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【現代アフリカ史1】ジェンダー平等とアフリカ

【現代アフリカ史1】ジェンダー平等とアフリカ(富永智津子)

掲載:2015.09.24 執筆:富永智津子

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撮影 武田(三浦)徳子

21世紀の目標のひとつはジェンダー平等である(→【総論8】国際社会における21世紀の課題ージェンダー平等に向けて(三成美保))。ジェンダー平等を推進しようという国際的な動きは、国連総会における1967年の「女性に対する差別撤廃宣言」の採択にさかのぼる。これを受け、1972年に「国際女性年」が国連総会で決議された。その目標は、男女平等の推進、経済・社会・文化への女性の参加と国際平和への女性の貢献である。1975年の「国際女性年」と「国連女性の10年」は、この目標の達成をめざして設定された。1979年に採択された「女性差別撤廃条約」は、こうした一連の動きの集大成である。2015年現在、アフリカ53か国が加盟ないし批准している。そして、2000年に国連ミレニアム・サミットで採択された「ミレニアム開発目標」(MDGs)には、目標のひとつとして「ジェンダー平等推進と女性の地位向上」が掲げられた。(⇒*【国連③】ミレニアム開発目標(2000年))さらに、2015年の国連総会で決められた2030年までの15年間で取り組む行動計画「持続可能な開発目標」(SDGs)には、「貧困撲滅」とともに「ジェンダー平等」を含む17項目が掲げられた。

こうした動きを受け、アフリカ統一機構(OAU)は、2001年に「アフリカ開発のための新パートナーシップ」(NEPAD)を採択し、具体的に農民女性や女性企業家への優遇策などを提示した。さらに、2009年にはOAUの後身であるアフリカ連合(AU)によって「ジェンダー政策」が打ち出され、2010年からの10年を「アフリカ女性の10年」と定めている。

また、「ジェンダー・サミット5」(⇒【特論17】Gender Summit 6(2015年8月)に参加して(小川眞里子))が2015年にケープタウンで開催され、エイズ問題も含め、「科学研究とイノベーションによる貧困の軽減と経済的エンパワーメント」という主題をめぐって、国際的な議論が展開された。

しかし、MDGsに関する2014年の国連の達成状況に関する報告によれば、サハラ以南のアフリカ諸国が、期限とされる2015年までに達成可能とされるのはHIV/エイズの防止のみであり、ジェンダーや女性に関する領域はすべて達成の見込みなし、となっている。

一方、世界経済フォーラムが発表している2014年度のジェンダー・ギャップ指数(→【解説】ジェンダー・ギャップ指数(三成美保))による142か国の国別順位によると、アフリカではルワンダが7位、ブルンジが17、南アが18位、そして、モザンビークの27位、マラウィの34位、ケニアの37位などがそれに続いている。この調査では、「経済活動への参加と機会」「教育」「健康と生存」「政治への関与」の4つの分野での男女格差を測定しており、アフリカは北アフリカを含めて29か国のみがリストアップされている。ちなみに、1位から5位には北欧諸国がランクインし、世界第1位の国内総生産(GDP)を誇るアメリカはブルンジより下位の20位、2位の中国はタンザニアやセネガルより下位の87位、3位の日本は104位(1915年速報では、政治領域への女性の参加の改善により101位)となっている。アフリカの15か国が日本より上位に入っていることも注目したい。しかし、一人当たりのGDPでは、ルワンダは142位、南アは33位、ケニアが74位などとなっていることを見ると、むしろ、「豊かさ」を平等に分けあっているランキング上位の国の中に、「貧しさ」を平等に分けあっている国が入っているという実態が見て取れる。問題なのは、GDPが大きい国で、ジェンダー・ギャップのランクが下位の国なのであろう。日本はその典型である。貧困を克服できないアフリカ諸国の中で、軍事費のGDP比率がきわめて高い国が存在するのも問題だ。いずれにせよ、一部の国が高位にリストアップされているとはいえ、全体として、アフリカ大陸における国際基準にもとづくジェンダー・ギャップ指数が低位にとどまっている現状は否めない。

アフリカにおいて、ジェンダー平等の国際基準が達成されない背景には、さまざまな制度や慣習がジェンダー平等を阻んでいるという現実がある。たとえば、家父長的社会構造や男尊女卑の文化、あるいは女性の相続権や所有権を制限している慣習法などである。婚姻制度も、多民族社会の現状を反映して、複数の婚姻制度(市民婚、慣習婚、宗教婚)が法的に認可される一方、多様な婚姻形態(一夫多妻、レヴィレート、亡霊婚、女性婚など)の慣行を容認している国も多い。問題は、その中に男性に有利な制度や形態が多いことである。変革を求めるアフリカ人女性とそれを支援する国際社会の取り組みにもかかわらず、FGM(「女性性器切除」、「女子割礼」とも)「幼児婚」の慣習もまだ続いている(⇒【エッセイ】アフリカ事情雑感⑤「女子割礼」(富永智津子))。

さらに、もう3点、ジェンダーに関わるアフリカ社会の問題を指摘しておきたい。性暴力とウィッチ(妖術)、そして、性とセクシュアリティの多様性の否定である。性暴力に関しては、男児もその標的になっているが、その圧倒的多数は女児であり女性である。国連は、1993年、ユーゴ内戦時の性暴力をきっかけに「国際裁判法」(Statute of the International Tribunal)を採択、歴史上はじめてレイプを独立した訴因として認め、それを「人道に対する犯罪」と認定した。だが、アフリカにおいては何万人ともいわれる戦時性暴力の犠牲者が、それ以前から生み出されており、21世紀に入っても増加の傾向をたどってきた。2015年現在、内戦や紛争の鎮静化にともない、犠牲者は減少していると思われるが、南スーダンの内戦やナイジェリア北部のイスラーム過激集団の跋扈などにより、予断を許さない状況が続いている。ウィッチに関しては、タンザニアやモザンビークが東アフリカのメッカとされており、ケニアなどから、呪薬の調達や呪術の訓練に訪れる呪医も多いという(浜本満、2014:39)。タンザニアのNGO団体「法と人権センター」(Legal and Human Right Centre、1995年設立)によれば、そのタンザニアで、ウィッチと名指しされて殺された人は、2006年から2011年の5年間、毎年500人以上にのぼり、そのほとんどが年配の女性だったという。同様な事態が、経済の破綻した1990年代のザンビア東部地域でも起こっていたことが報告されている(近藤英俊「瞬間を生きる個の謎、謎めくアフリカ現代」61頁)。そして、セクシュアリティの多様性を認めて同性婚を法的に公認しているのは南アフリカ共和国のみであり、同性愛を犯罪扱いとしている国は35か国(女性の同性愛を除外している国8か国を含む)にのぼっている。

女性を取り巻く現象は、世界各地で驚くほど共通している。家父長的社会構造や男尊女卑は、日本でもつい70年前の現実であった。しかも、法的に解決しても、内面化された価値観は残存し続けている。この内面化された価値観が、ジェンダー平等を阻んでいる元凶だとしたら、ジェンダー平等を達成するには、世界各地域のジェンダー関係の歴史的変化の実態を具体的に解明する必要がある。しかし、アフリカのように、アフリカ人自身の書き残した歴史的記録がない状況下では、その実態を押さえることは難しい。だが、ひとつ方法がある。社会(文化)人類学者やミッショナリーが書き残した過去の調査報告を、なるべく客観的な事実関係に注目しながら、ジェンダー関係に歴史的変化を促した契機を読み取るという方法である。

ここでは、1926年にアフリカの言語と文化に関する研究を目的としてロンドンで創設された「国際アフリカ協会」(International African Institute)の機関誌『アフリカ』(Africa:1928~:年四回発行)に掲載されている諸論文を「史料」として使用してみたい。とりわけ、1920年代~40年代の論文には、ヨーロッパ人の宣教師や社会人類学者の関心を反映して、宗教や婚姻、あるいは女性の地位や労働に関する情報が盛り込まれている。婚姻の慣行に関する論文が多いのは、植民地経営に必要な労働力の再生産を維持拡大するために必要な知見の収集だったことは確かである。しかし、そこに、歴史の史料として使える客観的データが含まれていることもまた確かである。しかもこの期間は、地域によっては、植民地化の影響や宣教師の活動が内陸に浸透しはじめた時期にあたっており、植民地化によるアフリカ社会の変化を垣間見ることができる。この断片的な情報のその後の変化と展開を補うものとして、あるいは類似の制度を持つ他の民族との比較情報として、1980年代以降の日本の文化人類学者のフィールドでの成果の他に、歴史学の文献などを随時参照する。したがって、表題の「アフリカ史100年」とはおよそ20世紀の100年を指している。

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