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【アメリカ史】近代アメリカ社会の構造と優生学(三成美保)

【アメリカ史】近代アメリカ社会の構造と優生学(三成美保)

三成美保(掲載:2014.6.3/初出:科研費報告書(三成)「優生学」)

関連項目→*【GL3-8-2】戦前~戦後日本の優生法制(三成美保)

アメリカ優生学の特徴

„Eugenik ist die Selbststeuerung der menschlichen Evolution“: Logo der zweiten Internationalen Eugenik-Konferenz, 1921

アメリカでは、1907年のインディアナ州で世界初の断種法が成立し、その後34州で断種法が導入された。池見[1940]は、アメリカを「世界最初の断種実施国」であり、「大仕掛けな断種実験場」とよぶ(池見[1940]332)。アメリカ優生学は1910~20年代にピークをむかえ、30年代にナチスとの協力関係が顕著になるにつれて衰退したが、断種の実施そのものはむしろナチスの刺激を受けて1930~40年代にピークに達する*1 。
米本他[2000]によると、「アメリカの優生運動は、社会改革というよりは倫理的変革という意味合いが濃厚であった*2 」。アメリカ社会が優生学を率先して受け容れた要因について、米本は2点を指摘する。
①アメリカの「自由」とは宗教自由の意味であり、移民国家としての多元性が共通の価値を生み出しにくい結果、自然科学的見解が共通価値の代用物となりえた。「自然科学的な人間解釈がとりわけ貴ばれる傾向があり、進化論に立脚して人間改造をめざす優生学プログラムは、宗教的義務に近いものと一部で受けとられた*3 」。そのさい当然視されたのは、建国民族たるアングロ・サクソンの民族的優秀性である。
②アメリカには開拓にともなう自助とプラグマティズムの伝統があり、知識を実践に活用する傾向が強い*4 。農業国ならではの育種研究の発展は、優生学の基礎を提供した*5 。アメリカ優生学の中心となったダヴェンポートは、中流以上の白人家族を守るために優生学を利用した。優生学は、黒人と移民を排斥するための「科学」となる。

19世紀アメリカのジェンダー社会

19世紀に、アメリカはアングロ・サクソン系の中流白人家族を社会の基礎とする社会を構築する。家父長たる男性は互いに対等であり、同様の価値観を共有して勤勉で自助精神に満ち、家族は一体となって共和国のために貢献する。それは、黒人や下層民、犯罪者などの異質な部分を排除してはじめて安定的に維持される均質な共同体社会であった。男女の役割は交換不可能で、女性には次世代市民の母となることが義務づけられた。次世代市民の「質」の確保は母の責任であるとともに、一元的な共和国全体の義務とされたのである。
有賀夏紀[1998]*6 によれば、19世紀に政治・労働・家族の全分野で「アメリカ社会のジェンダー化」が進展し、「ジェンダー社会」(「ジェンダーを基軸に組織された社会」)が成立した。「19世紀のアメリカは、黒人を奴隷として、マイノリティや移民を低賃金労働者として、女性を市民や労働者の再生産者として利用することにより、白人男性支配の下に資本主義経済の発展を推し進め、市民国家の発展を成し遂げたということになる*7 」。
「政治のジェンダー化」とは、白人男性に共和国の完全市民として「フラタニティ[男性の友愛・社交組織]」たる政党に帰属することを促し、中産階級以上の白人女性には「共和国の母」としてのアイデンティティを与えた現象をさす。「労働のジェンダー化」とは、「生産=男/生活・消費=女」という性別分離、生産の場での性別序列化(男=主/女=従)、女性二分化の進展(「貴婦人」(中産階級における専業主婦)と「女工」)を意味する。「家族のジェンダー化」とは、1830年代の中産階級で生じた近代家族の成立を意味し、「近代家族の成立は家族の女性化を意味していた*8 」。
中産階級こそアメリカの社会・文化の支配者であり、中産階級的な価値観や生活様式を伝授する場としての近代家族は、「中産階級の『揺籃』」であり、「中産階級の形成は女性の仕事」とされた。「19世紀アメリカにおいて形成された『アメリカ文化』『アメリカ国民』は、ジェンダー化された家族において女性が創り出したということにもなるだろう*9 」。

アメリカにおける優生法制

アメリカでは、異質なものを排除するために、生殖への介入が正当化された。白人と黒人の性交渉と結婚は、1913年には32州で禁止されていた* 10。一部の犯罪者の生殖能力は奪われた。移民は制限された。優生学は均質な中流白人家族を守り、そのさらなる発展をはかるための学問であり、学問の実践が優生法制である。
19世紀末のアメリカでは、優生的措置は、精神障害者に対する隔離と婚姻規制、常習犯や性犯罪者に対する去勢によって実施されていた。1899年、インディアナ州感化院付き外科医シャープが若年軽犯罪者に対する断種(精管切除)を開始する。目的は、去勢という懲罰ではなく、「安全で簡便な」断種をほどこして、若者を社会復帰させることにあった。断種法成立以前に彼は400名以上に断種措置を講じたが、当初は犯罪者を念頭においていた断種をしだいに精神障害者にまで拡大する。
インディアナ州では、1905年に精神障害者やアルコール依存症者の結婚を制限する州初の優生的法律が成立していたが、1907年、シャープの働きかけにより世界初の断種法が制定された。それは、公立施設に収容された中・重度の精神遅滞者や強姦犯のうち、2人の外科医によって改善の余地なしと判断された人物に対し、低廉な費用で強制断種をほどこすことを定めた*11 。

アメリカ優生学の誕生

20世紀初頭のアメリカには、多くの優生学的組織が存在した。優生学記録局(実験進化研究所の付属施設)、優生委員会(アメリカ育種家協会の1委員会)、アメリカ優生協会、優生研究協会、ゴルトン協会、家族関係研究所、人間改良基金などである。これらはいずれも大財閥の支援を受ける民間機関であった。
優生学興隆の拠点となったのは優生学記録局(1910年創設)である。同局は、人類遺伝に関する膨大なデータを収集保管する一大センターとなった。その副所長をつとめたラフリンは主流派優生学者の一人として知られたが、熱心なナチス断種法支持者であり、反ユダヤ的立場を示した。カーネギーなどアメリカ優生学を支えた大財団は、ナチス優生学をも支援した*12 。

絶対移民制限法と断種法

ラフリンらの意図に沿い、移民国家アメリカの優生法制は、連邦の絶対移民制限法(1924年)と漸次32州で成立した断種法によって支えられた。人種差別は前者にゆだねられ、後者は障害者と犯罪者をターゲットにおさめる。アメリカ諸州の断種法は、絶対移民制限法とのいわば「分業」により、直接的には人種差別的色彩を帯びず、長く非難を免れたのである。
カリフォルニア州断種法は、1909年に成立した。アメリカで3番目の断種法である。1920年代には、カリフォルニア州断種法は、その実施件数の多さゆえに国内外で大きな注目を浴びるようになっており、ナチス断種法の重要なモデルとなる*13 。
当初は性犯罪者と累犯者の断種を念頭においていた同法は、13年改正により精神障害者や同性愛者、17年改正により梅毒患者にまで対象を広げた。州精神委員会による断種手術適否の認定、両親か後見人の同意などが盛り込まれていたが、実際には、施設監督者や医師の判断だけで断種が可能であり、本人の同意は不要とされた。軽度の精神遅滞者が被施術者の多数を占め、男女比はしだいにほぼ半々に近づいている。婚外子出生など女性の性的行動が問題視され、断種手術後に退所という手続がとられた*14 。

バース・コントロールと優生学

M.サンガー

マーガレット・サンガーが「バース・コントロール」という新語を考え出したのは1914年である。バース・コントロールは、医学界で認知を受けるまえに、優生学と結びついた。1920年代のことである。サンガーの意図に反し、男女を問わず医師たちの多くは、バース・コントロールに否定的な態度をとった。1929年、ニューヨーク州医学アカデミーは、バース・コントロールの意義をはじめて公式に認める。1936年、コムストック法の「わいせつ」対象からバース・コントロールがはずされる。1937年、全米医師会はバース・コントロールに関する教育を医学部で行う決議をする*15。

戦後アメリカにおける強制断種

1960年代以降、優生法制への批判が登場する。絶対移民制限法は、公民権法第七編の成立をうけて人種差別的として廃止され、移民国籍法(1965年)に変わる。
断種については、1962年にカリフォルニア州で断種措置をうけた知的障害者50名に対する調査報告がだされ、本人同意がとられていないこと、手術の告知もされていないことが暴露された。
しかし、60年代にはまだ反断種運動は組織化されず、1974年にようやく断種ガイドラインが断種に関するインフォームド・コンセントを定義した。しかし、ガイドライン策定まで、性的非行を犯した貧困な少年少女や刑務所に収監された性犯罪者に対して強制断種は当然のようにおこなわれていた。1970年代前半で230万件の女性断種が実施されたが、対象者はヒスパニック系や黒人に偏り、彼女たちに十分な説明をせずに子宮摘出をおこなっていたことも明らかにされた*16 。人種差別的な優生断種が合法的におこなわれていたのである。

(注)
*1  中村満紀男編著[2004]『優生学と障害者』(明石書店)第Ⅱ章「アメリカ合衆国における優生断種運動の開始と定着」232頁。トロンブレイ[2000]『優生思想の歴史』第4、7章参照。
*2  米本他[2000]『優生学と人間社会』37頁。
*3  米本他[2000]『優生学と人間社会』37頁。
*4  米本他[2000]『優生学と人間社会』17頁以下。
*5  米本他[2000]『優生学と人間社会』31頁。
*6  有賀夏紀[1998]「ジェンダー社会の成立、展開、フェミニズムからの挑戦」(岩波講座『世界歴史』)。
*7  有賀[1998]261-261,263頁。
*8  有賀[1998]277頁。
*9  有賀[1998]279頁。
*10  米本他[2000]『優生学と人間社会』38頁。
*11  中村『優生学と障害者』表Ⅱー2ー1、3、4(88、100-101、106ページ)、108、111ページ。トロンブロイ『優生思想の歴史』84ページ以下。米本他[2000]『優生学と人間社会』34ー35ページ、Kuhl[1994],The Nazi connection(キュール『ナチ・コネクション』43ページ)。
*12  ラフリンは、ナチスの断種プロパガンダ映画『遺伝病』のアメリカ上映に尽力した。Kuhl[1994],The Nazi connection(キュール『ナチ・コネクション』94、134ページ)、トロンブロイ『優生思想の歴史』第7章。
*13  1921年までのアメリカ全土で実施された不妊化手術のうち、カリフォルニアのものが8割近くを占めた。中村『優生学と障害者』表Ⅱー3ー4、5(170ー171ページ)。
*14  トロンブロイ『優生学の歴史』85ページ以下、中村『優生学と障害者』192ページ以下。
*15   荻野『生殖の政治学』146頁以下。
*16  トロンブロイ『優生学の歴史』270ー271ページ、第11章。

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