【エッセイ】アフリカ事情雑感③3.11の衝撃    エッセイ&イラスト  富永智津子

3.11の衝撃(1)

 その日は突然やってきた。午後2時46分、大きな揺れと同時にライフラインが全てストップした。車の中に避難。カーテレビのスイッチを入れる。目に飛び込んできたのは、街並みを呑みこんでゆく真っ黒い海。呆然と見入る。はっと我に返ったのは、200から300の遺体が漂流しているとのアナウサーの声を聞いたときだった。衝撃に打ちのめされた。
それから3カ月、勤務校の学生らと「歌とリズムで手をつなごう―東日本大震災と私たち」と題してコンサートを行った。きっかけは、本連載でも紹介した早川千晶さんだった。早川さんは、ナイロビ郊外のケニア最大のキベラスラムでストリートチルドレンの駆け込み寺ともいうべきマゴソスクールを支援している。その資金集めに毎年日本で講演とコンサートを行ってきた。私の授業で何回も講演していただいている。
今回は、被災地を元気づけるためのボランティア演奏旅行だという。それを聞いて思い出したのは、東京でライブ活動をしている卒業生。呼びかけると待っていましたとばかりに駆けつけてくれた。結局、5グループ、4時間のプログラムになった。
コンサートは、ジャマイカ人のゴスペルシンガーによる「被災地への祈り」で幕を開けた。次いで、ジェンベとカリンバの奏者とともに早川さんが登場。導入はマゴソスクールの子どもたちの映像と歌声。イガグリ頭の子どもたちが、泣きながら歌っている。
「悲しくて涙が止まらない、大勢の方々がこの世を去り、大切な物を失った、衝撃が大きすぎてみんな悲しんでいる、日本の方々を想って、・・・元気を出して日本にいるお兄さん、いつも想っていますわたしたちのお母さんたち、無事でいてくださいわたしたちのお父さんたち・・・。」
スラムの子どもたちは痛みを知っている。体験から知っている。そのことが、遠くの見知らぬ被災地への共感を生み出している。それに比べ、私は毎年アフリカに足を運びながら、アフリカの悲惨なニュースを耳にしながら、どれだけアフリカの被災者の心に寄り添ってきただろうか。
激しいジェンベのリズムと優しいカリンバの響きが、心に浸みた。(『婦民新聞』2,011年7月)

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3.11の衝撃(2)

3.11の衝撃は、地震と津波だけではなかった。福島第一原発事故がそれに加わった。建屋の水素爆発によって、放射性物質が空中に、地中に、海中に放出されたのである。
もちろん、放出された放射性物質は国境を越えて流れてゆく。被爆国日本は、とうとう加害国になってしまった。私たちは、放射能汚染とともに生きる日々がはじまったことを覚悟しなければならない。
ところで、原発の燃料棒や核兵器の原料であるウランは、どこで採掘されているのだろうか。その歴史をひもとくと、アフリカが浮上してくる。第二次大戦中、アメリカが原爆を開発するために立ちあげたのが「マンハッタン計画」。その中枢機関だったロスアラモス研究所にウランを供給していたのがザイール(コンゴ民主共和国)だったのだ。
その鉱山の利権を握っていたのがユダヤ系のロスチャイルド財閥であったことは、核の歴史とユダヤ系財閥との深い関わりを示している。「マンハッタン計画」は戦後、原子力委員会(AEC)によって引き継がれ、冷戦をバックに軍産複合体として肥大化し、そこで得た成果は、「ダグラス社」「ロッキード社」「デュポン社」といった軍需産業に提供されていった。
こうした歴史の流れの中で、ウランの平和利用という謳い文句で注目されるようになったのが「原発」だった。チェルノブイリなどの事故によって一時影を潜めていた原発は、しかし、地球温暖化抑止のためのクリーンエネルギーとして見直され、息を吹き返した。
こうして、今、原発市場が世界中に形成されてゆこうとしている。そのために必要なウラン鉱山の開発も加速している。その先陣をきっているのが、ウラン鉱山開発先進国カナダとオーストラリアである。その開発ブームが、今、アフリカに向かっている。
アフリカでは、ニジェールとナミビアがウラン埋蔵量のトップを占めている。その分け前にあずかろうと後発国の中国が、イギリスやフランスといった旧宗主国の権益に食い込もうと狙っている。そこで展開されているのはまさに「資源の呪い」である。しかも、それは人の生死にかかわる「呪い」なのだ。(『婦民新聞』2011年8月)

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3.11の衝撃(3)

日本のウラン輸入先は、オーストラリアとカナダがトップ、アフリカのナミビアとニジェールがそれに続く。そして、世界第2位の埋蔵量を誇るカザフスタンとは、小泉政権時代に原子力分野での戦略的パートナーシップが締結され、国策としての原発開発が進められてきた。
一方で、都合の悪いことは一切報道させないばかりか、放射能の安全性を国民に信じ込ませるためには教科書の改ざんといった作業も文科省を巻き込んで行われてきた。そうやって作り上げられてきたのが原発の「安全神話」なのである。
その背後で、「安全」とは無縁のウラン鉱山開発が行われてきたことを知っている人はどれだけいただろうか。つまり、ウラン鉱山の開発にともなう放射線被ばく者の存在である。
福島第一原発事故は、われわれにとっての原発安全神話を打ち砕いただけでなく、安全神話の背後に押し込められていた地球規模の格差を暴露してくれた。見捨てられてきた人びとの存在である。何という欺瞞にまみれた「安全神話」だったことか。
私自身は、もちろん「安全神話」を信じていたわけではない。人間がつくりだしたものは、いつか必ず崩壊すると思っていた。しかし、遠い見知らぬ地でのずさんなウラン鉱山の開発によって犠牲者が出ていること、そのウランが日本でも使われてきたことの問題性をしっかり認識するには至っていなかった。
3.11が、この問題性を、私の目のまえに開示してくれたのだ。ウラン鉱山の悲劇は、アフリカに限らず、どの地域でも起きている。そして被ばく者は往々にして、先住民であり、放射能の危険性について知らされていない農村部の人びとである。
ニジェールでは、2009年、ウラン鉱山に隣接する村の放射能汚染が明らかになっているし、この2011年4月、オーストラリアでは、豪雨によって同国最大のウラン鉱山の残滓が溶け出し、近隣のアボリジニ居住地や世界遺産のカカドゥ国立公園の湿地に放射能汚染水が流れ出す恐れが出てきて、大問題になっている。
声を挙げたい。ウラン鉱山の開発が後戻りできなくなる前に、原発依存からの脱却を諮るのが先進国の責務ではないのか!(『婦民新聞』2011年9月)

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9.11と東アフリカ

2001年のアメリカ同時多発テロ事件から数えて、今年は10年の節目にあたる。犠牲者を悼む慰霊祭が現場で催され、メディアはさまざまな特集を組んだ。しかし、この同時多発テロをきっかけとしたアメリカ主導の「対テロ戦争」が、イラクやアフガニスタンで数えきれない市民を殺戮してきたことを指摘する論調はあまりにも少なかった。なぜか?それは、多くの人びとが、「対テロ戦争」を「正義」とみなしてきたからではないか。
果たして、それは、本当に「正義」の「戦争」だったのか?同時多発テロは、その神話化に利用されただけなのではないのか?私がそう考えるのは、1998年のケニアとタンザニア両国のアメリカ大使館同時爆破事件に注目しているからだ。
私がケニア入りしたのは、この事件の1週間後。291人の死者と5千人を超える負傷者を出した現場には近づけなかったが、かなり遠くまでガラスの破片が散乱しており、爆破の威力を膚で感じたことを今でも思い出す。
その後の展開も忘れられない。当時のクリントン政権は、ただちにスーダンとアフガニスタンをミサイル攻撃し、イラクの化学兵器疑惑を洗い出すために国際包囲網を構築しはじめたのである。アメリカが標的をウサマ・ビンラーディンに絞ったのも、この事件直後からだった。
つまり、アメリカの「対テロ」に名を借りた世界戦略は、この東アフリカでの事件を契機に進行していたのだ。この流れを引き継いだブッシュjr.は、同時多発テロを機に、「聖戦」「国土防衛」「報復」という名の下に堂々と「対テロ戦争」をぶちあげ、最低だった支持率を一気に上昇気流にのせた。
このように見てくると、アメリカ同時多発テロは、すでに始動していた歴史の流れを加速させたにすぎない。先進国の人びとの犠牲は、途上国の犠牲者とはちがい、反テロ戦争を正当化する仕掛けとして、きわめて有効だった。
しかし、この戦争がアメリカの凋落の始まりであったことは、ブッシュを引き継いだオバマ政権に重くのしかかる経済負担や、チュニジアやエジプトからリビアやシリアに飛び火した「アラブの春」が如実に物語っている。(『婦民新聞』2011年10月)

ザンジバルの海岸風景©富永

ザンジバルの海岸風景©富永