【現代アフリカ史9】「レヴィレート」を拒否する女性たち

掲載:2015.09.24 執筆:富永智津子

先に引用したカヤンバは、離婚の増加にともなう共同体の不安定化を危惧していた。ところが、離婚や再婚ができない仕掛けを張り巡らしている民族集団もある。たとえば、椎野若菜が調査したケニアのルオ社会である(椎野、2008)。

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ルオ居住地(キスム近隣)

ルオ社会は、一夫多妻とレヴィレートを実践している父系の民族集団である。椎野の定義によれば、レヴィレートとは「夫が死んだあとでさえも亡夫との結婚にもとづき『男女は対』という性別の異なる性を媒介にしたユニットで生活すべきだという思考を実践させるための社会制度」である。つまり、女性は寡婦となっても、夫の親族のひとりを「代理夫」として生きてゆくことが義務づけられている。それがルオの村落の存立を支えている。離婚は想定外なのである。そのルオ社会で、レヴィレートをせずに町で暮らす寡婦が増えているという。椎野はインタヴューを通して、その理由を探り出している。

インタヴューを通して見えてきたのは、寡婦と子供たちの面倒をよくみてくれるかつての「代理夫」と異なり、最近は金目当てかセックス目当ての男性が多く、しかも「代理夫」には複数のセックス相手がおり、エイズでもうつされたらたまらない・・・・という共通の語りである。その多くがクリスチャンであることを理由に、セックスをともなうさまざまな儀礼を拒否していることも共通している。寡婦たちは、町の暮らしはきついけど、親戚の援助や独身の時にやっていた商売などでどうにかやりくりしている。なかには、成人学校の教師や地方議員になった女性もいる。ということは、町の暮らしになんとか順応し、経済的にも自立できる手段を持った女性たちが、慣習からの解放を手にしているといえる。寡婦たちが、少数だが寡夫も交えて相互扶助組織をつくり、町での生活戦略を展開していることも、この変化の促進要因となっている。

ここからは、一方で、親族組織の存立基盤である寡婦をつなぎとめられなくなっているレヴィレートの変質とそれに伴う慣行への嫌悪と、他方で、町や都市が寡婦に提供しているレヴィレート以外の生存戦略の存在という両輪が、女性の自立を促し、ひいてはルオ村落の慣習に風穴をあけつつある現状がみえてくる。

 

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