供たちの間、子供たち同士の間の団結を強める。一夫一婦の家族のみが最高の愛情と献身的な愛を生み出し、両親が子供たちのケアに犠牲的なまでに尽くす結婚形態は一夫一婦制だけなのである。 

婚約

 クランの制度によれば、子供は母方の同じクラン(abusuaの伯父に帰属し―かつて伯父は甥を売り飛ばすことさえできたが、父親は息子を売り飛ばすことはできなかった―、伯父の財産を相続する。しかし、伯父のために子供をしつけるのは父親であり、父親は子供の乳離れを促したり、マナーを教えたりする。母親と子供は父親に対して、尊敬、恐怖、恭順の念を示す。農耕民の間では、子供たちは両親と一緒に畑に行く。伯父が畑仕事で甥の手助けが欲しい時には父親の許可を必要とする。父親は息子が結婚年齢に達するまで面倒を見る。息子が結婚年齢に達すると、息子にふさわしい妻を探すのも父親の義務である。父親から食べ物を貰っていることは、子供が父親の庇護のもとにいることを意味する。結婚するまで、息子は父親と食事を共にする。女の子たちは母親と一緒に食事をする。息子の財布を管理しているのは父親であり、結婚の面倒も見る。つまり、息子の妻を選んでやり(その際、息子の母方の伯父の承認も得なければならない)、婚資(asedatsir sika)も提供する。息子は父親の選んだ女性を妻として受け入れなければならない。とりわけ交叉いとこ婚(fie aware)の場合には拒否できない。交叉いとこ婚は、女性が断ることができない唯一の婚姻形態であることは、明記しておいた方が良いかもしれない。父親が死亡している時には、息子を結婚させる義務は相続人、つまり死亡した父親の一番年長の兄弟が引き受けることになる。「父親がいない」ために、母親の親族が息子の面倒を見ている場合のみ、その義務は母方の伯父に委ねられる。しかし、自分で妻を選ぶ男性が次第に増えているのが最近の傾向である。しかし、結婚に必要な出費は相変わらず父親が負担しているため、父親の承認、ならびに母方の伯父の承認は欠かせない。

 婚約したふたりが一緒に表を歩くことは決してない。キスをすることもない。初動では仲介者が必要とされることもしばしばある。というのはあまりにも恥ずかしがって、女性が直接返事をすることができないかもしれないからである。女性の同意が得られると、若者は本当に結婚したいと思っていることを示すために贈り物をする。2~3週間後、女性はお返しをする。 

Aseda (Thanks-offering) もしくはTsir nsa (head-rum, begging-fee)>

 ふたりの意思が固まると、若者は父親をとおして女性の家族に、ジンもしくはウィスキーとasedaとかtsir nsaと呼ばれるプレセントとともにメッセンジャーを送る。これらの贈り物は、女性の父親が受け取り、父親は証人として居合わせた両家の男性親族(abusua)にそれを分け与える。母親には決して分け与えない。母親は花婿となる若者から、娘の代償としてafayieと呼ばれる特別な贈り物を受け取る。

 Asedaは、贈り主への感謝の意を示すもので、贈り物を受け取ったことをすべての関係者に知らせることを意図している。結婚の際のaseda の額は、部族ごとに異なるが、おそらく4シリング6ダイム、9シリング、21シリング、2~3ギニーなど、両家の社会的地位によって多様である。Asedaのやり取りによって結婚は完全に合法化されるため、その後に支払われる婚資よりはるかに重要な意味を持つ。Asedaが贈られるまで、女性と、もしいればその子供は、女性の家族に帰属したままの状態とみなされるからである。さらに、夫がasedaを贈らなかった場合、夫は妻の姦通相手を訴える権利もないが、妻の負債に対しても責任はない。Asedaに添えられるラム酒、ジン、ウィスキーは、祖霊(samanfo)に捧げられる。祖霊も生者とともに結婚契約の証人となるのである。祖霊の祝福も新しいカップルに注がれる。夫はその後、妻の母親を含む親族に時々贈り物をすることが義務付けられている。 

Tsir sika (head-money)=婚資(bride-wealth)>

 婚資の額は、戦前は4~10ポンドだったが、若者が早く結婚できるよう、1942年にAgona とWassaw AmenfiのState Councilが法令によって減額し、現在は2~6ポンドになっている。Sefwi 、Ashanti、DenkeraといったStateにおいても同じように減額された。この婚資は、しばしば妻方の家族の負債の返却に用いられており、それによって女性が夫に反抗しにくい状況を作り出している。つまり、夫が要求した時に女性の家族が婚資を返却できないことを知ると、女性はそういう状況に夫を追い込まないよう最大の注意を払わねばならないことになる。花婿がただちに婚資を払えない場合には、支払時期を遅らせることができる。婚資を受け取る男性(通常は父親)は、必要とあらばそれを返却する責任を負っている。

 こうした初動の支出に加え、結婚に関するすべての出費は花婿の父親が負担する。花嫁への贈り物もすべてこれに含まれる。シンガーミシンを要求されることもある。その返礼として花嫁の両親は羊や卵や塩などをプレセントする。こうした贈り物のやり取りは、通りを行進しながら行われる。

 花嫁を花婿のところへ連れて行くのは夕方である。しかし花嫁の行進が始まる直前、花婿は花嫁の兄弟姉妹に、家事労働力の損失への補償としてお金を支払わねばならない。これは「短剣儀礼」(akonta sikan)と呼ばれる。【原注:かつては現金ではなく短剣が贈られていたことに由来する。】花嫁の祖母もしくは母方の伯母の先導で花嫁行列が始まる。花婿の贈り物を運ぶ少女や親族の女性たちがそのあとに続く。到着すると、長老が花嫁を花婿に手渡す儀礼を行う。これでほぼ結婚式は終わり、その後、飲み物などが供される。翌日の祝宴での食べ物だけは花嫁側が準備する。一夫多妻の場合、夫は、慣習法にのっとり、事前に妻たちに現金もしくは布を与えて了解を得る。花嫁も妻たちに贈り物をする。この贈り物は実際には夫側が用意する。妻たちは、了解したことを花嫁の家から連れてくる行例に参加することで示す。結婚後、年長の妻が花嫁をマーケットに連れて行って、買い物の指導などをする。 

新しい家庭と義務

 原則としてアカン人の結婚は父方居住である。しかし、Wassa Fiase やKumasiなどの王母(Queen Mother)の場合は母方居住である。結婚後、妻は実家で暮らすことはなく、家事にいそしみ夫の家族に溶け込むよう努力する。彼女は自動的にその家の女主人となり(夫が他の妻を娶っても、その地位は変わらない)、食料の提供や子供たちの養育の責任を担う。妻は別々の家にではなく、ひとつの家の中に別々の部屋を占有している。アカン人は分業を実践している。男性は叢林を切り開いたり、家を建てたり、畑や家屋のフェンスをつくったり、狩猟や罠猟で狩りをしたりといった力仕事を担い、農耕社会では農作業のほとんどは女性が担っている。女性の仕事には切れ目がなく、男性の仕事は短時間かつ休憩をはさんで、しかもお互いに分担している。畑で収穫した主食は夫の所有物だが、胡椒やなすやオクラといった野菜は女性の所有とされている。妻は大きな家族用の畑とは別に自分用の小さな畑を持つことを許されており、そこからの収穫は彼女のものとなる。夫の資金で交易を行う場合、収益の半分は夫のものとなる。毎月の必要経費を賄うのは夫の義務である。夫は季節ごとの祭りの際、妻に布や装飾品などの贈り物をしなければならない。この慣習を怠ると離婚の原因となる。 

離婚(Hyire gu

 アカン人の結婚は簡単に解消される。妻が反抗的だと夫が感じると、夫は調停のために彼女を両家の長老の前に呼び出す。彼女の行いが治らず、夫が不満を解消できない場合、両親か両家の長老からなる調停者に、それぞれの言い分を聞いてもらい、和解に向けての努力をする。それが失敗に終わると、夫婦が離婚宣言をする。調停者が証人となって離婚が公表されると、夫は結婚にかかった経費を計上し、妻も夫から当然支払われるべきものに関わる計算書を提出する。こうした請求書は調停者によって綿密に調査され、支払額が承認される。妻が離婚を求めている場合、夫は婚資や彼女の嫁入りに要した経費の返還を求めることができる。返還には時間的余裕が与えられるが、離婚を申請した妻に落ち度がある場合、結婚が解消されたことを示す白い粘土は、返還が完了するまで彼女に振りかけられることはない。白い粘土が振りかけられないうちは、再婚することはできないし、その間に彼女と性的関係を持った男性は、夫に損害賠償をしなければならない。夫との間で金銭的な貸借が完了すると、妻の両親もしくは長老が彼女を夫のところに連れていき、証人が居並ぶ前で離婚の儀礼が執り行われる。朝食後にこの儀礼を行うことはタブーとなっている。 

 離婚は両家の間に何のしこりも残さない。最後の別れの時に握手し、離婚後も子供たちに会うために、たびたび訪問しあう。学校に行く年齢に達している場合、子供たちは父方にとどまり、幼い場合には母方で育つが、父親が経費を負担する。離婚した女性が再婚するのは自由である。 

病気と死

 妻が重い病にかかると、扱いが悪くて死に至ったという非難を受けないために、夫はただちに妻の親族に報告する。妻の健康は、妻のクランに責任があるからである。妻の家族は通常、生薬の専門家もしくは伝統医を手配したりして治療をサポートする。厳密にいうと、妻の治療代は両家で折半するのだが、妻への愛情や同情がある場合には夫が負担する。

 妻が死ぬと、治療にかかった費用は妻の親族が支払う。しかし、夫は立派な棺桶を用意する義務がある。さもないと、死者の親族が満足しない。その他、新しい衣服、スカーフ、ポマード、香水などなども用意される。これらは「第二の結婚式」(yire hyia mprenu)と呼ばれている。実際、夫はaseda とtsir sikaを除き、婚約の時と同じようなプレゼントを贈らねばならない。すべては死者の家族に提示され、死者の家族はそれに対し、了解するとか状況によってはもっと要求したりする。葬式の一週間後、葬儀の決算が提出される時までは、夫は経費については語らない。離婚の時に夫が要求することができるtsie sikaやそのほかの出費は、死者の家族は返済しなくてよい。

 妻の死(夫の死ではなく)はアカン人の結婚の終了を意味する。妻の家族が死んだ娘の代わりに他の妻を提供することはない。死者の姉妹と結婚することは寡夫にとって近親相姦を意味しない。これは相互の同意いかんであり、通常のaseda とtsir sikaが与えられねばならない。妻の財産は、妻が死んでも夫のものではない。夫は合法的な相続人の問題には関心を持たない。慣習法により、死者の子供たちが相続することはない。相続するのは死者の姉妹のうち年長の者か、もしくは女性の親族である。死んだ妻が現金を持っていた場合、もしくは借金を抱えていた場合、その旨が告げられ、家族との間で調停がなされる。

 夫が病気になり、妻が介護する場合、その経費は夫の親族が負担することになる。葬式の経費も夫の親族が負担する。そして、棺桶を用意するのは妻ではなく子供たちか、もしくは死者の親族である。しかし、葬儀の代表者(死者のクランを代表する人物)に「葬儀代」(esiedze)を支払うのは寡婦の役割である。葬儀代は夫の社会的地位に応じて3~4ギニーとなっている。寡婦の子供たちがまだ小さい場合、寡婦かその親族(おそらく母方の伯父)が絹の内貼りの棺桶と3~5ギニーの「子供の葬儀代」(mba esiedze)を用意する。

 寡婦の再婚は葬儀が終わってから決められる。農耕民のアカン人は、寡婦とその子供たちが引き続き暮らしていくのに困らないように、また、婚資を返却する義務から逃れるために、死者の相続人が寡婦を相続する。こうして、寡婦と子供たちの労働力が、確保される。

 キリスト教の結婚では、寡婦を妻として相続することは認めていない。しかし、再婚相手が独身の場合には、寡婦と結婚するのは自由である。Gold Coast Marriage Ordinanceは、死亡した夫の財産は以下のように分割して相続するように定めている。3分の1は子供たちに、3分の1は寡夫に、3分の1は死亡した夫の親族に。この規定は、夫が遺書を残している場合に効力を発する。しかし、この規定はアカン人の慣習法と大きく異なっているため、両家の親族の間で諍いが起こることがあり、その場合には裁判に持ち込まれる。 

結婚の形態 

 アカン人の結婚(aware)の形態は、いくつかある。 

<Adehye aware, もしくはAware hun (royal marriage)>は、婚資が介在しないので、費用も最少、形式的なことも最低限に抑えられている。ただし、asedaの授受は法的に結婚を完結させるために必要とされる。ロイヤルファミリーの間で一般的な結婚の形態であるが、夫が妻を虐待した時に経済的損失を被ることなく離婚を進めたいと思っている夫方の両親の中には、この形態を採用したがる場合がある。 

<Kuna aware(寡婦との結婚)>。夫の死後、その相続人が寡婦を相続する形態で、一般に多くの人びとに支持されている。相続人が寡婦を妻として娶って子供たちの養育を引き受ける義務を遂行しなかった場合、死亡した夫の亡霊が報復してくれると期待されている。寡婦の浄化儀礼が終わったのち、相続人が彼女と性交渉をするのは一年後のことになる。寡婦に選択権があれば、死亡した夫の弟が年長の親族より好まれる。寡婦は自分の意思に反して相続人もしくは亡父の弟との結婚を強いられはしないが、拒否する場合には、asedaとtsir sika、ならびに亡父から贈られたすべてのプレゼントを相続人に返さねばならない。子供がいる場合には、子供たちの養育にお金が使われるとの想定のもと、返却は強制されない。

 母方の伯父の娘(wofa-ba)と結婚した男性が、その伯父の死後に伯父の相続人となった場合には、彼はすでに伯父の娘と結婚しているので、伯父の寡婦とは結婚できない。妻である娘と彼女の母親を同時に妻とすることは近親相姦にあたるからである。もし、甥が寡婦とけっこんするには若すぎる場合、寡婦の面倒を見る人が指名される。筆者自身の父親が死亡した時、自分自身が寡婦(母親)の面倒を見るよう指名された。というのは、アカン人の慣習によれば、息子である自分は母親である寡婦と結婚することができないし、財産を相続することもできないからである。こうして筆者は母親である寡婦とその子供たちのケアに責任を持つことになった。同時に、正式な相続人が決まり、義務を遂行できるようになるまで、死者である父親の財産の管理も任されたのである。 

<Fie Aware(交叉いとこ婚)>

 結婚はしばしば娘(妻のクランのメンバー)と娘の父親の姉妹の息子(父親のクランのメンバー)との間、もしくは息子(妻のクランのメンバー)と父親の姉妹の娘(父親自身のクランのメンバー)の間で行われる。相続に関する母系制社会の慣習法によれば、このような結婚は、パートナーのみならず両親も異なるクランに属しており、ひとつの「血」(abusua)ではないために近親相姦にはあたらない。しかし、母方の伯母の娘もしくは息子との結婚は、両方が同じクランに属しているため、タブーとなっている。交叉いとこ婚は、母方の姪の地位を保護し、財産が同じ集団に確保されるために、歓迎されている。この交叉いとこ婚に関してAdze ko adze muというフレーズが時々使われる。その意味は“That which fits in”.
しかし、多くの両親が好む結婚形態ではあるが、教育レヴェルや文化的水準の違いからトラブルも起きている。 

<Afro-European marriage>

 この結婚形態は、すでにアカンの慣習法で認められた結婚を、英国の法律にしたがって、登記所もしくは教会のいずれかで行う儀礼によってさらに合法化するもので、結婚の二重形態(double form of marriatge)と呼ばれている。教会の儀式は、選択ではなく、義務であり、費用も年々増大している。それにもかかわらず、教育を受けた人びとの間では広く行われており、教育を受けていない人々の中にも行う人はいる。教会のフルメンバーで、教区委員や教理問答師や牧師やクラスの指導者などの役職者に対しては特典がある。未婚の男女がこうした役職についている場合、キリスト教の儀式をあげない場合には、役職を解除される。キリスト教徒としての葬儀も認められている。この形態の結婚は、すでに指摘したように財産の相続を含む、いくつかの法的義務を伴う。

 結婚式の費用は、花嫁の父親が負担する。息子はすでに慣習法のもとでの結婚をしているが、父親は結婚の公示、結婚指輪や式の費用などの経費を支払わねばならない。その他、必ずしも義務ではないが、結婚式用のガウン、花嫁の付き添い用のドレス、花婿の付き添いへの贈り物、婚約指輪、聖書、飲み物、教会関係者へのチップ、聖歌隊へのお礼なども父親が支払う。花嫁は、結婚後最初の日曜に催される昼食会を準備する。持参金制度はない。 

<Blessing of marriage>

 教会の中にはこの簡素化した結婚形態(法的強制力はない)を、クリスチャンの出費を最小限に抑えるために導入したものもある。キリスト教の結婚儀礼が用いられるが、結婚の公示、結婚式の費用は免除され、結婚指輪はなくてよい。花嫁や花婿の介添え人、あるいはふたりの証人は必ずしも必要ではない。花嫁は花婿が用意する白いアフリカのドレスを着る。聖歌隊などへのチップや謝礼は必要ない。

 結婚を祝福された夫婦は教会の役職に就くことができるが、イギリスの法律に従って合法的に結婚したわけではないので、離婚や離婚手当や別居や相続に関して、教会の規定に従う義務はない。そのため、宣教師たちは、アフリカ人教師にこのblessinng marriageを奨励していはいない。

 アカン人とクリスチャンの結婚観の間にはいくつかの対立点があることは明らかである。教会の観点からいえば、パートナーはひとりである。結婚相手は、「死が二人を分かつまで、良いときも悪いときも・・・」である。教会は「誰もふたりを分かつことはできない・・・」と宣言する。アカン人の目には、パートナーはひとりではなく、結婚は男性によって解消され得る。さらに、女性は結婚して夫を支えるが、自分のクランに所属している。クリスチャンの目からすると、結婚は二人のうちのひとりが死ぬことで終わりになる。しかし、アカン人の慣習では、結婚によって妻に与えられる義務は、死によっても終わらない。夫の場合も同じであるが、夫は自由になるが妻はそうではない。婚資には経済的意味があるとする世論の圧力に抵抗するのは難しいとしながらも、これに反対しているミッションがある。婚資を禁止するか統制しようとする決議が教会会議でなされたが、それが宣教師の発議であって、アフリカ人の側、特に教会会議を代表しない首長の発議でないかぎり、実効力はほとんどない。 

結論

 西欧的な文明が入り込む前、結婚は普通の男性にとって、手の届く出来事だった。しかし、結婚式にかかる費用が増大した今、財力の限られた男性にとって、妻を娶ることは極めて困難になっている。しばしば負債を抱える男性もおり、彼が負債から自由になるまでに何年もかかるというケースもでてきている。

 ヨーロッパの影響が広がる中、生活環境はどこでも変化しつつあり、それとともに、夫婦の関係も変化している。男性の多くが妻を残して都市部に移動し、ヨーロッパ人の使用人となっている。賃金や月給といった固定給が約束される者もいるが、町での生活費はそれ相応に嵩む。以前は畑に依存していた家計は、ますます男性の現金収入に依存するようになっている。町での借家の費用もかかる。書記の初任給は年48ポンドで、3年間は昇給することはない。

 さらに、妻の要求は、妻が農婦ではなく、町の住民となるにつれて大きくなっている。妻は、自分の立場にふさわしいファッショナブルな衣服を購入するための現金を夫に期待する。夫がそれに応えられない場合、妻の多くは商売を行って自分で収入を得ようとする。そこで、教育を受けたアフリカ人の妻が毎日長時間、マーケットで食品や野菜などを売り、午後遅くに家に帰るという状況が一般化した。こうした収入は、わずかであっても家計に貢献することは確かだが、実際には、家計のほぼすべてが男性の収入に依存するという現実は変わらない。女性は自分の財布を持ち、自分の稼ぎは自分のものだ。

 農耕民の一夫多妻の利点に焦点を当ててきたが、それを実行できるのは、一定の資産を持つ男性のみである。都市部で一夫多妻を実践するには、それなりの収入がなければならない。こうした障壁を乗り越えるために、それぞれの妻に交代で半年間ずつ実家で過ごさせるという方法がよくとられる。そうすれば、夫はその期間、少額の仕送りだけで済むからである。

 以下のような改革が提案できる。(1)結婚を合法化するAsedaのやり取りのみを残し、そのほかの追加的な支出は廃止する。(2)アフロ=ヨーロッパ方式の結婚は廃止し、アカンの伝統的結婚だけを合法化する。これは、教会のフルメンバーになりたい人びとがblessing of marriageを選択することを妨害するものではない。Mizpah、聖書、結婚指輪などは廃止すべき。(3) すべての少女は、現在、数少ない学校でのみ教えられている家庭科教育を受けるべきである。学校に通った少女が、家事を疎かにし、その結果メイドの助けなしには何もできないような怠惰な妻になるという風聞がわたしの耳に入ってきている。(4)アカン人の遺産相続に関する慣習法によれば、子供たちは死亡した父親の財産への請求権はない。子供たちが負担するのは、父親の棺桶と、リングと、死に装束代だけである。死者の社会的地位によって3~4ギニーを要する葬儀代は、死者の家族が負担すべきである。

 離婚に関しては、(1)上で述べたように、婚資は廃止し、asedaだけを残す。そして結婚が3年間以上続き、子供がいる場合、結婚の際の贈り物は返さなくてよい。(2)まだ母親と一緒にいる3歳以下の子供に対して、父親は定期的に仕送りをして養育を支えるべきである。3歳以上の子供は父親と一緒に住み、子供の養育や教育や将来の結婚に責任を持つ父親に奉仕すべきである。(3)結婚後、一年未満で離婚を求める女性は、結婚の際の贈り物とaseda を返還すべきである。子供がいれば、父親が子供をサポートすることになる。(4)夫に一年以上放置された妻は離婚を請求することができ、何も返還しなくてよい。(このルールは、妻をサポートできる立場にいる夫がそれを怠った場合に適用される)。(5)夫が正当な理由なく離婚を要求していることが発覚した場合、夫は社会的地位に応じて3ポンド12シリング~7ポンド4シリングの罰金を支払い、妻は何も返還しなくてよい。一方、正当な理由なく妻が離婚を要求した場合(例えば嫉妬などで)、賠償は受けられない。(6)夫が性病にかかったという理由で離婚を要求する女性は、夫に何も返還しなくてよいが、罰金は要求できない。(7)結核、精神病、性病以外のその他の慢性的な感染症を理由に離婚を請求した場合、病気にかかった側は、被害を被った側に賠償すべきである。(8)3年経過しても子供が生まれない場合、離婚の理由となる。Asedaだけが夫に返還されるが、妻には賠償は支払われない。

 アフリカ人は、現在、あらゆる面で困難に直面している。貧困、栄養不足、幼児の死亡、教育機会の欠如、失業、文化接触の問題などである。避けられない変化ができるだけスムーズに進行するかどうかは、アフリカ人とヨーロッパ人の協力にかかっている。

 一夫多妻と一夫一婦の利点と不利な点をまとめ一般化するのは、現在の移行期にあっては難しい。しかし、アカン人にとっても一夫一婦は望ましいが、人びとの経済的状況が改善されるまでは不可能である。時がそれなりの解決策をもたらしてくれるだろう。

                          (富永智津子訳)