【現代アフリカ史11】専業主婦の登場
掲載:2015.09.24 執筆:富永智津子
さまざまな慣習やセクシュアリティが展開する中、アフリカでも産業化と都市化にともない、公私二元的なジェンダー関係が展開した。それは給与生活者と専業主婦という組み合わせの夫婦の出現であり、女性が農業労働から解放され、家事と育児にエネルギーを費やすことのできる新しいライフ・スタイルの登場でもあった。
文化人類学的研究の先駆者のひとりである端信行は、独立後のカメルーンの国勢調査の妻の項目に、「トラディショナル・ワイフ」と「ハウス・ワイフ」という選択肢があることを紹介している(端、1996)。政府が、「ハウス・ワイフ」の増加を近代化の指標として捉えていたことは間違いないだろう。そのような新しいライフ・スタイルがカメルーンで登場しはじめていたことをこの国勢調査は示している。それは、女性にとって、給与生活者の妻になることがあこがれであったことを示してもいる。そんな事例が過去にもあった。社会人類学者リトルの報告書に見られる1940年代のシエラレオネの事例である(Little,1948)。
ヨーロッパ戦線やビルマ戦線にアフリカ人兵士が送り込まれた第二次世界大戦中のことである。海外へ出兵した兵士の妻に、戦時手当が支払われたのである。すでに交易や商業による現金収入を手にする女性が現われていたが、戦時手当という労働とは無関係な収入は、妻たちにとって新しい経験だった。妻のなかには、妹やイトコを兵士の妻として地区の長官に届け出て収入を倍増させたり、この機に婚資を返却して離婚し、兵士と再婚したりする者もでてくる。こうして、定期的な現金収入に惹きつけられ、週給や月給収入のある男性との結婚を望む女性が増えていく。それにともない、妻を娶るために都市部での賃労働に従事する男性もが増加したという。
一方、すでに結婚していた女性の中には、定期的な収入を自給農業や家事労働の対価として夫に請求する妻も現れた。その結果、それまでのジェンダー秩序が揺らいだことは、記録に残る500件の裁判のうち約20%が離婚のための婚資の返還に関する裁判だったことがそれを証明しているとリトルは分析している。また、戦場から帰った兵士に見合った教育を娘に受けさせる親が出てきたという別の報告もある。教育が理想の結婚へのパスポートとなった事例である。日本でも、つい数十年前の多くの中産階級の両親の願いであった。違いは、給与生活者と結婚して都市部に移住したものの、給与だけでは暮らしが立たず、妻がインフォーマル・セクターでの内職を余儀なくされたことである。そうしたカップルは、現在でも経済的な低迷が続く今日のアフリカの都市部でよくみられる光景となっている。女性たちが、専業主婦から、職業を持ち、さらには専門職へと転身を図るようになるのは、もう少し先のことになる。
ちなみに、日本で第一次産業以外での女性の就業者数が専業主婦の数を上回ったのは1984年のことである。しかも、その平均収入のジェンダー・ギャップは、現在も解消されていない。