【独立後の歩み―国別年表】≪中部アフリカ≫

掲載:2016-05-27 執筆:富永智津子

<カメルーン共和国>

カメルーン

 

 

 

 

 

          

  • 1960
    ・フランス領カメルーンの独立。「カメルーン共和国」の発足。「カメルーン連合」のアヒジョ、大統領に就任。
  • 1961
    ・住民投票の結果、英領カメルーン南部はカメルーンとの連邦制を、英領カメルーン北部はナイジェリアとの合併を決定。国名は「カメルーン連邦共和国」に変更(~1972)。
  • 1966
    ・アヒジョ大統領、「カメルーン国民連合」(UNC)を創設し、一党制国家に移行。
  • 1971
    ・「カメルーン人民同盟」(UPC)の指導者エルネスト・ウアンディエ処刑。
  • 1972
    ・アヒジョ大統領、国名を「カメルーン連合共和国」に変更。憲法制定。
  • 1981
    ・政党の結成を合法化。
  • 1982
    ・アヒジョ大統領辞任。
  • 1984
    ・国名を「カメルーン共和国」に変更。
  • 1985
    ・UNC第4回党大会で、組織名を「カメルーン人民民主連合」(RDPC)に変更。
  • 1996
    ・憲法改正。

歴代大統領

1960~1982   アマドゥ・アヒジョ(カメルーン連合→カメルーン国民連合)
1982~        ポール・ビヤ(カメルーン国民連合→カメルーン人民民主連合)

 

<中央アフリカ共和国>

中央アフリカ       

 

 

 

 

  • 1960
    ・フランスから独立。ダッコ、「中央アフリカ発展運動」(MEDAC)を非合法化し、「黒アフリカ社会発展運動」(MESAN)の一党制に移行。
  • 1965
    ・ゼネスト発生。その直後、ボカサ大佐によるクーデタ勃発。
  • 1966
    ・ボカサ、大統領に就任。
  • 1969
    ・ボカサ大統領、フランスのダイヤモンド鉱山会社に引き上げを命ず。
  • 1972
    ・ボカサ、終身大統領を宣言。
  • 1976
    ・ボカサ、共和制を廃止して、帝政を実施。
  • 1977
    ・ボカサ、1400万ポンドを費やして戴冠式を挙行。皇帝ボカサ1世を名乗る(黒いナポレオンとも)。
  • 1979
    ・「ウバンギ人解放戦線」(FLO)、「ウバンギ人愛国戦線」(FPO)、「中央アフリカ人民解放運動」(MPLC)、コトヌで統一戦線の結成を決定。
    無血クーデタによりボカサ政権打倒される。ダッコ復帰し、政権樹立。
  • 1981
    ・新憲法による大統領選挙でダッコ当選。
    ・コリンバ国軍参謀総長による軍事クーデタ勃発。
  • 1983
    ・「中央アフリカ革命党」(PRC)の結成。
  • 1984
    ・反政府勢力、チャド国境に近いマルコウダを攻撃。
    ・「国家救済暫定政府」、MPLCの主導で樹立。政治犯の釈放。
  • 1985
    ・コリンバ、文民閣僚を含む新政府を樹立。
  • 1993
    ・大統領選挙でコリンバ落選。パタセ当選。国内の混乱続く。
  • 1998
    ・国連中央アフリカ共和国ミッションによる多国籍軍の駐留
  • 2003
    ・大統領の外遊中に、ボジゼが権力掌握、大統領に就任。
  • 2004
    内戦勃発(~2007
  • 2012
    ・反政府勢力、首都を制圧し、ジョトディアが暫定大統領に就任し、軍部独裁制を敷く。のち、大統領に就任。
  • 2013
    ・国内の抗争状態おさまらず、数百人規模の死者が出る。フランスやアフリカ連合の軍隊介入。
  • 2014
    ・ジョトディア大統領辞任。評議会内の選挙によりパンザ、暫定大統領に選出される。
    ・国際刑事裁判所(ICC)、「人道に対する罪」の予備調査を開始。国連安保理、11800人規模のPKOを発足させる決議の採択し、フランス軍に事実上の指揮権を付与。

歴代大統領

<中央アフリカ共和国>

1960~1965  ダヴィッド・ダッコ(暫定大統領→大統領・黒アフリカ社会発展運動)
1966~1970  ジャン=ベデル・ボカサ(大統領・無所属・軍人)
1970~1976  サラー・エッディン・アフメド・ボカサ(国家再建軍事委員会議長・黒アフリカ社会発展運動)

<中央アフリカ帝国>

1976~1979   ボカサ1世(皇帝・黒アフリカ社会発展運動)

<中央アフリカ共和国>

1979~1981  ダヴィッド・ダッコ(大統領・黒アフリカ社会発展運動)
1981~1993  アンドレ・コリンバ(国家再建軍事委員会議長・無所属・軍人→1986年以降大統領・中央アフリカ民主会議)
1993~2003  アンジュ=フェリクス・パタセ(大統領・中央アフリカ人民解放運動)
2003~2013  フランソワ・ボジゼ(大統領・無所属・軍人)
2013~2014  ミシェル・ジョトディア(大統領・無所属・軍人)
2014      アレクサンドル=フェルディナン・ンガンデ(暫定大統領・共和国連合)
2014~2016  カトリーヌ・サンバ=パンザ(暫定大統領・無所属)(→世界女性史年表)
2016~     フォスタン=アルシャンジュ・トゥアデラ(大統領・無所属・第8代大統領)

 

<コンゴ共和国>

 コンゴ          

 

 

 

 

  • 1960
    ・フランスより「コンゴ共和国」として独立。
  • 1963
    ・ユールー政権、8月革命」により、就任後3日で打倒される(「栄光の3日間」)。
    ・マサンバ・デバ、大統領に選出される。
  • 1964
    ・マサンバ・デバ、新政党「革命国民運動」(MNR)創設。外国企業の国有化、フランス軍基地の撤去、工業化、古い国家機構の改革など民主革命をめざす社会主義路線を選択。
  • 1965
    ・ヌマザレイ首相、民兵組織「全国人民軍」(APN)創設。
  • 1968
    ・ヌマザレイ首相解任、首相のポスト廃止。
  • 1970
    ・新憲法公布。国名を「コンゴ人民共和国」に変更。
  • 1991
    ・共産主義を放棄、国名を「コンゴ共和国」に変更。
  • 1993
    ・内戦(~1995)
  • 1997
    ・内戦(~1999)
  • 2002
    新憲法草案に関する国民投票
    ・大統領選挙でサス・ンゲソ大統領当選
  • 2009
    ・大統領選挙でサス・ンゲソ大統領再選

歴代大統領

<コンゴ共和国>

1959~1963   フルベール・ユールー(大統領・「アフリカ人利益擁護民主連合」UDDIA)
1963        デーヴィッド・ムカサ/フェリックス・ムーザパカニ(臨時政府担当将校・軍政)
1963~1968   アルフォンセ・マサンバ=デバ(国家革命評議会議長「革命国民運動」MNR→大統領)
1968        オーギュスタン・ポワニエ(大統領代行・軍政)
1968        アルフォンセ・マサンバ=デバ(大統領・「革命国民運動」MNR・クーデタにより退陣)
1968        マリアン・ングアビ(国家革命評議会議長・軍政)
1968~1969   アルフレッド・ラウル(国家元首代行・軍政)
1969~1970   マリアン・ングアビ(国家元首・軍政/「コンゴ労働党」PCT)

<コンゴ人民共和国>

1970~1977   マリアン・ングアビ(大統領・軍政/「コンゴ労働党」PCT・2期目在任中に暗殺)
1977       軍政/「コンゴ労働党」PCT(大統領制廃止)
1977~1979   ジョアキム・ヨンビ=オパンゴ(国家元首・軍政/「コンゴ労働党」PCT・解任)
1979        ジャン=ピエール・ティステル・チカヤ(コンゴ労働党中央幹事会議議長)
1979~1992   ドニ・サスヌゲソ(国家元首→大統領制復活・「コンゴ労働党」PCT)

<コンゴ共和国>

1992       ドニ・サヌヌゲソ(大統領・「コンゴ労働党」PCT)
1992~1997   パスカル・リスバ(大統領・「社会民主主義パン・アフリカン連合」UPADS)
1997~現職     ドニ・サスヌゲソ(大統領・「コンゴ労働党」PCT)

 

<コンゴ民主共和国>

 コンゴDR         

 

 

 

 

 

  • 1960
    ・ルムンバを首相に、カサヴブを大統領としてベルギーより独立(「コンゴ共和国」)。
    ・軍隊の反乱で「第一次コンゴ動乱」はじまる
    ・ベルギー軍の介入。
    ・チョンベ、カタンガ州の独立を宣言。
    ・国連安保理、国連軍の派遣を決議。
    ・カロンジ、カサイ州南部の分離独立を宣言。
    ・モブツ大佐のクーデタ。
    ・ルムンバ逮捕。
  • 1961
    ・ルムンバ、カタンガ州で虐殺される。
    ・国連軍、カタンガ州で軍事行動後、停戦実現。
  • 1962
    ・新憲法公布。
    ・連邦化に関する国連総長の提案。
    ・国連軍、カタンガ軍と衝突。
  • 1963
    ・グベニエ、「民族解放評議会」(CLN)結成。
  • 1964
    ・CLN、東部地域で反政府武装闘争を開始(「第二次コンゴ動乱」はじまる)。
    ・オレンガ、「解放人民軍」(APL)創設。
    ・新憲法公布、国名を「コンゴ民主共和国」に変更。
    ・ベルギー軍の派遣。
  • 1965
    ・中央政府、左派の反政府勢力を制圧。第二次コンゴ動乱の終焉。
    ・国会選挙実施。
  • 1966
    ・「革命人民運動」(MPR)の組織化。
    ・レオポルドヴィル、キンシャサと改名。
    ・左派学生グループの反体制運動ピークに達する。
  • 1967
    ・「ユニオン・ミニエール社」の接収。
  • 1968
    ・「コンゴ解放民族戦線」(FNLC)、アンゴラで結成。
  • 1969
    ・ロバニウム大学で大規模な学生暴動発生、推定30人死亡、400人逮捕。
  • 1971
    ・ロバニウム大学、キンシャサ大学と改称。
    ・モブツ政権、国名を「ザイール共和国」に変更、MPR一党独裁制に移行、ザイール化政策を本格化。
  • 1977
    ・FNLC、シャバ州へ侵攻開始(第一次シャバ紛争、3月~4月)。
    エボラ出血熱、エボラ川流域で確認。
  • 1978
    ・FNLC、シャバ州へ侵攻(第二次シャバ紛争、5月11日~23日)。
  • 1990
    ・議会、複数政党制に道を開く憲法修正案を可決。
  • 1996
    ・東部南キヴ州のトゥチ系バニャムレンゲの追放を決議、政府軍の攻撃はじまる。ルワンダ、ウガンダ、ブルンジなどに支援されたバニャムレンゲや「コンゴ・ザイール解放民主勢力連合」(AFDL)等の武装組織が反撃。
  • 1997
    ・アンゴラがザイールに出兵、キンシャサを制圧。モブツ政権崩壊(第一次コンゴ戦争の終結)。AFDLのローラン・カビラ、大統領に就任。国名を「コンゴ民主共和国」に変更。
  • 1998
    ・トゥチ系が政権を掌握するルワンダなどの影響力が強まることを警戒したカビラ政権がトゥチ系の人びとの排除を始めたため、「第二次コンゴ戦争」勃発。国内の資源に関する利権も絡み、ウガンダが支援する反政府勢力「コンゴ民主連合」(RCD)とジンバブウェ、ナミビア、アンゴラが支援する政府軍との間で激戦が繰り広げられ、住民約20万人以上が戦闘で、紛争に伴う飢餓や衣料品不足で150万人以上が死亡したとされる。
    ・マールブルグ熱により128人死亡。
  • 2001
    ・ローラン・カビラ、護衛兵によって暗殺され、長男のジョゼフ・カビラが大統領に就任
  • 2002
    ・ムベキ南ア大統領の仲介により「プレトリア包括和平合意」成立するも、戦争状態が続き、虐殺・掠奪・強姦が頻発。
  • 2003
    ・北部地方でエボラ出血熱流行。ゴリラも犠牲となる(2005年までに5,500頭死亡)。
  • 2006
    ・大統領選挙と議会選挙。カビラ(ローラン・カビラの息子)暫定政府大統領当選。その後も不安定な状況続く。
  • 2009
    ・毎月の犠牲者4万人以上。
  • 2013
    ・国連主導の安定化に向けた枠組み合意の調印。
  • 2014
    ・ルワンダとの国境付近で両国の軍隊の発砲事件。

歴代大統領

<コンゴ共和国>

1960~1964    ジョセフ・カサブブ(大統領・バコンゴ同盟)
1961(3月~8月)  アントワーヌ・ギゼンンガ(大統領・ルムンバ派・コンゴ国民運動)
1964~1965      ジョセフ・カサブブ(バコンゴ同盟)
1965~1971      ジョセフ=デジレ・モブツ(大統領・無所属・軍人→革命人民運動)
1971~1997    ジョセフ=デジレ・モブツ(1972年にモブツ・セセ・セコと改名・大統領・革命人民運動)

<コンゴ民主共和国>

1997~2001        ローラン=デジレ・カビラ(暫定元首→大統領・「コンゴ・ザイール解放民主勢力連合」)
2001~            ジョセフ・カビラ・カバンゲ(ローラン・カビラ・カバンゲの息子・無所属・2006年の選挙では事実上「再建民主人民党」の推薦候補)

 

<赤道ギニア共和国>

  赤道ギニア       

 

 

 

 

  • 1968
    ・スペインより「赤道ギニア共和国」として独立。ンゲマ、大統領に就任。
  • 1970
    「労働者国民統一党」以外の政党活動を禁止。
  • 1972
    ・ンゲマ、終身大統領を宣言。独裁体制を固める。
  • 1979
    ・ンゲマの甥テオドロ・ンゲマのクーデタ。大統領を処刑して自ら大統領に就任。軍事政権を樹立。
  • 1982
    ・民政移管を定めた新憲法を採択したが、その後、クーデタ未遂事件多発。
  • 1987
    ・テオドロ・ンゲマ、「赤道ギニア民主党」(PDGE)を結成。
  • 1991
    複数政党制を認めた新憲法、国民投票で承認されたが、大統領の免責規定に野党が反発。
  • 1999
    ・総選挙でPDGE圧勝。
  • 2004
    クーデタ未遂事件。その際、イギリス元首相のサッチャーの息子マークが関与したとしてケープタウンで逮捕され、後に司法取引で釈放されている。
歴代大統領

1968~1979  フランシスコ・マシアス・ンゲマ(大統領・「労働者国民統一党」・クーデタにより失脚・処刑)
1979~     テオドロ・オビアン・ンゲマ・ンバソゴ(クーデタによる権力掌握→クーデタ後、最高軍事評議会議長・無所属→1982~大統領・「赤道ギニア民主党」)

 

<ガボン共和国> 

ガボン       

 

 

 

 

 

  • 1960
    ・フランスから独立。
  • 1961
    ・レオン・ムバ、大統領に選出される。
  • 1964
    ・クーデタ勃発。フランス軍の介入により、ムバ、政権に復帰。
  • 1967
    ・国民議会選挙により、「ガボン民主ブロック」(BDG)全議席を独占。ムバ大統領死去。ボンゴ、新大統領に就任。
  • 1968
    ・総選挙。ボンゴ、BDGを解散して「ガボン民主党」(PDG)を創設、一党体制に移行。
歴代大統領

1961~1964   レオン・ムバ(大統領・BDG)
1964       革命委員会による軍事政権
1964~1967   レオン・ムバ(大統領・BDG・クーデタが失敗し復職・在任中に死去)
1967~2009   アルベール=ベルナール・ボンゴ(大統領・在任中に2度改名・BDG・在任中に死去)
2009       ディジョブ・ディヴィンギ・ディ・ンディング(大統領代行・PDG)
2009       ローズ・フランシーヌ・ロゴンベ(暫定大統領・PDG)
2009~      アリー・ボンゴ・オディンバ(大統領・PDG・ボンゴ元大統領の息子)

 

 

<サントメ=プリンシペ民主共和国>

サントメ        

 

 

 

 

  • 1975
    ・ポルトガルより独立。ダ・コスタ、大統領に就任。
    「サントメ・プリンシペ解放運動社会民主党」による一党制社会主義国家体制を築く。
  • 1978
    ・アンゴラ軍の駐留はじまる。
  • 1991
    民政移管後の初の大統領選挙。ダ・コスタ、不出馬。
  • 1996
    ・大統領選挙で、トロボアダとの決戦投票に敗れ、ダ・コスタ落選。
  • 2001
    ・大統領選挙で、メネゼス当選。ダ・コスタ落選。
  • 2011
    ・ダ・コスタ、大統領に再選。
歴代大統領

1975~1991    マヌエル・ピント・ダ・コスタ(大統領・「サントメ・プリンシペ解放運動社会民主党」)
1991       レオネル・マリオ・ダルヴァ(暫定大統領・「サントメ・プリンシペ独立運動」)
1991~1995    ミゲル・トロボアダ(大統領・無所属→独立民主行動)
1995       マヌエル・キンタス・デ・アルメイダ(救国軍事政権議長・無所属・軍人)
1995~2001    ミゲル・トロボアダ(大統領・「独立民主行動」)
2001~2003    フラディケ・デ・メネゼス(大統領・「独立民主行動」→「改革勢力民主運動自由党」)
2003       フェルナンド・ペレイラ(救国軍事政権議長・無所属・軍人)
2003~2011    フラディケ・デ・メネゼス(大統領・「改革勢力民主運動自由党」)
2011~      マヌエル・ピント・ダ・コスタ(大統領・無所属)

 

<チャド共和国>

チャド

 

 

 

           

  • 1960
    ・フランスから独立。
  • 1963
    ・一党制の宣言。
  • 1966
    「チャド民族解放戦線」(FROLINAT)創設。
  • 1971
    ・多数の政治犯の釈放。
  • 1975
    ・クーデタによりトンバルバイエ政権崩壊。マルーム将軍を首班とする軍民暫定政権発足。
  • 1978
    ・FROLINAT、国土の北半分強を支配。
  • 1979
    ・ヌジャメナで政府軍と北部軍の衝突。
    「暫定国民連合政府」(GUNT)の樹立に関するカノ協定締結。
    ・モハメド・シャワを大統領とするGUNT成立。
  • 1980
    ・「人民軍」(FAP)と北部軍のあいだに内戦勃発。
    ・リビア、チャドのグクーニ政権支援のために軍隊派遣。
    ・リビア軍撤退し、「アフリカ統一機構」(OAU)平和維持軍派遣。
  • 1982
    ・OAU、「チャド決議」を採択。
    ・北部軍、ヌジャメナ占領。ハブレの臨時国家評議会、臨時憲法を公布。
  • 1983
    「チャド国民軍」の創設。ハブレ政府軍とグクーニ反政府軍との間で戦闘。
    ・フランスのミッテラン政府、軍事介入を決定。
  • 1984
    ・アジスアベバで円卓会議。
    ・フランスとリビア、チャドからの撤兵協定締結。
  • 1985
    ・反政府4組織、パリで「チャド民主戦線」(FDT)結成。
    ・ハブレ政権と「革命民主評議会=行動調整委員会」の代表、リーブルヴィルで和解協定に調印
  • 1990
    ・スーダンに亡命中にリビアなどの支援で反政府勢力「愛国救済運動」を立ち上げたイドリス・デビ、首都のンジャメナを制圧して暫定大統領に就任。
  • 2004
    ・デビ大統領、憲法改正により、大統領の再選規定を撤廃。
  • 2006
    ・内戦勃発→2008:反政府勢力、ンジャメナ制圧(~2010)
歴代大統領

1960~1973   フランソワ・トンバルバイエ(国家元首→1962~大統領・「チャド進歩党」)
1973~1975   ンガルタ・トンバルバイエ(大統領・「国家文化社会革命運動」・クーデタにより暗殺)
1975        ノエル・オディンガ(暫定大統領・軍人)
1975~1979     フェリックス・マルーム(最高軍事行議会議長→1975~国家元首→1978~大統領・軍人)
1979        グクーニ・ウェディ(国家臨時評議会議長・「チャド民族解放戦線」+「人民軍」)
1979        ロル・モハメド・シャワ(国家暫定統一政府大統領・「チャド解放のための大衆運動」)
1979        グクーニ・ウェディ(臨時行政委員会議長・「チャド民族解放戦線」+「人民軍」)
1979~1982   グクーニ・ウェディ(国家暫定統一政府大統領・「チャド民族解放戦線」+「人民軍」)
1982~1990   イッセン・ハブレ(北部軍指導評議会議長→国家評議会議長→1982~大統領・「北部軍」から「独立と革命のための国民同盟に移行)
1990~       イドリス・デビ(暫定大統領→国家元首→1991~7代目大統領「愛国救済運動」・1996,2001,2006年の大統領選挙で再選)