【史料・解説】オーストリア一般民法典(1811年)

三成美保(初出:三成他『法制史入門』、一部加筆修正)

解説

Carl_Anton_von_Martini

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1811年公布(1812年施行)の「オーストリア一般民法典」により、後期自然法=啓蒙主義時代の立法活動はおわりをつげた。オーストリアでの法の統一は、すでに1671年に、ライプニッツによって提案されていた。しかし、法典編纂が本格的にすすむのは、18世紀後半以降のことである。マリア・テレジア(位1740-80)のもとでの「テレージア法典」草案(1766年)、ヨーゼフ2世(位1765-90)のもとでの「ヨーゼフ法典」(1787年)という予備的草案と部分的成果をへて、1790年と1797年に設置された委員会で法典編纂が完了する。

一般民法典は、ヨーゼフ的啓蒙主義と合理的自然法に立脚している。1790年設置の委員会を指導したのは、ヴィーン大学の自然法教授マルティーニ(1726-1800)であった。かれは、予備諸草案にみられた普通法的伝統を自然法にとってかえた。1797年に新設された立法委員会の委員長は、マルティーニの弟子ツァイラー(1751-1828)である。かれは、多数の細目的規定、編別、非私法的条文の排除など、一般民法典にもっとも大きな直接的影響をあたえた。

Franz-v-Zeiller

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一般民法典は、法文の明快さや簡潔さの点では、コード・シヴィルにおよばないものの、プロイセン一般ラント法とは対照的である。一般ラント法の規定がじつに詳細で、具体的・個別的であるのにくらべ、一般民法典はひたすらもっとも本質的なことだけの規定にとどめようとしている。また、ふたつの法典とはちがって、判例と学説による法発展の余地をのこすなど、柔軟性を特徴とする。簡潔性・柔軟性の点でひいでた一般民法典は、条文全体のおよそ18パーセントにものぼる3度(1914、1915、1916年)の部分的改正法により近代化される必要はあったけれども、現在もなお通用しているのである。

当初の一般民法典は、1502条で、序編と3つの編からなっていた。第1編は、家族法をふくむ人事法、もっとも分量の多い第2編は、物権と債権をふくむ広義の物権法、第3編は、人事法と物権法に共通する権利義務の変動・時効を定めている。一般民法典は、かつてのオーストリア・ハンガリーの領域をふくめ、周辺諸国に継受され、一定の影響をおよぼした。

≪オーストリア一般民法典の構成≫

 史料

Allgemeines bürgerliches Gesetzbuch für die deutschen Erbländer – der oesterreichischen Monarchie – I.Theil(Universitätsbibliothek Graz – 27.8.2003:グラーツ大学図書館・デジタル史料)全文(ドイツ語)→http://www.literature.at/viewer.alo?objid=11585&page=1&viewmode=overview

第1編「ひとの法」第2章 婚姻法(44~136条)

第44条 家族関係は、婚姻契約によって創設される。婚姻契約では、性を異にする両名が、永続的な共同体で生活し、子をもうけ、それを養育して、互いに助け合うという双方の意思を法律に則って宣言する。

第58条 婚姻後に妻がすでに他男の子を妊娠していることを知ったならば、第121条に該当する場合を除いて、夫は婚姻無効の宣言を要求できる。

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オーストリア一般民法典:婚姻法(クリックすると拡大)