【特論5】アフリカ社会とジェンダー

【特論5】Ⅰー③ メルヴィル・J・ハースコヴィッツ 「ダホメーにおける『女性婚』に関するメモ」
      Melville J. Herskovits, A Note on ‘Woman Marriage’ in Dahomey, Africa vol 10, no.3, 1937

 北部および南部ナイジェリア、イギリス=エジプト共同統治領スーダン、南アフリカ連合といったお互いに近接していない地域における「女性婚」に関する報告は、これまで記録されなかった同様の制度が他にもあるかもしれないという可能性を示唆している。それゆえ、本稿の目的は、1931年に収集したデータから、ダホメーで行われている「女性婚」の形態を提示することによって、この社会的組織への関心を引き出すことにある。そうすることによって、この種の結婚を許容している社会組織に対する理解が促進されると同時に、この制度に対して示される反応のいくつかをも紹介することができるだろう。

 ダホメー人による女性と女性との「結婚」について詳しく述べる前に、これまでの研究について紹介する必要があるだろう。それによって、読者は比較が可能となるからである。最初の引用はMeekのもので、北部ナイジェリアの事例である。

 「Yoruba, Yagba, Akoko, Nupe, Gana-Ganaといった共同体には、古来からの奇妙な風習が存続している。つまり、女性が他の女性と通常の婚姻を行っているのである。Osi districtでは、不妊女性が若い女性と正式に結婚し、その女性に子供を産ませるために夫を提供するのである。ちょうど、サラによってハガルがアブラハムに与えられたように。しかし、このタイプの結婚の中でも驚かされる事例は、通常の結婚をしていようといまいと、富裕な女性が若い女性と契約し、彼女にcicisbeoへの接近を許し、その結果生まれた子供を「女性夫」のものとするというものである。これは、Yoruba, Nupe, Akoko, Gana-Ganaの間でよく見られる慣行であり、「女性夫」は彼女の若い「妻」と関係を持つ男性に報酬を与えるのだ。彼女がcicisbeiからfarm-serviceの贈り物を徴収する場合もある。結婚のすべての儀礼はこうした女性婚においても観察され、婚資が若い少女の父親に支払われることすらある。離婚に関しても通常の慣行が適用される。合法的な「夫」は彼女の「妻」を離婚し、婚資を取り返すことができるし、もし、若い女性が他の男性と駆け落ちした場合には、彼女が産んだ子供たちを自分の子供とすることができる。女性婚は好ましくはないとは見なされておらず、首長層でさえ、娘たちが女性婚をすることを認可している。」(注:C.K.Meek, The Northern Tribes of Nigeria, vol.i,pp.209-210)

 Talbotは、南部ナイジェリアのIboやKalabari社会でもこうしたタイプの結婚が行われていると次のように報告している:

 「結婚の方法については、首長のGabriel Amakiri Yellowが次のように述べている。不妊という不幸を背負った富裕な女性は、しばしば彼女自身の妻を娶る。彼女はこの女性を夫か彼女の親族の男性に与えるが、決して親族以外の男性には与えない。子供を産めなくなったIboとKalabariの女性は、しばしば奴隷を購入して夫に与えている。これも合法的な結婚と見なされている。その理由は、もし不妊女性の夫が死んだ場合、彼女に遺産の相続権はない。しかし、もし彼女が女性婚をしているならば、遺産は彼女の「妻」の子供が相続できるのだ、と。」(注:P.A.Tablot, Tribes of the Niger Delta, pp.195-6。Tablotは同様の結婚についてThe People of Southern Nigeria, vol.iii,p.431,439,441でも手短に報告している。つまり、Ibo社会では、こうした制度がしばしば売春の形態へと貶められることがあるが、それは単に投資の方法であり、「妻」はいろいろな男性に貸し出され、その対価が支払われるだけなのだ。子供が生まれたら、子供は女性夫に所属することになる、と。)

Seligman教授とその夫人は、女性婚はDinka社会にも見られたとつぎのように報告している。 

 「Captain O’Sullivanは、死亡した夫のために種を育てるという寡婦の義務は子供を産むことに限らないことを発見した。通常、寡婦は夫の兄弟もしくは後継者と同居するが、年配の寡婦は少女と「結婚」し、彼女の子供が死亡した夫の子供として計上される。そのような事例を2つ、われわれはCic人の社会で記録できた。どちらも最近の事例ではなく詳細は記憶されてはいないが・・・。

 ・Ajak村のPacobクランのLiwelが年配の寡婦とかなりの遺産を遺して死亡した(われわれのインフォーマントは、彼に他の妻がいたかどうか知らなかった)。この寡婦は少女を購入し、その少女が死亡した夫の兄弟との間に息子をつくった。

 ・Kokと呼ばれる男性が3人の娘を遺して死亡した。彼のために(おそらく娘の一人によって)妻が購入され、彼女が産んだ子供たちがKokの子供と認知された。(注:C.G.and B.Z.Seligman, Pagan Tribes of the Nilotic Sudan, pp.164-5; Meekも上記の著書の中で、Dinka社会におけるこうした慣行に言及している。)

教授はNuer社会における同様の慣行も記録している。 

 「Dinka社会と同様、牛を所有している子供のいない寡婦は家族の「父親」と見なされ、妻を購入し、子供を産ませるために雌牛を対価として男性を雇うことができる。Miss Souleは、この方法によって一大家族を築いたGaanwang人の富裕な女性を知っていると記している。彼女が購入した妻たちのうちのひとりが子供を連れて家を出たが、成長すると「父親」のもとに戻っていった。その理由は、この息子は、「父親」が彼の婚資を支払う義務があると考えたからである。(C.G.and B.Z.Seligman, 前掲書 p.221)

 トランスヴァール北部のBavenda社会の女性婚については、Staytが次にように書き記している。

「ロボラ(=婚資)制度で妻を手に入れる慣行の実施者は、男性に限らない。財産さえあればどんな女性でも男性とまったく同じ方法で妻を娶ることができるのだ。ただし、貧しい人びとの間では一般的ではなく、支配層の間では珍しいことではない。必要な富を入手することが可能な首長や呪術師といった権力的な地位に就いている女性は、たとえ自分自身は通常の結婚をしているにもかかわらず、この方法で妻を入手する。自分の家に3人ほどの妻を抱え、夫に彼女たちとの性交渉を許している。こうした妻たちは、サーヴァントの地位に置かれ、下働きを強いられている。子供を産ませるために、彼女たちには男性が与えられるが、ロボラを支払ってはいないので、男性には生まれた子供たちへの法的権利はない。このような状況においては、自分自身の子供たちによって母親と呼ばれている女性が、一方で彼女がロボラを支払った女性の子供たちには父親と認知されるという異常事態が起こることになる。

「・・・ロボラを支払って妻を娶った女性は・・・彼女自身の家族を構築することがあり、その場合、家族の長として後継者を必要とする。彼女が死亡すると、第一夫人の長男が、通常の父親が死亡した時と同じ方法で、跡継ぎとなる。もし第一夫人に息子がおらず娘だけの時、この娘が他の母親の息子たちに優先して遺産相続人となり、兄弟に妻たちを娶ってやるのは、この娘の義務となる。しかし、この娘の死亡時に遺された牛は、この娘の末っ子に相続される。もしこの娘に子供がおらず、未婚だった場合には、この娘の父親の第二夫人の長男が相続人となる。この娘が通常の結婚をして息子をもうけ、同時にロボラを支払って娶った女性が産んだ娘がいる場合、この息子と娘は結婚することになっている。」(Hugh A.Stayt, The Bavenda, pp.143-4; p.170)

  ダホメー人の結婚には、13もの異なる形態がある。それらは2つの形態に大別される。ひとつはakwenusiと呼ばれるもので、その意味はwoman-with money。結婚費用は夫側から花嫁の父に支払われる。もうひとつは、xadudoと呼ばれ、その意味はfriend-custody。そこでは、こうした支払いは行われない。別の言い方をすれば、前者の場合は生まれた子供は父親の支配下に置かれる形態であり、後者の場合は母親が子供への支配権を保持している婚姻形態である。興味深いのは、他の女性と結婚する女性は、ひとつ目の通常の結婚の際に要請されるすべての支払いや義務を果たさなければならないが、こうした結婚の精神はノーマルな手続きとみなされるにはあまりにも規格外なため、結婚のタイプについて議論したダホメー人はすべて、この形態を、法的に厳密に言えばひとつ目のカテゴリーに分類すべきところを、むしろふたつ目のカテゴリーに分類したのである。

 この結婚の形態にはgbcsu dono gbcsi,、つまりgiving the goat to the buckという意味の名称が与えられている(注:A. Le Herisse, L’Ancien Royaume du Dahomey, pp.210-11は、この結婚の形態をこう命名しているが、彼の議論は、avcnusiと命名されたxadudo=woman-woth-clothのカテゴリーのタイプと混同している。それは、王女が若い女性を妻として男性に与えるタイプの結婚である)。この結婚が平民の間でおこなわれるのは稀である。しかし、高貴な上層階級の家族ではひんぱんに行われている。相手は平民の少女、もしくは奴隷で、しばしば女性の友達の役割を演じる(注:Le Herisse, 前掲書は、この形態の結婚はかつてはよく行われていたが、ヨーロッパ人の支配下で行われなくなっていると主張している。この主張はいささか疑わしい)。この結婚は、自立した女性がしばしば富を所有しているという事実に直接的に基盤をおいている。経済的に自立しているが、かならずしも性的に無分別ではないという意味で「自由な女性」としてダホメー人によって語られるこのような女性は、結婚後も生産的活動に従事し続ける。彼女は農園やパーム園を所有し、彼女が望めば自分のコンパウンドを構築するための資源を集め、その「始祖」に自分自身がなる可能性を持っている。そうするために、子供たちが成長した暁には、コンパウンドを維持し、その存続のために必要な子供たちを、彼女自身が支配することが必要なのである。それゆえ彼女は他の女性とakwenusiの「結婚」をするのである。このことは女性夫と妻との間のホモセクシュアルな関係を意味しない。ただし、時には、財産を相続したり、経済的に成功したレズビアンの女性が、自分のコンパウンドを建て、同時に性的な満足を得ていると疑われない事例もないわけではない。

すでに述べたように、資産家の女性が他の家族の少女を「妻」として迎えることを了承されると、彼女はあたかも男性であるかのように、この結婚に必要な婚資や贈り物のすべてを負担する。そして自分の家の近くに家を建て、そこに若い女性=妻を住まわせる。彼女はこの若い女性の夫と見なされ、実際、「夫」と呼ばれる。彼女は、知り合いの男性の中から、もしくは彼女の夫の親族の男性の中からひとりを選んで、自分の「妻」に「与える」(注:少女は「夫」の実際の夫に与えられることも可能性としてはあるが、そうした事例は報告されていない。)選ばれた男性は、好きな時にやってきて少女と一緒に過ごして良いと言われるが、自分のコンパウンドに連れて行ってはいけないことになっている。男性は少女の両親にも少女の「夫」である女性にも、いかなる義務も負っていない。結婚に伴うすべての義務は少女の「夫」によって遂行され、この「夫」の行為は彼女の「妻」の産んだ子供によって償われることになる。
 こうして、このタイプの結婚がなぜそう呼ばれるかが明らかになる。次のダホメー人の説明より簡潔なものはないだろう。「ヤギが大きくなると、どの雄が妊娠させたかを聞く人はいない」。

 このような方法で女性は自分の「家」をつくることができるのだ。可能なら、数人の少女を妻とすることもできる。そして子供を産ませる。その結果、彼女のコンパウンドの人口は増加し続ける。家主が死ぬと、屋敷は長男と長女の2人に分与される。相続した長男は母親のコンパウンドの少女たちの面倒を見ることになる。一方、長女は少年たちの面倒を見る。子供たち同士は、結婚せねばならない。彼らは生物学的には異なる血族の父親と母親の子供であるから、近親相姦の規律には違反しない。こうして、母親によって構築された屋敷の娘たちを支配する男性継承者は、彼の「法律上の息子たち」の労働から恩恵を受けるのである。ただし、こうした結婚から生まれた子供たちは、女性の継承者の支配下におかれることになる。その理由は、これらの男性が責任を負うのは彼女に対してだからである。この第一世代のあとは、長女から長女へとコンパウンドの創始者の名前が継承され、彼女が家長を引き受ける。通常の結婚によってコンパウンドが造られ、それが大きくなりすぎると分割され、その結果、拡大家族が形成されるが、女性によって創設されたコンパウンドは決して分割されることがない。いかに大きくなろうと、もしくはいかに大人数になろうと、単一のユニットのままなのだ。

  このような女性のコンパウンドの創始者に嫁いだ少女たちの子孫の結婚は、常に、母親の性交相手と同じカテゴリーに置かれる。こうした少女のひとりが結婚し、彼のコンパウンドに連れて行かれるということが時には起こるが、彼女の子供たちへの支配権は彼女の実家の家長に与えられる。というのは、さもないと集団の人数を維持するために必要とされる子孫を失うおそれがあるからである。ダホメー人の生活のすべての面において、人数の問題は重要であり、コンパウンドを引き継いだ家長は人数を増やさねばならない。それゆえ、新しい女家長は、彼女の母親が行ったと同じやり方で「妻」を入手するだけでなく、前任者より多くの「妻」をコンパウンドに抱えることに執着する。それが、新しい女性の家長のプライドをかけた課題なのだ。こうした新しい花嫁はakwenusiとして集団に入れられるが、しかし女性の「妻」であるため、akwenusiとして男性と結婚することはありえないということを確認しておかねばならない。

 ある世代がコンパウンドの長を継承すべき娘を産めなかったということが起きると、長男が家長として指名される。しかし、彼は女性の創始者の名前を名乗らねばならない。彼の息子たちは後継者になれるが、それ以外では、コンパウンドに関する規律がすべて適用される。先祖崇拝の儀礼においても、その崇拝の対象となるのは女性の創始者である。コンパウンドが統制できないほど大きくなると、男性の家長は、自分の統制下にある少女がコンパウンドの外にでることを許すが、彼女の子供たちは、すべて彼の支配下に置かれる。彼は、通常の仕方で婚資を義父に支払って結婚できるが、同居しないakwenusiの「妻」も娶ることができる。こうした事例においては、彼は、息子たちを「妻」に与えねばならない。また、彼の管轄下にある少女の父親が他の血筋のものであるがゆえに、父系の原則が適用され、彼が望めば、こうした少女を自分の妻とすることもできるのである。

以上が、ダホメーで行われている「女性婚」(woman marriage)の制度である。この制度の背後にある動機―権威prestigeと経済力economic powerへの願望―は、ダホメー人の生活のあらゆる側面においてダホメー人の行動を規定している思考と基本的な力学の支配的パターンを反映している。残るはひとつの疑問である。このような「結婚」をしている人びとyや「雌山羊を雄に与えるgiving the goat to the buck」結果生まれた子供に対する態度はいかなるものか?このような「夫」がコンパウンドを創設すること、もしくはその後の世代がそのコンパウンドの長になることは、きわめて望ましいことと評価される。そのような女性は、彼女自身のコンパウンドのメンバーのみならず、ダホメー人一般からも尊敬されている。こうした女性は富裕層に属し、支配できる大勢の家族を抱え権力を持つゆえに、人的・物的資源をほしいままにできるダホメー人と同じように、権威の源となるものを持っているからだ。「妻」に関して言えば、彼女たちは性交を許されるいくつかのタイプのうちのひとつの集団に属していると見られているに過ぎない。彼女たちは、社会的に好ましくない存在としての軽蔑の対象ではない。なぜなら、もし、彼女たちの運命が社会的に好ましくないとしたら、未来の「夫」が家族によって歓迎されるかどうかは疑わしくなるはずだからである。こうした「妻」の娘たちは、他の女性の「妻」となり、息子たちは他のダホメー人男性の地位と何ら変わらない社会的地位を確保する。「雄」の役割をする男性に対する態度はどうなのか?男性が、こうした条件のもとで女性と関係するよう説得される必要があるのかないのかと問われた時、ダホメー人が見せる唯一の反応は、このような考えはせいぜいのところ面白がられる驚きのひとつだった。「妻」と性交するために男性を呼び込んだ女性は彼を大事にするというのが変わらぬ返事だった。そして、一夫多妻という伝統を持つダホメー人の男女関係のパターンを考えると、これは奇妙なことではない。というのは、この制度は、男性が単に性的満足を得られる追加的な女性を所有できるのみならず、より重要なのは、何の対価もなく彼女を入手でき、彼女や生まれた子供に関するいかなる責任からも免れていることを意味するからである。(翻訳:富永智津子)

 

【参考資料ー最近のアフリカ人女性研究者による女姓婚再考ー概容】

 Oyeronke Oyewumi(ed.), African Gender Studies: A Reader, Palgrave Macmillan, 2005

 Preface by Oyeronke Oyewumi

 ・アフリカ研究におけるジェンダーの問題は認識論の問題でもある。というのは、ジェンダーの概念カテゴリーはその起源、成り立ち、表現において西欧文化と結びついたものだからである。ジェンダー・カテゴリーの輪郭は、社会に関する西欧的思考の生物学的基盤から生まれた。「西欧の社会的カテゴリーの文化的論理は、生物学的決定論というイデオロギーを基盤としている。つまり、生物学が社会組織に合理性を提供しているという考え方。」このような社会の概念は普遍的なものではない。

・逆説的に、ジェンダーは社会的に構築されたものであると宣言されているが、支配的な言説で使用されている方法は、生物学的決定論のカテゴリーであることを意味している。ジェンダー研究者はアフリカを研究していても、その疑問や関心は、欧米での経験を基盤としている。

・にもかかわらず、ジェンダーの用法は、アフリカ研究における分析カテゴリーとして広まっている。しかし、Amadiumeらの研究が明らかにしているように、ジェンダーの概念は、もしアフリカ文化を意味あるものにしようとするなら、額面通りに受け取ってはならない。「女性」というカテゴリーは「ジェンダー」と同義語として使用され得ない。例えば、「妻」と「夫」のカテゴリーは「男性」と「女性」に対応するものではない。

・第二に、いくつかの社会的役割は社会的に構築されたものであるが、アフリカにおけるジェンダーの議論ではそれがただちにセックスやセクシュアリティと関連付けられるものではない。西欧での支配的な女性研究では、ジェンダーとセクシュアリティはほとんど同じで、ジェンダーといえばセクシュアリティについての議論がなされる。アフリカの場合はそうではない。社会的役割と性的役割は別であると理解されている(訳者注:例えば、「母の役割」と「子どもを生む役割」は別。子どもを生むから「母」なのではない)。

他の論文でのオウェウミの主張

「植民地時代以降、ヨルバ史は伝統をジェンダー化することによって再構築された。男性と女性が社会的カテゴリーとして創造されたのである。そして、男性によって支配された歴史が提示され、女性はいないものとされ、もしいたとしても例外扱いされた。」

Chap.9. “Revisiting Woman-Woman Marriage: Notes on Gikuyu Women”  By Wairimu Ngaruiya Njambi and William E. O’Brien 

・女性婚が行われている地域:西アフリカ、南部アフリカ、東アフリカ、スーダン

インタヴューの対象者8名;場所 ケニア、ギクユの農村部

・女性婚のイニシエーター(求婚者)=結婚時:中年、30代2人;学歴は相対的に高い

求婚を受け入れた女性=結婚時;20~30歳代(結婚時);学歴は求婚者より低い

⇒求婚者の生業;農業・商店経営・行商・ミニバス業

・結婚のプロセスは異性婚と同じ(女性婚に相当するギクユ語はない)

⇒キリスト教会は女性婚を認めていないので、慣習婚。

⇒女性と結婚したい女性は、キアマ(長老会)をとおして、あるいは自分からその旨を公表して公募する。候補者があら

われ、同意されると友人や親戚が贈り物を交換する。花嫁が移動する時に両親族の長老による儀礼が行われる。

・欧米の一夫一婦婚の永続性が「正常」であるとの暗黙の刷り込みの中で、こうした婚姻は不道徳だとか、病的だとかの刻印をおされがち。異性婚の社会では、父親が必要とされているから。女性婚はこうした規範への挑戦。

⇒女性婚において、イニシエーターを“female husband”とみなすのは間違っている。

女性婚において、片方が男性の役割を行うわけではない。

⇒マリノフスキー(1930)「子どもに社会的地位を与えるためには、社会的に認知された父親が必要」←女性婚では、父親は重要ではない。調査対象の8組の女性婚のうち6組は、恒常的な男性パートナーはいない。生物学的な父親が公表されることもない。男性は友人、あるいはセックス友達、あるいは子どもが欲しい時・・。一緒に住むことは考えていない。

・「家族」も永続性があるものとは考えられていない。

・女性婚の多様性。

(事例)

Kuhi(妻) = Huta(夫) =Kara(第二夫人)

Wamba(Kuhiの妻)  *WambaはKuhiの子育てを手伝う。他の男性と関係をもつことは自由。

Wambui(Wambaの妻)

こうした婚姻形態はギクユの社会では受け入れられている。

・恋愛感情があるかどうかは不明。可能性は開かれている。
(アフリカの結婚には「愛」などはなく、利害関係のみという欧米の偏見あり) 

<Beyond common explanation> 

【これまでの文献に登場する説明】

⇒不妊女性が子どもを確保する手段(Evans-Pritchardのヌエルの民族誌、1951; LangleyのNandiの事例1979; LeakeyのGikuyuの事例1938 etc.)目的は、男系の名前(リネージ)と財産を子ども(男子)に相続させるため。

(例)ギクユの事例

・老齢のため子どもを産めない妻で、義弟や異母弟や息子がいない場合
・子どものいない寡婦
・不妊の妻

<批判>ギクユの女性婚はもっと多様。上記の理由に加えて:

・寂しさを和らげる目的
・死後、自分を記憶してほしいため
・家族の活性化のために子どもを確保するため
・土着の精霊信仰に沿った社会的義務を果たすため
・家父長的権威による支配からの解放を求めて(行動の自由)
・女性の同盟的実践として

(事例)Ndutaの女性婚は、彼女と死亡した夫の母(義母)との共謀。3人の息子も夫の土地を狙っていた夫の親族によって毒殺され、娘がひとりだけ残っていた。その親族から土地を守るために女性婚を薦めたのは義母。ギクユ社会では女性の土地権はきわめて薄弱だが、女性の人数が増えれば土地への権利が倍増する(Mackenzieもこのような事例を報告している 1990)。

*ギクユの土地法は伝統的慣習法(サブ・クランの長老が管理)と近代的な個人所有の二本立ての中で、女性の権利が侵害されている。

(事例)Ndutaの娘Cekeの場合

Ceke   =   Ngigi(夫)
↓             ↓
↓   Wahu(娘)6人の子持ち

Ngware(Cekeの女性婚の妻)
CekeはNgwareが夫Ngigiとの間で子どもをつくってくれるかもという期待をもった
が、子どもが生まれると、子どもとともにCekeの元を去った。

Wahuは、母親との間で、彼女自身が去っても子どもは残すことを約束。

⇒女性婚の目的のひとつ=男性支配からの相対的な自由の獲得。
⇒ギクユの女性婚の目的は、従来の研究で指摘されてきたよりもっと多様であり、政治的・社会的・経済的・個人的なもの。

<Rethinking “female husband”>

Evans-Pritchard, Seligman, Herskovitsらはすべて、「女性夫」をジェンダー化された特徴と結びつけている。最近ではOboler(1980)がナンディの事例として「私は男性だから、頭に物を載せて運ばない。私は男性だから、女性の仕事はしない」という聞きとり情報を紹介している。
しかし、LoveduやYorubaなどの社会では、男性も女性も夫となることも妻になることもありうる。夫が男性で、妻が女性とは限らない。夫の役割は男性でも女性でも可能。男性性と女性性は、西欧社会のように明確に定義されたカテゴリーではなく、きわめてあいまいな概念。

⇒残された課題:女性婚の頻度―ケニアのリフトバレーのNandi社会では3%(1980)
:女性婚の歴史的変遷
ギクユの母系制は17世紀中葉に父系に変化=女性婚は母系時代の名ごりか?
:ケニアのカトリック教会のガイドラインに、女性婚の禁止条項あり。
:ナイジェリアでの世論調査の結果あり
246人のイボ人女性の93.5%が女性婚を認めなかった←明らかにキリスト教の影響。おそらくギクユ
でも同じように、キリスト教の影響で女性婚を不道徳だと考える人は増えている。

⇒世間の風当たりは厳しくなりつつあるが、女性婚は秘密ではなく、一般の結婚と同じように慣習に則って行われている。

⇒女性婚に関するフェミニストの沈黙は別の問題。
・西欧の文脈から生まれた善意のフェミニストは、しばしば問題の多い方法で「第三世界の女性たち」を代弁
してき た。ひとつの一般的見解は、社会は女性の抑圧からの解放にむけての進化論的段階を経過してき
たと いうことを示唆 する単線論的女性解放の見解である。その背景には西欧のフェミストは大いなる進
歩を遂げ、 「第三世界の女性た ち」はまだ明らかな抑圧の中にとらわれているという見方がある。その
結果、第三世界 の女性たち―これ自体が問題 の多いカテゴリーなのだが―は、低開発、抑圧的伝統、
非識字率の高さ、農村 と都市の貧困、狂信的な宗教、人口過 剰」といった用語でフェミニストたちに
よって描かれる。このような 単線的な見解は、多くの場合、ここで示した女 性婚のような女性のエン
パワーメントの長い歴史や抵抗の歴 史を無視している。

・女性と結婚することによって、ギクユ女性たちは日々の生活を支配している男性の権力を動揺させている。
彼女たち の物語は土地や物質的資源をめぐる闘いで始まるかもしれないが、愛と子どもと性的自由と脆さと
エンパワーの物語 でもある。こうしたすべての「内部破壊」がアフリカの女性達の物語をユニークなものと
しており、西欧のフェミニ ズムによって操作されないユニークなフェミニズムの実践を探し求めているフェ
ミニストを惹きつけるのである。