【年表5】日本史⑦二つの世界大戦と日本(1900頃ー1945)
(比較)→*【年表】世界大戦の時代(1914~1945)
(比較)→*【現代アフリカ史】アフリカ史100年を「ジェンダー視点」で切り取る(富永智津子)
1908 皇国殖民会社によるブラジルへの第1回移民送出
○「ブラジル移民の100年」(国会図書館電子展示会)http://www.ndl.go.jp/brasil/index.html
1911「青鞜」創刊
1911 工場法公布(施行は16年)
1911 管野スガが処刑
1911(中国) 辛亥革命→1912 清の滅亡・中華民国成立
◆管野 スガ(かんの すが)
1881(明治14)ー 1911(明治44)。明治時代の新聞記者・著作家・婦人運動家・社会主義運動家。幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名の1人で、大逆罪で死刑を執行された唯一の女性。
1913 東北帝国大学に3名の女性が入学
1913 石原修「女工と結核」講演および「衛生学上より見たる女工の現況』刊行
◆東北大学
東北大学は、1907年(明治40年)に東北帝国大学として創立し、当初から、専門学校、高等師範学校の卒業生にも門戸を開き、1913年(大正2年)に は、当時の政府からの圧力にも屈せず、日本の大学として初めて、3名の女子の入学を許可し、「門戸開放」が本学の不動の理念であることを世に示しました。(東北大学HPより引用)http://www.tohoku.ac.jp/japanese/profile/about/02/about0202/
1914 『読売新聞』「婦人附録」新設 、
1914 第一次世界大戦はじまる(~1918)
1916 『婦人公論』創刊、 友愛会婦人部設置
1917 『主婦之友』創刊(2008休刊)
1917(ロシア) ロシア革命→ソ連の成立(1991 ソ連の崩壊)
1918 米騒動
1918 母性保護論争はじまる(与謝野晶子 、平塚らいてう 、山川菊栄ら)
1918 全国処女会中央部設立
1919(ドイツ)ワイマール憲法成立
1920 新婦人協会結成(平塚らいてう、 奥むめお、 市川房枝ら)
1920 国際連盟成立
1921 羽仁もと子、 自由学園設立、
1921 社会主義女性団体・赤瀾会結成
1922 治安詈察法第5条が改正される
1922 「女性改造」創刊
◆新婦人協会
治安警察法5条2項削除(下記)に目標を絞り込んだ上で運動を進めることを決定。◆治安警察法第5条(1922年改正以前)
第五条 左ニ掲クル者ハ政事上ノ結社ニ加入スルコトヲ得ス
一、現役及召集中ノ予備後備ノ陸海軍軍人
二、警察官
三、神官神職僧侶其ノ他諸宗教師
四、官立公立私立学校ノ教員学生生徒
五、女子
六、未成年者
七、公権剥奪及停止中ノ者
2.女子及未成年者ハ公衆ヲ会同スル政談集会ニ会同シ若ハ其ノ発起人タルコトヲ得ス(→1922年改正により削除)※「治安警察法」1900年(明治33年)3月10日公布、同年3月30日施行。1925(大正15)年最終改正。1945(昭和20)年11月21日 「治安警察法廃止等ノ件(勅令第638号)」により廃止。
1923 第1回国際婦人デー
1923 職業婦人社設立(奥むめお)、
1923 関東大震災
1923 女性団体の救護活動さかん 、東京連合婦人会結成
1924 婦人参政権獲得期成同盟会発会
1924 東京市『職業婦人に関する調査』
1925 細井和喜蔵『女工哀史』奥むめお『婦人間題十六講』
1925 『家の光』創刊、
1925 治安維持法 普通選挙法の公布
1927 大日本連合女子青年団の発団
1927 無産党系列の女性団体の結成が続く
1928 婦選獲得共同委員会結成
1928 婦人消費組合協会設立「女人芸術」
1929 無産婦人同盟結成
1929 ガス値下げ運動が活性化する
1929 「婦人及年少者」の深夜業廃止 、
1929 世界恐慌はじまる
1930 東洋モスリン亀戸工場争議
1930 婦人セツルメント開設
1930 昭和恐慌
1930 第1回全日本婦選大会の開催
1930 婦人公民権法案がはじめて衆議院で可決
1931 大日本連合婦人会発会 、『婦人戦旗』、
1931 満洲事変
1931 女性団体の慰問活動が活発化
1932『働く婦人』創刊
1932 大日本国防婦人会結成
1932 東京地下鉄でスト(「生理休暇」を要求)
1932(中国)満州国成立
1932 5・15事件
1933(ドイツ)ナチス政権成立
1933 東京婦人市政浄化連盟結成
1933 松竹レヴューガールの争議
1933 国際連盟を脱退
1933 弁護士法改正(女性が弁護士になる事を可能とする婦人弁護士制度制定)
◆中田 正子(なかた まさこ:1910-2002)
日本初の女性弁護士。鳥取県弁護士会長、日本弁護士連合会理事を歴任。
女子経済専門学校に在学中、新渡戸稲造や我妻栄(民法学)に学んだことをきっかけに法律の道を志した。昭和6年(1931年)日本大学法学部に選科生として入学。昭和9年(1934年)日本大学法学部選科生の課程を卒業。明治大学専門部女子部(下記)3年次に編入学。昭和10年(1935年)明治大学専門部女子部卒業、同法学部に進学。昭和13年(1938年)当時の高等試験司法科に合格した。3名の女性合格者はいずれも明大女子部出身者だった。弁護士として、昭和15年(1940年)弁護士試補試験に合格、正式に弁護士となる。◆明治大学専門部女子部
1929年に専門部女子部を創設。日本の大学として初の法学部女子部を創立するなど、先駆的に日本の女子高等教育を担った。女性の公的領域への進出に対して閉鎖的であった日本近代において、女性の高等教育を積極的に推進し、女性の社会進出に大きな役割を果した。
1936 2・26事件
1937 日中戦争(~1945)
1939 婦人時局研究会、
1939 国民精神総動員中央連盟に吉岡弥生、市川房江ら参加
1939 第二次世界大戦はじまる(~1945)
1940 国民体力法
1940 婦選獲得同盟解散
1940 野沢婦美子『煉瓦女工』
1941 人口政策確立要綱、閣議で決定
(参考)→*【GL8-2】戦前~戦後日本の優生法制(三成美保)
(比較)→*【アメリカ史】近代アメリカ社会の構造と優生学(三成美保)
1941 アジア太平洋戦争はじまる、家庭雑誌、女性雑誌整理統合
1942 大日本婦人会発会(愛婦、国婦、連婦の残団体の統合)、「妊産婦手帳」、衣料切符制、乳幼児体力検査
○「大日本婦人会概況」(デジタル資料13ページ:国会図書館)http://www.ndl.go.jp/modern/img_r/087/087-001r.html
1942(昭和17) 「昭和十七年度国民動員実施計画」
→(デジタル資料60ページ:国会図書館)http://www.ndl.go.jp/modern/img_r/092/092-001r.html
1943 防空頭巾、もんぺを常用する
1944アメリカ軍、サイパン島、グアム島に上陸、学徒勤労令
1943(昭和18) 「昭和十九年度物資動員計画改訂大綱(供給力計画附属資料)」
→(デジタル資料12ページ:国会図書館)http://www.ndl.go.jp/modern/img_r/093/093-001r.html
1945 東京大空襲、沖縄戦、広島、長崎に原爆、敗戦。
1945 ポツダム宣言受諾
○ポツダム宣言(全文:国会図書館)http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html
1945 占領軍兵士を対象に日本政府がRAA(特殊慰安施設協会)を設置
1945 治安警察法廃止
1945 選挙法改正で女性参政権の実現