【特論5】Ⅰ―⑨ 東アフリカ原住民の近代的生活 by  H.M.T.Kayamba

2014.12.02掲載 執筆:富永智津子

H.M.T.Kayamba, “The Modern Life of the East African Native,” Africa, 1932,No.1:51-59

[本稿の著者はアフリカ人である。本稿は、エリートのアフリカ人の視点から見た東アフリカの現状を活き活きと描いており、本誌にとっても意義ある寄稿である。著者の原稿には一切手を加えずに、ここに再録していることを記しておく―編者]

 アフリカ人の家族生活は一夫多妻制と家父長制を基本としている。家族は、Mtaaと呼ばれる村(village)に住み、家長がその村の長老役をつとめる。まず、若者は結婚し子どもを持つやいなや、子どもたちを養うために耕地を入手し、自分のMtaaを作る。これが村の出発点となる。彼はその村に自分の好きな名前を付ける。おそらく、2~3ヶ月後、そこに少しずつ人が集まり、村は大きくなり、村の創始者はその村の長老と呼ばれるようになる。彼は、富を手に入れると、その富に見合った複数の妻を娶る。たいていは、妻を別々のMtaaの小屋に住まわせ、家長は小屋を順繰りに訪問する。通常は3日おきに、遠くに離れている場合には一週間おきに訪問する。彼は、夫婦の権利を分配するという意味のKugawa ngonoと呼ばれる。妻はそれぞれの耕地を持ち、子どもたちと一緒に耕すが、重労働は夫の仕事である。夫は夫で自分の耕地を持っている。妻が収穫した穀物は、それぞれの妻が穀物小屋で管理する。その穀物を売って、子どもたちを育てるのは妻の役割である。夫の畑からの収穫物は、年長の妻の小屋で管理される。年長の妻とは、第一夫人のことである。彼女は夫のお金すべて(all the money)を管理し、他の妻たちの穀物が不足すると、夫の貯蓄分を分配する。

 男性は農耕をして妻たちを支える他にも仕事をしている。例えば、交易をしたり、家畜を飼ったりしている。息子が成長すると、彼は息子たちの結婚の面倒を見る。女の子の場合は現金か山羊か牛の婚資を受け取り、男の子のためには婚資を支払う。しかし、彼はすべての婚資を独り占めしたりはしない。その一部は母親に支払う。これはmkajaと呼ばれる。彼自身の取り分はkilembaと呼ばれる。残りは妻や自分の親族に分配する。男の子にとって、父親と母親の親族は、父親が婚資を支払う助人である。娘が離婚すると、分配にあずかった親族すべてが婚資のお金を払い戻す。村を創設した男性が父親になり、祖父になり、そして曽祖父となるにつれ、家族は拡大する。彼の役割は家族全体の面倒を見ることである。その仕事はwegaziと呼ばれ、援助者を意味する。おそらく彼は親族の葬式と婚資にほとんどの富を費やしている。自分のためにはほんの少ししか使わない。毎日、彼は屋外の村の中心にある樹の下か小さな小屋で、ほとんどの時間をおしゃべりして過ごす。親族があちこちからやってきては彼に悩みを訴えて相談したり、財政的支援を求めたりする。彼は、慣習法にのっとり、現金や山羊や食料などを与えて、親族の面倒を見るよう義務付けられている。これが、共同体の慣習なのである。それは、大変な出費を意味し、無駄のように思われるが、結局は、これこそが、個人主義的なシステムには欠けている本当の兄弟愛(brotherhood)の精神を教えこむことなのである。長老の財産は彼だけのものではないのであって、親族一同を含む家族のものなのである。親族は彼に助けを求める権利があるのだ。もし、彼がケチだとすると、彼は親族から憎まれ、蔑まれる。誰も彼の村を訪れる人はいなくなり、彼は爪弾きになる。彼が苦難に直面しても、誰も助けない。彼が気前よければ、親族は彼のまわりに集まり、彼の財産を食いつぶすが、その代わり、彼が苦難に会えば、いつ何時でも彼を助けるのである。

 しかし、こうしたかつての生活は、今、急速に消え去ろうとしている。一夫多妻も次第に少なくなっている。援助やもてなしといった行いもなくなろうとしている。長老は近い親族によってのみ尊敬されるだけで、彼の援助が必要な場合も少なくなっている。若者は「年寄りの日々は過ぎ去った」と言う。現在の生活が大きな影響を与えているのは、結婚生活である。結婚はもはや持続するものではなく、幸せ度も減少した。結婚は短い期間に破綻し、以前のように結婚が家族の神聖な生活だと見なされることはない。以前、若い男性の目的は、第一に、適年齢に達したらすぐに結婚することだったし、両親や親族もその日を常に待ち望んでいた。現在、そうした状況はもはやない。結婚生活は緊張感がなくなり、その結果、離婚はこの2~3年の間に100%に近づいている。不倫や情交も同じように増えている。アフリカ人の要求はアフリカ人の経済力を越えており、その結果、女性は夫や両親が与えてくれるものに満足せず、結婚の意思はないがそうした満足を与えてくれる男性に容易になびく。それゆえ、一夫多妻は消えゆく運命にある。かつて夫は財力に見合った妻を持つことが可能だったし、その維持にはそれほど出費は必要なかった。妻は自分たちで必要なものを生産し、子どもを養っていたし、夫は妻にわずかな衣服を買い与えるだけでよかった。それすらも妻たちが自分で調達していたケースも多い。状況は現在逆転した。とりわけ外国の宗教が入ってきた地域に住む妻や、沿岸部の文明と接触した妻は、自分の権利に気づき始めている。イスラーム法は、夫は妻に食料と衣服を与えねばならないと規定しており、それに違反した場合には結婚は法的に破棄されたり無効となったりする。妻は法廷でそのことを証言すれば、離婚できる。キリスト教は夫と妻にほぼ同等の権利を認めている。どちらも、結婚した夫婦の権利と義務に関して、アフリカの慣習法とは真逆である。加えて、新しい文明化の波が押し寄せており、それが果てしない物的欲望をかきたて、一夫多妻の夫が、財政的に、自分や妻や子どもの欲求を満足させることを不可能にしている。妻はかつてより働かなくなっている。子どもも同様であり、教育の導入によって、両親の手伝いをする時間は少なくなっている。学校に行くことによって、両親にとって子どもの利用価値は低下しているのだ。こうしたすべてが、一夫多妻の生活にどのような影響を与えているのか?答えは簡単である。未婚もしくは離婚した女性の増加である。夫の死後の妻の身の振り方に関する寡婦相続(inheritance of wives)の慣習も消滅しつつある。寡婦は自分の選択権を主張しているのだ。彼女たちは、自分の意思に反して相続されるより、返すことができる婚資を返すことを選ぶ。寡婦の相続は単なる形式であって、実際には行われていない地域もある。親族は、死者の寡婦よりむしろ子どもたちの養育権の相続を望んでいる場合もある。親族がキリスト教徒の場合、寡婦相続は教会によって厳しく禁止されており、違反者は(教会から―訳者注)追放される。イスラーム法は、寡婦がイスラーム法にのっとって相続人と結婚するのでない限り、寡婦相続を認めていない。もし彼女が法的な妻でなく、相続人との間にできた彼女の子どもたちが法的な子どもでない場合、ムスリムの父親からの相続はできない。文明化した、あるいは半文明化したアフリカ人は親族の寡婦を相続したがらない。その理由は単純で、相続したら新しい家庭を築くための費用がかかるし、そうした慣行は異教的(paganish)であると考えるからである。しかし、この寡婦相続の制度は、文明化した観点と法からすると悪いものに見えるが、アフリカにおいてはそれなりに存在価値があった。それは、貧しい人びとを支えるアフリカの共同体組織の一部として、死亡した人の遺族をケアするための制度であって、個人主義的な制度の下でのケアとは異なるからである。

 この制度がアフリカで完全に消滅すると、アフリカ人の家族に格差が生まれ、それが大きな影響を与えることは確かである。文明化した世界の少女や女性とは異なり、アフリカ人の少女や女性が今の生活状況で、親族から自立して生きていくことはできない。彼女たちは知的にも、そうした生活に適していはいない。彼女たちは本来農耕民であり、その他の職業は知らない。沿岸部には乳母などの職業に就いて生活費を稼いでいる女性もわずかながらいることは確かである。しかしそうした職業は、多数の自立した女性が、将来的に生活費を稼がざるを得ないとしたら、十分ではない。彼女たちは、世界の他の地域でも見られるように、プランテーションでの軽い仕事に就くことはできるかもしれない。しかし、現在の道徳的規範が低下している状況や、家父長的なケアや規制がかつてのようにない状況下での結果は、容易に想像できる―非道徳な生活である。差し迫った問題は、女性のための教育を促進し、生活の変化に対応できるような訓練を受けさせるべきだということである。アフリカ人女性教育は3つのR(Reading, Reckoning, Rearing か?―訳者注)を教える以上のことが要求される。女性たちが自立できるような職業訓練を目的とするような教育である。

 paganism(アフリカ土着宗教)は、アフリカ人にとっては重要な価値があった。それは、アフリカ人の道徳規範だったからである。土着の信仰は、ほとんどの場合、死者の魂を信仰の対象としている。死者の魂はあの世で生き続けていると信じられている。彼らは至高神がいて、何かの災難に出会った時には、神の名を唱える。その神についての彼らの知識は完璧であるとは言えないが、本能的に、そして自然に、彼らは神がいて、その神を信じている。神の名前はいろいろだ。例えばMulunguであったり、Ngaiであったりする。祈りの形式も、部族やクランによって異なる。しかし、祈りが大きな樹木や洞窟や墓など、「死者の魂」が住み着いていると信じられている場所で行われているのは、多くの場合共通している。死者の魂への介入が、死、病気、苦難、戦争、旱魃、収穫などの時に行われる。その際、山羊か雄牛が犠牲として捧げられるのが一般的である。こうした土着の宗教は、次第にイスラームかキリスト教に取って代わられている。しかし、イスラームやキリスト教を信じているアフリカ人の中には、かつての信仰を密かに維持しているものがおり、とくにイスラーム教徒の間には、迷信(superstition)がいまだに跋扈している。現在の文明化によって、その効力は過去ほどではないとしながら、多くのアフリカ人が呪術を信じている。妖術や土着宗教を信じている人は、今の世代では少なくなっており、文明化の浸透によってその傾向はさらに加速している。外国の宗教、とりわけキリスト教が文明化に先行することが望まれている。文明化の土着宗教への影響は破壊的であり、それに代わる信仰を与えねばならないからだ。それはキリスト教によってのみ可能である。信仰なき状態はアフリカ人にとって危険である。いかに教育を受けようと、文明化しようと、信仰なき状態は、土着宗教の状態のままでいるより悪い。それは、魂のない身体のようなものである。文明化によってもたらされたアフリカ人の状況が、そのようなものであるとしたら、大いに悲しむべきであろう。アフリカ人は自分自身の属性(quality)がうしなわれたなら、それに変わる属性を取り戻そうとする。物質主義は、アフリカ人にとって塩抜きの食事のようなものである。その結果は、非アフリカ人が受けるよりよりずっと破壊的である。アフリカ人の全生活は、土着宗教との関係抜きには存在しない。アフリカ人は、何をするときでも、土着宗教の裁可を得なければならない。アフリカ人の法的な規律や慣習は、土着宗教の信条にその起源があるからである。

 今日、多くのアフリカ人家族の中には、異なる宗教や、さまざまな文明化のレヴェルの構成員がいる。それぞれが、人生について自分の考えを持っている。彼らの宗教観についていえば、彼らは、両親や他の兄弟たちが信じているアフリカの土着宗教はおぞましい(abhorrent)宗教だという考えを持っているということを確認しておけば十分である。というのは、彼らは学校の宗教教育の中で、土着の宗教は悪魔の宗教であると教えられているからである。イスラームは、土着の宗教を信じている両親や親族によって殺された動物の肉を食べたり、そのような肉を調理した鍋を使用したりすることはイスラーム法に違反すると教えている。土着宗教を信じている父親の子どもたちは、ムスリムの兄弟姉妹とは法的に隔絶されており、ムスリムの兄弟姉妹から遺産を相続できない。その逆もまた同様である。一夫多妻はキリスト教会によって厳しく禁止されており、クリスチャンが土着の宗教儀礼に参加することも禁止されている。子どもたちが両親を尊敬しないということは驚くべきことではないだろうか?土着の信仰を持つ両親は、しばしば子どもたちが言うことを聞かないと苦情をこぼしている。これは、どういう意味なのだろうか?多くの苦情は、子どもたちが土着の宗教儀礼に参加するのを拒むことに対するものである。もちろん、新しい宗教がそうしないよう教えているということがある。一夫多妻によって大家族を構成している両親は、子どもたちにも一夫多妻を守って欲しいと思っている。もし子どもたちがキリスト教徒だとしたら、この両親の要望には応えられない。そこから、両親と子どもたちとのいさかいが始まる。牛を多数所有しているある大首長が、多くの子どもを持っていた。大首長は子どもの中のひとりを司祭に任命し、毎日、偶像崇拝の儀式をさせていた。ある日、その息子はひとりのキリスト教徒に呼ばれ、天命を受け、クリスチャンになった。父親は、息子がキリスト教徒になったことを理解した。父親はキリスト教を捨てるよう息子を説得した。しかし、息子は拒否した。父親はもっと強硬な手段にでたが、失敗に終わった。父親は遺産をやらないと脅し、勘当するとまで言った。しかし、息子はぶれず、新しい宗教を手放さなかった。このことは、老大首長の心を傷めつけた。彼は私の前で何時間も息子を呪ったが、無駄だった。彼は息子のみならず自分が信じる神々をもひどく不快な思いにさせたと思った。こうした事例はたくさんある。キリスト教のバイブルによれば、こうしたことは予測可能なことだった。これは、土着宗教を信じるアフリカ人の家族が、いかに新しい宗教の影響を受けているかを示す事例である。多くの場合、両親が子どもたちの宗教に改宗したことによって家族全員がひとつの宗教を信じるようになり、状況は改善されてきた。そうでない場合、状況は完全に改善されることはなかった。ただし、両親が外来の宗教に寛容になることによって、状況はかなり緩和されてきたということはある。

 アフリカ人の家族の団結を揺るがしているもうひとつの要因は、文明化と海外からの新しい産業である。アフリカ人は現金収入を求め、家族を離れて遠くに出稼ぎに行く。その中には、家族のもとに戻らない者もいる。また、家族から長い間離れて暮らしていたために、妻たちが浮気をして堕落するという事例もある。さらに、彼らが性病を持ち帰り、流行らせる。このように、長期にわたる出稼ぎは、家族生活に悪影響を与え、肉体的にも、家族の健康上でも、福祉の観点からも破壊的に作用する。彼らは、故郷の人びとに馴染みのない考えを持ち込み、生活スタイルのみならず部族生活に関する考え方を変えてしまうのだ。それが、彼らの故郷では入手不可能な物質的欲望を掻き立てる。それは、彼らの生活水準を、おそらく首長のそれ以上に高めるかもしれない。しかし、それが、彼らの心に欲求不満も植え付ける。その結果、常に、出稼ぎに戻りたいと思うようになる。異郷の魅力は彼らに強烈な影響を与える。そのような出稼ぎがもたらす最悪のものは、性病の拡散である。もっとも望ましいのは、彼らが家族と一緒に自分の故郷で暮らせるように状況を改善することである。農業や運輸面の改善は、その第一歩である。今日の出稼ぎの理由は、彼らが住んでいる故郷の経済状況にある。彼らの故郷は、需要を満たすだけのものを生産できない。出稼ぎによって、彼らは、馴れ親しんできた家父長的な権威の喪失という中での非道徳的な生活にさらされる。さらに、上に立つ権威のないままでの、さまざまな部族の共存状態は、あらゆる種類の非道徳的な行為を誘発する。汚い(dirty)女性たちが彼らの身体的な欲求不満を解消するために労働現場に群れている。一方、彼らから離れている妻たちが夫を四六時中見張るのは困難である。

 外国商品の輸入によってもたらされたアフリカ人女性の高まる欲望を、並の夫が満たすのは不可能だ。その結果、結婚生活への不満が募り、離婚が最後のとどめとなる。アフリカ人はこのような離婚に慣れっこになり、結婚の絆はもはや神聖なものとは見なされず、いつでも終止符を打てる一時的な契約と見なされるようになっている。これが、子どもの出産にも深刻な影響を与えている。婚資は以前ほど高額でなくなり、分割して支払ったり、結婚が解消されるまでの負債としてそのままにされたりしている。また、婚資を手に入れるのはかつてより容易になっており、その結果、婚資が結婚した人びとに対して持っていた影響力もなくなっている。婚資の制度はもともと、妻を夫に縛り付けて妻からの離別を難しくさせたり、妻の社会的地位を上げたり、夫やその他の人びとにとっての彼女の価値を高めたりするといった意味を含んでいた。女性の身分が高ければ、婚資も高額になった。かつて夫と離別する妻はほとんどいなかった。結婚は生涯持続するものと見なされていたし、離婚されることは妻にとって不名誉なことだと思われていた。離婚の際には常にその原因を執拗に問われた。例外なく、離婚した妻は夫に忠義を尽くさず、良い妻ではないと見なされ、会うことを夫に拒否された。現在は状況が変わり、そういうことはなくなっている。女性は正々堂々と夫の過失を指摘し、時には夫について事実無根の物語を作り上げることさえする。そして、原住民法廷(native court)に訴えて離婚を要請するのである。かつてはそのようなことはなかった。婚姻に関する裁判は、夫と妻両方の両親と親族の問題であり、彼らが内密に事を処理していた。若者は裁判の傍聴を許可されなかった。両方の両親と親族が、調停が不可能であるとわかり、どちらにも損害を与えることなく処理できるまで、和解にむけて最善を尽くした。これが、絶望した妻の自殺を招いた事例も数件見られる。

 アフリカ人のもてなし精神(hospitality)は、次第に消えつつある。このもてなし精神は、共同体の生活の際立った徳目であり、それがこの種の他の徳目と同様にゆらぐのは残念である。かつては、アフリカ人であろうと外国人(non-native)であろうと、畑のバナナやサトウキビやトウモロコシを勝手に取って食べても犯罪にはならなかった。ただし、畑の作物を持ち去ることは、泥棒とされた。つまり、飢えた人はその飢えを、泥棒することなく畑で癒すことができたのである。マンゴーやパパイヤやパイナップル、あるいはジャックフルーツなどの果実は誰の財産でもなかったのだ。アフリカ人はいつでもお客を歓迎し、見知らぬ人に対しても、もてなしの精神を発揮していた。しかし、こうしたことすべてが過去の歴史になってしまった。もてなし精神は親族間でも珍しくなっている。こうした新しい慣行を沿岸部のアフリカ人を真似たものだと考える部族もいる。だが、本当のところ、沿岸部のアフリカ人はこの点に関して内陸部の部族より劣っているわけではない。私は、これは経済的な変化の結果であろうと思う。アフリカ人は、次第に物の価値を理解し始めており、収穫物を市場に持って行って現金化している。物の価値を知ったアフリカ人は、これまでアフリカ人共同体で最も重要視されてきたもてなし精神をないがしろにするほどの実利主義者になってしまった。今日よく、人はステッキなしでその土地(country)の端から端まであることができると言われるが、かつては、人は食料を持たずに領域の端から端まで歩くことができたと言われた。まだもてなし精神が残っている地域もあるが、昔ほどではなくなっており、今や消えつつあると言っても過言ではないだろう。

 今日のアフリカ社会では、貨幣経済の影響を無視できない。それはアフリカ人の生活を良い意味でも悪い意味でも大きく変えており、アフリカ人の日常における決定的要素となっている。誰もが金儲けにやっきとなっている。以前は家に居ることで幸せであり、少ない物で満足していたアフリカ人は、今や金儲けのために市場に足を運んでいる。農村部と産業センターを往来する積み荷満載のキャラバンが、連日のように幹線道路を走っている。お金の誘惑がいたるところに網を張っている。今日のアフリカでは、何よりもお金がものを言う。失敗すれば、それもお金のせいである。お金儲けのためには、ほんの些細な仕事にも精を出す。お金がないために、これまでの生活に対する欲求不満が募る。お金、お金、お金・・どこに行っても、この叫びが聞こえる。アフリカ人自身が言う「アフリカ人は、集まれば金儲けことばかりを話している」。彼らがまず考えるのは、どうやって利益を得るかであり、それが人生の目的となっている。アフリカ人の未来も同じだろう。そうした彼らの行動で唯一救われるのが、非アフリカ人(non-native)ほどにはお金がなくとも悲観せず、常に忍耐強く、状況が許す限りのものでまだ満足できることである。

 教育はアフリカ人の悲願である。教育と宗教は未来への希望である。お金がアフリカ人を物質主義の信奉者に変えるのではないかという恐れがある。それゆえ、中途半端な教育ではなく、最上の教育が必要なのだ。心、魂、身体の教育は、アフリカ人が今日何よりも必要としているものである。アフリカ人を良くするか悪くするかは、教育にかかっている。(翻訳:富永智津子)