【現代アフリカ史】史料②「婚姻に関する条例―英領アフリカの事例」

                             掲載:2015.10.27 執筆:富永智津子訳・解説

訳者解説

原典:Martin Parr, “Marriage Ordinances for Africans” Africa vol.17, no.1 1947

この論稿の著者についての詳細は不明である。だが、タンガニーカを訪問してBishopにインタヴューしていること、アフリカへのキリ スト教の布教については反対していないこと、ただし、その方法については、キリスト教をかえって貶めていると厳しく批判していることから、教会関係者と見 てよいのではないか。
著者の批判の矛先は、英領アフリカ向けに制定された婚姻法が、クリスチャンと非クリスチャンを差別化するなど、政教分離とい うイングランドの基本方針に反している点に向けられている。しかも、アフリカにはアフリカの法があるにもかかわらず、それを無視して外国人が勝手に決めた 条例を押し付けたこと、それによってアフリカ社会を混乱に陥れたことを、具体的な事例を紹介しつつ検証している。
著者の考え方は、「文化相対主義」を先取りしていると言えなくはないが、必ずしも、アフリカの慣習法自体を肯定しているわけではなく、窮極的には、キリスト教がアフリカに根付くことを願っていることにおいては、西欧中心的かつ植民地主義の一端を担っていると言えるだろう。
この論稿は、教会史の史料として興味深いことは言うまでもないが、その他には、著者が紹介している具体的な事例が、植民地支配の歴史史料として活用できる。

はじめに

結婚しようと思ったならば、イングランドではイングランドの法律に、スコットランドではスコットランドの法律に従う。登記所(registrar’s office)で結婚の登録をするか、教会で結婚のセレモニーをするかは、自由である。もし教会で結婚したとしても、法的な手続きは登記所の手続きに従うことになる。もし、夫か妻のどちらかが結婚に不満を持ったならば、しかるべき裁判所に訴えることができる。教会で結婚しようと登記所で結婚届けをしようと、クリスチャンであろうとそうでなかろうと、裁判所は同じであり、参照される法律も同じである。しかし、裁判所とそこで参照される法律は、イングランドとスコットランドでは異なる。イングランドの場合で言えば、離婚法はクリスチャンにも非クリスチャンにも適応されるし、熱心なクリスチャンならば、離婚することを避けようとするかもしれない。しかし、クリスチャンも非クリスチャンも離婚法を利用することを禁じられてはいない。別の言い方をすれば、イングランドやスコットランドの婚姻に関する事案は、宗教的な信仰いかんにかかわらず、それぞれの民法(civil law)によって規定されている。

タンザニア(タンガニーカ)最大の都市 Dar es Salaam (1930年代)

このことは、われわれにとっては当然のことであり、理にかなっているように見える。というのは、結婚はわれわれの社会構造と国民生活の基礎だからである。熱心なクリスチャンは、教会とは関係のないこのような法律に不満を持っているかもしれない。しかし、これらの法律は議会によって決められたものなのである。Bishop Westcottは、クリスチャンの義務を次のように総括している―“法によって世論に効力を与えるのが議会の義務であり、その世論を啓発するのが教会の義務である”と。

英国(Great Britain)と同じく、アフリカでも(いやアフリカにおいては英国以上に)結婚は社会構造と国民生活(アフリカについて記述する時には、「部族生活」と書くのが一般的となっている)の基礎である。英国を隔てている境界の北と南は、長い間、ひとつの中央政府の統治下に置かれてきた。しかし、結婚に関しては、両者に共通のコモンローは存在していない。アフリカの諸部族は、(最近になって)イギリス植民地もしくは従属国の中央政府の支配下に置かれるようになったが、その諸部族がそれぞれ婚姻に関する法を持っているのは当然である。何世紀もかけて進化し、現在も(丁度われわれの法律のように)進化し続けているその法律を、諸部族は、われわれが自分たちの法律を尊重するのと同じく大切にしている。Bishop Westcottの言葉は、教会と議会の両方にとっての正論であり、英国が部族法の「人道、平等、良心に反する」部分には賛同しないことを条件に、その言葉を教会と英領アフリカの政策の基礎とすることができると誰もが想定したのである。

タンガニーカ湖(タンザニア)

ところが実際には、それとは非常に異なる政策が実施されたのだ。英国政府は、今世紀初めの10年間(もう少し遅い場合もある)、「現実に即して標準化された条例practically standardized ordinances」(それは、諸部族の民法civil lawsを無視していた)[原注:このフレーズは1925年10月にウガンダの最高裁長官によって用いられたものである]を、何百ものアフリカ人諸部族のクリスチャンメンバーの婚姻を統制するために承認したのである。私が知る限り、ニヤサランドだけには適用されなかった。ニヤサランド植民地では、アフリカ人クリスチャンのカップルの結婚式が、非クリスチャンのメンバーに適用される部族法に基づいて執り行われている。1936年、ニヤサランドの宣教師団は、アフリカ人クリスチャンに「現実に即して標準化された条例」を適用するよう要求したが、アフリカ人のクリスチャンが反対し、国務大臣(Secretary of State)によっても拒否された。

タンガニーカの位置

タンザニアはタンガニーカとザンジバルが合併し成立した連邦国家。タンガニーカ(緑)はそのうちの大陸部を、ザンジバルは島嶼部をさす。

一方、1937年、当時のマサシ(訳注:タンザニア南部の町)のBishopは私に、条例を変更し、アフリカ人クリスチャンが部族法に従って教会での結婚儀礼を行えるよう、1930年にタンガニーカ政府に訴えたが、提案は受け入れられなかった、と語ってくれた[原注:1930年11月1日付Tanganyika Standard参照のこと]。わたしは、この事実をここに記す許可を彼から得ている。

誰の要望で、何の根拠があって、こうした条例が法制化されたのか?もちろんアフリカ人の要望ではない。おそらく法的な罰則なしにアフリカ人の改宗者をキリスト教につなぎ止めておくことができないと感じた宣教団の要請によってつくられたのだろう。条例が法制化されたその根拠については、答えるのは難しい。キリスト教の教えに従わせるため、というには、それ自体がアフリカ人に強制できるほど強力なものではなく、しかも人間社会に普遍的な制度である結婚に関連した事柄に限定されすぎている。結婚に関しては、アフリカ人も自分たちの法律を持っていたし、その法律は、もちろん維持されている。姦通はキリスト教によれば、非難さるべき罪深い反社会的行為であるにもかかわらず、ウガンダには姦通を犯罪行為、あるいは民法違反(civil offence)とする条例はない。イングランドにも、そのような法律はない。それゆえ、クリスチャンのアフリカ人は姦通などの事柄については自分たちの法律で対処することが認められている。イングランドにおいては、姦通は犯罪ではないが、反社会的行為とされており、それゆえ、アフリカ人のクリスチャンも、自分たちの法律では刑法に相当する場合でも、反社会的行為として扱うことがある。わたしはこの論理と公平性について判断することはできない。ウガンダの離婚条例は教会のカノン法に従っておらず、過去50年間機能していたイングランドやスコットランドの離婚法をまねているわけでもなく、1904年に使用されていたイングランドの離婚法にかなり近い。しかし、それがなぜアフリカ人のクリスチャンにとって理想だと考えられたのかははっきりしない。イギリスの法が改訂された時に、改訂されなかったからだと考えるしかないのだろう。

植民地政府や植民地省、あるいは宣教師たちが、アフリカ人がすでに持っていた結婚の概念より高度な概念をアフリカ人たちに教え込もうとしたのはおそらく本心からだったと思われる。宣教師たち(そして、植民地政府と植民地省)は、アフリカ中に教会婚を確立しようと思っていたことは確かである。しかし、かれらは、Mr. S. H. Childsのようには(原注:彼は「ナイジェリアにおける教会婚」という論文をAfrica vol.16, no.4に寄稿している)、キリスト教の結婚が何であるかを考えたことがなかったようである。もし、かれらがそういうことを考えていたとしたら、教会婚は何ら法的な意味を持たないことや、条例の制定によっても意味を持つことはないことが分かったはずである。クリスチャンの結婚も、クリスチャンの家庭も、クリスチャンの教育も、法律に決められているわけではない。クリスチャンの結婚や家庭は、夫と妻、両親と子供との間のある種の関係性に依存しており、その関係性とは、神への信仰と誘惑を克服するために聖霊から引き出される力とに依存している。神の恩寵のみがクリスチャンの家庭を存在させるのであって、両親がアフリカの法律、イタリアの法律、アメリカの法律、イングランドの法律のもとで結婚したかどうかとは関係がない。条例は法的な一夫一婦制を規定し、婚姻の法的解消を禁止ないし制限するが、夫婦がお互いに誠実であるべきとか、夫婦の関係性は永遠に続くとか、ましてや子供との正当な関係性を保証するものではない。アフリカの部族の中には、簡単に離婚する部族もあれば、離婚がめったに見られない部族もある。多くの部族で一夫一婦が原則となっており、一夫多妻は例外的である。ケニアとウガンダにおけるインタヴューやMr. Delanoのナイジェリアに関する文献から、私は、アフリカ人クリスチャンへの「現実に則して標準化された条例」の押し付けは、教会婚の地位を非クリスチャンの結婚の地位より低下させ、クリスチャンの性的道徳性の水準に関する評価を非クリスチャンの道徳性より貶めたと考えるに至っている。

条例の概要

条例は、男性と女性の結婚を規定する法と宗教的な信仰とは関係ない、というイングランドの原則を無視している。アフリカ人クリスチャンに影響を与えるこの条例の主要な条項についての概要を記し、その効力を述べておくことは必要である。ただし、以下の条項のすべてが、全植民地に適用されるものではない。

1. 結婚しようとする者は、自分たちが属する部族法ではなく、条例にしたがってのみ教会で結婚することができる。条例に基づかずにアフリカ人クリスチャンを結婚させる牧師は、2~5年の禁固刑に処するものとする(そうした牧師を個人的に知っているが、罰せられたという事例は聞いたことがない)。
2. 親族の範囲に関しては、アフリカ人のものではなく、イングランドの規定が適用されるべし。
3. 部族法の下で結婚に必要な同意は、条例の下での結婚の際には必要ない。
4. 原住民法廷は、クリスチャンの結婚に関する訴訟を扱うことはできない。その他のことでは、民事と刑事の両方の裁判をすることができる。結婚に関する裁判はSupreme Court もしくはHigh Court(1st classのmagistrateの場合もある)で行われねばならない。
5. クリスチャンの離婚を扱う法律は、「イングランドの法」ではなく、1904年のイングランド離婚法に準じるものとする。(ナイジェリアでは、Supreme Courtが夫婦の所属する部族法を適用することが認められている。)[原注:事例の判決に至る過程において、アフリカの部族裁判も、イギリスの裁判が抱えているのと同じ困難な問題を抱えている。部族裁判も、上級の原住民法廷によって判決が留保されることがあるのだ。ナイジェリアには非常に多くの部族がいるから、ナイジェリアのSupreme Courtは、いつの日か、法とは何かを探し出すことに専念せねばならないかもしれない。しかし、この問題は学問上の問題である。というのはアフリカ人のクリスチャンが、Supreme Courtに離婚の提訴をしたことはいまだかつてないからである。]
6. 条例の下で結婚した者が、部族法に基づいて第二夫人を娶る場合には、重婚罪に処するものとする(5年の懲役刑であるが、実際にはほとんど処罰されたことはない。)
7. 結婚は、その目的のために認可された教会において、牧師によってのみ挙行されるものとする(そうした教会は少なく、あっても広く点在している。牧師は地区の長官の家やレストハウスや木下でHoly Communionを執り行うことを認可されている。)
8. クリスチャンが部族法の下で結婚することを禁じている植民地がある。クリスチャンの男子は、非クリスチャンの女子とは結婚できない。

条例はアフリカ人のクリスチャンに、彼ら自身の共同体のさまざまな婚姻法違反を強要している。共同体の婚姻法は、植民地国家の立場からすると、非クリスチャンの部族メンバーだけが守る法律であるが、部族の立場からすると、ちょうどイングランド人すべてがイングランドの法を守らねばならないのと同じく、すべての部族メンバーが守るべき法なのである。

離婚

上記第4項目についてのナイジェリアの立場は興味深い。High Court ではなく、Supreme Courtのみが、ナイジェリア人クリスチャンの離婚訴訟を扱えるのである。教会でサクラメントを受けたことによって確認された信仰が教会で結婚する資格となり、条例のもとで結婚したクリスチャンは、4クラスの原住民法廷のいずれにも離婚訴訟を起こすことができない。ただし、その他の民事や刑事訴訟は原住民法廷に提訴できる。教会ではなく部族法で結婚した他のクリスチャンは、Supreme Courtにではなく、原住民法廷に離婚訴訟を行う。彼らは、「原住民法廷での結婚に関わる裁定」に不満を持った場合、High CourtやDistrict OfficerやResidentに上訴することは許されていない。(おそらく、部族の複雑な婚姻に関する係争の調停方法を理解できるイギリス人がいないからだと思われる。そのイギリス人がいかに現地の言葉を習得していても、である。)

離婚条例(上記の第5項を参照のこと)は、離婚の理由を次のように限定している。たとえば:-

(a) 妻の不倫を理由とした夫からの訴え。
(b) 妻からの訴え。もし(i)夫がキリスト教を捨て、他の女性との結婚を望んだ場合、(ii)禁止されている親密圏内の関係に該当するとの理由で、もし妻が死亡していたとしても、夫が法的に結婚できない他の女性と不倫した場合、(誰によって禁止されているのか?イングランド教会か、ローマ教会か、イングランド法か、それともスコットランド法か、もしくは部族法か?)。(iii)結婚を目的として夫がほかの女性と不倫を犯した場合、(iv)夫が妻に暴力を行使し、かつ不倫を犯した場合、(v)夫が何の理由もなしに2年以上妻を放置し、しかも不倫の罪を犯した場合(もし、合理的な理由がある場合には、離婚は認められない)。

Mount Kadam, Uganda.

アフリカ社会では、一般的に不倫は罪とみなされているが、何回も繰り返されない限り、離婚の理由とはならない。原住民法廷は不倫を罪として扱うが、たとえばウガンダでは、原住民法廷がクリスチャンの結婚に関する訴訟を扱うことを、条例によって禁じている。ウガンダのローマ・カトリックの信者が不倫を犯した場合、彼が望んでいるような裁定をしてくれる原住民法定には行けず、国家の裁判所に行かねばならない。そこに行くと、彼が望んでもいない離婚だけが奨励されることになる。クリスチャンか非クリスチャンかを問わず、ウガンダ北部の若者は、クリスチャンの妻と不倫をしても、(原住民法定が扱えないために)政府が何の体罰も罰則も科さないということで大喜びした。彼らは、この規定を最大限有利に利用し、非クリスチャンの妻との不倫の際に科される罰金や禁固刑を免れたのである。1931年にKitgumで起こった実際の事例は、アフリカ人が自分たち自身の婚姻に関わる案件を自分たちの法廷で扱うことを許されない場合に何が起こるかを示している。

A(クリスチャン)の妻(同じくクリスチャン)が、恒常的にB(非クリスチャン)と不倫関係にあったが、両者ともいかなる罰則も受けることはなかった。というのは、原住民法廷は調停することができず、AはHigh Court(彼が望まない離婚の判決を下す)という手続きのわからない、しかもお金のかかる法廷に訴えることができなかった。のちにCの妻(ともに非クリスチャン)と不倫関係をもったAは、Cの訴えによって原住民法廷から禁固刑を科された。

ウガンダの位置

ウガンダ

条例によってアフリカ人クリスチャンに認可された「現実に即して標準化された」離婚理由には、不倫(一般に、アフリカ人によっては、離婚の理由として受け入れられていない)が含まれ、実質的な妻の放棄(アフリカ人にとっては離婚理由となる)は除外されている。High Courtの統計によれば、何万人ものアフリカ人クリスチャンがいるにもかかわらず、離婚訴訟の件数はゼロに近い。しかも、部族法に基づいて二番目の妻を娶ったことによる重婚罪を訴えられるアフリカ人クリスチャンの数はもっと少なかった。その理由は、結婚が破綻していないということでも、二番目の妻を娶った男性がいないということでもない。その理由は、英語が流暢に話せる知識人であるブガンダ人のクリスチャンが私に説明してくれた次のような話の中に含まれている:

 「教会婚をしたのち、二番目の妻を娶るクリスチャン男性は多い。実際、彼らが重婚罪で訴えられることはない。もし訴えられるならば、誰も条例に基づいた教会婚のセレモニーには参加しないだろう。1927年に、P.C.(州知事)から条例の通達があった。それには“クリスチャン同士の結婚は条例にのっとって行われるべきであり、さもなければ結婚としては認めない。なお、クリスチャンと非クリスチャンとの間の原住民法による結婚は無効である”と書かれていた。その結果、次のようなことが起こる。ブガンダ人のクリスチャン同士が原住民の慣習によって「結婚」したと表明したあとで、夫が妻に愛想を尽かし、他の娘と教会で結婚。捨てられた妻は補償を受け取れない。なぜなら、彼女は、部族の人びとからは法的に結婚したとみなされるが、政府の指示する法にのっとって結婚していないために、結婚したとは認定されないからである。教会で結婚する前に、2回か3回、こうした「無効」とされる結婚をしている男性は多い。たとえば、クリスチャンのふたりの友人AとBの事例を紹介しよう。両者は条例に基づいて教会で結婚した。しかし、Aは愛人ができて、一時的に妻のもとを離れ、Bの妻は夫のもとを去った。その後、Bは原住民法に基づいてAの妻と「結婚」し、Aは妻に戻って欲しいと願ったが、妻の結婚を止めることはできなかった。なぜなら、クリスチャンであるAは原住民法廷に行けないし、複雑な手続きと出費を要する国家の裁判所には行こうとはしなかったからである。」

結果

条例を実施することにはさまざまな困難が伴う。アフリカの行政に携わる役人は、そうした困難を熟知している。そうした困難を乗り越えるひとつの方法は、法を無視するか、実施しないことである。容易に解決できないものもある。たとえば、クリスチャン同士が条例に基づいて結婚したのだが、この2人は、部族法で禁じられている外婚制に違反していた。そのような夫婦は、親族にとってはもっとも不自然な近親相姦の形態に相当し、両方の親族に不幸をもたらすとされている。最悪の場合には殺人に至ることもある。

英国で行われた宣教師団の会議は、1943年に植民地相に一通の覚書を送っている。その中で、宣教師団は、改宗者を信仰につなぎ止めておくために、国家が制定した条例を用いることを拒絶し、結婚と教会婚(Christian marriage)との間に法的な区別はないとして条例の修正を求めた。それでもなお、イングランドの法では認めていない「結婚」と「教会婚」との区別をするものがいる。Archbishop Randall Davidsonは上院で次のように語った。「結婚は、一義的には、教会が祝福を与える民間の制度(civil institution)である」と。今は亡きDr. O. C. Quick(オックスフォードのDivinityのRegius Professor)は次のように記している。「結婚の本質において、クリスチャンの結婚と非クリスチャンの結婚との間に違いはない。」結婚は、全世界共通の制度であり、夫婦が結婚したり、離婚したりする方法は、共同体によって異なり、夫婦が結婚に託す理想は、社会的かつ宗教的信念の性質や力学によって異なる。こうした国家が制定した条例をすべての部族に適用することによってアフリカの諸部族は恩恵をこうむるかもしれない(行政に携わる役人がそのように考えているかどうかは疑わしいが)。もしそうだとしても、条例の実施は、それが何らかの成功を収めることが見込まれるような教育を行い、原住民の代表者が説得されてそれに同意したのちに試されるべきである。共同体の一部の夫婦が教会の祝福を望むという理由から、強制的に結婚と離婚に関する外国の条例を導入するのは正しいことではない。とりわけ、結婚が、双方の親族にさまざまな義務を課すアフリカにおいては望ましいことではない。さらに、このような外国の条例は1918年にSir Frederick LugardがPolitical Memoranda for Nigeria の中で書いている格言に違反している。つまり、植民地の原住民は、キリスト教を受け入れたという理由で、彼が所属する共同体を統括している通常の民法と義務を離れて結婚の契約することを許されない。今日のアフリカでは、クリスチャンの妻の家族に、彼女を大切にすることの担保として牛などの財産を贈る多くのクリスチャンの男性がいる。その財産は、妻が結婚を破棄した場合には、返却される。妻が夫を捨てた場合、夫は原住民法廷に訴えて補償を求めることができずに、妻も財産もなくしてみじめな生活を強いられるからである。偶然、原住民法廷に提訴できたなら、それは結婚の継続を意味することになるはずである。だが、実際には、夫も妻も新たなパートナーを見つけ、非クリスチャンの観点からすると、罪悪感を抱きながら暮らすことになる。このようにして、クリスチャンの名誉が傷つけられるのである。

非クリスチャンがメンバーとなっている原住民法廷は、結婚が教会で執り行われる時、クリスチャンの夫婦がお互いに神の前で行う約束の本質を理解することができないとしばしば言われている。たとえこれが真実だとしても(原注:しかし、これが真実ではないと言う証拠がある)、それが問題なのではないと私は考える。というのは、法廷は民法(civil law)を扱うところだからである。イングランドの離婚法廷は、夫婦が教会で結婚したか、それとも登記所で結婚したかを問いただすことはない。教会で結婚した場合には夫婦は「死が二人を分かつまで」という誓いをするが、そういう夫婦が離婚法廷に提訴することを禁じられているわけではない。自分自身で背負い切れない重荷を他人の背中に縛りつけたパリサイ人のことを思い出すがいい(訳注:「ルカによる福音書」11:46「イエスは言われた。『あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ』)。

高い教育を受けたアフリカ人は、時代遅れになる事を極度に嫌う。彼らは、ヨーロッパ人と同等に扱われることを願っている。そんな彼らの中には、一方でヨーロッパ人のための国家婚姻法があり、他方でアフリカ人のための婚姻法があることに怒りを覚えている者がいる。それゆえ、たとえばKikuyu Native Authorityの臣民の地位から抜け出したいと思っているアフリカ人なら誰でも、そうする自由があるはずなのだ(ちょうどヨーロッパ人が帰化申請用紙をもらい、他の国籍を取得するように)。そうやってはじめて、彼は国家婚姻条例のもとで結婚できるのだ。真面目なアフリカ人クリスチャンの中には、おそらく「現実に即して標準化された条例」に甘んじるものがいるだろう。というのは、こうした条例が、アフリカ人の部族法より教会法に近いと思っているからである。さらに、彼らは、イギリス人のクリスチャンがこうした条例を制定し導入したということを知っている。一方、ンニヤサランドのBlantyre Native Christian Associationは、1936年につぎのように記している。「キリストの教えが部族法と異なる点は、教会の教えを守るのは個人の信仰であり、上から押し付けられた外国の法律の権力や罰則によってではない」と。この単純な文言こそが真実であり、これがBritish Missionary Societiesの会議でも真実であるとされた、とわたしは考えている。しかし、East African Governors の会議やColonial Officeによってはまだ真実だと受け止められてない。

ウガンダの法律もニヤサランドの法律も、原理原則において間違っている。というのは、それらは相互に真っ向から対立しているからである。この対立を調整することができるとは思わない。イングランドでもスコットランドでも、ニヤサランドで機能している原理原則を採用してきた。紀元後の300年間、ローマ帝国は、私が知る限り、帝国内のクリスチャンの結婚と離婚に関する特別な法律を制定しなかった。キリスト教会は発展し、繁栄した。同様の条件のもと、大英帝国でなぜ教会が発展し繁栄しなかったのか、その理由を私は知らない。しかし、アフリカの教会の状況は、ローマ帝国の例に従っていたならば、はるかに健全だったであろうと、私は信じている。(富永智津子訳)