【現代アフリカ史3】道徳的規範としての「宗教」とその変容
掲載:2015.09.24 執筆:富永智津子
社会人類学の先駆者マリノフスキーの片腕としてアフリカでの調査研究に従事し、多くの業績を残したゴッドフリー・ウィルソンは、1936年に「アフリカ人の道徳性」という論文を発表している(Wilson, 1936)。論文の対象はタンガニーカ(現在のタンザニア)南部の農耕牧畜民ニャキューサである。当時の人口は15万、およそ60人の首長の支配のもとでそれぞれ独立した共同体を形成していた。各共同体には首長の他に複数の村長がおり「宗教」にかかわる領域で重要な役割を担っていた。
ウィルソンはニャキューサ人の「宗教」は、次の3つの部分から構成されているという。すなわち、祖先崇拝、妖術、呪術である。それぞれが共同体の道徳を律しているのだが、効力を発揮する領域は必ずしも同じではない。祖先崇拝は親族間の道徳的行為に対し、妖術は共同体内のメンバーすべてに対し、そして呪術は共同体のメンバー以外の人びとの非道徳な行為に対し、それぞれ効力を発揮する。妖術には、他人の悪を暴いて攻撃する妖術と守ってくれる妖術とがある。人びとがもっとも恐れるのは、本人の自覚もないままに攻撃的な妖術師と名指しされることである。その場合には、首長に報告され、共同体の裁判にかけられる。呪医が呼ばれて、毒薬が試薬として使用される。その結果によっては、放免、罰則、処刑が言い渡された。その他にも不幸や病気の原因を究明するために、人びとは占い師に頼っている。不測の事態には、必ず過去に犯した罪が関係していると考えられているからである。共同体が理想とする行いは推奨され、規範の侵犯は厳しく罰せられる。理想とする行いには、寛大さ、ホスピタリティ、穏やかさ、礼節、年長者への尊敬、病人や障害者のケア、慣習の遵守などが含まれ、不道徳な行為には不倫や育児放棄、妻への義務放棄などが挙げられている。
ここでは、これ以上の詳細は割愛するが、重要なことは、1930年代のニャキューサ社会では、「宗教」が共同体の道徳基準を人びとに遵守させる役割を果たしており、その役割を担っていたのは、個々人ではなく親族・村落・共同体であったということである。しかも、ウィルソンの報告書を読む限り、「宗教」が人びとに課している道徳は共同体のすべてのメンバーに適用されるもので、ジェンダーによる差異化はされていない。ところが、先に述べたように、半世紀以上を経た現在、なぜ妖術師と名指しされて殺される高齢の女性が多いのか。この疑問を解くカギがウィルソンの報告書にある。それは、植民地政府が首長による妖術裁判を禁止したことと深く関係している。この禁止を契機に、妖術事件が増加したというのである。そして独立後の国家建設にともなう新たな「市民社会」の構築が続く。こうしてかつての共同体は消滅し、「統制」を失った「宗教」が野に放たれた。生き残った攻撃的妖術はあらゆる悪の根源とみなされ、一番立場の弱い老齢の女性がその標的となっているのだ。ケニアやカメルーンの一部で見られるように、同性間の性関係が妖術師のおぞましい特徴とされ忌避の対象となっている(浜本満, 2014:109)ということも、この文脈の中で捉えることができるかもしれない。
女性や社会的弱者は、共同体が提供していた保護に代わる仕組みを構築することなく推し進められている男性中心の近代化のつけを支払わされているともいえるだろう。これは、アフリカに限らず、世界共通の歴史的プロセスであり、21世紀に持ち越されている課題である。