【年表5】日本史⑧現代日本と世界(1945以降)
→*【年表】戦後国際政治(1945~1970)
→*【年表】国際社会(1970~)
→*【年表5】日本史⑦(1900頃ー1945)
1945 GHQ 婦人解放を含む民主5大改革。女性参政権実現。RAA設置
1945(国際)国際連合成立
(参考)→「男女共同参画社会基本法制定のあゆみ」(内閣府)http://www.gender.go.jp/about_danjo/law/kihon/index.html
※1945年戦後~1999年男女共同参画社会基本法成立までの日本の男女共同政策(ジェンダー政策)の経緯についてわかりやすく概説している。
1946 GHQ 公娼廃止 RAA閉鎖指示。赤線誕生。第1回選挙で女性議員39名。
1946 男女平等 戦争放棄を謳う日本国憲法公布
1947 教育基本法公布(男女共学 633制 女子への高等教育機関開放など)。民法改正=家制度廃止
1947 文部省「あたらしい憲法のはなし」(中学1年向け教科書)デジタル資料→http://www.aozora.gr.jp/cards/001128/card43037.html
1948 優生保護法による中絶の合法化(49年,52年の改定でさらに条件緩和)
(参考)→*【ジェンダー法学8】優生保護法(ハンセン病問題)(三成美保)
1949ボーヴォワール「第二の性」邦訳
1949(中国)中華人民共和国成立
1950(朝鮮)朝鮮戦争(~1953)
(参考)⇒*14-4.【年表】戦後の朝鮮半島
1952 日米安保下で日本の主権回復。沖縄は米の統治が続く(復帰は1972年)
1954 家族計画普及運動の開始
1955 「主婦論争」はじまる。家庭電化時代幕開け 「三種の神器」が流行語に
日本住宅公団発足→「DK」表示が使われ、ステンレスの台所が文化生活のシンボルとなる。
人工妊娠中絶件数が過去最大となる(届け出件数117万件。実数はその2~3倍と見込まれる)。
1956 売春防止法成立(施行は1958年)
1960 米で経口避妊薬ピル発売(日本での正式認可は1999年)
1961 生理用品「アンネ・ナプキン」発売
1962 中学新指導要領、男子は技術、女子は家庭科の別修に。
女に大学教育は不要とする女子学生亡国論さかん。
女子学生亡国論
※毎日新聞記事→http://showa.mainichi.jp/news/1962/03/post-19dc.html
※日経ウーマン・オンライン→http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20090930/104275/
1963 米でB.フリーダン『女らしさの神話』刊行、女性解放運動の端緒
1964「マイホーム主義」「教育ママ」「カギっ子」「パートタイマー」という語が広まる。
1965 日韓基本条約
→*【史料】日韓基本条約・日韓請求権並びに経済協力協定(1965年)
1966 国立大学薬学部への女子入学を制限する動きが登場(熊本大学・富山大学・九州大学等)→女性学生たちの抗議行動で「女子規制は憲法違反」と申し入れをする。女子規制は導入されず。1965年時点での大学進学率は、男性20.7%、女性4.6%(女性の主な進学先は文学・教育・薬学)であった。(『年表女と男の日本史』334-335頁)
1967 国連で「女性に対する差別撤廃宣言」採択。ミニスカート流行
1968 全国の116大学で学園紛争
1969 女子の高校進学率79.5%ではじめて男子を上回る
1969 東急機関工業地位保全仮処分申請事件(女子若年定年制)の判決
女子若年定年制
東急では、定年年齢が男子55歳、女子30歳であった。これを不当とした女性社員が訴えを起こした。7月1日、東京地裁は「女子を著しく不利益に差別する本件定年制は著しく不合理なもので公序良俗に反して無効」という判決を出した。しかし、会社側は控訴し裁判はその後も続いた。最終的には1972年に和解が成立した。
(出典)日経ウーマン・オンライン→http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20090828/103875/?n_cid=nbpwol_else
1970 ウーマン リブ登場。女性雇用者中の既婚者、 5割を超す
1972 沖縄返還。
◆沖縄の米軍基地「沖縄には、多くの米軍基地があります。 1996年(平成8年)に、日本政府とアメリカ政府が話し合い、街の真ん中にあり、世界一危険と言われている普天間飛行場(ふてんまひこうじょう)をはじめとする11カ所の米軍基地を日本に返すことが約束されました。(SACO合意といいます。) |
1972 優生保護法改定案に女性 障害者の反対運動(~ 1974)
1972 新宿リブセンター開設
1973 第2次ベビーブーム
1975 ハウス食品の「わたし作る人 ぼく食べる人」CM.性別役割の固定化と抗議受け、放映中止
1977 この頃から「女性学」がさかんに
1979 第1回東京国際女子マラソン開催 初の公式女子マラソン。
1979 国連 「女性差別撤廃条約」採択
(参考)→*【史料・解説】1979年女性差別撤廃条約(三成美保)
1982 大卒女子の就職難 上場企業の8割が採用ゼロ.
1982 再度 優生保護法改定反対運動(~1983)
1983 日本初の体外受精児が誕生→以後 生殖技術の利用が進む
1984 共働き世帯が専業主婦世帯を上回る。
1984 国籍法改正(父母両系主義の採用)
1985 男女雇用機会均等法成立。日本、女性差別撤廃条約を批准
1987 特別養子制度創設
1989 選択的夫婦別姓を求める動き活発化。「セク八ラ」が問題化、流行語に
1989 日本初のセクシュアル・ハラスメント裁判(福岡セクハラ事件)
1989(国際)冷戦終結
1990 出生率史上最低で 「1.57シヨツク」。少子高齢化社会の問題化
1990(ドイツ)東西ドイツ統一
1991 育児体業法成立、男性も対象。
1991(ロシア)ソ連解体
1991 韓国の元日本軍「慰安婦」3人、日本に補償・謝罪を求め提訴
(参考)→*【特論11】朝鮮女性はどのように生きてきたか?(宋連玉)
1993 ヨーロッパ連合(EU)発足
1995 ドメステイツク バイオレンス(DV)の問題化。
1995 沖縄で米兵による女児強姦事件
1995 第4回世界女性会議(北京会議)開催
1996 民法改正要綱成立(2015年現在未成立)
(参考)→*【法学9】家族法と家族法改正
1997 介護保険法成立 2000年から開始
1998 女子の大学 ・短大進学率49.4%で 男子の47.1%を上回る
1999男女共同参画社会基本法成立
(参考)→*【法学】男女共同参画社会(日本)(三成美保)
2000 選択的夫婦別姓を認める民法改正案、 国会に提出されるが廃案に。
(参考)→*【ジェンダー法学9-2】選択的夫婦別氏制度(資料)
2000 ストーカー行為規制法成立。
(参考)→*【家族データ⑩】ストーカー被害(日本)
2000 「慰安婦」問題をめぐる女性国際戦犯法廷を東京で開催
(参考)→*【学術会議シンポジウム・報告】教材実例としての「慰安婦」問題・報告②(小浜正子)
2001 DV防止法成立施行。
2001 皇太子夫妻に女児誕生→のちに女性天皇と皇室典範改正をめぐる議論に
2001(米)9.11テロ事件
2003 性同一性障害者特例法成立。
(参考)→*【特論12】LGBTIの権利保障(三成美保)
2003 少子化社会対策基本法成立
2004 各地に男女共同参画に反対する「反ジェンダーフリー」の動き
2005(H17) 衆院選で女性当選者 43人となる。
◆国会議員に占める女性割合
「内閣府「女性の政策・方針決定参画状況調べ」により,国会議員に占める女性割合について,その推移を見ると,衆議 院総選挙当選者においては,戦後の一時期を除いて,1~2%台で推移していた。その後,平成8年(第41回選挙)に小選挙区比例代表並立制が導入されて以降増加したが,衆議院の女性議員割合は26年12月末現在9.5%(45人)であり,国際比較すると,190か国中153位(27年1月現在)となっている。
また,参議院においては,昭和22年4月(第1回選挙)の4.0%(10人)からおおむね増加傾向にあるが,平成26年12月末現在では15.7%(38人)と前年から減少している。」(男女共同参画白書H27年版から引用)http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h27/zentai/html/honpen/b1_s01_01.html◆補足
・戦後の第1回衆議院選挙 女性議員39名(議員比率8.4%)
・22年5月現在(過去最高):衆議院議員(議員比率)11.3%(女性議員54名)・参議院議員(議員比率・非改選との合計)17.4%(42名)
・26年12月現在:衆議院議員(議員比率)9.5%(女性議員45名)・参議院議員(議員比率)15.7%(女性議員38名)
2006 出生率 5年連続で過去最低を記録
2007 改正男女雇用機会均等法施行。柳沢厚労相の「女性は産む機械」発言問題化
2009 最高裁 兼松賃金訴訟で男女格差は違法との判決
2010 改正育児・介護休業法施行、男性の育休取得を後押し