カロリナ刑法典(Constitutio Criminalis Carolina)(1532年)

1.史料、2.解説(初出:三成他『法制史入門』一部加筆修正)、3.ジェンダーから見た特徴(2014.09.19掲載)(執筆:三成美保)

1.史料

1577年版

①史料(原文:新高ドイツ語)
→全文(活字)カロリーナ刑法典

②史料(原文:新高ドイツ語)
→全文(1577年版のPDF)カロリーナ刑法典(1577年版) 

 ③史料(翻訳:日本語)
→全文:塙浩訳(『塙浩著作集』)

2.解説

カロリナ刑法典(1577年版)

1496年、帝室裁判所で、諸侯や都市当局が多くの無実の人びとを裁判にもかけずに処刑しているという苦情がだされた。恣意的で不当な逮捕・処刑を蔓延させている糾問手続を、イタリアの刑事法学をモデルにして、徹底的に改善しようと制定されたのが、帝国最初の統一刑事法典「カール5世の刑事裁判令」[=カロリーナConstitutio Criminalis Carolina]である。したがって、法典の中心は、刑事訴訟法におかれた。全219条のうち、後半部分の79条しか実体刑法規範を含んでいない。

「カロリーナの母」とよばれるのが、シュヴァルツェンベルク(1465-1528)が起草した「バンベルク刑事裁判令」[=バンベルゲンシスBambergensis(1507年)]である。シュヴァルツェンベルクは、学識法律家ではなく、幅広い教養をもつ敬虔な貴族であった。中世までの中心的な証明手続は雪冤宣誓であったが、中世末期には、雪冤宣誓は有力者に有利に作用し、貧民は無制限な拷問をうけるといった不平等が生じていた。シュヴァルツェンベルクは、拷問の適用に客観的なルールをもうけ、平等化をはかろうとした。そのために用いられたのが、当時のイタリアで発展していた普通法の徴表理論だったのである。

1521年よりはじまった帝国統一刑事法典の制定作業に、当初はシュヴァルツエンベルクも参加していたが、途中で亡くなってしまう。4度の草案は、ことごとく帝国等族の反対にあってつぶれ、ようやく1532年に、カロリーナが成立する。しかし、その成立により、帝国での刑法が統一されたわけではない。カロリーナには、但し書き条項がもうけられ、ラント刑法が帝国刑法に優先するとされたからである。カロリーナは、ごく一部の地域では単独で効力をもったが、ほとんどの地域では、ドイツ普通刑法の基礎として、地域の条令・慣習がないかぎりにおいて、補充的に妥当したにすぎない。それにもかかわらず、18世紀末に啓蒙主義的な新しい刑法思想が登場するまでのカロリナの影響力を無視することはできない。カロリーナは、しばしば、領邦・都市の刑事立法の主たるモデルとされたからである。

3.ジェンダーからみた特徴

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車輪刑(Schweizer Chronik des Johannes Stumpf, Ausg. Augsburg 1586)

女性が加害者として想定されているのは、131条(嬰児殺)、132条(子の遺棄)である。処刑方法としては、斬首刑はもっとも軽いものであり、車輪刑(男性)・溺殺刑(女性)がもっとも重い刑罰であることからすると、嬰児殺はもっとも厳しい罰が与えられた犯罪ということになる。実際に溺殺刑が執行された記録が残っている(フランツ・シュミット『ある首切り約人の日記』白水社、1987年)。

また、魔術(109条)、同性愛行為(116条)、堕胎(133条)は、男女とも設定されている。ただし、魔女罪で告発されたのは8~9割が女性であり、同性愛行為についてはドイツでは女性は処罰されていない。

姦通罪は男性のほうが重く罰せられている。すなわち、近代的な「性の二重基準」は見られず、性犯罪については男性のほうが一般に刑が重い。

*【セクシュアリティ】近世ドイツのセクシュアリティー風俗犯罪(三成美保)

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(三成美保『ジェンダーの法史学ー近代ドイツの家族とセクシュアリティ』勁草書房、2005年、87ページ)