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【現代アフリカ史16】『女性憲章』

【現代アフリカ史16】『女性憲章』

掲載:2015.09.24 執筆:富永智津子

『女性憲章』(The Women’s Charter)は、南アフリカ女性連盟(Federation of South African Women)の創立大会で採択された連盟の基本方針である。創立大会には、南アフリカ連邦の各地に住む23万人の女性を代表して、約150人の女性が参加した。その多くは、2~3年間小学校に通っただけの女性であったが、労働組合運動の経験を通して、さまざまな問題意識を共有するようになっていた。この大会には、白人、インド人、カラード、アフリカ人中産階級の女性も参加しており、女性憲章は、アパルトヘイトの廃絶と女性の地位向上を目指して起草されている。

憲章の冒頭では、「女性の地位は、文明度を測るものさし」であり、南アは文明化した国の中では低レヴェルにとどまっている」との認識がまず示される。次に、夫が出稼ぎに行っている間、子どもの世話から土地の管理までを行っている女性こそが過酷な状況を知っており、その原因である人種や階級格差との闘いへの決意が表明されている。続いて、働く女性の現状、女性を未成年の地位にとどめている法律に言及、男性と平等な地位と権利を獲得するための女性教育の必要性に言及した後、八項目にわたる要求を掲げている。その中には、同一労働・同一賃金、妊産婦の施設や保育所、福祉クリニックの要求など、女性の労働を保障するための要求項目が並ぶ。最後には、同様な目的を持つ世界中の組織と連帯し、恒久平和を求めるという人類共通の理念が掲げられている(⇒【史料】『女性憲章』(南アフリカ女性連盟創立大会、1954年)・『自由憲章』(1955年)(富永智津子/永原陽子共訳)

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南アでの女性の政治活動は、移動の自由を制限する1913年のパス法の反対運動から始まった。1920年代になると、クリーニング業界や衣料・家具・パンなどの製造業界で働く女性たちが、都市部での労働組合運動に参加するようになる。その中のリーダー格の女性たちが、増長するオランダ系白人(アフリカーナー)のナショナリズムやアパルトヘイト政策への反対運動にも参加するようになるのは1930年代。そして、1940年代の南アフリカにおける経済的発展は、さらに女性労働力への需要を高め、その結果、女性たちはますます都市部へと押し出されることになる。1950年代のパス法反対運動で、女性たちが中心的役割を果たしたのも、都市部への移動の自由の制限は女性にとって死活問題だったことを示している。しかし、より大きな問題は、女性たちが一貫して男性主導の社会構造と解放運動の周縁に位置づけられていたことである。こうした状況を打開しようとして創設されたのが、この女性連盟であった。憲章の文言からは、南アフリカの女性が何を追求しようとしていたか、いかなる政治的、社会的、経済的状況の変革を目指していたかが浮かび上がってくる。

ちなみに、1年後の1955年、男性主導の「アフリカ民族会議」(ANC)や「南アフリカ・インド人評議会」(SAIC)などの反アパルトヘイト諸組織によって採択された『自由憲章』は、『女性憲章』と比較すると、ジェンダー視点の比重の違いが明らかである。しかし、国連のジェンダー平等という21世紀の目標を先取りしている感のあるそのジェンダー視点は、きわめて西欧的なジェンダー・パラダイムにのっとっており、これまで述べてきたような共同体の原理にのっとったミクロレヴェルのジェンダー関係を視野にいれたアフリカ的展望を示しているわけではない。その展望が試されている領域のひとつが、制定法と慣習法である。すでに見てきたように、とりわけ結婚と離婚に関して、制定法と慣習法が入りまじり、しかも植民地当局の介入によって、さらに複雑な状況を呈していた状況をどのように整合的に調整できるかが問われているのである。

 

【現代アフリカ史17】制定法と慣習法

【現代アフリカ史15】キリスト教宣教団の介入

アフリカ史

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