境界を前にした問い「アジアをつなぐ――境界を生きる女たち 1984-2012」展(香川 檀)
香川檀(掲載:2014.05.28/初出:『美術運動史研究会ニュース』NO.135、2013年4月25日付(発行:美術運動史研究会)1-3頁
近年、アジアの美術は日本でもよく紹介されるようになったが、アジアの女性作家に焦点をあてた大掛かりな展観は、本邦初の試みである。巷で一般の美術展といえば西洋白人男性による「名画」鑑賞がメジャーであることを思うと、「アジア」で「女性」という括りは、二重の意味でマイナーであるにはちがいない。だが、裏を返せば、それは二重の意味で、ある先鋭さをもっていることでもある。アジア各国では、身体的にも社会的にも「女性であること」に自覚的なアーティストが、それを表現の出発点として、西洋から輸入した美術の思想や技法を吸収あるいは流用して制作した作品傾向が、1980年代から90年代にかけて抬頭してきた。当時から現在に至るまでのその動向を、多角的に掬い取って一堂に見せたのが、本展である。扱うテーマにしたがって、「身体」「社会」「歴史」「技法、素材」「生活」と章立てされ、アジア各国の作家50人、約200点の作品で構成されている。
まずは身体の表現を見てみよう。中国に生まれ北京に在住のリン・ティエンミャオ(林天苗)は、自身の出産後の写真を4メートルはあろうかという布いっぱいにプリントし、そこに無数の白い糸玉を貼りつけた(《卵 #3》2001、図①)。糸玉はさらに床にまで散乱し、それぞれ細い糸が彼女の身体とつながっている。からだに貼りつき、外界にも飛び散るそれらの球体は、白い卵にも見えれば、糸を紡ぎだす繭のようにも見える。それは産む性としての女性を拘束するものでもあれば、豊かな繁殖の象徴として生命を育むものでもあるのだ。作家の顔がアジア人のそれであることを除けば、この身体表現は洋の東西を問わない普遍的な女性の身体感覚をあらわしている。一方、日本人でドイツのベルリンに拠点をおく塩田千春は、血液を思わせる赤い液体をめぐらせた細いビニールチューブをからだに巻き付け、パフォーマンスを行なっている。それをビデオに収めた作品のタイトルは、《Wall (壁)》とある(2010、図②)。カタログによれば、塩田は、「自分の血液のなかにこそ、家族や民族、国家、宗教などの〈壁〉が存在することに気づき」、それを体外に出してしまおうとしたのだという。異国の地で外国人と結婚、出産を経験し、暮らす街そのものも政治的な壁で分断されていた都市であったことが、人種や国籍で人間を分断する根源が「血」のなかに潜むと感じさせたのだろう。そしてここでも、血液がもつ文化的な含意はけっして性差にニュートラルではない。リン・ティエンミャオの卵といい、塩田千春の血液といい、みずからの身体の内側にひそむ厄介な要因を、からだを覆う皮膚をつきぬけて体外化する――つまり視覚化する――ことで、それらを浄化し、もう一度わが物としていこうとするのである。
韓国に生まれ、ドイツで活動するソン・ヒョンスクは、カンヴァスにテンペラで、ほとんど抽象画のような切り詰めたモチーフの絵を描く。例えば《無題》(2010-2011)シリーズのなかの一点、《無題、2011.7.1》(図③)は、幅広の刷毛で上から下へと一気に引かれた縦の筋目が、薄墨色の半透明な帳のように見え、その隙間に女性の後ろ姿が描かれている。彼女は、身を乗り出すようにして帳の向こう側をうかがっている。高校卒業後に、韓国の国策としてドイツのハンブルクに看護婦として送り出され、年季が明けてから現地の美術大学で学んだヒョンスクにとって、こちらとあちらを隔てる帳は、ドイツと祖国との境界であり、病院のベッドを囲う白いカーテンであり、遠くの失われたものに哀惜の念を送るための寓意的な遮蔽幕のように見える。最近たまたま見たフランシス・ベーコンにちょうど同じような構図の油彩画《人体による習作》(1949、図④)があり、やはり縦縞の筆跡がつくりだすカーテンの隙間から、裸体の男が向こう側に歩み出ていくところが描かれている。半透明の人体やカーテンがつくりだす形象と空間、あるいは物質性と非物質的な霊性との関わりを探究した絵画の実験であるとされるこの作品は、どこかでベーコンのアイデンティティの屈折をうかがわせもし、その点ではヒョンスクの絵画と遠く響きあっている面もある。だが、ヒョンスクの筆遣い――それはまさしく東洋の書道を思わせる絶妙な刷毛目のパフォーマンスだ――が生み出す緊張感に満ちた画面では、韓国の衣服をまとった女が、向こう側に踏み込むこともできずに帳の前で立ちつくす。この逡巡、この葛藤の深さは、ベーコンのそれとは似て非なるものだ。同様の表現でも、社会的コンテクストを考えるなら、まったくの異空間なのである。
インドのナリニ・マラニは、インスタレーションやビデオ、アニメなど多様な技法を使って歴史と女性の問題をテーマにし、インド作家のなかでもとりわけ国際的評価の高い作家である。その彼女が、本展には、石膏ボードのうえにアクリルと木炭で描いた連作絵画を出品している。《略奪された岸辺》(1993)と題された12枚組のパネルには、西洋から船に乗ってやってきた植民者の男と、愛を交わした末に裏切られる被植民者の女の物語が描かれ(図⑤)、やがてその災厄はインドの国土を覆い、テクノロジーによる環境汚染や、宗教対立による暴力へと引き継がれる(図⑥)。人間や動物の姿が、あるときはデフォルメされ、またあるときは掻き消されたりしながら、焼土のような灼熱と硝煙のなかに点在する。美しかったインドの浜辺は、見る影もなく荒れすさんでしまったのだ。この作品の構想は、ドイツの劇作家ハイナー・ミュラーの戯曲『メデアマテリアル』から想を得たものだという。ミュラーの政治的な寓意劇の下敷きとなったのは、ギリシア神話に登場する王女メディアによる夫イアソンへの復讐劇だという。マラニは、西洋の悲劇を植民地の悲劇へと翻案したのである。プリミティヴで荒々しい筆致は、この壮大な神話的暴力を描きだすために、計算され、編み出された画法であるにちがいない。20世紀をつうじてドイツでは、やはりこのように荒々しい表現主義的な画法で、政治的な不条理を神話に仮託した寓意画がしばしば描かれてきたが、マラニの作品をそうした西洋の前衛絵画と同列に論じたり、その亜流と見なしたりするとしたら、ことの本質を見誤ることになるだろう。彼女は、そうした表現方法を、西洋の文学を援用したのと同じように、絵画様式としても流用しつつ、独特のしかたでイメージを消去したり融合したりする。この「ずらし」にも似た操作のなかに、非西洋の表現者が選びとった表現の戦略を読み取る必要があるのだ。
ここに挙げたほんの数例を見ても、出品作はそれぞれ、普遍的で人間の根底にふれる側面と、作家個人の体験や感性に根差した側面とを併せ持っていることがわかる。けっして女性についての限定的なテーマではなく、男性の観者でも想像力の豊かな人ならば、これらの多様な表現の意味する重たさを、性差を超えて感じ取ることができるものでもあろう。
「アジア」と「女性」という括りでアートを見ることの意味とは、作家たちの多様な問いかけに向き合い、それを共有すること、少なくとも共有しようと努力することにある。このようなアートの見方(リテラシー)を心得ない批評的態度においてはしばしば、ジェンダーの視点に立った作品やそれらを集めた展覧会に対して、アイデンティティ・ポリティクスに拠った声高なメッセージ性、芸術的クオリティの低さ、といった決まり文句とともに拒否反応を示す傾向がみられる。例えば、本展の印象を、「本来、実力主義であるべき美術のような分野」にアイデンティティの問題をもちこんだ由々しいケースであるとか、「われわれが展覧会を訪れたときに期待するのは天才や才能との出会いであって、それはY染色体の数とは関係がないはずのもの」だと書いているように(『ジャパン・タイムズ』2013年3月14日付)。
こうした無定見で表面的な印象批評は、結局のところ、問題提起的な作品がもっている様式上の戦略を見落とすことになるだろう。先にふれたナリニ・マラニのパネル連作について、それははっきりと表れている。「過剰にあからさまなメッセージ」と「〈美の専制〉を逃れるための、醜の信奉」という欠陥をふたつながらおびたものとして、同じ美術批評ライターは、この作品を酷評する。おそらくこの書き手は、絵の意図的なプリミティヴィズムはおろか、作品のコンセプトをなす西洋文化の流用の意味を、まったく理解していないのである。
こう考えてくると、ひとつの疑問が浮かぶ。アート作品を、作家たちの立ち位置や作品の社会的文脈から読み解くリテラシーは、どのようにしてその自明性を獲得できるのだろう。そして、どのようにして多くの観客にそれを伝えることができるのか。展覧会はおおいに満喫したけれども、アート・ワールドに棲む人間のひとりとして、このことが宿題のように残された。