【特論5】Ⅰ―⑥ アフリカ系都市住民の婚姻関係と親の義務を取り巻く状況の変化by Eileen Jensen Krige

 Eileen Jensen Krige, “Changing Conditions in Marital Relations and Parental Duties among Urbanized Natives,” Africa, Vol.9,No.1 January 1936:1-23.

ヨーロッパ人との接触によって、アフリカの至るところで、変化と動揺、制度的混乱と崩壊が起きている。もしバントゥー社会がこのショックを生き延びようとするなら、崩壊しつつある制度を、変化した状況に合うような新しい形態に変えなければならない。この移行は緩やかではあるが、痛みを伴うプロセスになるだろう。その際、より進歩した文化への挑戦と反発を調査し、文化的進歩の性質を分析する必要がある。こうした文化的進歩と変化の意味に含まれる社会学的プロセスへの最も有効なアプローチは、家族とそれに関する制度への外来文化のインパクトの研究である。これらの領域で生じる動揺は、しばしば社会的・経済的崩壊をもたらし、その動揺の広がりによって社会が受けたショックの大きさを計測することができる。本稿は、婚姻関係と親との関係における変化を描写し分析することを通して、アフリカ人社会の制度が、どの程度、新しい時代に適応できなくなりつつあるのかを、その制度の崩壊・脆弱さ・不利な側面について分析し、どのような適応の形が再び安定した状況をとりもどさせることになるのかを示すことにある。 

調査地域の状況
 調査対象は、現在、Skoolplaas, Marabastad, Bantuleとして知られているプレトリアのアフリカ人居住区域(native urban location―以下ロケーションと表記)である。宣教所を起源とするSkoolplaasは1866年に、Marabastadは1890年代に設立されている。Bantuleは設立されて10年に満たないが、MarabastadやSkoolplaasで生まれ育った住民が移り住んでいる。SkoolplaasとMarabastadはスラムであり、Skoolplaasの状況はあまりにも悪いので、都市評議会(municipal council)は、1935年末までにすべての住民を撤去させる措置をとった。Native Urban Areas Actにもとづいて適正な住居を提供されているはずのBantuleでさえ、経済的状況は悪く、禁止されている部屋の間貸しの横行によって、人口過密状態になっている。

  プレトリアのロケーションの住民の大部分は、近隣の農園やリザーヴからやってきたトランスヴァールのソト人(主にKxatlaとKwena)とンデベレ人(ソト化したングニ)である。しかし、かなりの数のShangaan人とズールー人およびコーサ人が混住している。

  Skoolplaasには、小さい時に戦争で捕虜になり、サーヴァントとして育てられ、自分の親族とのコンタクトを絶たれたアフリカーンス語を母語とした「丁稚」(apprentice)の子孫が住んでおり、彼らは自分たちの部族(訳注:ここではtribeの訳として、「民族」ではなくあえて「部族」を使用する)の生活を全く知らない。しかし、部族の慣習を維持しているアフリカ人と隣接して暮らし、婚姻関係を結んだりしているために、彼らの生活慣習はヨーロッパ的というよりバントゥー的である。だが、自分たちを”oorlams”(=civilized)と呼び、町の生活を知らない”raw”なアフリカ人を見下す傾向がある。また、ミッショナリーの影響を受けた彼らは結婚に際してのロボラ(婚資)のやりとりに強い偏見を持っている。とはいえ、ミッショナリーの影響がアルコール飲料に対する態度に反映しているようには見えない。というのは、彼らは他の誰よりも非合法のビールを醸造しているからである。

  1933年のプレトリア市のセンサスによれば、この3つのロケーションの人口は約1万人(9,694)。そのうち50.6%がプレトリアで生まれ、一生をプレトリアで過ごしている。一方、28.4%は居住歴10年以上となっている。正確な情報は得難いので、私自身の印象を記しておくと、この数値は高すぎであり、しかも新しい居住者が増えているように思われる。
 ロケーション人口の半数以上が町で生まれ、脱部族化していると考えられるが、出身地であるリザーヴとの関係が切れているとは言えない。田舎の親族が出席しない儀礼や結婚はあり得ないし、親族同士の訪問も頻繁に行われている。ヨーロッパ人との接触がもたらした変化は、それ故、リザーヴが伝統を存続させているかぎり、かなり緩慢なものとなっている。町でヨーロッパ人の使用人となり、都市のアフリカ人人口の重要な部分を占めている農園やリザーヴからやってきた男性や少女たちは、町で育ったロケーションの住民と接触し、結婚する一方、ロケーションの住民は常に町から町へ移動している。このようにロケーション外の状況や慣習は、ロケーション内にかなりの影響を与えており、町と田舎、都市のアフリカ人と田舎の従兄弟/従姉妹たちとの間には大きな違いは見られない。 

個々人のバックグラウンド
 異なる慣習間の対立は、調査者にとってきわめて重要なテーマである。個々の事例への文化接触の影響を示すことによって、マクロな傾向を分析する助けとなるからである。そこで私は、自分の経験の中から、プレトリア・ロケーションに住む典型的な家庭の事情について紹介する。

  Samson-両親は140マイル離れたところに住んでいる-は、’Matli家の後見人であるLizzie ‘Matliから、ヨーロッパ流のやり方で、Ethelとの交際の許可を得た。この手続は常道ではなかった。というのはこうした交渉は家族を通して行われるべきであり、個人を通しては行わないのがアフリカ人のやり方だったからである。さて、Ethelが妊娠すると、Lizzieはアフリカ人のやり方にならって事を進めるために使者を送るようSamsonに要求した。しかし、彼は拒否した。その理由は、彼はヨーロッパ流のやり方で、彼にとって都合のよい時に彼女と結婚するから、というのだ。結局、何度もの抗議を受けて、彼はふたりの代理人を送ったが、その時’Matli家は留守にしていた。アフリカ人の慣習によれば、留守にするというは、傷つけられた陣営側の高圧的態度の提示を意味している。そこには、そうした圧力によって、男性の代理人側が償いをしてくれるのではないかという期待が込められているのだ。しかし、憤慨したSamsonは、アフリカ流の礼儀を無視し、交渉を再開することを拒否し、他の少女と付き合い始めた。そこで、’Matli家が裁判を起こすと脅かすと、あえて最悪の事態を引き起こした。つまり、この素行の悪い男性Samsonは家畜を所有していなかったので、子供が生まれるのを待つ以外になすすべがなかったのである。激怒した父親の話しによると、Samsonは3人の年配の男性とともに’matli家を訪れた。父親は、2人の親戚の者と仲人役の産婆とともにSamsonを迎えた。訪問者は、冷たくあしらわれながらも、赤ん坊を見、抱くことを許された。一方、Samsonは、2人の仲介者を通して「訪問を許してください。子供を見るためにやって来ました。子供はわたしの子供ですから。しかし、差し上げるものは何も持っていません。」と言った。贈り物を持参しなかったという不適切さを認めつつ、彼は付け加えた。「わたしは貧しいけど月末までに何ができるかを考えます。私はこの子の父親ですから責任があります」と。この言葉は、相手の父親の怒りを買った。「手ぶらで来て、自分の子供だなんてよく言えたものだ。」訪問者は謝罪し、Matliは「何も言うことはない。子供を見に来ただけだなんて!」と言うには言ったが、Samsonから、いつ結婚してくれるかの言質を取るのに失敗した。Samsonは月末に少しばかりの贈り物と「子供の名前」をたずさえてやってきた。しかし、今や、子供の世話はEthel自身の手に委ねられたことは明らかだった。

  昔と今の慣習の混淆とは別に、上記の事例から、いくつかの興味深い疑問が浮かんでくる。ロケーション内でどのくらいの私生児が生まれているのか?私生児への一般社会の態度はどうか?それに付随した社会現象への反応はどうなのか? 

当該地域における私生児の比率
 社会的崩壊と経済的無秩序の最も顕著な兆候は、牧師の家庭であろうと、教師の娘であろうと例外なく、どの少女も結婚前に1人か2人の子供を産むという事実である。

  私生児については、ロケーションの警察長官(superintendent)の記録から探ることができる。子供の誕生は、彼に報告され、登録されていたからだ。1933-34年度の私生児―つまり、母親の家族名のみが記されている報告―は、3つのロケーションの全登録数の40%であった。その比率は1934-35年度には59%に上昇している。ロケーションで生まれた子供の多くが登録するなどという煩わしいことはしていなかったので、この数値は実態より低いと言ってよい。にもかかわらず、この数値は、南ア連邦の都市部に住むヨーロッパ人の3%およびアフリカ人のみの住む居住地における実質的0%と比べると、社会的崩壊がきわめて進行していることを反映している。

  子供を産む前に結婚する少女は少ない。Skoolplaas Lutheran Churchに登録されている過去4年間(1931-34)の数値は、花嫁の60%がすでに子供を産んでいたこと、16%のみが結婚前に子供を産んでいなかったこと、24%が不明であったことを示している。結婚前の妊娠は一般的な現象であり、ロケーションの男性は、女性が不妊でないことを確認するために妊娠させる場合を除き、結婚はしない。しかし、結婚前の妊娠が大目に見られているというわけではない。多少は不名誉なこととして認識されている。私生児の母親はみんな、まずは結婚したかったと思っていると告白している。しかし、私生児があまりにも多いので、私生児に対する人びとの態度は寛容である。こうした一般の人びとの態度の曖昧さは、ふたりの子供を持つ少女の次の言葉によく現れている。「皆はおかしいのよ。どうやっても非難されるのよ。私が3年間Solomon(ロケーションの少年)と付き合っていた時、子供ができなかったんだけど、そしたら皆はわたしが不妊症だというの。その後、こどもが出来れば出来たで、また非難してこう言うのよ。もっと良い子だと思っていたのに!」人びとの態度は、一方で、文明化されたたしなみとアフリカ土着のたしなみの両方のたしなみ概念によって、他方で新しい状況に合致するような新しい価値観によって彩られているのだ。 

変化する状況と古い民族的規範の衰退
 昔のアフリカ人社会の慣習の下では、共同体的規範は十全に機能していた。ズールーランドでは、今日でさえ、年長の女性グループによる年少の女性への厳しい統制が行われており、初潮を迎えた少女が年長グループの許可なしに少年に話しかけることさえできない。恋人を受け入れることは、共同体の承認事項であり、恋人との付き合いは年長の少女たちによって統制されている。結婚前の妊娠は、近隣を含めた全年齢集団(age-set)の不名誉となる。共同体による制裁はもっと厳しい。妊娠した少女は同じ年齢集団の仲間によって制裁を受け、年長の女性たちの叱責や軽蔑にさらされるのみならず、結婚にあたっては、彼女の不品行や恥が公にされる。彼女の年齢集団の仲間は、結婚の儀礼に参加せず、assegai(訳注:バントウーの用いる細身の投げやり)を持つことも、ヴェールをかぶることも許されなかった。一方、相手の少年は、それほど責められなかった。彼の親族が1頭か2頭の家畜を罰として支払う事になっていた。少女の年齢集団の仲間が、処女が奪われたことが発覚した日に、彼を懲らしめることもあった。Kxatla人の間では、嘲りの歌が規範を順守させるための重要な役割を担っていた。しかし、結婚前の妊娠はどこでも恥とされていたが、性的関係自体は、Zulu, Thonga, Kxatlaといった各部族を含め、ほとんどの部族で容認されていた。このような関係は、しかし、どこでも厳しく統制されており、部族の規律に合致するかぎりにおいて許されていたのである。

  都市的状況の下では、昔の規範や統制は機能不全に陥っている。年齢組織は消滅し、効果的な共同体的規制も機能していない。世論(public opinion)は存在するが、まだ形成途上にあり、こうした事柄に関して、世論は積極的な介入はしない。しかも、多様な部族の混在、部分的なヨーロッパの価値観の流入とその機能不全ゆえに、新しい共同体による規制は社会全体をカヴァーするまでになっていない。私生児に関わるヨーロッパの宗教的・道徳的価値観もほとんど受容されていない。教会はすべての性的不品行と同じく、私生児に関しても良くは思っていないが、宗教的規制は私生児の誕生を防ぐ機能を果たしておらず、道徳的コード違反を罰してはいるが、それも効果はない。私生児を産んだ教会メンバーが、6ヶ月の清めのクラスに出ることを、道徳的な不品行者に課される罰則と結び付けることはほとんどない。そのような清めは、子供が洗礼を受けるために欠くことができない義務とみなされているからである。

  ロケーション内の教会では一般的に、処女の花嫁の盛装や結婚儀礼と私生児の母親のそれとの差異化はされていない。ただし、差異化をしている教会もあるにはあるが・・・。町のアフリカ人分離教会(native separatist church)は、結婚式の料金欲しさに、そのような差異化を躊躇しており、一方ロケーション内の教会を統括しているヨーロッパ人の司祭は、たとえ望んでいても、そのような差異化を強制できなかった。というのは、彼らは教会の集会にはほとんど関わっていないからである。

  世論による圧力を欠く中で、唯一の残された防護壁は両親であるが、それもほとんど力不足の状態である。両親が家父長的な序列を伴う部族社会の尊敬を受けることはなくなり、影響力を行使できなくなっている。しかも、子供たちが経済的に独立し、実家から離れることにより、両親の子供たちへの支配力は低下しつつある。ロケーションの実家に住む少女が妊娠することはなきにしもあらずだが、ほとんどの妊娠は、両親の支配の及ばない場所で、ヨーロッパ人の下で働いている間に起きている。ロケーション育ちの少女は、15-17歳で就職するのが一般的である。家事労働などに就いている間に、彼女たちは田舎から出てきてヨーロッパ人の下で働く独身男性と接触するようになり、両者はかつてのタブーを犯すことになる。部族支配からも両親の支配からも自由になった若者は、容易に、実家では許されないような女性関係を構築できることに気づくのだ。

  増加する私生児の原因とも、同時に経済的状況の影響とも重なるもうひとつの要因は、都市部における男女の晩婚化である。ロケーションの教会が発行した結婚証明によれば、男性の平均結婚年齢は30歳。この数字は、1930-33年のNative Appeal Courtで承認された離婚に添付された結婚証明書によっても確認できる。女性の場合、ロケーションにおける平均結婚年齢の25歳は、Appeal Courtの記録の23.5歳より多少高い。 

結婚前の妊娠に関する調停プロセス
 結婚前の妊娠に関する調停プロセスには、きまった型がある。それは、アフリカ人の価値観と礼節にもとづいており、個別的な部族の慣行とは異なっている。つまり、それは、さまざまな部族の調停プロセスを集約した基準をもとに、諸部族全体の需要を満たすような共通の基盤を提供していることは疑いがない。

  両親と子供とを峻別する年齢格差と行動パターンからすると、妊娠した娘が、直接母親に告白することは難しい。一方、少年に関しては、妊娠させてしまったことを両親に報告できないわけではないが、少女の親族が乗り出してくるまで動かないのが普通である。少年と少女が直接交渉することはなく、必ず双方の家族によって交渉が行われる。少年に親族がいない場合には、’Matliの場合のSamsonのように、自分より年長の友人に少女の父親もしくは保護者との交渉を依頼する。交渉の口火を切るのは、少女の父親である。ひとりかふたりの親族もしくは友人を伴って、父親は少年の両親の家に向かう。何人かの仲介人を通して、父親は苦情を訴える。アフリカーンス語を話す脱部族化したアフリカ人の間でさえ、こうした訪問では隠喩的表現を使用する。少女の親族は「あなたがたはわれわれの住まい(kraal)に侵入した」あるいは「あなたがたはわれわれの娘の腕と足をへし折った」、つまり娘は妊娠したので働くことができない、という風に言う。すると少年の側は、もし少年が実家から遠くにいる場合、われわれがこの件に関して責任を負う、と答える。しかし、少年がそこにいる場合には、父親が彼を呼んで、真偽を確認する。もし、彼が否認すると、今度は少女が呼ばれて、いつ彼と寝たかと聞かれる。こうした質問をされたことのある娘は「恥ずかしがることはない。そうしたら無実を立証できるでしょう」と言っている。しかし、男性の方が否定することは稀である。アフリカ人には「われわれは血を尊敬する」あるいは「われわれはわれわれの血の関係を否定することはできない」ということわざがある。この考え方は、子供を欲しがるバントウー人の願望に由来していると思われる。しかし、父親であることを否定しないことも戦略なのである。というのは、もし少女の両親が訴訟でも起こしたら、少なくとも5ポンドのコストがかかるが、訴訟にいたることなくうまく解決できればコストを抑えられるからである。このように私生児の父親があたかも結婚するつもりであるかのように振る舞うのは、ステレオタイプ的な型となっているのである。

  子供が産まれるまで、こうした交渉は中断される。子供が生まれると、父親である少年側にその旨が伝えられる。少年側は、子供に衣服、母親には紅茶や砂糖や石鹸やローソクや少額のお金などを届けて、自分たちに責任があることを示さねばならない。これらを持っていくのは女性たちの仕事である。少年が子供への贈り物を何もしないこともしばしばであるが、一般的には、彼は子供が必要とする薬と子どもと母親が着る衣服を買って与えるべきだと言われている。これらすべては、子供をつくったふたりの関係次第である。もし、少年がまだ少女を愛しているなら、少年はこうしたことをするだろうし、愛していないときには、何を要求しても少年から疎んじられ、そういう状態が1~2年続くと、少女は諦めて、他の男性に心を移すことになる。二人目の私生児の場合、父親が一人目と同じ時のみサポートが得られるが、そうでない場合には、少女に非難が集中し、男性には責任は課されない。

  私生児をサポートする責任があるという考えは、アフリカ人にとってなじみがない。アフリカ人の慣習によれば、妊娠がわかった場合、男性は結婚して一緒に暮らし始めるか、補償金を支払うかのどちらかを選択する。補償金は、現在の経済的状況ではなかなか難しいが、それでもロケーションにおける調停プロセスに組み込まれている。働いているロケーションの少女が私生児の父親にお金を要求することはめったにない。そして、一年以上、私生児を養育する父親もまれだ。私生児に対する責任を簡単に放棄できる状況が、若いバントウー男性に悪い影響を与えているのは疑いない。家事労働に従事している多くの「少年」は、数人の少女に子供を産ませており、いかにして少女との関係を精算し、彼女たちの要求を断ったかを自慢気に話してくれた。しかし、その都度、恋人と結婚しようとしていることは確かなのだ。

 結婚前に妊娠してしまった場合の対処の仕方は、実際には、新しい状況に対応することに失敗している。結婚に至らせることにも、妊娠を防ぐことにも成功していないし、生まれてくる子供へのすべての責任を背負わねばならない少女の家族にそれ相当の補償金も支払われない。しかし、調停の目的が失敗しても、外殻だけは残る。しかし、この外殻が機能をはたしているのだ。その機能というのは、状況に見合った安定を再構築するための仕組みが存在しない中で、本領を発揮する新しい機能なのである(というのは、ヨーロッパの法律は、こうした状況に全く対応できないことが立証されているからである)。現在のロケーションで行われている調停は、いくばくかの補償が少女の家族の怒りのはけ口として機能する一方、子供の誕生の際にもたらされる贈り物はいさかいを収拾し、両家の友好的関係を再構築するのに役立っているのである。 

両親の責任と子供への態度
 私生児を育てる責任は、一年を経過すると、すべて母親とその親族が負うことになる。その結果は、ロケーションにおける貧困が加わって、奇妙な状況が起きる。多くの若者が、姉妹が産んだ私生児を育てるために自分が結婚することができなくなり、自分たちが産ませた私生児を相手の家族に面倒を見させることになる。こうして全体が悪循環に陥っているのだ。
 私生児は、その私生児を産んだ女性と結婚する男性が引き取ることになっている。しかし、自分の子供とそうでない子供への父親の愛情の違いが夫婦のいさかいを招くこともしばしば見られる。それゆえ、女性の子供の姓は、結婚した男性の姓に統一される。たとえ、母方の姓のもとで洗礼を受けていたとしても、である。

  私生児を抱えて結婚した40人の女性のうち、55%がその私生児の父親と結婚しており、40%がふたりの異なる男性の子供を抱えていた。一方、5%は3人以上の異なる男性の子供を抱えていた。しかし、こうした状況が家族に与える影響は、想像するほど大きくはない。というのは、アフリカ人の親族は、子供を受け入れることに抵抗がないからである。例えば、ロケーションの男性が町に住む兄弟の子供を引き取ることは珍しくはない。引き取られた子供は、伯父を自分の親とみなして幸せに暮らしている。アフリカ人の親族の考え方によれば、子供は単に父親を代えるにすぎない。昔の部族は、親族はすべてひとつの同じ村に住むか、お互いに近くに住んでいたが、新しい状況の下では両親と子供は離れて暮らしている。田舎の子供が学校に通うために町の親戚のところに滞在したり、数ヶ月に渡って訪問したりするのは珍しくはない。その反対に、町の悪行に染まらぬよう、子供を田舎に送ることは、ヨハンネスバークではよく見られるが、プレトリアでは一般的ではない。ここでよく行われているのは、親戚の間で子供を交換することである。多くの田舎の子供が町に住み、多くの町の子供が田舎で祖父母や他の親戚に育てられている。子供のいない家はおぞましいと思われており、ロケーションに住むアフリカ人の中には、小さな子供を姉妹や夫の親戚のもとに送り、新婚の夫婦と一緒に暮らさせるという慣習を守っているものもいる。プレトリアやナタール周辺のKxatlaやKwena人の間でよく見られる慣行である。そのような子供は、その家の子供として成長する。しかし、子供が少女ならば、彼女のロボラ(婚資)は彼女の実の父親に支払われる。 というわけでロケーションのどの家族にも養子や親戚の娘が産んだ私生児がおり、長期に滞在する者が居候をしている。加えて、夫以外の男性の子供がいたとしても、家族という集団になんら大きな問題を引き起こしたりはしないのである。

  貧しさにもかかわらず、ロケーションの住民が親戚の子供を喜んで引き受ける理由として、アフリカ人の「親族」(見知らぬ人の子を養子に迎えることはあまりない)という考え方と、子供への愛情の他に、使用人のいない家にとっては薪拾いや水汲みや子守の労働力として有益だということが挙げられる。このように昔の制度が崩壊することに伴って増加した私生児は、どこかに居場所を与えられることによって、バントウーの親族集団の持つ価値観の中でうまく処理されている。 

結婚を基礎づける考え方
 私生児の問題は、バントウー人の家族制度崩壊の一側面に過ぎない。こうした家族制度を支えている結婚に関する考え方を考察することによって、われわれは現在進行している変化の意味に光をあてつつ、問題の核心に迫ることができる。都市に住む多くのアフリカ人家族は、2~3世代前からキリスト教を受容し、ヨーロッパ人と隣り合わせに暮らしているが、彼らにとっての結婚は相変わらず教会と国家によって認められた個人的なものではなく、それ以上のものとして存在している。われわれの結婚形態とその意味に対するアフリカ人の態度は、一緒に住むが法的には結婚していないカップルがしばしばretsoere sekhooa=ヨーロッパ人のやり方で!と言っている事実に反映されている。アフリカ人のコミッショナーの陪席で行われる教会の儀式と法的承認は、最も本質的なものがアレンジされたあとで付加される結婚の最後の飾りとみなされているのである。結婚の本質は、町でさえ、今なおロボラのやりとりなのであり、ロボラのやりとりが済む前に行われた教会や国家による結婚を認める両親はほとんどいない。しかし、結婚は―教会と国家によって教えこまれた―ロケーションのしきたりによれば、教会の儀式とコミッショナーの陪席の下での市民婚なしには完結しないし、これらは例外なく、教会の司祭が結婚式を執り行う場合でさえ、不可分の要件と見なされている。ロボラのやりとりが行われない結婚もあるが、その比率は低く、強い反ロボラ意識を持った集団―oorlams Skoolplaasの人びとと宣教所で育てられたカップル―に限られている。

  結婚の完了には、ロボラ、教会での儀式、市民婚という3つの要件を満たさねばならない。しかし、経済的な問題も含めたさまざまな要因がこの3つの要件のすべてを満たすことを妨げているため、実際には、カップルが結婚したのかしないのかを知るのは難しい。かつての部族社会では、夫と妻の関係は、ロボラが完了したか、部分的に完了したか、何らかの担保が付加された単なる約束だけなのかによって異なっていた。ロケーションの状況は、担保がなかったり、一致した世論を欠いていたりして、もっと複雑化している。だから、カップルがいつ結婚したと考えられるかを決めるのは難しいし、ロケーションではこの件についての決まったルールは存在しない。多くの人びとは、教会結婚かロボラの支払いの完了をもって結婚を承認しているが、ロボラの最初の分割分が支払われた時をもって結婚したと考えるのが一般的なようであり、この基準については以下で詳述する。

次の表は、3つのロケーションに住む夫婦100組(ランダムサンプル)と、Bantuleに隣接している居住域の25組に関する調査結果である。それによると、(1)は、ロボラ、教会婚、市民婚の3つを全て終えた結婚比率を、(2)は、ロボラだけの結婚比率を、(3)は、教会婚と市民婚だけの比率を、(4)は、この3つのどれも行っていない結婚の比率を示している。

                                 (1)     (2)        (3)           (4)

100組の事例     38%        21%          20%    21%
25組の事例       36%        32%            8%            24%
 

  このふたつの事例セットの数値の主な違いは、ロボラ婚(2)の比率と教会+市民婚(3)の比率に見られる。その違いは、Bantule(25組の事例)には反ロボラ派のoorlamがほとんどいない(かれらは主にSkoolplaasと、Newclareとして知られているBantuleの一部に住んでいる)ことにある。一方、100組の事例の中には、oorlamがかなりの比率で含まれていることが挙げられる。一緒に住んでいるが結婚していないカップルの比率がほぼ同じなのは、とりわけ興味深い。というのは、ヨーロッパ人の間では、この比率はもっと高いという印象が持たれているからである。

 ロケーション育ちの男女の75%以上が、なぜいまだにロボラのやりとりをしているのか。その理由のひとつは、都市化したアフリカ人とそうでないアフリカ人との結婚が続いているからである。それゆえ、変化は予期されているより緩慢なのである。概して、結婚適齢期のロケーション育ちの少女は家事労働者として実家から離れており、職場で近隣からやってきた少年と出会う。一方、ロケーション育ちの少年も田舎からやってきた少女と頻繁に交際している。ロケーションに住む子供たち同士の結婚は相対的に少ない。こうして、完全に脱部族化した男性で、ロボラに反対している男性が、結婚したいと思っている少女の親戚にロボラを期待されるという事態が起きる。それゆえ、彼は、結婚するためには、少女の親戚を喜ばせ、親戚の要求に応えねばならない。そこで、教職に就いているような教育を受けた少女にロボラを与えるよう説得できる司祭を探すことになる。プレトリアから2~3マイル離れたタウンシップ(訳注:アフリカ人居住区)のアフリカ人女性と同棲していたヨーロッパ人が、少女の親族に40ポンドものお金を支払った事例さえある(こうした事例を2件知っている)。一方、リザーヴ出身の少年と結婚しようとしている娘のロケーションに住む父親は、たとえ決定権を委ねられていてロボラを要求しなくとも、差し出されたロボラを拒否することはほとんどない。

ロボラの意味の変化
 反対勢力の存在にもかかわらず決して消滅しなかったロボラだが、文化接触の過程での変容は避けられなかった。部族社会の考え方との違いは、結婚の交渉が開始される前に花婿側からpulamlomo=口開け料を要求するNguniの慣習が一般化したことに象徴される商業化の傾向である。これは、とりわけKxatlaロケーションの住民の間で広まっている。Pulamlomoは通常5ポンドが相場であるが、1ポンドでも了承される。これはロボラの一部とは決して考えられていない。

 家畜のかわりにお金がロボラでやりとりされる南アの傾向は、とりわけ都市部で顕著である。しかし、家畜を飼っていないプレトリアのロケーションで、ロボラとして家畜を受け取る多くの家族がいることは驚きである。そのような家畜は、家畜を飼っている郊外の親類のところに送られる。少女の家族が古いロケーションの住民だったところでは、56%のロボラはお金だけを、20%が家畜のみを受け取っていた(必ずお金で支払われるpulamlomoを除きーただし、これはロボラの一部ではない)。その他の24%は家畜とお金の両方がロボラに使用されていた。ロボラは25ポンドから50ポンドで、家畜1頭がおよそ5ポンドに相当すると考えられていた。しかし、この全額が支払われることはまずない。平均して12~15ポンドが実際には支払われているというのが実情のようである。

 バントウー社会では、父親が息子に嫁をとらせる責任を負っている。父親が死んだ時には、父親の兄弟か息子が家長の役を引き継ぐ。都市部では、父親の地位はいくらか変化してきており、父親に責任があるとしても、息子が自分の稼ぎの中からロボラを支払う傾向が出てきている。

 ロケーションでは、多くの家族が相対的に親族から孤立し、結婚生活の不安定化が進行している。多くの男性が妻と子供を残して長期間ロケーションを離れ、しばしば離婚の手続きを経ずに妻と子供を遺棄するからである。そうした中、結婚の交渉における女性の権力と自立性が大きくなっている。たとえば、家族を放置してロケーションから離れている男性がロボラを請求することはなく、女性が娘のロボラを受け取ることも珍しくはない。このような状況の下で、男性がロボラを請求した事例はひとつもないし、男性がそのようなことをしたら、世論が強く抗議する。部族社会では、父親とその親族が妻と子供たちの養育に責任があり、そのようなサポートをしない場合にはロボラへの権利もないと考えられているからだ。もちろん、女性は自分では結婚の交渉はしない。男性の親族がそのために呼ばれるのだが、彼女は受け取ったお金を自分で好きなように使えるよう知恵を絞るのである。このように、かつての形式は守られている。親族がいない場合には、義理の息子か遠い従姉妹が母親の代理を務めるが、それも単なる表向きにすぎない。

 少女の母親が寡婦の場合、ロボラの代わりに夫となる男性に労働が要求されることがある。このような事例は未婚と考えられてきたが、厳密に言えば、これは正しくない。この場合には、教会婚によって後で合法化されるのが一般的だからである。10年間もこうした形で暮らし、その間に4人の子どもを産んだ女性が、1934年に結婚式を執り行ったという事例がある。彼女は、完璧な花嫁衣装を着て、市民婚と宗教儀式も執り行い、食事会と踊りも催した。二人は、こうした費用をこつこつと蓄えたのである。結婚の儀式が無期限に延期される場合もしばしばあり、そうした場合には結婚が完全に合法化されることはない。
 

ロケーションにおける市民婚と宗教婚にかかる費用
 ヨーロッパ式の結婚にあたり、アフリカ人は教会婚に秘められた奥深い意味を理解することなく、外面的な部分だけを取り入れた。アフリカ人にとって、教会や市民婚のセレモニーは、それに付随する食事会や飾り付けより重要ではない。もし、こうした食事会や飾り付けができない場合には、無期限に教会での結婚式を延期する。食事会を伴わない教会婚や市民婚はめずらしく、もし、そのような結婚式を行った場合には、何もしないでただ一緒に暮らし始めるより惨めな思いをすることになる。茶会もしない結婚式なんていったいどんな結婚式なの、と隣人から嘲られるのが落ちなのだ。ロケーションのoorlamの間では、このような静かな結婚式は、両親に反対されたカップルによって執り行われるが、そのような結婚式は、恥ずかしいと考えられている。しかし、ただ実家を出て一緒に暮らすという方法によって、困難を克服するアフリカ人もいる。

 教会婚や市民婚にかかる費用はかなり高額だ。花婿側は、教会使用料の1ポンド、コミッショナーの代金2シリング6ダイム、結婚指輪代1ポンド10シリングの他、花嫁の衣装や花婿の衣装に5ポンドを支払わねばならない。さらに、近くに住んでいる場合には、ほんの少しであっても、食事を提供することを期待される。結婚式直後に花嫁側が提供する食事会は数日間も続く大掛かりなものとなる。その準備には1ヶ月以上かかるため、費用を調べるのは難しい。一方、結婚式前の1週間は、手助けするためにやってくる大勢の友人や親族のための紅茶やミルクや肉、あるいは炭や薪への出費がかさむ。さらに、この期間、人びとは興奮状態にあり、誰もそうしたことに注意を払わない。したがって、支出のリストは最小限のものとなり、実際にはかなりの額になっていると思われる。私の近隣で行われた祝宴の場合、親戚から贈られる砂糖や小麦粉などを除けば、結婚式の祝宴にかかる費用は20ポンドに達した。この金額は、プレトリアの経済委員会が発表しているアフリカ人の3ポンドという平均賃金を考えると、かなりの高額である。
 

現状に合わないバントウーの結婚交渉
 バントウーの結婚は、個人と個人との交渉事項ではなく、家族を巻き込んだ長い交渉を経て、徐々に完結していくというプロセスをたどる。このプロセスは、新しい状況においてもしっかり守られている。しかし、それが完結するまでには、きわめて長い年月を要するため、私生児の誕生やカップルの解消といった望まぬ事態を引き起こしがちであり、結婚の障害となっている。都市に住む少年が交渉を開始するためには、父親の助けを必要とする―自分で少女の父親と直接交渉することは非難さるべき行為とされており、ふたりの関係にとって致命的になりかねない―のだが、両親が遠方に住んでいる場合、交渉がのびのびになり、ストレスの原因となる。父親が遠距離を旅する手段を持たない場合もあるし、ましてや交渉中の度重なる訪問は難しい。さらに種まきや収穫などの農作業が訪問の妨げになることもあるだろう。交渉事を手紙で行えるような教育レヴェルの高いアフリカ人でさえ、重要な取り決めには参加しなければならないし、なによりも少年の父親はロケーション育ちの相手が息子にとって望ましい少女であることを確認する必要がある。家族が遠く離れていればいるほど、かつての結婚のプロセスを守ろうとすれば、結婚は遅延する。しかし、こうした交渉を支えている親族の絆はきわめて強く、いかにストレスがかかろうと、全体としてかつての結婚システムは機能し続けている。Newcastle(233マイル)、Middelburg(100マイル)、Messina(306マイル)、Rustenburg(71マイル)といった遠方からの旅は、いつも汽車を利用できるわけではない。しかし、脱部族化したエリートのアフリカ人でさえ、インフォーマルな結婚を嫌っている。

 状況の変化に適応した対応がなされる場合もある。しかし、数回にわたる訪問やそれに費やすコストが、結婚をあきらめさせる原因になるという事態が頻繁に起きている。たとえロボラの額が決まり、その一部が支払われていても、である。そうなると、カップルは解消し、少女が子どもの責任を負うことになる。こうした出費を避けるために、まずは代理人がより近くに住んでいる親戚を訪問するのだが、それがいつもうまくいくとは限らない。というのは代理人がうまく事を運ぶには、交渉はあまりに個人的すぎるからである。少年の家族が動かない時には、交渉を急がせる効果的な手段はない。なぜなら、少女の家族は慣習によっていそいで介入することを禁じられているからである。少女の家族は娘を通して少年にアプローチできるかもしれないが、少年が家畜を持っていない場合には彼は何もできない。というのは、交渉の成り行きを決める権利を持っているのは長老たちだからである。その長老たちの影響力を引き出すには、彼が実家から離れている場合には極めて限られてくる。加えて、父親が死亡した場合、保護者である伯父もしくは他の親族は、家畜を失うことを恐れて、事を真剣に運ぼうとしない。異なる部族の少年と少女が一緒になろうとする場合、別の問題が事を遅らせる。一方がもう一方の慣習を無視するのではないかという疑惑を双方が抱き、結局、交渉が行き詰まる危険性が大きいのだ。男女が経済的に自立すればすれほど、こうした遅延にうんざりし、伝統的な約束事を放棄しようとする場合には、ふたりの立場は、根強く存続している慣習によってさらに悪化する。約束された訪問は何度も延期される。たとえば、訪問客のためのビールを準備したものの、誰も現れず、訪問客は別の日にやってくることになったというメッセージを受け取るということも珍しくはないのだ。かつての手続きがそのまま存続し、結婚の遅延やロボラへの執着は生き残っている。それが若い少年の無責任と結婚前の少女の妊娠を助長しているように思われる。飢餓線上で生きている人びとが、ロボラを蓄積することは難しく、さりとて、市民婚や宗教婚といった簡単なヨーロッパ式の結婚も受け入れられないとしたら、現在の状況はすべて、不安定かつ不法な夫婦関係を助長することになる。

不安定な婚姻関係の背景
 夫と妻に故郷を長期間離れることを余儀なくさせているのが経済的要因であり、それこそが、婚姻関係を不安定にしている元凶である。ロケーションに暮らす家族も例外ではない。しかし、こうした新しい要因に加えて、かつて人びとを結束させてきた昔のバントウーの価値観と考え方が、今や、その機能を失っているという現実がある。

 部族の慣習によれば、結婚したての妻は自分の居場所を確保する前に、義母のために調理し仕事をしなければならない。この慣習は、妻が夫の親族と一緒に暮らさねばならない場合にはきわめて重要なものと考えられている。しかし、都市部においては、この慣習を守ろうとすると、予期せぬ困難が生じる。ロケーションの少女が、田舎に両親のいる少年と結婚するということは、妻は夫と離れて、少なくとも一年以上は田舎で暮らすことを意味する。妻は義理の母親の許可なく町にもどることはできないからだ。この期間、若い夫は他の女性と遊ぶだろう。こうして結婚が崩壊する原因が作られる。少女が出産のために実家に戻り、一年以上過ごす慣習も、カップルが崩壊する原因となっている。この期間、夫と妻はそれぞれ異なる経験をするし、独身の自由を取り戻した夫が結婚生活を軽く考え、日常から遠ざかるということも起きやすい。

 都市部では、夫が長期間家を離れることが多い。その期間、夫は別の女性と暮らし、自分の家族を養うことを怠る。そのような別居夫婦が法的に離婚をするケースは稀である。離婚には費用が掛かるからである。部族の規範では、妻側に与えたロボラを放棄すれば、夫は離婚できるが、そうでない限り、夫が妻を置き去りにしたり、彼女を実家に送り返したりすることはできない。しかし、そのような事態には決して至らない。男性が正当な理由なく妻を実家に送り返したり、子どもを放棄したりすることは考えられないからである。そのような行動からは何も得られず、失うものばかりが大きいからである。というのは、妻と子どもこそが夫の権力と富の象徴だからである。さらに、結婚は家族の問題であり、家族の資源をそんなことで浪費することは許されないのだ。しかし、個人の自由が拡大し、結婚が以前のように最善の選択ではなくなっている都市部では、男性が簡単に妻と子どもを追い出す事例が増えている。夫がロボラを放棄しさえすれば、妻に補償をしなくてよいからだ。確かに、妻がコミッショナーのところに行き、夫に妻を扶養するよう命令を出してもらうことも可能だが、それを実行させるのはほとんど不可能なので、裁判所はそんな厄介なことをしたがらない。このように、以前なら男性は権威の源である妻や子どもを決して手放さなかったであろうが、結婚が以前よりずっと経済的な負担となった今日では、もっと贅沢をしたいという願望などが、かつての価値観の低下を招いている。このように、全く新しい状況が生じているのだ。しかし、その一方、白人による植民地行政はこうした状況に対応する手段を持っていない。

 都市部における結婚の不安定化と妻の遺棄という状況は、ロボラの持つ機能について考える必要性をわれわれに示している。部族社会において、ロボラは結婚を永続させる機能を果たしていると言われている。もし、これが正しいとしたら、都市部においてロボラがその役割を果たしていないのはなぜなのだろうか?その答えは、夫婦の関係を維持して結婚を安定化させるのは、単に家畜が手渡されたという経済的な意味のロボラではないということにある。その機能を果たすのが両家の絆のシンボルとしてのロボラなのである。部族的な環境を喪失し、新しい関係を構築する儀式も行われないロボラだけでは、夫婦関係を維持できないのだ。さらに、結婚によって作る出される両家の絆は、個人と個人との間の絆より固く永続性がある。都市部のロボラはそのかつての意義を失い、経済的側面だけが焦点化された結果、結婚を保証できなくなっているのである。
 

都市部における結婚形態
 教会と国家は、ロケーションにおいて、単婚(一夫一婦制)を奨励している。しかし複婚(一夫多妻婚)から単婚への移行は簡単ではなく、妾や不倫が横行している。ロケーションに住む女性たちは複婚を嫌っている。その理由を尋ねると、かつてのシステムの下で田舎の親戚たちが幸せに暮らしているのは、田舎の複婚はロケーションのそれとは非常に異なっているからだというのだ。田舎では、妻はそれぞれの家屋と畑を持ち、経済的に自立している。さらに、第一夫人の地位は高く、若い妻がやってくると、その重要性は高まる。新しい妻は古い妻との違いを何らかの形で示さなければならないし、彼女に服従することさえ要求される。こうしたことは都市部の現在の状況の下では不可能であり、二番目の妻にとっては耐え難い。しかし、ロケーションに妻をひとり、そして田舎に2~3人妻を持つ男性もおり、田舎の妻たちが時折ロケーションの夫のもとを訪ねてくることがあるが、そうした場合にロケーションの妻が彼女たちを受け入れるのはやぶさかではない。

 かつての優先婚(preferential marriage)は、都市部ではほとんど残っていない。私自身、姻戚関係にある3組の夫婦の事例しか知らない。そのうちの2例は、きわめて遠い姻戚である。3例目は、交叉いとこ婚である。Seantloと呼ばれる慣習(死亡した姉妹のかわりに寡夫と結婚する制度)は、都市部ではまったく行われていない。一方、きわめて稀ではあるが、レヴィレートは完全には消滅していない。私自身は10件のレヴィレートの事例に遭遇している。レヴィレートでは、結婚した男性が死亡した兄弟に子種を提供することになる。しかし、ロケーションに適した修正もなされている。寡婦は義理の兄弟の家には一緒に住まないという修正であり、一緒に住む場合には極秘にされる。ロケーションで育った少女がレヴィレートを受け入れるのは難しく、時には諍いを引き起こしたり、訴訟に持ち込まれたりする。レヴィレートがどのように考えられていようと、いかに人気がなかろうと、男性が自分の死後の家族を養っていく一つの手段であることは疑いない。状況が変化した都市部では、寡婦がひとりでやりくりするに任せることもある。その結果、男性と同居したり、次から次に男性を替えたりしている子ども連れの寡婦が増えており、レヴィレートに代わる何らかの方策が必要なことは確かであろう。

 かつての結婚形態は急速に消滅している。そのかわり異なる種類のルーズなカップルが増え、異なる機能を果たしている。つまりこのようなカップルは、寡婦の子供たちに新しい「父親」を提供したり、若者が結婚に関して両親とうまくいかない時の選択肢を提供したりしているといえるかもしれない。また、1人暮らしの少女や両親の住む実家にもどりたくない少女が、女たらしの男性から支援を入手するもっとも安易な方法なのかもしれない。しかし、こうしたルーズなカップルの大部分は、結婚の交渉がすでに行われたか、行われつつある場合が多く、男性の方はできるだけ早くロボラの最初の分割分を支払うことによってカップルの立場を合法化しようとしている。上に述べたようなタイプの、統計には含まれていなカップルは、ロボラの支払いを待つ間に数人の子どもを作っているが、女性の方が自分の両親と一緒に生活し続ける限り、彼女は若い独身女性とみなされるのである。

 バントウー人とヨーロッパ人との文化接触は、バントウー人の家族制度に大混乱を引き起こしている。その原因は、新しい状況に対応できる受け皿が全くないことである。別の言い方をすれば、それまでの古い制度では適応できないということである。バントウーの慣習が引き続き機能している場合もあるが、そのような場合には決定的にマイナスの影響をもたらしている。一方、兄弟姉妹や親族といった古い制度の中には、新しい機能を発揮し、さまざまなルール違反に介入して社会的崩壊を最小限にくい止めることに役立っているものもある。こうした社会的崩壊に直面して発せられる問いは、崩壊しつつあるものに代わるものは何か?である。単婚や、宗教婚や、市民婚といったような制度はバントウー社会に広まっているが、価値観や理念がともなわなければ意味が無いし効果もない。こうした価値観は社会的接触によってのみ伝わるものであるが、黒人と白人間に社会的平等のないところでは、バントウー人は常に彼ら自身の文化に身を委ねることになる。まさに、何世代にもわたる接触にもかかわらず、ロケーション住民はヨーロッパ人の生活スタイルを支えている慣習や価値観を全く無視している。私生児や夫婦生活の不安定性やその他の問題を、法的な制度だけで対処することは難しい。バントウー社会の現状は、ふたつの文化の間に存在する社会的なバリアがあるかぎり、もっと厳しく、もっと悲惨になるだろう。(翻訳:富永智津子)