【特論】なぜ、女子に理系分野なのか(小川眞里子)

更新(全文掲載):2015-11-23 掲載(一部掲載):2014.06.03  執筆:小川眞里子
(初出:基調講演:岩手大学男女共同参画推進室『科学・技術教育と女性』(女性研究者裾野拡大のための教育研修報告書)2013年1月)

◆基調講演「 なぜ、 女子に理系分野なのか」三重大学人文学部 小川 眞里子 氏(2013年)

三重大学 人文学部 教授 小川眞里子 氏

小川眞里子氏

ご紹介にあずかりました小川と申します。三重大学に勤めておりますので、なかなかこ ちらの方面まで足を延ばすことができません。札幌と仙台には何度か行ったことがあり ま すが盛岡は今日が初めてで 、盛岡駅の何と立派なことと思いました。三重大学は津市にあり近鉄の特急は停まりますが、ここは新幹線の最寄駅ということで、素晴らしく便利だなと思いました。

なぜ女子に理系分野なのかということですが、今、太田先生や田口先生 、特に川村先生 が「 女子の理系の就職内定率が増えている 」とお話しされたことを大変興味深く伺いました。私がお見せするデータ にも若干関係するかなと思い、話を進めさせていただきます。

稲田先生から女子に理系分野に興味を持ってもらうというお話がありました。私は文系 におりますが、学生に興味をもってもらい、寝ないでずっと授業を聴いてもらうのは至難の技です。授業自体面白くなければということもありますが、グッズがあるとかクイズがあるとか、工夫をしないと寝ないで聴いてくれるというわけにいきません。今日もクイズ をいろいろ用意してきております。

さてオリンピックはいつ始まったのでしょうか?ノーベル賞はいつからでしょう?つい 最近ロンドンオリンピックが終わったばかりなので、皆さんオリンピックの話題は身近なことだと思います。また、ノーベル賞の話をするのにまことにタイミングよく、昨日は京都大学の山中伸弥先生が受賞されて、大変嬉しいニュースが日本を駆け巡りました。 では まずオリンピックはいつ始まったのかについてです。今世紀と思っている人はいないと思いますが、20世紀にはじまったのでしょうか?もちろん古代オリンピックではなく、近代オリンピックですよ。20世紀に始まったと思われる方、手を挙げてください。19世紀に始 まったと思う人。(フロアの様子を見て)素晴らしい。ノーベル賞はいつからでしょう ?20 世紀に始まったと思う人、手を挙げてください。19世紀に始まったと思う人。(フロアの様子を見て)19世紀も結構ありますね。

オリンピックは 1896 年、ほとんど20世紀に近いところからです。ノーベル賞は 1901 年に始まりました。1900年だ19世紀なのですが、1901年に始まりましたので、まさに20世紀に始まったということです。オリンピックは4年に一度で、ノーベル賞は毎年あります。オリンピックとノーベル賞の大きな違いは何かというと、4年に一度か、毎年かの違いもありますが、男女ということで考えますと、オリンピックは男女別々でやります。ノーベル賞は男女別々の表彰ではなく、男女一緒ですね。

ノーベル賞についてもオリンピックについても、どちらかというと女子には無理という気分が私たちの固定的な観念として張り付いていると思います。女子にサッカーは無理だと考える人は今はいないと思うのですが、ウェイトリフティングは無理だとか、棒高跳びは無理、ハンマー投げは無理、レスリングは無理、ボクシングは無理とされてきました。 オリンピックは1896年に始まっていますが、これらの種目が女子の正式種目になるには大体1世紀くらいかかっているのですね。私の年代よりももう少し先輩ですが、人見絹江さんが女子の800メートル走に日本から出場して銀メダルを取りました。1928年のことで、日本の女性にとってずいぶん明るいニュースになりました。しかし、ゴールするなり女子選手がみんな倒れてしまうので女子には無理ということとなり、次から30年間ほど 800メートル走がなくなるなど、オリンピック種目になったりならなかったりする種目でした。今や42.195キロのマラソンですら女子種目なのにと思うのですが。

Marie_Curie_(Nobel-Chem)

マリー・キュリー

スライド1をご覧いただきますと、女子サッカーは1996年ですから、ちょうど100年かかっています。ウェイトリフティングが2000年、棒高跳び、ハンマー投げ、レスリングが2004年からです。吉田沙保里さんがレスリングで3度金メダルを取ったので、その前にもレスリングをやっている女の人がたくさんいると思っていたのですが、吉田さんはなんとレスリングが女子の正式種目になってからずっと勝ち続 けて、金メダルを取りっぱなしなのだということで、驚きました。ボクシングに関しては1912 年から始まり、今年からようやく女子の正式種目になりましたので、ちょうど1世紀かかっているわけです。それに比べますと、ノーベル賞は 1901年に始まっていて、ノーベル賞自体については女子には無理とは言われませんが、女子に科学は無理、数学は無理ということは、ずいぶんこれまで言われてきたのではないかと思います。オリンピックは男女別々でも、ノーベル賞は最初から男女にとって正式種目です。正式種目ということは女子もノーベル賞をとっている と思いますよね。

イレーヌ・ジョリオ=キュリー

女性で最初にノーベル賞を取った人は誰ですか?というのがいつものクイズです。「マリー・キュリーも知らない人がいる」と先ほどのお話で聞いていささかショックを受けましたが、1人目はまず答えられるのですね。マリー・キュリーが答えです。では2人目は誰でしょうというととたんに誰も答えられなくなるのです。実はマリーの娘、イレーヌ・ジョリオ=キュリーが女性で2人目ですが、マリー・キュリーがすごいのはなんと2つ目のノーベル賞も取っているのですね。

これもクイズですが、この中にも女子学生の人は「私も遊んだわ」ということで、バービー人形やリカちゃん人形を知っている人はたくさんいると思います。これらは子どもに大人気のお人形ですが、共通点があるのです。それは何でしょう?バービーの方は、ITか何かを仕組んでおしゃべりするタイプが売り出されたときに「Math class is tough(数学の授業って難しいわ)」というセリフをこのお人形の中に入れ込んでしまったのですね。このバービー人形を買うお客様が8億も いる状況ですから、女性団体から苦情が出ました。小学校の低学年や幼稚園の女の子が自分の分身のように思って遊ぶお人形に「数学って難しいわ」なんてわざわざ言わせる こともないでしょうと。「数学って楽しいわね」なら良いのですが。なぜ「難しいわ」とため息交じりのセリフを言わせるのだろうということなのです。実は日本のリカちゃん人形は、パパはフランス人音楽家、ママは日本人デザイナーという1967年当時の日本女性の夢を投影した雰囲気があるのです。実際に『リカちゃんハウスの博覧会』という本を見ますと、白樺学園の5年生で美術と音楽は得意とあります。そしてこれにも 「 数学は苦手」と書いてあるのです。そこでタカラトミーのお客様窓口に電話して聞きますと、「確かに昔はそういう設定がありましたが、今はありません」と言われました。ノーベル賞の受賞者について、先程お話しましたが、決して数学が苦手な女性ばかりではありません。数学を得意とする女性はいるので、女子には無理という言い方は改めるべきではないかと思っています。私の今日のお話には2つの切り口があります。「理系人材」という人の問題。先程、非常に数が少ないというお話が出てきましたが、もう少しそれを分析した形でお示ししたいと思います。もう1つは「科学知識」にもジェンダーが入り込む余地があるということです。クイズをやっていただいて、実践していただければと思っております。

理系の人材はとにかく少ない。なぜ少ないのでしょう?だいたい女子は数学が苦手などと思い込まれているのはなぜでしょうか?少し実践的なところからいきますと、科学技術分野での男女共同参画がなぜ必要なのか?どうしたら女性科学者・技術者を増やせるのか?科学知識は客観的で中立的なのか?全く客観的で中立的なのであれば 、女性も 参画する必要があるということをそれほど言う必要もないのかもしれません。しかし 、 科学技術 は決してジェンダーフリーであるとは言い切れません。そして研究には資金が必要です。 本日新幹線のテロップを見ておりましたら 、山中教授は国が自分の研究を支援してくれたことについてずいぶんとありがたく思っている とおっしゃったようです。 それはお金を出す側が、山中教授の研究を非常に価値があると認めて資金を出している わけですから 、科学も価値フリーではないということです。そしてさらに説明するのに言葉が必要ということとジェンダーとの関係をお話します。

まずは人材のジェンダー問題から始めたいと思います。「なぜ理系に女性が少ないのか?」能力の性差論は有効とは考えられないと思っています。性差よりも個人差ですね。男子よりも断然物理が好きという女子もいます。男性であってもお料理が好き、もしくは編み物が好きで、うんと美味しいものや優れたデザインのものを作って市場で注目される人もいますので、性差よりも個人差が重要だと考えています。「 科学技術分野での男女共同参画がなぜ必要か? 」ですが、少子高齢社会で、研究者が不足しているからです。 例えば工学においても、製品のユー ザーは男女なのですから 、男性だけが設計や製作にあたるよりは男女がというように、男女平等の理念で職場としても門戸が開かれる男女共同参画が必要だと考えております。そして「どうしたら女性科学者・技術者を増やせるか?」と言えば、やはり女子学生がまず増えなければいけないでしょう。そのためにはどうしたら良いかということですね。それからキャリアパスの多様化です。理系の女子の職業として3つくらいしか挙がらないというのではなく、もっと多様な形で社会はそうした人材を求めていることを女子中高生にも知らせるようにしなくてはいけないと思います。また、出産・育児期の支援も、理系の仕事を継続するためには必要であろうと思います。

スライド5番(前ページ)をご覧いただきますと「 研究者に占める女性割合」で日本は最下位に張り付いています。OECD 加盟国がベースになった統計で、EUの加盟国 27カ国とOECD の加盟国ですから、アジアからは韓国と日本が統計に出ています。数年前までは日本が上で韓国が下でした。あっという聞に韓国に抜かれてしまいここ2, 3 年差は開くばかりです。要するに「先進国」と言われる国の中で、日本の女性研究者の比率は 13.6% で最低です。これからのことを考えると、女性にもう少し頑張ってもらわないと、人材の不足を補っていくことができないだろうと思います。しかし、単純に女性比率が高ければ良いという訳でもありません。例えばラトビアやリトアニア、ブルガリアなどが上位にありますが、研究者そのもののお給料が安いとか、社会的地位がそれほど高くないなど、いろいろなことがありますので一概には言えません。それにしても日本のこの比率の低さは問題だと思います。

次のスライドは1973年から2009年までの分野別・関係学科別の女子学士取得者の実数です(×1000人とありますので、100は10万人のことです)。なんといっても人文は多いです。そして社会( 法律や経済は少ないですが)、近頃はだいぶ増えているということがお分かりになると思います。ほとんどなきに等しい状況だったのが、 理学、工学、農学です。 特に、工学の赤い線があれば結構目立つはずですが、90年代の前あたりは見えない。教育分野は比較的市場が変わることなく、常に一定の学生数を占めていることがお分かりになると思います。」これは女子ですが、男女で比較したものが次のスライド7です。

男子の工学、社会(法律や経済)は1973年の辺りでもあまり変わらない。日本社会が、いかに工学部卒の男性と法律・経済を学んだ男性によって支えられてきたかが、よくお分かりになると思います。( 三浦有紀子「 科学技 術分野における 女子学生の動向、現状と今後」『 科学技術社会論研究』第 7 号2009 年には、当該年度における卒業者数を 100 としたグラフを掲載し、この事実を明示する工夫がされており、スライド 6、7のグラフは、 それを参考し作成。) 法律・経済は女子も大分増えてはきておりますが、全体として見たとき、現在の年齢にして40 歳半ばから60 歳くらいの女性人材はごっそりいないのですね。 2000 年になる 手前のあたりの男子のグラフの先端と女子の先端部分で比べますと、進学率の差が効いてくるのです。実数は減っても、女子は進学率の伸びで、グラフは伸びているのです。後程、進学率のグラフもお見せします。楕円で囲んだ部分(前ページスライド7)は、とにかく人材がいないわけですから、ある程度ポジテイブアクションでもやらない限りは、ロールモデル不足で次世代が育っていかないのではないかと思います。

さて次のスライド8 は、左側は学生の男女の比率で 、右側は教員の男女の比率を示しています。真ん中の四角で囲んだ 3 分野の女性教員の比率はとても低いですね。農学、工学、理学です。女性教員が極端に少ない工学も問題ですが、学生がそもそも少ないのですから、そこから大学院に行って博士課程を出て、研究者になるのが少ないのはある種順当ではあるわけです。しかし、農学が問題で、これほど 学部に女子学生がいるのですから 、いわゆる裾野は広がっているわけですが、教員になる女性は極めて少ない。工学は今の調子でやっていけばもっと裾野が増えるかもしれませんが、結局は農学と同じような形で学部卒の学生を増やしていっても、教員がそれほどの伸びないという可能性がなきにしもあらずです。女性研究者をよほど意図的に支援して増やそうとしない限りは、増えていかないだろうという懸念は大いにあると思います。

今ご覧いただいたグラフは、2007年のデータですが、次のグラフは女性研究者の比率を時系列で扱ったものですね。1983年からスタートし、2000年以降の他学部のグラフの伸びの良さに比べますと、工学はほとんど増えていません。文部科学省の女性研究者支援モデル育成事業は2008 年から始まっていますので、まだこれからに期待することは必要かなと思いますが、理学、工学、農学という3つがなかなか立ち上がっていきません。農学は2000年頃から若干良い傾向が出ていると は思いますが、まだまだ工学と理学に関しては、よほど女子学生をエンカレッジしなければ、教員の女性比率は上がっていかないと思います。

「理系女性研究者を増大させる」ということですが、日本の科学技術の担い手の不足が予想されるとか、科学技術の躍進には多様な人材が不可欠ですが、極端に女性研究者が少ないとロールモデルの不足で女子高校生は理系に親しみが持てません。また、研究者になる人が少ないということは、いつまでたってもこの悪循環が断ち切れないということになりますので、やはりどこかで急増策を意図的に行なうことが必要だと思います。

さて、次は進学率です。大学生全体の中で女子の比率はどれだけかということと違い、このグラフは一緒に中学校を卒業した仲間の内で何パーセントが大学まで進学したかを示しています。確かに1965年頃に比べれば、女子の進学率は上がっています。男子とはまだ10%ほどの大きなギャップがありますので、女子高校生は有望市場です。子供が1人か2人しかいない時代になりましたので、女子でも短大ではなく大学へ進学するようになってきており、多くの家庭で男女の区別がなくなってきていると思います。子どもが大勢の時には「お兄ちゃんは大学だけどあなたは短大ね」という話だったと思います。進学率はまだまだ伸びる可能性があり ますので、このギャップに注目して、女子高校生に科学技術分野の魅力をアピールすることは、 大いに意味があると思います。

日本においては女子学生の進学率が45%に達するかというところです(男子学生55%くらいです)。ところがEUですと、これが逆転してまいります。これはEU27か国の平均ですが(次ペ ジスライド12) 、横軸は入学時点 、卒業、修士、博士、講師、准教授、教授、 縦軸はそれぞれの時点での男女の比率を示しています。入学時点で、EU各国の平均では、女子が55%く らいで、男子が45% くらいなのです。女子のほうが大学進学時点で多いのです。そして、卒業の時に男子は若干下がります。どこかでドロップアウトするのですね。女子はそのまま真面目に卒業し、相対的な比率は若干上がる。しかし大学院に進学するのは男子学生の方が断然多いため、ここでグラフは逆転クロスして、あとは女性研究者となるとガタガタガタッと15%くらいまで落ちてしまうという状況なのです。EUも非常に危機感を持っておりまして、女性研究者支援のプログラムを様々な形で推進しております。これが(「ハサミの図」と呼んでいます)、できるだけ閉じた形になるのがふさわしいのですが、EUでもハサミの刃先の開きが悩みです。なんとか教授の時点でガクッと下がらずに、25%くらいのところには持っていきたいというのがEUの一つの目標ですが、これがなかなか難しいようです。

しかしEUの人に「まずはここまであればいいのではないですか」と言いたいです。』日本のグラフを」このEUのグラフの上に載せますとこうなります。まず先ほどご覧いただいたように。大学入学時点では文理合わせて男子が6割、女子が4割という比率ですが、理系だと女子は3、男子が7ですから、ハサミのようにクロスするはずもなく、「お箸の図」と私は呼んでおりますが、完全に男子と女子とでは住んでいる ところが違うというようなグラフになってくるわけです。 女子の進学率はだんだん上がっていますが、数の増大だけでなく分野の偏りをなくす必要があると思います。修士に進学する人は、男子では相対的にぐっ と上がって、女子は 30%くらいになります。博士で下がる 、准教授で下がる 、教授で下がるという形で、ガタガタガタ ッ と下がっているので、何とかこれをもう少しあげて、女性研究者を増やしたいというのが政府の考えているところです。岩手大学でもそういう ところを目標に頑張っておられるのだろうと思います。今は事業の呼び名が違っている ということをここで拝見して初めて気が付きました。三重大学は 「女性研究者支援モデル育成事業」 でした。今は文部科学省の 「女性研究者研究活動支援事業」となっているのです(注1)。 2006年から事業が始まり、保育園の整備や夫婦とも大学教員というカップルの支援など、様々な取り組みが実践されてきました。なんとか女性研究者を増やしたいということですね。

ここまでが人材の話です。まだまだ女性研究者、女子学生、学部で卒業する人も少なく、大学院を卒業する人も非常に少ない中、なんとか増えてほしいと思っていますが、もう一つの切り口として、「科学知識のジェンダー問題」について若干お話ししたいと思います。科学知識は観察に基づいているので、誰が見ても同じで客観的で中立的だと思われていますが、本当にそうでしょうか?科学知識にもジェンダーが入り込む余地があるのではないかということをお話したいと思います。

クイズです。これはなんでしょう?(フロアに対して)手?手ですか?あなたは?繊毛?たぶんいろいろなことをこの会場にいらっしゃる方は想像されると思います。これうぇお教室で学生に見せて順番に聞きますと、「ダンゴ虫が串に刺さっている」とか「木の枝をはらった幹の状態」であるとかいろいろなことを言います。今日はいきなり「手」なんて言われたので私としては若干どぎまぎしております。幾人か聞いていった後に、「先生、僕クマが見えます」 とか「コアラが見えます」 という人がいるのですよ。「人が見えます」とか。名古屋大学に非常勤で行き ますと、基本的にこれはコアラなんですね。東山動物園にコアラ がいるので、熊というよりはコアラ と答える人が多いのです。様々な形を想像しますね。私たちは網膜に映っている ものだけを観察しているわけではないのです。自分の納得がいくように解釈して見ているということなのですが、この図を作ったハンソンはこれをクマにしております。だまし絵で有名な老婆と少女の絵で 、ある視点を置いて見ると老婆に見える、別の視点では少女に見えるものがありますが 、 全く画面に映っていないものでも、私たちは想像力を働かせて見ることができる。その働かせ方は、一人一人の脳の中の情報によるのであって、一人一人のものの見え方はすごく違うのです。 新幹線だ飛行機だというように、一目瞭然というわけでなければ様々な意見が出ます。 赤ちゃん熊をおんぶしている熊でもいいし、木から降りようとしている熊でもいいのです。 そこまで想像される方はめったにいないと思いますが、それでもこれだけの情報から人々は様々な想像を膨らませて、私たちが事実だと思うことを見ているのです。スライド15 は誰もが真ん中の部分を実体と思って見ているかもしれませんが、「ビルの谷間です」とか、「両方のビルの部屋からすごく楽しそうな声が谷間に響いているのです」 という学生もいます。私たちの想像は様々ですので 、多様な人が多様な形で科学技術に関わる必要、とりわけ女性がほとんどいないような分野に女性が参入する、あるいは、マイノリティの人たちが科学技術に参入することが、新しい突破口を開くということに繋がるのではないかと想像されるわけです。

もう1ついきましょう。これはそんなにデフォルメされてはいないのですが、(フロアに対して)後ろの方、なんだと思いますか?そんな突然言われても?隣と相談して、いかがですか?虫の卵?それこそ染色体という人もいれば、点字だという人もいます。
これを冬に金沢大学でやったことがありますが、「雪が降っているみたい」と言われたりしました。これも何人かに聞いていきますと、「人が2人見えます」という人が出てきます。なかなか出てこない場合もありますし、「格闘技をしているところ」という人もいます。これは、2人の人が身体の要所要所に豆電球を点けて暗闇で踊っているところをコマ撮りしたものです。ですから、これらをパラパラマンガのように見ていただきますと、その動きがわかると思います。「先生、僕はダンスサークルなので、これを見たら、もう音楽が聞こえてくるのです」という人もいます。その人の脳にはそれだけの情報がインプットされていて、すごく親しい気分でそれが見られるという人がいるのです。(フロアに対して)ところで、人が2人見えるという人、手を挙げてください。そう言われればそのように見えるという人も。面白いことに、一旦見えるようになってしまうと、逆に見えなくすることがなかなか難しいのです。網膜に映ったものを私たちは客観的に処理しているというわけではなく、かなりの部分は、外の視覚世界と関係のない脳からの情報が上がってきて、物を見ているのです。

本を読むにせよ、字面の漢字とひらがなを見ているわけではなく、その漢字の読み、その漢字の意味を私たちは瞬時に脳で処理しながら見ているわけです。私たちが階段を上がったり下りたり、通勤の道を行ったり来たりという網膜に映っている部分(「車が来たから危ないな」という部分は必要ですが)は全体の3%くらいで、残り97%は脳の内部情報です。つまり、同じものを見ても、脳の内部情報が違っている人たちはきわめて違った形で物を見ているということがありうるわけです。都会で一律に情報を管理されたような人たちばかりではなく、様々に自由な形で想像力を培ってきた人たちが理系分野に入ってくることによって、ずいぶん新しい突破口が開かれるのではないかと 思います。( 前ぺージのスライド 17 で)あまりに厳密にパーセンテージできっちり表現されているものですから 、「 池谷先生( 東大薬学部)、そんなにピタッとわかるの?」とは若干思いますが、と もかく大雑把に言って脳の情報にかなり大きく左右されているいうことですね。ですから 、自然科学の 「自然」というのは、存在している自然を客観的に見るというよりも 、私たちは、解釈している という部分にもっと気が付かなければいけないと思います。そして、その解釈の仕方は人によって様々で、多様なキャリアを持った人が自然科学に関わる ことによって、新しい成果が生まれる のではないかと思います。どこに目をつけるかですが、ミツバチの例はどうでしょう。18 世紀半ばまでは巣の中の 一番大きな蜂は、女王蜂ではなくて王蜂なのです。なぜ女王蜂ではなくて王蜂なのかというと 、巣を支配するという社会的機能は、産卵する機能よりも重視されていたので 、Queen beeではなくKing bee なのです シェイクスピアの作品の中にも King bee というのが登場するくらいです。どこに注目するかによって私たちは物を捉える力点が違ってくるといってよいと思います。

それからこれはアンドレアス・ヴェサリウスという解剖学者の解剖図です。近代解剖学の父といわれる人で、1543年というのは重要な年なのです。この頃はまだ男女で骨格図が描き分けられておりませんでしたが、18世紀になると、性差が骨格に表されるようになります。

一見して皆さんお分かりだと思います。右が男性、左が女性の骨格図です。全般に骨が華奢であるとか、全体的に骨盤が大きいという人がいますが、私はここに気がついた人は偉いなと思っております。「地面にベタッと足がくっついているより、ちょっとつま先立っているほうが、おしゃれでエレガントじゃないですか」という女子学生がいて、なるほど、女性の骨格図というのはそんな形で描かれるのかと思いました。

実はこの18世紀に描かれた骨格図を使って、19世紀のジョン・バークレイという イギリスの解剖学者は、男性の骨格図の右にそれを象徴する動物を描きこんで出版しております。これも授業ではクイズでいろいろやっておりますが、もう時聞がないので 、いきなりお示しします。 男性の骨格図の横にはサラブレッドが描かれております。馬は人間に次ぐ知性の持ち主だと西洋では考えられています。
西洋には土着のサルがおりませんので、馬が動物の筆頭に来るのです。また、騎士との関係が深いという意味でも馬が描かれるのです。次に女性はどうかということです。この時代には骨格の女らしさが本質的なものだと考えられていたのですね。美しい肌や髪よりも、朽ちにくい骨格にこそ女らしさの神髄が表れているとされていたのですが 、その骨格の表象となる動物は何でしょうか?皆さんいろいろな動物を想像される と思いますが。猫や犬だという人もいるし、小鳥だ、とかいろいろ言われますが、この時に描かれていたのはダチョウです。ダチョウは現存する動物の中で 、最大の卵を産むのですね。大きな骨盤を持ち、加えて多産であることから、ダチョウが選ばれているのです。私はいつもグッズを用意しているのですが、ここにあるのはダチョウの卵です。これ位の大きさ(注2)があります。鶏卵と比較しでもとても大きいので、たいそう当時の人を惹きつけたのだろうと思います。これ位大きな卵を年間で50 くらいは産むわけです。夏場は1か月のうち1日おきくらいに産みます。実にこの時代、大きな卵を産むダチョウというのは、頭の大きな男児を出産するという意味合いでしかも多産なので選ばれていたのだろうと思います。

次は科学の言語です。これは受精の場面です。皆さんよくご存じだと思うのですが、ウニ卵の受精の場面ですね。卵とか精子といっても単細胞ですから、女性のものだから女らしいとか、男性のものだから男らしいということはないのです。しかし、昔の科学のテキストに描かれていた卵とか精子というのは、女らしい卵とか、男らしい精子というイメージが濃厚だったのです。「精子の訪れを待つ卵」と表現するとき、待つというのはそこにあるだけではなく、何ごとかを期待しているという含意が言語に入っております。人間の言語は 、人間中心に作られていますのでどうしても こうした形になるのです。林基之先生が書かれている 『 性と生殖』というテキストの一部をお示しします。これを見ますと 、あろうことか(偉い先生ですよ 、林基之先生というのは)「待ち伏せている卵子」と書いてあるのですね。卵子が待ち伏せているというのはたいそうな言い方だと思うのですが、これで当時はOK だっ たということが驚きです。
たかが卵、されど卵。卵を産むことが特別視されなかった時代には、卵を産んでも王蜂とミツバチは呼ばれておりましたし、子どもをたくさん産むことが重視された時代は大きい卵をたくさん産むダチョウが理想だとされました。そして18 世紀頃から慎み深さが求められる 時代になると、慎み深さ「待っているわ」という雰間気が、卵子にも反映されているのです。今現在の皆様は「生んで育てて仕事もね」という時代ですから、とにかく頑張っていただきたいと思います。

  • (注2) 当日は、実際にダチョウの卵 ( 直径約 12 ~15cm、 高さ 約 15 ~17cm)を用いて説明が行われた。

「なぜ、女子に理系分野なのか?」事実は一律に決まるわけではなく、誰が観察するかによって様々な解釈の違いがあります。そうした違いを全く無視することはできないのではないかと思います。脳の蓄積が物を言うのですから、人とは違ったキャリアを積んだ人がある分野に進むということは、決してハンディではないということですよね。今日、こうした脳の蓄積が違う多様な人材が科学に求められておりますので、まず男女ということにおいて、男性ばかりの単一集団よりは、男女がいる集団のほうが良いし 、都会育ちの人ばかりよりは、 離島で育ったというような人もいる方が良いと思いますし、小さい頃に外国に住んだ人など、いろいろなキャリアの人がいて良いと思います。女子が少なすぎる、逆に言うと理系の女子はまだまだ売り手市場だということですね。それから伸びしろの大きさに期待するという部分もあります。進学率をはじめとして未だ日本では男子と女子が平等ではないので、そう言える と思います。尊重すべきは「性差」よりも「 個人差」ですね。数学が好きな女子もいます。物理が好きな女子もいます。そのような形で性差より個人差がもっと尊重されたら良いのではないかと思います。

以上で私の発表とさせていただき ます。ありがとうございました。

【 ご略歴 】 小川 眞里子 氏
東京大学教養学部基礎科学科卒業 、 同大学院理学研究科科学史科学基礎論修士課程修了、 同大学院人文科学研究科比較文学比較文化博士課程中退 。 博士( 学術)東京大学 (2012 年) 。1986年三重大学人文学部助教授 、1993~2012年同教授、2007~2010 年学長補佐。 現在三重大学名誉教授 、同特任教授。 日本学術会議連携会員 ( 2006~2011 年 、お茶の水女子大学ジェ ンダー研究センター客員教授 ( 2006~2011 年)。
専門は科学史・ 科学論 。
研究テーマは19 世紀イギリスの科学史、科学と ジェンダーなど。 著書に『フェミニズムと科学/技術』 、『 甦るダーウィン』 ( ともに岩波書店)、訳書にシービンガー『 女性を弄ぶ博物学』 、『 科学史から消された女性たち』( ともに工作舎、共訳)など。2010 年科学技術社会論学会・ 柿内賢信記念賞 ( 学会賞) 。
◎教育における 男女共同参画について 一言
学習者の興味・ 関心が教科のイメージや社会通念だけに左右されることなく、男女ともに多様な経験を通して、自身の将来を自由に選択できる機会を提供できる学校教育であってほしいと思います。

小川眞里子氏の業績については→小川眞里子

PDF版はこちら→岩手1岩手2岩手3岩手4

→参照:15-10現代科学とジェンダー(科学史に関する記事のまとめ)