【年表】アフリカ史(6)ーアフリカに対する西欧・イスラーム社会の認識<構築中>

掲載:2016-05-05 執筆:富永智津子

【アフリカの歴史と社会に対する西欧・イスラーム社会の認識】

【ユダヤ教の聖典の中の奴隷化原則】  

・レビ記25章42~46「エジプトの国からわたしが導き出した者は皆、わたしの奴隷である。彼らは奴隷として売られてはならない。あなたは彼らを過酷に踏みにじってはならない。あなたの神を畏れなさい。しかし、あなたの男女の奴隷が、周辺の国々から得た者である場合は、それを奴隷として買うことができる。あなたたちのもとに宿る滞在者の子供や、この国で彼らに生まれた家族を奴隷として買い、それを財産として受け継がせることもできる。しかし、あなたたちの同胞であるイスラエルの人びとを、互いに過酷に踏みにじったはならない。」

・創世記9章25「ノアは・・・末の息子がしたことを知り、こう言った。『カナンは呪われよ。奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ』。また言った。『セムの神、主をたたえよ。カナンはセムの奴隷となれ、彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える。」

【イスラームの聖典・法学の中の奴隷化原則】

・イスラーム法学による「ジハード」についての古典的教義
一般には「できるかぎり奮闘・努力すること」であるが、イスラーム法学においては「カーフィル(不信仰者)との戦い、その撃退のために生命、財産、言論を費やすこと」「不信仰者と戦い、彼らを倒し、その財産を奪い、その礼拝の場所を打ち壊し、その偶像を破壊すること」と考えられている(大塚和夫『近代・イスラームの人類学』東京大学出版会 2000:199)

・イスラーム法においては、ムスリム同士の戦闘は原則として禁じられており、奴隷化の対象も不信仰者に限られている。

<偏見・差別の事例>

11世紀

イブン・ブラトーン(1066年没)『奴隷の購入と検査に関する有用な知識の書』 (人種のステレオタイプ化・人種間の比較)

→ヒンド人女性:体型の良さ、茶色で黄色く清らかな肌、息の香しさ、・・子をなすのに適し・・ただし、衰えが早い。
→ベウベル人女性:黒い色の女もいるが、なかには黄色もいる。生まれつき服従的で、精力的に奉仕する。子育てがうまい。
→イエメン女性:人種においてはエジプト女、本性においてはベルベル女、艶っぽさにおいてはメディナ女、女らしさにおいてはメッカ女である。顔が良く、アラブにそっくりである。
ザンジュ人女性(黒人):肌の色の黒さが増せば増すほど姿は醜くなり、歯は鋭くなる。・・一般に本性は悪く、頻繁に逃亡する。踊りを リズムが天分であり・・・苦役に対する耐性がある・・・腋臭、体躯の粗野さゆえに、[性交することに]快楽はない。
(清水 2016:レジュメから)

14世紀

イブン・ハルドゥーン(1332~1406):『歴史序説』森本公誠訳、岩波文庫全4巻、2001

→「黒人は一般に軽率で、非常に情緒的であり、メロディーを聞くとすぐに踊りたがる。彼らはどこにおいても愚か者とみなされてい る。」 

【探検家・植民地行政官、人類学者などの報告書に由来するもの】

マンゴ・パーク(1795~1806年の間に2度のニジェール川流域を探査)

→「粗野で無慈悲な部族」(マニックス 1976:29)

・リヴィングストン1813~1873)

→「われわれは彼らのもとへ優等人種の一員としてきたのであり、人類のうちでもっとも堕落した部分を向上させようと欲している政府への奉仕者としてきたのである」

【文学作品に現れた偏見・差別】

シェークスピア:『オセロ』(1602)

→ムーア社会=男色社会との当時のイギリス社会の認識の中では、ムーア人のオセロ=ムーア(黒人)社会=悪という図式が成り立つ(要調査)。

ムーア人(黒人)の白人にはない残虐性の描写(読み込みすぎ?)

ラドヤード・キップリング(イギリス、小説家、詩人、1865~1936)

 →『ジャングル・ブック』(舞台はインド)で有名だが、1898年から1908年に毎年冬季に南アに滞在、セシル・ローズ、アルフレッド・ミルナー卿、リアンダー・スター・ジェームソンなど、ケープ植民地の政治家と交流を深め、彼らの政治手腕を称賛した。

 →「白人の責務」=「劣った野蛮・未開状態にある人種を、優れた白人が文明世界に引き上げる」(帝国主義列強の植民地政策を支持

→ジョージ・オーウェル評「イギリス帝国主義の伝道者」

ヒュー・ロフティング1886~1947):『ドリトル先生アフリカ行き』(1920)

→黒人であるバンポ王子が白い肌に憧れ、薬品で顔だけを脱色して白く染めるなど、ステレオタイプ的な黒人描写が多く、1970年代から人種差別を助長するとして批判され、絶版となるも1988年から一部の表現を変更して復刊が進められた。日本では、2001年に岩波書店が「黒人差別をなくす会」から差別表現が頻出するとして回収を要求されたが、岩波書店は回収せず、批判箇所を単語の部分修正で対応。

【植民地主義と児童書】

詳しくは西山暁義「ドイツの”サンボ”―帝政期ドイツにおける児童向け絵本と植民地主義」山川出版『歴史と地理ー世界史の研究』247(2016)参照

→ハインリヒ・ホフマン『もじゃもじゃ頭のペーター』(ドイツ、1845)

→『カメルーンから―年長と年少の子どものための絵本 Kamerun. Eine Bilderbuch fur grosse und kleine Kinder』(ドイツ・1885)

→E.エリアス(?)『黒んぼサンボーあるムーア人のお話 Der schwarze Sambo. Eine Mohrengeshichite』(ドイツ・1886)

→ヘレン・バナマン『ちびくろサンボ Little Black Sambo』(スコットランド、1899):本来はインドが舞台でサンボもインド人の容貌をしていたが、海賊版がアメリカで出回るようになり、インド人の少年ではなくアメリカに住むアフリカ系黒人の少年に置き換えられたりし、後に人種差別問題としてなる。日本では、こうしたアメリカ版のひとつであるマクミンラン社版(1927年)に使われていた挿絵が採用されたが、著作権がない絵本として、アメリカ同様に海賊版が横行し、70種類を超える『チビクロサンボ』が出版された。日本でも1988年に一斉絶版問題が起こり、岩波書店版を含め、事実上すべての出版社のものが自主的に絶版となり、書店から回収されたが、「発売禁止」措置がとられたわけではない。その後、1999年に『ちびくろさんぼのおはなし』(灘本昌久訳、径書房)が原作そのものの日本語版が出版されている。

【哲学/思想に由来するもの】

シャルル・ド・モンテスキュー(1689~1755):『法の精神』1748);『ペルシャ人への手紙』(1721)

→「極めて英明なる存在である神が、こんなにも真っ黒な肉体のうちに、魂を、それも善良なる魂を宿らせたという考えには同調できない。・・・われわれがこうした連中を人間であると想定するようなことは不可能である。」

ヘーゲル1770~1831):『歴史哲学講義』(上下巻、岩波文庫、長谷川宏訳、1994)から

→「……黒人は自然のままの、まったく野蛮で奔放な人間です。かれらを正確にとらえようと思えば、あらゆる畏敬の念や共同体精神や心情的なものをすてさらなければならない。かれらの性格のうちには、人間の心にひびくものがないのです」(160ページ)

→ 「……文化の段階は宗教のありかたのうちに具体的に見て取ることができる。宗教のありかたとしてまず考えられるのは、人間が自分をこえた力……をどう意識するかという点です。その力に対しては、人間は弱いもの、おとったもの、ということになるが、宗教のはじまりは、人間をこえたものが存在するという意識にあります。すでにヘロトドスが、黒人は魔術をつかうといっていますが、魔術のうちには共同の信仰の対象としての神は考えられてはいず、むしろ、人間こそが最高の力であり、人間は自然力にたいしてもっぱら命令をくだすものと考えられています。だから、神を精神的に尊敬したり、正義の国を構想したりといったことは、ありえない」(160ページ)

→「黒人を考える上で、もう一つ特徴的なのは、奴隷制度です。黒人はヨーロッパ人の奴隷にされ、アメリカ人に売られますが、アフリカ現地での運命のほうがもっと悲惨だといえる。現地には絶対の奴隷制度があって、というのも、奴隷制度の根底は、人間がいまだ自分の自由を意識せず、したがって、価値のない物体におとしめられるところにあるからです。黒人は道徳的感情がまったく希薄で、むしろ全然ないといってよく、両親が子どもを売ったり、反対に子どもが両親を売ったりする」(164ページ)

→「これをもってアフリカに別れを告げ、以後はもう話題にすることはやめにします。アフリカは世界史に属する地域ではなく、運動も発展もみられないからです。……本来の意味でのアフリカは、歴史を欠いた閉鎖的な世界であって、いまだまったく自然のままの精神にとらわれ、世界史の敷居のところにおいておくほかない地域です」(169ページ)

 

【社会進化論~自然科学・社会科学に由来するもの】

・カール・フォン・リンネ(スウェーデン人/1707~78):『自然の体系』(1735)の「人類の分類」

→「アフリカ人ー黒い肌、粘着質、筋肉が弛緩、滑らかな肌、サルに似た鼻、膨れ上がった唇、女性の乳房は膨張している。その乳房から豊富な乳がでる。狡猾、怠惰、無頓着、体に油を塗りつける、権威にしたがう。」

アダム・スミス(1723~90):『道徳感情論』(1759)

→「人間の容姿や顔立ちの美しさについて、それぞれの民族はどんな独自の考えを形成するのだろうか。ギニアの沿岸では肌の色自体が衝撃  的なくらい醜い。ここでは分厚い唇と平べったい鼻が美人なのである。」

・エドワード・ロング(1734~1813):『ジャマイカ史』(1774年);アメリカ系黒人に関する人種差別的な描写を含む。

→「黒人は人類ではない。」「黒人と白人よりも、オランウータンと黒人の方がはるかに似ている」(野津)

現在のガーナ地域からの黒人奴隷について、「傲慢で、残忍で、頑固である」(マニックス 1976:33)

・アルテュール・ド・ゴビノー(1816~1882):『諸人種の不平等に関する試論』(1853~55)

→「生理学的な根拠に基づいて、はっきり異なった三大類型、黒・黄・白人種を区別することができる」

→白人至上主義、アーリア人=支配人種 

・チャールズ・ダーウィン(1809~1882):『種の起源』(1859)

→ダーウィンは「進化」を意味するevolutionではなく、Descent with modificationという単語を使用していることに注意!

→正式名称は『自然選択の方途による、すなわち生存競争において有利なレースの存続することによる、種の起源』(On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Faboured Races in the Struggle for Life)

→環境との関連で「自然選択」「生存競争」「適者生存」などのフレーズにより種の分岐と多様化を説明。

フランシス・ゴルドン(1822~1911):『遺伝的天才』(1869):ダーウィンの従兄弟で最初に生殖管理による人種改良という発想をし、1883年に優生学という言葉を初めて用いた。

エドワード・バーネット・タイラー(1832~1917)(人類学):『原始文化』(1871)=野蛮→未開→文明

→「人類の生物学的進化と社会・文化的進化の段階は一致し、二グロ=アフリカ人は初期段階にあり、高度な段階にある白人=ヨーロッパ人よりも劣等である」

・W.ベイトン:「遺伝学」という語を考案(1905)

→優生学教育学協会(1907年)→1926年「優生学会」と改称

→世界発の断種法が成立(インディアナ州)(1907年)

→第一回国際優生学会の開催(1912年)

→遺伝子病子孫予防法(ナチス断種法)の成立(1933年)

シュヴァイツアー(1875~1965)

→「原始的種族の土人が高等の学校教育をうけることはそれ自体不必要なことと私は考える」「黒人は小児である」

・自然人類学、形質人類学、比較解剖学、進化人類学の研究⇒(南ア)サラ・バールトマンの事例(→世界女性史年表 

マルクスの発展段階論

トレヴァー・ローパー

→「歴史というものは本質的にある目的に向かって進む運動なのである。おそらく将来、アフリカにも何らかの歴史が出現するだろう。しかしながら今日、アフリカに歴史はない。強いてあげるならばアフリカにはヨーロッパ人の歴史のみが存在しているのである。」(『新書アフリカ史』13)

【参考文献】

大塚和夫  2000  『近代・イスラームの人類学』東京大学出版会

グールド、スティーヴン・ジェイ  1998 『人間の測りまちがい―差別の科学史』(1981年、邦訳1998年;2008年河出文庫)

清水和裕  『中世イスラーム世界の黒人奴隷と白人奴隷―<奴隷購入の書>を通して』九州大学;「初期イスラーム時代の奴隷女性と境域の拡大」(歴史学研究会全体部会「人の移動と性をめぐる権力」2016年5月28日、明治大学駿河台キャンパス)のレジュメから引用)

チェイル=リボウ、バーバラ、『ホッテントット・ヴィーナスーある物語』(井野瀬久美恵監訳)法政大が王出版局、2012

野津志乃   2004  「近代思想とアフリカ認識―ヘーゲルの『歴史哲学』の批判的考察を中心に」『創価大学大学紀要』26:209-221

マニックス、ダニエル・P、1976 『黒い積荷』平凡社

宮本正興・松田素二1997  『新書アフリカ史』講談社現代新書