【年表】アフリカ史(3)ー外部世界との出会い

掲載:2016-05-05 執筆:富永智津子

(1)外部世界との出会い

❶第Ⅰ期:貿易拠点の出現

  • 前470ころ
    カルタゴの航海者ハンノ、カルタゴ為政者の命を受け、植民市建設候補地を探しに、60隻の船を仕立てて西アフリカを周航(現在のカメルーンあたりまで到達したとも)
  • 1331-32
    イブン・バットゥータの東アフリカ沿岸訪問
  • 1352
    イブン・バットゥータ、
    マリ帝国を訪れる
  • 1410年代~
    ポルトガルのエンリケ親王、アフリカ大陸探検のため、大西洋沿岸に沿って船舶を派遣
  • 1417-19
    鄭和率いる中国艦隊、東アフリカ沿岸に到達
  • 1441
    ポルトガル人アントン・ゴンサウヴェス、西サハラ沿岸で拉致したアフリカ人男女をポルトガルのエンリケ親王(航海王子)に献上。
  • 1444年ころ
    ポルトガル人、現在のセネガルに来航。現在の赤道ギニアのビオコ島に上陸。
  • 1455年
    イタリア人商人カ・ダ・モスト、エンリケ親王の後援で最初のアフリカ航海。現セネガルのカヨールなどの王国の記録を残す(盛 2012:35)
  • 1472年
    ・ポルトガル人ルイ・デ・セケイラ、白人として初めてベニン王国に到着(マニングス1976:26)
  • 1482
    ポルトガル、エルミナ(現在のガーナ沿岸部)に要塞を建設→1637年:オランダ人の手に渡る
    ・ポルトガル人ディオゴ・カン、コンゴ川河口に到達。
  • 1485年ころ
    ポルトガル、ベニン王国(現在のナイジェリア)と交易をはじめる.;ポルトガル人ディオゴ・カン、コンゴ王ンジンガ・ンクウと対等な関係での国交を結ぶ。→1506年ごろ:コンゴ王ンジンガ・ムペンバ、ポルトガルの文化やキリスト教を積極的に採り入れる。
  • 1487年
    ポルトガル人のバートロメウ・ディアス、アフリカ大陸南端のモッセル湾に達す。
  • 1494
    教皇アレクサンデル6世、トルデシリャス条約により、スペインとポルトガルの新獲得地の境界を決定
  • 1498
    ヴァスコ・ダ・ガマ、アフリカ東海岸に到達
  • 1505
    アルメイダ率いるポルトガル艦隊、東アフリカ沿岸部の都市国家ソファラ、キルワ、モンバサを攻略
    ポルトガル人、初めてモーリシャス島に到達。
  • 1507
    ポルトガル、モザンビーク島に要塞建設
  • 1520~26
    ポルトガル人従軍牧師フランシスオ・アルヴァレス、エチオピア王国に滞在
  • 1531
    ポルトガル人、セナ(現在のモザンビーク)に交易拠点を開設。
  • 1575年
    パウロ・ディアス・デ・ノヴァイス(バートロメウ・ディアスの孫)、ポルトガル領アンゴラを設置、初代総督に就任。
  • 1595
    オランダ人、ゴールドコースト(アフリカ西部ギニア湾に面した一帯)に進出
  • 1595
    オランダ人、マダガスカル島に寄港
  • 1621
    オランダ、ゴレ島(現在のセネガル沖合の小島)に奴隷貿易の拠点として要塞を建設→1629~45年:ポルトガルが所有→1664~67年:イギリスが占領→1677年:フランスが占拠→1758年:イギリスが再占領→1815年:フランスへの譲渡が決定。
  • 1626
    ・フランス人、セネガル川河口の島に交易拠点となる要塞サン=ルイを建設(マニングス 1976:44)
  • 1631年
    ・黄金海岸(現在のガーナ)のコロマンティンに最初の要塞を建設(マニングス 1976:44)
  • 1638
    フランス人、セネガル川河口に拠点
  • 1638
    オランダモーリシャス島にインド航路の補給地建設(~1715)
    ・フランス、ブルボン島(のちのレユニオン)を領有化。
  • 1641
    オランダ人の奴隷商人、フェルナンド・ポー島(現在の赤道ギニアのビオコ島)に拠点設置(→1740年)
  • 1643
    フランス東インド会社、マダガスカル南東部沿岸に入植地フォー・ドーファンを設立→1674年に撤退。
  • 1645
    オランダ東インド会社、ギニア湾に面したゴールドコーストの内陸部に進出(現在のガーナ)
  • 1652
    ・スウェーデン人、現在のガーナのギニア海岸にケープ・コースト・カースル要塞を建設→1657年:デンマーク人が略取→1660年:現地の部族が奪取→1662年:イギリス人が占拠→1663年:オランダ人が占領→1664年:イギリス人が再度奪取(マニックス1976:19)
    ・ ヤン=ファン=リーベック率いるオランダ東インド会社の船、喜望峰に到達。インド洋航路の補給地を設置→1795年までにインド、セイロン、マダガスカル、モザンビークから奴隷移入→1795年:イギリス、オランダからケープ植民地を奪取→1803年:オランダ(バタビア共和国)、条約によりケープ植民地を再獲得→1806年:イギリス、ケープ植民地を再征服。
  • 1654
    フランス、ブルボン島(現在の仏領レユニオン)を占領.

 

❷第Ⅱ期 入植地の出現

  • 1657
    (南ア)
    ケープ植民地にオランダ東インド会社の社員9人が入植。→1659年:先住民コイ=コイン人とオランダ人との間で戦争(~60年)
    →1673年:先住民コイ=コイン人とオランダ人との間で戦争(~77年)
    →1680年:オランダ人入植者の大半、ケープに移住
    →1688年:ナントの王令廃止後、オランダに流入したユグノー難民のうち約200名がケープ植民地に移住
    →1795年:イギリスのウィリアム・ベレスフォード将軍、ケープタウンを占領
    →1806年:イギリス軍、ケープ入植地を占領
    →1814年:ウィーン会議定書により、「イギリス領ケープ植民地」承認される。
  • 1715
    (モーリシャス)
    フランス東インド会社、現在のモーリシャスを領有、フランス島と命名→→1810年、イギリスにより占領→1814パリ条約によりイギリス、フランス領フランス島(現モーリシャス)を占領
  • 1740
    (赤道ギニア)
    ポルトガル、フェルナンド・ポー島(現赤道ギニアのビオコ島)を占領
  • 1741
    (セーシェル)
    フランス人、初めてインド洋のセーシェル諸島を探査→1756年:フランス、セーシェルを領有→1770年:フランス人、セーシェルへの入植開始 →1794年:フランス、セーシェル諸島をイギリスに割譲
  • 1750
    (マダガスカル)
    フランス、マダガスカル島東海岸のサン・マリー島を占領し、交易拠点を設置
  • 1673~4年
    (セネガル)イスラームの導師(マラブー)、ヨーロッパ人やヨーロッパ人に協力する在地の諸王国の奴隷狩りにたいして反乱を起こす(マラブー戦争)。
  • 1778年
    (赤道ギニア)ポルトガル、ブラジルの領有権を認めてもらうことと引き換えに、大陸部のムビニとビオコ島をスペインに割譲.
    →19世紀末:ムビニとビオコ島、イギリスが租借 →1900年ころ:スペイン領ギニアとなる →1958年:スペインの海外州となる。

 

❸第Ⅲ期 植民地化前史

  • 1815
    (南ア)
    ウィーン会議の結果、ウィーン議定書でイギリス領と認定され「イギリス領ケープ植民地」となる.→1820年ころ:ケープ植民地にイギリス人が大量に入植。 →1849年:イギリス系住民、ナタール地方(現在の南アフリカ東部)へ入植を開始
    (セネガル)サン=ルイ島およびゴレ島、ウィーン会議でフランスの植民地となる。
  • 1817年
    (マダガスカル)ラダマ王、イギリスと友好条約。島外との奴隷交易を禁止する見返りに資金や物資の提供を受ける。→プロテスタント宣教師の到来と、工芸技術の導入。→1835年、女王ラナヴァルナ1世、キリスト教の布教を禁止→1869年、女王ラナヴァルナ2世、プロテスタントに改宗し、宮廷教会を設置してプロテスタントを国教と定める。(→世界女性史年表)
  • 1822
    (リベリア)
    アメリカ植民協会、解放奴隷の入植地リベリアを建設。この年、初の入植グループが上陸。以後、複数の入植地が「植民地」として登場。→1847年:合衆国憲法を基本にした憲法を制定して、独立を宣言。(→独立後のあゆみ)
  • 1824
    (ガーナ)第一次イギリス・アサンテ戦争→1826年:第二次イギリス・アサンテ戦争
    →1863年:第3次イギリス・アサンテ戦争
    →1874年:イギリス、アサンテ王国軍を破り、クマシを制圧し、ゴールドコースト南部を植民地化
    →1901年:アサンテ王国をゴールドコースト植民地に併合
  • 1830
    (アルジェリア)フランス軍、オスマン帝国領のアルジェ市とその周辺を占領。これを機に、チュニジアとモロッコに勢力を伸ばし、それに刺激を受けたスペインとイタリアの植民地獲得熱をあおる結果となった。その意味で、フランス軍のアルジェリア征服は、マグレブ全体の植民地化の起点となった。→1832年:アラブ系のアブデルカーデルの武力抵抗(~1947)
  • 1834年
    (南ア)
    コーサ人、イギリス軍および植民地部隊に敗北(~1835)
  • 1835年
    (南ア)5000人のアフリカーナーが配下の「カラード」とともにケープ植民地を離れる(~1840:グレート・トレック)。
  • 1838年
    (南ア)血の川の戦いで、アフリカーナーのコマンド部隊、ズールー軍を破る。
  • 1843年
    (南ア)イギリス、ナタールを併合。
  • 1857
    セネガル)
    フランス、ダカール(現在のセネガル西端部)を占領
  • 1859年
    (ジブチ)フランス、現ジブチのオボック港を租借。 

    →1862:フランス、5万フランでオボック港(アデン湾に面した現ジブチの港)を買収
  • 1862
    (タンザニア)英仏間でオマーンおよびザンジバルの領土不可侵協約
  • 1868
    (レソト
    イギリス保護領バストランドの成立→1871年:イギリス植民地となる
    →1884年:イギリス保護領にもどる
    →1902年:地方政治に限り、自治が認められる
    →1959年:自治が認められる
    →1966年:イギリスから「レソト王国」として独立
  • 1871
    (セネガル)
    カヨール王ラト・ディオール、フランスの植民地化に抵抗→1886年:フランス軍との戦闘で殺害される。
  • 1867年
    (南ア)グリカランド・ウェストでダイヤモンドの採掘開始。
  • 1878
    (南ア)ケープ植民地政府、現ナミビアのヴォルヴィス湾を併合
    (タンザニア)ドイツ・アフリカ協会がタンガニーカ湖に進出
    (ナイジェリア)イギリス、ナイジェリア開発に着手
  • 1879
    (南ア)
    現南アフリカ東部でズールー王国とイギリス軍開戦→1905年:ズールーランドでバンバタの反乱(~07年)
    (ギニアビサウ)ポルトガル、ビサウ沿岸地帯(現ギニアビサウ)を植民地化
  • 1881
    (チュニジア)チュニジア、フランスの保護領となる(~1956)
  • 1882
    (西アフリカ)
    西アフリカでサモリ・トゥーレの対フランス抵抗はじまる
    (エジプト)エジプト、イギリスの保護国となる(~1922)
  • 1883
    (マリ)フランス、マリのバマコを占領
    (ナミビア)ドイツの商人、現ナミビアの沿岸部を買収
    (マダガスカル)第一次フランスーメリナ王国戦争勃発(~1885)。

 

❹第Ⅳ期 植民地化(アフリカ分轄)の開幕

  • 1884
    (ナミビア)ドイツ、アングレ・ペクエナ周辺をドイツ領西南アフリカとして保護領化宣言(4月)→1885年:ベルリン会議でドイツ領南西アフリカが承認される
    →1896年:ヘレロ人、対独武装蜂起
    →1904年:ヘレロ人、オヴァンボ人、ナマ人の対独抵抗(~08)
    →1915年:南西アフリカ、南アにより占領される
    →1920年:南西アフリカ、南ア連邦の委任統治領となる→国連不承認。

      (トーゴ)ドイツ、トーゴを保護領化(7月)
      (カメルーン)ドイツカメルーンを保護領化(7月)
      (サハラ・アラブ民主共和国)スペイン、サハラのヴィリャ=シスネロス占領

  • 1885
    (
    赤道ギニア)スペイン、赤道ギニアの保護領化宣言
    (スーダン)スーダンでマフディー国家の成立
    →1898年:英・エジプト軍、マフディー軍を打破
    →1899年:英・エジプト共同統治領スーダンの樹立(~1956)

      (ボツワナ)イギリス、ベチュアナランドを保護領化
(エリトリア)イタリア、エチオピア領マッサワ港を占領

→1889年:エチオピア、イタリアとウッチャリ条約を結び、マッサワ湾へのイタリアの支配権を承認
→1890年:イタリア、マッサワ湾をエリトリアと命名(イタリア領東アフリカの成立)
→1893年:エチオピア、ウッチャリ条約破棄
→1896年:イタリア、アドワの戦いでエチオピア軍に敗退。エチオピアの独立を確認。エリトリアはイタリア領にとどまる。

      (タンザニア)ドイツ植民地会社、現タンザニアの大陸部の一部を保護領化

→1888年:アブシリとブワナ・ヘリの反乱(~90)
→1890年:ドイツの直轄植民地となる
→1891年:へへ人首長ムクワワによる対独抵抗(~98)
→1905年:マジマジの反乱(~07年)

      (コンゴ民主共和国)ベルギー王の私有地としてのコンゴ自由国の成立

→1908年:ベルギーの直轄植民地へ移行

      (マダガスカル)フランス、マダガスカルと保護条約

→1896年:フランス、マダガスカルを植民地化
→1897年:フランス、メリナ王朝を廃絶

  • 1886
    (コモロ)フランス、モヘリ島、グラン・コモロ島、アンジュアン島を保護領化
  • 1887
    (エチオピア)
    イタリアのエチオピア遠征軍、ドガリで壊滅的敗北
    ( 南ア)
    イギリス、全ズールー王国を併合
    ( ソマリア)
    イギリス、現ソマリア北部を保護領化

→1899年:ムハンマド・アブダッラー・ハサンによる反英闘争の開始(ソマリランド戦争、~1920)
→1906年:イギリスの植民地ソマリランド成立

      (ナイジェリア)イギリス、ニジェール・デルタ地帯を「オイル・リヴァース保護領」とする

  • 1888
    ( 
    ケニア)帝国イギリス東アフリカ会社(IBEAC)、特許状を得て現ケニア沿岸部の統治を開始

→1895年:イギリス、東アフリカ保護領の設立を宣言
→1920年:東アフリカ保護領をケニアと改称

     (ジブチ)フランス、ソマリア沿岸部に植民地獲得、「フランス領ソマリランド」と命名

  • 1889
    ガンビア)イギリス、ガンビア全土を植民地化
  • 1890
    タンザニア)イギリス、ザンジバルの保護領化を公式声明
    ( ナミビア)ドイツ、ウィンドフークを占領
    ( タンザニア)ドイツ、東アフリカ植民地(大陸部)の直轄統治を開始
    ( 南ア)イギリス南アフリカ会社、マタベレランドとマショナランドの両地域を併合してローデシアと命名
  • 1896
    (ジンバブウェ)
    ンデベレ人とショナ人による反英武装闘争の開始(~97)→1923年:「ローデシア=バンツー有権者協会」(RBVA)の設立
  • 1891
    ( 
    マラウィ)イギリス保護領ニヤサランドの成立→1915年:ジョン・チレンブウェの反乱
  • 1893
    ギニアフランス領ギニア、フランス領コートジボワールの成立
    ( スペイン領モロッコスペインとリーフ地方のベルベル人との間で3次にわたりリーフ戦争勃発(~1925)
  • 1894
    ( ベニン)
    フランス領ダホメ-の成立
    ( ウガンダ)ブガンダ王国、イギリスの保護領となる→1900年:ブガンダ、ウガンダ保護領の一州となる.
    ( 中央アフリカ)フランス領ウバンギ=シャリの成立
    モーリタニア)フランス領西アフリカの一部に併合される。
    (マダガスカル)第二次フランスーメリナ王国戦争の勃発→1895年、フランスマダガスカルを保護領化→メナランバの乱。
  • 1895年
    (西アフリカ)フランス領西アフリカの成立。
  • 1896
    マダガスカル)フランス、マダガスカルを植民地化→ラナヴァルナ3世、島外流刑に処せられる。
    ( ブルキナファソ)モシ王国、フランスの保護領となる。
  • 1899
    スーダン)スーダン、イギリスとエジプトの共同統治下に置かれる(事実上は、イギリス総督が全権を掌握)。
  • 1900年
    ナイジェリア)イギリス、現ナイジェリアの南北を保護領化→1914年:南北を合併統一。  
    (チャド)
    チャド、フランスの軍事保護領となる(ラビーフ帝国の滅亡)
  • 1903
    ( 
    ブルンジ)ブルンジ王国とドイツとの間で保護条約(キガンダ協定)
  • 1904
    モーリタニア、セネガル、マリ、ギニア、コートジボワール、ニジェール、ブルキナファソ、ベナン)フランス領西アフリカ、
    正式に発足
  • 1906
    ソマリア)この頃までにイタリア領ソマリランド成立
  • 1910年
    (南ア)ケープ植民地、ナタール、トランスヴァール、オレンジ自由国、「南アフリカ連邦」を結成。

 【参考文献】

小田英郎他監修2010  『新版アフリカを知る事典』平凡社

川田順三編 2009  『アフリカ史』山川出版社

竹沢尚一郎 2014  『西アフリカの王国を掘る―文化人類学から考古学へ』臨川書店

富永智津子 2007(2001)『ザンジバルの笛―東アフリカ・スワヒリ世界の歴史と文化』未來社

富永智津子 2015(2008)『スワヒリ都市の盛衰』山川出版社(世界史リブレット103)

バーガー、アイリス/E.フランシス・ホワイト(富永智津子訳)2004  『アフリカ史再考―女性・ジェンダーの視点ンから』未來社

マニングス、ダニエル・P、 1976 『黒い積荷』平凡社

宮本正興・松田素二1997  『新書アフリカ史』講談社現代新書

盛恵子   2012  『セネガル・漁民レブーの宗教民族誌―スーフィー教団ライエンの千年王国運動』明石書店

山川「世界現代史」13~16,1978~1982『アフリカ現代史』Ⅰ~Ⅳ

歴史学研究会編2001   『世界史年表』岩波書店2001