目次
【エッセイ】アフリカ事情雑感⑥ジェンダー エッセイ&イラスト 富永智津子
「ジェンダー」(1)
私が「ジェンダー」という言葉に出会ったのは、大学でドイツ語初級を受講した時だった。名詞を男性・女性・中性に分類する文法用語がジェンダーだと教わったのである。そのジェンダーが、30年近くを経て「ジェンダー・フリー」や「ジェンダー・バイヤス」といった複合名詞として私の前に登場したのだ。文法用語でない「ジェンダー」とはどういう意味なのか。納得がゆく説明をさがした。
辿り着いたのは、「セックスが生物学的な性の違いを意味するのに対して、ジェンダーは社会的・文化的につくられた性役割を意味する」という解説だった。この解説に最もしっくりするジェンダーの事例として「男らしさ」と「女らしさ」が挙げられていたような気がする。
つまり、「性」を生物学的な部分と文化的・社会的な性役割に分けて考えるために、後者に文法用語の「ジェンダー」を援用したということになる。その目的が、たとえば、男=論理的、女=感情的といった「らしさ」(=ジェンダー)は生物学的な性とは関係がないことを主張することにあったということも見えてきた。関係がなければ、固定化されてきた性役割や性差別を乗り越えることができる。ここから「ジェンダー・フリー」教育が提唱され、社会的な性役割を性別とむすびつける見方を「ジェンダー・バイヤス(偏見)」として退ける考え方が生まれてきたということになる。
ここにきて、ようやく、「ジェンダー」が、女性は男性中心社会の中でいたって不利な状況に置かれているとする現状批判の中から、現状を変革するために使われるようになった用語であるということがわかってきた。並行して、MRIなどの画像分析を駆使して、女の脳と男の脳とは生物学的に違うことを証明しようとする研究もさかんになった。当然、違いはあるだろう。しかし、その違いが、現行の性差別を肯定したり助長したりするために利用されることはあってはならない。教育や努力は、その違いを十分カヴァーできるのだ。カヴァーできない部分は補い合えば良い。それが、「ジェンダー」が発し続けているメッセージなのではないか。
ここまできて、何か胸にストンと落ちるものがあったことを記憶している。(『婦民新聞』2012年8月)
「ジェンダー」(2)
ある日、ふと思いついて、「ジェンダー」という用語がどのように普及してきたかを、広辞苑から検証してみた。すると、広辞苑に「ジェンダー」という言葉が登場するのは1991年出版の第4版以降であることがわかった。1983年出版の第3版には掲載されていないことから、日本で「ジェンダー」という用語が登場したのは、その間の1980年代であったということができそうだ。
このことを確認するために、私は、朝日新聞のデジタル媒体「聞蔵」に「ジェンダー」というキーワードを入れて年間の掲載頻度を検索してみた。すると、1984年は1件、1985年には4件がヒットし、その後3年間ゼロ。88年から93年までは低迷状態、それから徐々に増加し、98年には146件に飛躍、そして、ピークは2003年の251件。その後、次第に下り坂になり、2007年は114件、そして2011年には、とうとう100件を切って63件にまで減少している。ということは、日本にこの用語が登場した1980年代は、まだ一般の認知度は低かったことがわかる。
認知度を一気に引き上げたのは、「ジェンダー・フリー」や「混合名簿」、あるいは「男女共同参画」や「セクハラ」であったことが、2003年前後の記事から見て取れる。同時に、この期間は、いわゆる「バックラッシュ」(女性解放の動きに対する反動)が吹き荒れた時期でもあった。大阪府豊中市が男女共同参画推進センター『すてっぷ』の非常勤館長・三井マリ子氏を雇止めした事件(2004年)は、「バックラッシュ裁判」と呼ばれ、注目を集めたことはまだ記憶に新しい(2011年最高裁で勝訴)。
さて、問題は最近のジェンダーという用語を使った記事の減少傾向である。いったい、これは何を意味しているのだろうか。「男女共同参画社会基本法」の制定・改訂をもって、「ジェンダー」問題は役割を終え、幕引きしつつあるということなのか。それとも、ひそかなバックラッシュが続いているのだろうか。あるいは、「ジェンダー」という用語自体が敬遠されているのか。答えは簡単には見つからない。(『婦民新聞』2012年9月)
「ジェンダー」(3)
ある短いエッセイの中で「ジェンダーとは文化的・社会的につくられた性のありよう」という当時一般的に通用していた意味を紹介したことがある。後日、「ジェンダーとはそんなに単純なことなのですか」というコメントをいただいた。今はもう鬼籍に入られたが、ある高名な東大教授からのコメントだった。私のジェンダー理解は浅いのだろうか、それとももっと他の意味があるのだろうか、と悩んだことが思い出される。
以来、あれこれ考えるようになった。そのひとつが、なぜ「ジェンダー」という用語を使用しなければならないのか、ということだった。これは、多くの方が頭を悩ませてきた問題だったようである。その背後には、行政や教育委員会の中のバックラッシュ側からの異議申し立てもあった。その結果なのか、「男女共同参画基本計画(第二次)」ではジェンダーを「社会的性別」と言い換えている。
このことについて加藤秀一氏は『知らないと恥ずかしいジェンダー入門』の中で、ジェンダーには「社会的」な規範をはみだすような意味もあるので、間違いとは言えないが正確な訳ではないと書いておられる。
ここにきて、私は、かの東大教授のコメントは、このことを指していたのかもしれないと思い当たった。「文化的・社会的につくられた性のありよう」をはみ出す部分とはいったい何なのか。この議論はややこしいので、結論から言ってしまおう。つまり、ジェンダーは単に女性らしさや男性らしさ、あるいは性別分業を意味する用語ではなく、セクシュアリティ(性的指向)と関連のある用語である、ということ。
見えてきたのは、「ジェンダー」という用語には、「性」を女か男に振り分け、異性愛を強制する社会への批判が込められているということである。そうした社会的強制のもとでは、性的マイノリティー(たとえばLGBT*)の人たちは、「異常」として排除されるからである。
こう見てくると、「文化的・社会的につくられた性のありよう」という定義からは、セクシュアリティの問題がなかなか見えてこない。たしかに、これは重要な問題だが、ジェンダーにセクシュアリティの問題を絡ませるかどうかは、論者によって温度差があるようだ。「性」に関わる問題は、ほんとにややこしい、というのがここまでの私の感想である。(『婦民新聞』2012年10月)
*L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシュアル、T=トランスジェンダー
「ジェンダー」(4)
そろそろ、私の土俵であるアフリカの話に入ろう。これまで紹介してきたのは、欧米の研究者が、生物学的性差と「女らしさ」や「男らしさ」といった文化的性差とを区別し、後者に「ジェンダー」という名を付けたという話だった。つまり、ジェンダーと生物学的な性との区別は、西欧の研究者にとっては新しい発見だったのだ。
ところが、アフリカ人研究者によれば、アフリカではそんなことは当たり前だったという。それどころか、「夫」や「妻」、「息子」や「娘」というカテゴリーも文化的に構築された役割・・だから、「夫」の役割は女性でも担うことが可能であるし、娘が「息子」の役割を担うこともある・・母性も女性の特性ではない・・「生むことと、育てることは別」・・。こうした柔軟なジェンダー構造が出現したのは、アフリカの人々が共同体の維持に最大の価値を置いてきた結果であると私は思っている。
共同体の維持には子孫を遺すことが何より優先される。そのために編み出されたのが、なるべく多くの子孫を遺すための多様な婚姻制度である。一夫多妻はもとより、寡婦が亡夫の親族との間で子供をつくる「寡婦相続」、不妊の妻や閉経後の女性でも「妻」を娶って子供を得られる「女性婚」、独身で死んだ男性に子供を遺すための「亡霊婚」・・・という具合である。
おおむね男性に有利な婚姻制度であるが、その中で私が注目するのは「女性婚」である。「女性婚」は女性の自由や経済的自立を担保する制度として利用されてきた点でユニークだからである。例えば、ナイジェリアのイボという民族集団では、複数の「妻」を持つ女性も珍しくなかった。これらの女性にはれっきとした男性の夫がいた場合もある。「妻」たちは生産活動を通して「夫」である女性を支え、「妻」たちが他の男性との間で生んだ子供はこの女性の家族に組み入れられた。これは、女性版「一夫多妻」と言えなくはない。ケニアには今も女性婚を選択している女性がいる。こうした「妻」たちへのインタヴュー記録から浮かび上がってくる女性婚選択の理由は、男性とは結婚したくないというもの。かといってひとりでは寂しい。この寂しさは女性を「夫」とする「家族」の一員になることを通して解消されるというのである。
慣習法によってれっきとした婚姻として認知されてきたこの制度も、キリスト教会によって「不道徳」の烙印を押されて禁止され、現在では衰退傾向にある。(『婦民新聞』2012年11月)
「ジェンダー」(5)
アフリカの婚姻制度を、ジェンダーの視点からもう少し考えてみよう。前回、アフリカでは子孫を遺すためにさまざまな婚姻制度が考案されてきたことを紹介した。それを可能としたのが柔軟なジェンダー構造だったことにも言及した。この柔軟さの特徴は、生物学的な性の境界もやすやすと乗り越えてしまうところにある。西欧のジェンダーとアフリカのジェンダーの捉え方の違いはここにあると言ってよい。
つまり、西欧社会はジェンダーが文化的構築物であることを発見はしたが、結婚や生殖に関しては、生物学的な性の境界を守ってきた。だから、この境界を超える者は差別されスティグマを抱える。「ジェンダー・フリー」という運動はあるが、それは社会的役割に対してだけ用いられているのだ。その結果、両性具有者や性同一性障害を抱えた人は男性か女性のどちらかの選択を強制される。そのため、少なくとも日本では、手術をして女性か男性の身体に変えなければ法的に結婚できない。しかし、アフリカでは女性婚がそのハードルを取り払ってきた。女性婚は女性が女性の身体のまま「夫」の役を演じることができるからだ。しかも婚姻が成立していれば、「妻」への精子提供者が誰かを問われることはない。その結果「女性婚」をしているカップルが子供を持つことも可能だ。これは、現象としては不妊カップルの人工授精や代理出産と同じだ。
ここまで考えてきて、このアフリカの制度にもひとつ「欠陥」があることに気づいた。それは男性が「妻」の役割を担うことはなく、したがって「男性婚」が存在しないことである。ということは、柔軟なジェンダー役割を演じているのは、あくまでも女性であるということになる。このことは、アフリカの婚姻制度が子孫を遺すことを目的に構築されてきたことを考えると合点がゆく。
「女性婚」は女性を男性の束縛から解放し、女性の経済力を高める制度だとはいえ、やはり、大枠では男系社会の生産と再生産に女性が寄与させられてきたといえるのではないか。こうしたジェンダーの柔軟性は、植民地下で導入された西欧型のジェンダー秩序(一夫一婦、夫は外・妻は内)のもとで損なわれたとはいえ一部は継承されている。現在、アフリカの人々は、アフリカ的ジェンダー秩序と西欧的ジェンダー秩序とのはざまで、さまざまな選択を迫られているといってよいだろう。(『婦民新聞』2012年12月)
「ジェンダー」(6)
アフリカのジェンダーについて、まだまだ言い足りないことがある。アフリカには800とも1000ともいわれる民族集団が存在し、それぞれにジェンダー秩序も異なる。およそ等分の人口比を示しているイスラーム・キリスト教・土着のアフリカ固有の宗教それぞれにジェンダー観が異なるからである。
しかも、同じ宗教でも地域によって、あるいは民族集団によって異なるジェンダー観を持つ場合も少なくない。母系か父系かでも異なる。日本の80倍もの面積を持つ「アフリカ」を、少ない事例で語ることは止めたいと思っているが、国家の名称さえ知られていない日本の状況では、民族集団レヴェルで語ることはなかなか難しい。
とりあえず、これまで紹介してきた婚姻制度は、アフリカ固有の宗教や慣習を持つ民族集団の事例であることを確認しておきたい。しかもジェンダー関係は歴史的に変遷しているので、ますますややこしくなる。とはいえ、「一夫多妻」はもちろん「寡婦相続」や「女性婚」はかなり広い地域で行われ、現在も一部の民族集団で継承されていること、植民地化によって19世紀的ヨーロッパのジェンダー秩序が導入され同質的な方向への歴史的変化が見られることなどによって、現在では、ある程度共通の「アフリカ」的特徴を指摘することができる。
もう一点、アフリカ人研究者から教えられたことを紹介しておこう。これまで自ら発信する手段を持たなかったアフリカ諸社会は、西欧の研究者によって資料が収集され、それらが西欧の価値観に基づいて恣意的に分析されてきた。その上、現地語を西欧言語に翻訳する過程で、中性名詞が「男性」や「女性」へと振り分けられ、その結果、社会構造全体がいかにもジェンダー化された社会であるかのように捻じ曲げられたというのである。
西欧の考え方によれば、ジェンダー化された社会は、女性を抑圧していることを意味する。こうして、アフリカの女性は男性に虐げられている「可哀想」な存在であるとの偏見が流布され、それが植民地的介入の正当化に使われたのだという。
アフリカの社会や文化を理解するために、西欧発の概念や文献に依存することの危険性を改めて痛感させられているこの頃である。(『婦民新聞』2013年1月)