18世紀の身体認識(姫岡とし子)

バーバラ・ドゥーデン『女の皮膚の下』井上茂子訳、藤原書店、1994年

掲載:2019-12-09 執筆:姫岡とし子

女の皮膚の下―十八世紀のある医師とその患者たち

バーバラ・ドゥーデンは、旧西ドイツで新しい女性史を立ち上げたパイオニアの一人である。女性学の旗揚げ大会(ベルリン、一九七六年)のさいにドゥーデンはギゼラ・ボックとともに「愛による労働、愛としての労働」[1]という家事労働に関する論文を発表した。家事労働の超歴史的がまだ疑われていなかった当時、彼女たちは、近代以前の家事は生産労働と区別することはできず、生産労働から分離した近代に今日的な意味での家事労働が誕生したこと、そのさいに愛による労働である家事には対価は不要とされたことを指摘した。この家事労働の歴史性と無償である根拠の指摘は、当時、同じように不変だとされていた家族の歴史性が明らかになるのと呼応しながら大きな注目を集め、女性史の必読文献となった。日本の一九八〇年代の言論界で大きな影響力をもったイヴァン・イリイチの「シャドウ・ワーク」も、この論文に多くを負っており、以後、ドゥーデンはイリイチと密接に研究協力をする関係にあった。

出産など女性の身体にかかわる研究を続けていたドゥーデンは、その過程で、ヨハネス・シュトルヒという老博士が後輩に教えるために、自分の二〇年間にわたる日誌から患者の記録をまとめた『婦人病』八巻に出あった。この本を読みはじめたとき、彼女自身もまだ「身体も身体体験も不変」だと考え、解剖学的また医学的な知識によって身体を客体として捉えることを習性としていた。しかし、既知のカテゴリーに依拠してこの本を読もうとしても、患者である女性たちの訴えはナンセンスな話しにしか思えず、今日の医学ではほとんど理解不可能だった。それなのに、医学部で教育を受けた内科医であるシュトルヒは、本当とは思えない事柄をまともに受けとっているのである。

ドゥーデンは、女性患者の内部にある不可視のからだの体験に接近するためには、文化的先入観を克服することが必要だと考えた。この本を史料として女性の身体のイメージを歴史的に研究するために、思い切って身体=自然/社会的環境=歴史という境界線を越えたのだ。『婦人論』は学問的な考察でなく、実用的な行動の例示を目的としていたため、患者の言葉であるドイツ語で執筆され、女たちが自分の症状やその解決法についてどんなことを打ち明けたかを、また、シュトルヒの報告を通じてだが、女性たちが自分のからだに対してもっていたイメージを知ることができた。

この史料=テクストに記されている症例を解読するドゥーデンの方法は、事柄に従うのではなく、意味群へと分解し、「原理」を見いだして整理することだった。この解読によって、混乱と理解不能なものから、秩序ある世界が立ち現れてきて、シュトルヒが治療した女性患者の身体が見事に再現されることになった。独自な文化に刻印された世界における生の身体である。ドゥーデンは、もっとも自然なもの考えられていた身体に関することでも、われわれが使う言葉では描けない文化的な構造物であることを示してくれた。

たとえば女/男の差異に、月経や射精などの性徴は決定的ではなかった。男女の違いは、女性が血液ないし体液を周期的に排出することであり、男性は金脈(痔)や夢精という形で不定期に排出した。すなわち金脈が月経の類似物として捉えられていた。月経は妊娠とは結びつけられておらず、妊娠の判断は胎動だった。

病気とその治癒も同様に、体内と体外への流動から説明される。からだに数多く存在する開口部から毒素が排出されなければ、痛みを感知し、体内で硬化がおこるため、治療は、このじゃまものを取り除くことであった。女たちはしばしば、体験から、その除去の仕方を知っていて、からだの異常のさいに、女のネットワークが動員されて解決をしようとする。医者に求めるのは、その確認や助言。女は患者のからだに触れるが、男である医者の触診は稀。患者の話から痛みの原因を考察した医師は、しばしば女たちとは異なる体外排出の方策を処方する。こうした女たちの日常の生活世界の歴史人類学的な探求も、本書の大きな魅力の一つだ。

フェミニズム歴史学は、ドゥーデンの果敢な挑戦によって、身体という「自然の最後の砦」でさえ、その構造・機能・意味が「歴史の産物」であることを明らかにしたのである。

[1] G.Bock/B.Duden,Arbeit aus Liebe-Liebe als Arbeit. Zur Entstehung der Hausarbeit im Kapitalismus, in: Frauen und Wissenschaft. Beiträge zur Berliner Sommeruniversität für Frauen・Juli 1976, Berlin 1977, S.118-199. B.ドゥーデン/C.v.ヴェールホーフ『家事労働と資本主義』丸山真人訳、岩波現代選書、1986年、 頁。

(初出:ミネルヴァ通信『究』2015年3月、No.48、書籍化の予定あり)

(参考)B.ドゥーデンの本

胎児へのまなざし―生命イデオロギーを読み解く (パンセ選書)

家事労働と資本主義 (〈特装版〉岩波現代選書)

ジェンダー・文字・身体―I.イリイチ、B.ドゥーデンを囲んで