戦場の性の全容を解き明かす

レギーナ・ミュールホイザー 『戦場の性―独ソ戦下のドイツ兵と女性たち』姫岡とし子監訳、岩波書店、2015年

掲載:2019-12-09 執筆:姫岡とし子

戦場の性――独ソ戦下のドイツ兵と女性たち

戦争やナチズムに関する研究は非常に多いのに、戦争と性に関するものは少ない。一九九〇年以前の皆無に等しかった状況は、それ以降の「従軍慰安婦」問題とボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でのレイプと強制妊娠問題の可視化によって変化した。とはいえ、東アジアでの「慰安婦」関連研究の著しい深化と比較して、その他の地域については、研究はまだ緒についたばかりである。

「戦場の性」というテーマは重く、触れたくない人たちも多く、しかも歴史認識が絡んでくるため問題は複雑化する。しかし、第二次世界大戦当時とは戦時の性モラルも性犯罪の定義や処罰も変化した現在においても、いまだにくり返されている軍事関連の場での性暴力を撲滅するためにも、ジェンダー史には、その方法論を駆使して、戦争に性がどう関連しているのか、そこでの権力関係はいかなるものなのかを構造的に把握することが求められている。

その課題に応えようとしたのが、本書である。著者のレギーナ・ミュールホイザーは、九〇年代半ばに韓国に滞在して「慰安婦」問題プロジェクトにかかわり、そこから戦時性暴力への関心を深め、独ソ戦下のドイツ兵の性に関する研究をはじめた。ただし、彼女は戦場の性を性暴力だけに限定していない。他にも売買春、合意の関係、さらに性的接触の帰結である子どもについても扱い、独ソ戦下の性の全体像を描いている。

他国の事例と比較してナチの性政策に独特なのは人種主義的な観点で、異人種との性的接触は禁止されていた。だが、この禁止は有名無実で兵士の性行為を規制するものとはならず、規律違反への処罰も稀であった。レイプは士気高揚のためや戦った兵士への報償として黙認され、女たちに性的陵辱をおこなって敵集団全体に自分たちの威力を見せつけ、女性兵士には「男性領域の侵犯」に対する処罰として性暴力を行使する。人種恥辱にあたるとされたユダヤ人との性的接触さえ、「死人に口なし」とばかり、虐殺前や逃げ場のないゲットーなどで頻繁に行われていた。

他国との共通点は「戦争に性はつきもの」という見解で、この認識はドイツ軍の性政策の出発点となった。軍指導部は、性的欲求を放置するより管理した方が、性病対策と軍事規律の維持に好都合だと判断し、売春施設を設置した。女性たちは主に近隣から募集によって集められたが、売春施設での性労働を強制されたり、ドイツに強制労働者として移送されるよりましだと考えて応募する女性もいて、「自発」と強制との境界は曖昧だ。

本書では、従来ほとんどテーマ化されることのなかった軍隊と市民社会の出会いに多くの頁数を割き、被害あるいは加害という二分法では把握できない、グレーゾーンを取りあげている。自分と子どもの生存のために身体をさしだす女たち。飢えが蔓延していたため、レイプなどしなくても、わずかな生活必需品との交換で性的接触が可能になったと悪びれずに証言する男たち。占領軍兵士と懇意になって自分の立場を強めようとする女性。すべての行為に勝者/敗者の権力関係が絡んでくることを、忘れてはならない。

戦争は、強さや征服感という「男らしさ」を性的能力の行使によって証明する舞台となった。だからこそ性暴力は看過され、男性同盟的な集団的圧力によって性暴力や性的体験がエスカレートした。戦況が変わると、敵側も復讐の手段として性暴力を行使する。ところが戦後の裁判では一転して、ナチ幹部の口からレイプは「恥」という証言がなされたのだ。

なかには死と隣り合わせの状況を忘れるために、占領下の現地女性との親密な関係を求める兵士たちもいた。結婚の申請、そして子どもの誕生。暴力の結果であれ、「愛の結晶」であれ、子どもにも母親にも過酷な運命が待っていた。ナチ幹部も結婚や子どもの処遇をめぐって権力争いを繰り広げ、血の純潔や人種基準に関して原則的な対応はできずに混乱が増すばかりとなった。

戦時性暴力と取り組むさいに、社会が性暴力を受けとめるにはレイプの共有化だけでは不十分で、その解釈枠組みを探究し、市民社会の日常性にまで眼を向けなければならない、という著者の指摘は重要だ。戦場の性の実態を明らかにするだけではなく、史料が語る意味内容の分析的な解読を行い、指導部や兵士、被害者や目撃者が性暴力や合意の関係をどう解釈し、記憶し、語ったのか、なぜそのような解釈や語りが行われたのかを解き明かした本書は、まさに、戦場の性とその帰結の全体像を伝えてくれる。

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