科学の普遍性と人為性(姫岡とし子)

ロンダ・シービンガー『植物と帝国-抹殺された中絶薬とジェンダー』小川眞理子・弓削尚子訳、工作舎、2007年

掲載:2019-12-09 執筆:姫岡とし子

植物と帝国―抹殺された中絶薬とジェンダー

現在、たとえば脳科学の観点から「女性」と「男性」の能力の違いが語られているが、そうした科学を根拠にした性差論が唱えられるようになったのは、一八世紀の啓蒙期以降のことである。生理学、解剖学、医学、生物学などに基づいて、「女性」と「男性」は身体的にも精神的にも生まれつき本質的に異なる存在だとされた。男性は「理性的で創造的」、女性は「感情的で視野がせまい」という当時の性差観に基づき、「女には科学研究は不可能」と見なされていた。

実際、マリー・キューリー以前の時代の女性科学者の名前を挙げるのは難しい。しかし、フェミニスト史学や科学史研究は、身体観の歴史や性差の構築過程を探求することによって、客観的で中立的だと考えられがちな科学研究の歴史に孕まれていたジェンダーバイアスを明らかにしてきた。また女性科学者の不在も、彼女たちが科学の表舞台から消されてきた結果だった。そのことを『科学史から消された女たち』で喝破したのが、本書の著者で、一貫して科学とジェンダーの関係を考察してきたシービンガーである。

本書で彼女が扱うのは、人物の消去ではなく、植物に関する知識の抹殺である。

ドイツ生まれの有名な画家マリア・シビラ・メリアンは、一八世紀への転換期に、博物学的な研究を目的として炎熱地帯スリナムへの旅に出た。当時の冒険の世界には「男らしい英雄像」が投影されていたが、女であるメリアンも、現地の奴隷たちを頼りにして、密生した雨林や毒蛇のいる川を進み、昆虫と植物を収集した。帰国後の一七〇五年に出版した『スルナムの昆虫の変態』のなかで、彼女は、色鮮やかな花を咲かせるフロース・パウォーニス(和名黄胡蝶(おうこちょう))のもつ堕胎効果について述べた。しかし、この植物はヨーロッパで観賞用としては広まったが、中絶薬としての知識は抹殺されたのだ。なぜなのだろか。

シービンガーは、中絶薬としての知識体系が、ヨーロッパ文化のなかで消失していった理由として重商主義を挙げる。人口増が国の富と力を増加させる源だとみなされる国家政策のもとでは、中絶はできるだけ回避されなければならない。これは本国だけではなく、植民地でも同様で、奴隷が奴隷になる子どもを産んでくれることが、労働力の確保と生産力の増大につながっていく。だからこそ、メリアンの書物に書かれていたように、主人からひどい扱いを受けていたインディアンが、抵抗するために黄胡蝶を使って子どもを流したのだ。

この時代にヨーロッパでは、懐妊と避妊、出産と中絶に関して、薬草を中心に豊富な経験知をもっていた産婆に代わって、しだいに産科医が出産をコントロールするようになった。難産のさいに幅を効かせたのは、産婆が用いていていた薬草ではなく、手技と鉗子や鉤針であったため、慣習的に使われていた中絶薬もしだいに姿を消していった。一八世紀には、学術的な薬物テストがさかんに行われて、効果が試され、服用量が決定されていったが、内科医や薬剤師はその主流に中絶薬を組み込まなかったのである。

知識の抹殺は、知識の搾取や歪曲とメダルの裏表の関係にある。カリブ地域を旅した博物学者は、薬品、香料、染料などの原料となる、さまざまな植物と、現地人が秘匿してきた、それらの使用法や加工法を入手し、莫大な富を手に入れた。そればかりか、その分類と命名に関しても、権力を発揮したのである。その立役者は、近代分類学の父として、名高いカール・リンネ。「言語の帝国主義」と呼ばれるポリティクスで、地球規模の植物にラテン語を標準とするヨーロッパの名称を与え、原地の植物名とその文化的アイデンティティを剥奪し、植民地的支配を貫徹させていったのだ。

メリアンの黄胡蝶=フロース・パウォーニスには、リンネの先駆者であるトゥルヌフォールによってポインキアーナ・プルケリッマというまったく新しい名称がつけられ、リンネがこれを承認した。この名称は、熱冷ましにこの植物を用いたフランス領アンティル諸島の総督ポワンシーにちなんであおり、フランスによる植民地支配を称えるものだった。植物に不朽の名前をとどめたがる人は後を絶たず、一八世紀に命名された植物は大抵、科学者、文筆家、要人にちなんで名づけられた。もちろん男性である。この命名法には、当時、ヨーロッパが植民地である他者と男性が女性に向けたヒエラルヒー的な眼差しが象徴的に示されている。

(関連記事)

*【科学史】ロンダ・シービンガーの科学史・科学政策研究(小川眞里子)

*【紹介(訳書)】ロンダ・シービンガーの科学史・科学政策研究(訳者による紹介:小川眞里子)

*Global History of Women and Gender in Science(Londa Schiebinger)

(参考)シービンガーの本

女性を弄ぶ博物学―リンネはなぜ乳房にこだわったのか?

ジェンダーは科学を変える!?―医学・霊長類学から物理学・数学まで

科学史から消された女性たち―アカデミー下の知と創造性