啓蒙の世界観とコイコイ女性の悲哀

バーバラ・チェイス=リボウ『ホッテントット・ヴィーナスーある物語』井野瀬久美恵監訳、法政大学出版局、2012年

掲載:2019-12-09 執筆:姫岡とし子

ホッテントット・ヴィーナス―ある物語

ポストコロニアル理論の登場によって、歴史研究はその射程を拡大し、西洋と非西洋世界との関係性に注目するようになった。その結果、かつてのヨーロッパ中心主義が見直され、西洋が非西洋世界に向けていたまなざしが批判的に考察されるようになった。ジェンダー概念は、女性を一括りにして扱いがちだった女性史研究とは異なり、同じ女性の間での民族間や階級間の差異を考慮に入れていたが、ポストコロニアルな視点の導入によって、西洋/非西洋の境界線の引かれ方、そして民族とジェンダーの絡み合い方によりセンシティブになった。

本書の著者のチェイス=リボウは、奴隷問題などを扱った歴史小説で知られる黒人作家であり、副題に「ある物語」と記されているように、本書は厳密な意味での歴史研究ではない。ただし書かれているのは、ヨーロッパの進出・支配によって土着の生活が破壊されていた一九世紀初頭の南アフリカからロンドン・パリに連れてこられ、西洋中心主義の啓蒙の世界観にその運命を規定された、サラ・バールトマンというコイコイ族出身の実在の女性の人生である。

サラの人生は、子どもの時から支配勢力として傍若無人にふるまうオランダ人やイギリス人に翻弄され続けた。母と父を銃殺され、イギリス人宣教師に売られて奴隷になり、自由な身になった後に一緒に暮らした夫も銃に撃たれ、早産で生まれた子どもは数ヶ月しかこの世に存在することはできなかった。生き延びるためにケープタウンに出たサラは子守になるが、彼女で一儲けしようとする男の結婚話を信じて、一緒にイギリスに上陸した。

サラは、ホッテントット・ヴィーナスとしてロンドンで見世物にされる。売り文句は、「人類のもっとも原始的な段階の本物の見本」。科学が世界のあり方の規定要因となった啓蒙の時代には、解剖学、骨相学、博物学、人類学などに基づいて人種のヒエラルヒー的な分類が行われ、その頂点に君臨して「自らの優越性」を疑わない西洋人は、最底辺に位置づけられた「野蛮」な黒人を蔑み、自らの支配・保護下に置こうとした。そのなかでも臀部が突出し、エプロン(性器)が西洋男性の垂涎の的になったホッテントットは、獣と人間をつなぐ「失われた(ミッシング・)環(リンク)」とみなされ、サラは、観客の好奇心、罵り、憐れみの対象となったのだ。

一九世紀初頭は、奴隷貿易が廃止され人道主義が台頭した時代でもあった。サラを「救済」しようとする奴隷廃止論者は、彼女が不法に入国し、自らの意志とは無関係に見世物にされている「奴隷」だとして訴訟する。しかし、彼女はあくまで自分の自由意志と契約の存在を主張した。サラのこだわりは、自分は犯罪者でも不道徳者でもない、自由な女だということ。彼女は、慈善施設に収容されたり、協会の手によって収容所や避難所に閉じ込められたりして自由を失うことを恐れたのだ。サラの人間としての誇り。しかし彼女は、「救済」の名のもとに「可愛そうな人種」を保護しようとする人道主義者の胡散臭ささを本能的に感じ取っていたのかもしれない。

サラで大金を稼いだ男たちの度重なる裏切りと人びとの嘲りに怒り苦しみつつも、興業をやめれば売春宿か救貧院、あるいは監獄送りになることを恐れる彼女は、新しい所有者とフランスに行く。高名な博物学者キュヴィエは、ヨーロッパ各地から学者を集めて、彼女を標本とする比較解剖学の講義を行った。彼がとりわけ興味をもったのは、サラが全身全霊をかけて見せることに抵抗した、彼女のエプロン。それは動物起源の痕跡であり、進化した性的抑制のきく人種と違って、劣性と獣性、野蛮の証明とされた。啓蒙には、科学の名において人種の差別化を行い、自らの偏見に基づいてヨーロッパの優越性を示すという影の部分が存在したのである。

しかし、まもなくサラは、つらい日常を忘れるために飲み続けたアルコールとモルヒネによる中毒、そして肺結核のために死んでしまう。遺体までもがキュヴィエに売り払われ、彼は念外のサラのエプロンを解剖し、博物学の標本としてホルマリン漬けにして保存したのだ。

人間として、女としての誇りをもちつづけ、自由の身でなくなることを何よりも恐れたサラの人生、優しさを求めて裏切りで返されるコイコイ女性の悲しい歴史は、一人称の語りにこだわった「物語」という手法によって、リアリティ豊かに再構成された。そして、その背後に、西洋が非西洋にどのようなまなざしを向けていたかという、啓蒙の歴史像が見事に浮かび上がってくる。