*軍事性暴力小史(富永智津子)

【エッセイ5】軍事性暴力の世界史①~⑦    

エッセイ&イラスト 富永智津子(掲載:2014.07.07)

ここでは、連載中のエッセイ「アフリカとわたし」(『婦民新聞』)のなかから、軍事性暴力に関する年表を紹介しながら、世界史的視点から、女性と性暴力の問題を俯瞰してみた。ただし、その後の調査により、年表など、一部改訂を行っている。より詳しくは、出典も明記している本ホームページの「年表」を参照してください。

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軍事性暴力の世界史①


2013年秋、慰安婦シンポジウムのコメンテーターという思いもかけない依頼が舞い込んだ。東アジアの問題に、アフリカ研究者の私がなぜ?私は「慰安婦問題」の研究者でもなければ、ましてや慰安婦裁判の積極的な支援者でもなければ活動家でもなかった。慰安婦問題に精通した研究者は他に大勢いる。私の出る幕ではない・・・固辞したのはいうまでもない。   

・ところが主催者である「歴史学研究会」と「日本史研究会」の方では、アフリカ研究者だからこそ是非お願いしたい、というのだ。何をコメントすればいいのか、アフリカと「慰安婦」を架橋するものはあるのか・・・。どう考えてもやはり無理。しかし、相手もなかなか引き下がらない。そうこうするうち、報告者3名ともうひとりのコメンテーターの顔ぶれが揃い、打ち合わせの日程も知らされてきた。3名の報告者の中には韓国の大学教授も含まれ、コメンテーターのもうひとりは「『戦争と女性への暴力』リサーチ・アクションセンター」共同代表の西野留美子氏・・・実績のある活動家である。この面々を前にして、私の出る幕ではないとの思いがさらに強まった。                  

・お断りするつもりで、ともかく打ち合わせ会に出席する。3時間弱の討議の中で、主催者の意図が少しだけ見えてきた。アジアにとどまっていた「慰安婦問題」を、「軍事性暴力」という視点から世界史的に展望してはどうだろう、そうすれば、そこには植民地下における性暴力も、その後遺症として現在起こっている内戦や紛争下での性暴力も入る・・・・というのだ。それなら何とかなるとは思いながらも、今ひとつ釈然としない部分が残った。慰安婦問題とどうクロスさせたらよいかという方法論である。重い課題を背負っての帰路、ひとつの案が浮かんだ・・・年表・・・そうだ、性暴力関連の世界史年表を作成してみよう。そこから何かが見えてくるかもしれない。何が見えてくるかは作成の過程でわかるだろう。

こうして、シンポジウムまでの1ヶ月半、私は年表の作成に没頭した。紀元前から現代までの年表である。年表は、まず手元にある文献から大まかな事項を拾い上げ、次にインターネットのウィキペディアでさらなる情報を収集、最後にウィキペディアで使われている資料や文献を入手して確認作業を行う、という手順で作成を進めた。
(『婦民新聞』2014年年1月20日)

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軍事性暴力の世界史②

・軍事性暴力の世界史年表を作成する中で見えてきたことがある。それは、この年表が、ナショナリズムという妖怪に絡め取られた慰安婦問題を、その呪縛から救い出す視点を提供してくれるのではないかというおぼろげな期待である。いや、そこに年表作成の意義があるはずだ。そう思った私は、そのことが一目でわかるような工夫を年表に施すことにした。それは、年表を①軍事性暴力小史、②売春および慰安所関連小史、③性暴力・売春の規制に関する法令小史、④被害者尊厳回復のための試み、という4つのカテゴリーに分類して整理することである。それぞれのカテゴリーの重要項目を紹介しよう。
 

①  軍事性暴力小史

5世紀(ローマ)・・・「蛮族」(西ゴート)との戦争に巻き込まれた女性たちへの性暴力。
1097~(十字軍)・・第一回十字軍による性暴力の横行。
1453(トルコ)・・・オスマン軍のコンスタンティノープルに入城時の尼僧たちへの性暴力。
1567(フランス:宗教戦争)・・カトリック教徒のフランス人男性によるユグノー女性への性暴力。
1746(イングランド・スコットランド紛争)・・ジョージ王の軍隊、スコットランド女性をレイプ。
1898~90 (中国:義和団事件) ・・義和団事件鎮圧に際しての列強連合軍による何千人もの中国人女性へのレイプ事件。
1904~07(ドイツ領西南アフリカ)・・ヘレロ・ナマ蜂起鎮圧後の捕虜収容所におけるドイツ兵による性暴力。
1914~(ドイツ:第一次世界大戦)・・第一次大戦勃発直後、ドイツ兵によるベルギー人とフランス人女性へのレイプ多発
1937(日本:日中戦争)・・日中戦争初期の日本軍による南京占領時の性暴力。
1938~(ドイツ:水晶の夜)・・「水晶の夜」に始まる各地ゲットーでのユダヤ人女性への性暴力。
1944(フィリピン:第二次世界大戦)・・マパニケ村での日本兵による戦時性暴力事件。
1945(朝鮮半島・満州・北支:第二次世界大戦)・・日本人女性引き揚げ者への朝鮮人、ソ連人、中国人、アメリカ人、台湾人、フィリピン人によるレイプ事件多発。
1945(ドイツ:第二次世界大戦末期)・・1945年、赤軍兵士のベルリンへの進攻途上での強かん件数は190万。
1947(印パ分離独立)・・分離独立前後の数カ月間に7万5千人のムスリムとヒンドゥー両女性への性暴力・誘拐あり。
1950年代(英:ケニア植民地)・・独立運動に伴う戦闘で多数のケニア人女性に対する白人やケニア人(ロイヤリスト)によるレイプ多発。
1962~96(グアテマラ内戦)・・家族を殺害された上に性暴力を受けた女性多数。
1965~75(米・韓国:ヴェトナム戦争)・・米兵及び韓国軍兵士やビジネスマンによるヴェトナム女性への強かんと買春の横行による多数の混血児の誕生。
1970~80年代(ラテンアメリカ)・・アルゼンチン、ウルグアイ、エルサルバドル、グアテマラ、ペルー、ニカラグア、チリ、ボリビア、ホンジュラス、パラグアイでの軍人や警官による人権侵害多発。
1971(バングラデッシュ:パキスタンからの分離独立戦争)・・パキスタンからの分離独立戦争時におけるパキスタン兵士によるベンガル女性へのレイプ。被害者は20万人以上。
1975~2002 (東チモール:インドネシア占領下)・・インドネシア占領下の東チモール、政府軍によるレイプ事件多発。
1987~2005(ウガンダ内戦)・・内戦に伴う反政府軍(LRA)による誘拐・殺戮・レイプの横行。
1989~2003(リベリア内戦)・・内戦にともない、性暴力事件多発。
1991~2002(シエラレオネ内戦)・・女性への性暴力多発。国連、レイプされた女性は6万人以上と推定。
1991~95(旧ユーゴスラヴィア紛争)・・クロアチア、セルビア、ボスニアなどの女性NGOの推計によれば、全ユーゴスラヴィアでの強かん被害は2万件。
1994(ルワンダ)・・国連、ジェノサイド勃発後の3カ月間にレイプされた女性数は10万~25万人と推定。
1998~2013(コンゴ民主共和国内戦)・・断続的に続いた内戦で性暴力多発。被害女性は20万人以上との国連の推計があるが、実数は不明。
2006~2012(スリランカ内戦)・・スリランカ軍によるタミル人捕虜に対する性暴力。75件の医学的証拠あり。
2009(ギニア)・・クーデタで登場した政権に抗議して5万人の女性がデモ。軍の兵士によるレイプ、虐殺、略奪の横行。
(『婦民新聞』2014年2月20日)
 

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軍事性暴力の世界史③   

軍事性暴力との関連で、売春や公娼制度に関する世界史年表を作成したのは、そうした日常の性慣行には国家や共同体のジェンダー秩序が投影されており、それが軍事性暴力と不可分の関係にあるとの認識に基づいている。

② 売春および慰安所関連小史

BC3000頃(アッシリア)・・商業売春、売春宿の登場。
BC6~7世紀(古代ギリシア)・・政治家ソロン、アテナイなどに「ディクテリオン」(国家の資金で購入した奴隷に売春させた売春宿)を設立。
37~41(古代ローマ)・・カリグラ帝、娼婦の登録制や課税などの政策を導入。
7~10世紀(唐)・・長安や洛陽などに妓楼。
10世紀~(朝鮮)・・女官、あるいは歌舞・医療担当のキーセン(妓生)の登場。
1163(英)・・議会の布告による「売春宿」の設置。
12世紀初頭(日本)・・江口と神崎(ともに大阪)に組織化された遊女集団の出現。
13世紀(日本)・・京や鎌倉に売春宿出現。
14世紀(西欧)・・北イタリア、南フランス、ドイツに都市公営の娼館出現。
1617(日本)・・徳川家康、江戸吉原に遊郭設置を認可。
1802(仏)・・ナポレオン戦争を通して広まった性病予防策としての公娼登録の開始。
1864(英)・・クリミア戦争時の性病の蔓延から、「伝染病法」に基づき公娼制度を導入。
1868(ケープ植民地)・・イギリス、ケープ植民地に「伝染病法」の制定にともなう公娼制度の導入。
1870(米)・・西欧型の公娼制度の導入。
19世紀後半~(日本)・・東南アジア、アフリカ各地に「からゆきさん」の進出。
1900(日本)・・明治政府、「娼妓取締規則」を制定(公娼制度の確立)。
1914~(仏)植民地に移動慰安所を導入。
1916(植民地朝鮮)・・公娼制度の確立と私娼取締の強化。
1932(上海)・・日本、軍慰安所第一号を設置。以後、アジア各地に400ヶ所展開。
1939~45(独)・・ナチス、占領地に約五〇〇の慰安所を開設。
1945~46(日本)・・米軍兵士向け慰安所「特殊慰安施設協会」(RAA)の設置。
1951~54(朝鮮)・・戦争中、ソウル地区、江陵郡などに韓国軍と連合軍向け慰安所を設置。
1956~(沖縄)風俗店従業員への性病検査を目的とした「Aサイン制度」の導入。
1966~(ヴェトナム)・・米軍、各基地周辺に正規の慰安所を開設。
                  (『婦民新聞』2014年3月20日)

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軍事性暴力の世界史④

軍事性暴力と売春が世界のいたるところで展開した普遍的現象であったとしたら、それを規制する努力がいずれの地域においても並行して行われてきたことには格別の注意を払う必要があるだろう。

①    性暴力/売春の規制に関する法令小史

BC18世紀(バビロニア)・・「ハンムラビ法典」、強姦罪に対して死刑を含む処罰を規定。
4世紀(ローマ)・・コンスタンティヌス大帝、市民に対するレイプを火刑罪と規定。
1285(英)・・第二ウェストミンスター条例、レイプ罪に対して死刑を科す。
1687(仏)・・ルイ一四世、売春を後押しした者、客引きした者、売春婦を置いたホテルに刑事罰と罰金刑を課す。
1687(日本)・・『公事方御定書』下巻、「強姦したものは重追放と手鎖」と規定。
1778(米・仏)・・両国間で戦時の民間人への攻撃を違法と規定。
1863(米)・・『陸戦訓令』(リーバー法)により国際的な慣習法をはじめて成文化。レイプを禁止し、死刑の罰則を規定。
1907(国際)・・改訂「ハーグ陸戦条約」第四六条、「家の名誉」を毀損する行為としての強姦を禁止。
1921(国際) ・・国際連盟加盟国二三カ国間で「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」の締結、日本も参加
1941(日本)・・治安維持のため「戦時犯罪処罰ノ特例ニ関スル法律」を制定し、性犯罪の厳罰化を図る。
1946(仏)・・売春宿の閉鎖。
1949(国連)・・国連、「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」を採択。
1956(日本)・・「売春防止法」の成立。
1968(国連)・・第23回国連総会、「戦争犯罪及び人道に反する罪に対する時効不適用に関する条約」を採択。58カ国が同意、日本は棄権。
1979(国連)・・「女性差別撤廃条約」の採択(日本は1985年に批准)。
1998(国連)・・「国際刑事裁判所に関するローマ規定」の採択。強姦や性奴隷などの性暴力などが「人道に対する罪」として明記される。日本は2007年に締約。
2003(国連)ハーグに国際刑事裁判所開設。
2004(アフリカ連合)「アフリカ人権裁判所」の設置。
2013(国際)G8サミット、「紛争下の性的暴力防止に関する宣言」を採択。
                            (『婦民新聞』2014年4月20日)

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軍事性暴力の世界史⑤

現在、私たちが直面している喫緊の課題は、被害者の尊厳回復である。そのための手段として以下のような方法が取られている。

〈裁判〉紀元前から行われていたと思われる裁判だが、具体的な事例が残っているのは中世以降である。例えば、イングランドでは1194~1216年の間に49件のレイプが訴追されたが、法的な結審にいたったのは1件のみだったとの記録がある。その後、1492年に、戦時下のレイプを裁いた最初の国際法廷がドイツで開かれている。一方アメリカでは、第二次大戦中のレイプ事件で971人が軍法会議にかけられ、その内52人が死刑となっている。同大戦における性暴力を含む虐殺などの罪によって横浜やマニラなど各地で死刑判決を受けた日本軍兵士や将校も千人以上の数にのぼっている。こうした性暴力が「人道に対する罪」として裁かれるようになったのは、国際戦犯法廷や国際刑事裁判所が設置された1990年代以降のことになる。そんな中、ルワンダでは伝統的な民衆裁判「ガチャチャ」(2005~2011年)によって1万2千人以上のレイプ犯を裁いたことで国際的にも注目を集めた。

〈民衆法廷〉法的拘束力のない「民衆法廷」という仕掛けは、ヴェトナムの戦争犯罪を裁いた1966年の「ラッセル法廷」を嚆矢とする。以来、24の「法廷」が世界各地で開催されてきた。女性への性暴力を裁く法廷は、1990年代以降に増加し、とりわけ2000年に東京で開催された「女性国際戦犯法廷」は、戦時下の性暴力被害者を一堂に集めて証言を行い、国際社会に大きなインパクトを与えた。

〈真実和解委員会〉1990年にチリで開かれた「真実と和解委員会」をモデルとするこの方法は、1991年に国連主導で行われたエルサルバドルでの「真実究明委員会」や1994年のグアテマラでの「歴史解明委員会」を経て、1995年の南アでの「真実和解委員会」に結実する。被害者と加害者が公聴会で証言し、謝罪と免責、あるいは補償を行うこの方法の中心となる理念が加害者と被害者との「和解」なのである。その後、リベリアやシエラレオネでも、東チモールやソロモン諸島でも開催され、その効果が期待されている。

〈謝罪と補償〉法に基づく謝罪や補償は、第二次大戦中の日本軍慰安婦やナチス政権下で迫害された人々、あるいはアメリカとカナダ両政府による強制収容された日系人に対する事例があげられる。また、2013年に、ケニア独立闘争中にイギリス兵にレイプされた女性を含む被害者にイギリス政府が和解金を支払った事例は、慰安婦への日本の対応への再考を促すものとして注目される。
            (『婦民新聞』2014年5月20日) 

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軍事性暴力の世界史⑥

 軍事性暴力の世界史年表から見えてきたことをまとめてみる。

(1) 軍事性暴力小史
 古代・・・女・子どもは男性の戦利品
 中世・・・「敵」への攻撃・報復の一環としての性暴力
 近代・・・帝国主義・植民地主義・人種差別の表象としての性暴力
 現代・・・民族解放運動~独立後の内戦にともなう性暴力の拡大
(2) 売春および慰安所関連小史
 古代・・・神殿娼婦・売春宿・娼婦の登録制や課税
 中世・・・遊女・遊郭・妓生・娼館の登場(娼婦の卑賤視はじまる)
 近代・・・性病対策としての公娼制度の確立と植民地へのその移植
 現代・・・売春の二極化(売春禁止/防止国と公娼制維持国)
(3) 性暴力・売春の規制に関する法令小史
 古代・・・女性への性暴力は男性(家長・父・夫)の所有権侵害として極刑
 中世・・・売春の規制(ローマ法大全)
 近代・・・国際条約による女性の保護
 現代・・・性暴力を「人道に対する罪」と認定

 ここから見えてきたことは、古代・中世において、女性は男性の「所有物」であり、性暴力は「家の名誉」にかかわる問題だったということ、近代になると帝国主義や植民地主義の展開とあいまって人種差別や民族差別がそれに上乗せされたことである。また、遊女や娼婦への卑賤視によって「良い女性」と「悪い女性」の二元化が始まるのは中世であり、性病予防という目的で「公娼制度」が確立したのが近代であったことも読み取れる。こうした流れに並行してさまざまな防止策としての法令や刑罰が導入されたが、古代・中世・近代においては加害者への厳罰主義が主流を占めており、性暴力を女性への人権侵害ととらえ被害女性の尊厳回復や賠償問題が浮上するのは現代、それも1990年代以降のことであったことが明確になった。

 歴史は、間違いなく過去と現在の性暴力被害者に対する加害責任を問う方向に進んでいる。慰安婦問題も例外ではない。その一方、アフリカでは、今世紀に入ってなお、目を覆うばかりの軍事性暴力が横行している。その背景には一体何があるのか。アフリカ研究者として看過できない歴史的展開である。(『婦民新聞』2014年6月20日)

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軍事性暴力の世界史⑦

なぜ、近年、アフリカの内戦で、軍事性暴力が多発したのか。誰もが抱く疑問である。しかし、その実態は正確には把握されておらず、答えを見つけるのは難しい。とはいえ、研究蓄積がないわけではない。ここではハーバード大学准教授の研究(注)を紹介しよう。

彼女は、武装集団ごとにレイプの発生率が異なる理由を、各種報告書や3千もの家族へのインタヴューを通して分析した。彼女が取り上げた事例は、西アフリカのシエラレオネ内戦である。結論から言うと、さまざまな要因を統計的に処理した結果、内戦下のレイプを誘発する最大の要因は、兵士がリクルートされる方法にあったという。つまり、兵士がリクルートされる際の強制力の大小が、レイプ発生件数と最も高い相関関係を示したというのだ。

シエラレオネは反政府軍と政府軍との間で何年も内戦が続き、戦闘力の補充が双方にとって重要課題となった。その補充方法を調べてみると、反政府軍の兵士の78%が誘拐によって戦闘集団に放り込まれていたことが判明したのだ。この数値は7年後の1998年になると94%に達している。つまり、反政府軍のメンバー間には親和的関係が当初から欠落しており、そうしたバラバラな兵士を団結させるために最も効果的なのが「集団レイプ」だったのだという。

一方、政府軍の兵士は、78%が友人や親族や共同体のメンバーによってリクルートされており、それがレイプへの抑止力となったと見る。レイプ被害者への聞き取り調査によれば、加害者の圧倒的多数が反政府軍の兵士によるものだったことも、この分析を裏付けている。その他にも、国家機能の低下、反乱軍の密輸行為、ジェンダー間の不平等などがレイプの発生を下支えしている。それらの根底には、男性だけで構成される軍隊は不可避的に男性優位の思想一色に染まること、そうした男性イデオオギーが、軍隊という暴力装置の中で、日常の性規範からの逸脱を誘発するという状況があるのではないか。程度の差はあれ、軍事性暴力は、時空間を越えてどの武装集団にも見られることがその証左であると、私には思われる。(『婦民新聞』2014年7月20日)

(注)Dara Kay Cohen,”Explaining Rape during Civil War:Cross-National Evidence(1980~2009)”
        American Political Science Review Vol.107,No.3, August 2013

 

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