歴史のなかの読書-グリム童話と近代家族の誕生(三成美保)

三成美保(掲載:2014.02.28/初出『学而』(摂南大学図書館報)90号、2009年:一部加筆修正)

◆読書のジェンダー分離

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グリム童話第1巻の表紙(第2版1819年)

歴史とともに読書は変わる。「精読」から「多読」へーーヨーロッパで近代的な読書行動があらわれたのは18世紀後半、啓蒙後期のことである。人びとは読書を組織化した。読書協会や貸本屋が登場する。19世紀になると、国民の教育水準をあげるため公共図書館が誕生した。廉価版も生まれ、読書は家庭でもまた楽しまれるようになる。読書行動の変化とともに議論する「公衆」が生まれ、「公論(世論)」が形成されていったのである。しかし、そこに女性はいない。

「自由と平等」が保障されたはずの近代市民社会。だが、「自由と平等」が女性にまで及ぶのはごく最近のことにすぎない。読書は久しく「公」的なものと「私」的なものに分けられた。新聞や論説雑誌、哲学や政治の書籍を読んで討論を伴うのが「公」的読書である。三月前期(ビーダーマイヤー期)のドイツでは、読書クラブに集った男性たちが熱心に本や新聞を読み、政治と経済の動向について議論した(図1)。

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図1:読書クラブ(Johann Peter Hasenclever: Das Lesekabinett, 1843)

「公」的読書は男性のものであった。女性の読書はあくまで家庭での「私」的な愉しみとされ、 小説や道徳週刊誌が流行した。書き手としても女性は縛られる。女性が書くのは手紙などの非職業的な文章に限られた。ゲーテもまた妹コルネリアが読書を好み、高い教養を身につけていることをたしなめている。こうした流れに抵抗した女性もいる。そのなかの一人ゾフィー・メロー(1770-1806年)は離婚後、物語や詩を書いて生活費を稼いだ。しかし、ドイツ・ロマン主義を代表する作家クレメンス・ブレンターノ(1778-1842年)の子を宿して彼と再婚(1803年)したのち、妻としての役割が彼女の文筆活動を停滞させてしまう。ブレンターノは独占欲が強く、ゾフィーは強い束縛感を感じていた。彼女は友人にこう書き記しているーーブレンターノとの結婚は天国と地獄の両面がある。でも、地獄のほうが大きい。相次ぐ出産を経て、3度目の出産でゾフィーは子とともに命を落とした。享年36歳。ブレンターノは、ロマン主義作家アルニム(1781-1831年)とともに若きグリム兄弟にメルヘン蒐集を勧めた人物であり(1806年)、グリム童話の献辞を受けた女性ベッティーナ・フォン・アルニム(1785-1859年:作家であり、アルニムの2番目の妻)の兄である。

○ゲーテについては→【特論4】女が書く/女を書くーゲーテをめぐる女たち(三成美保)

◆グリム童話

Sophie Friederike Mereauの影絵 (1795年ごろ)

グリム童話の初版は1812年。ナポレオン率いるフランス軍からの解放運動がドイツ各地で盛り上がる時期にあたる。グリム兄弟によるメルヘン(民話)の蒐集もまたドイツの「自然」で素朴な民族的遺産を再評価しようという運動の所産であった。その意味で、グリム童話はナショナリズムとロマン主義を体現している。しかし、グリム童話の名宛人は男性ではない。『子どもと家庭のメルヘン集』というタイトル通り、グリム童話は家庭で過ごす女性と子どもに捧げられた。

初版以降、1857年の第7版(決定版)までグリム童話は増補改訂を繰り返す。それらには200ほどのメルヘンが収められた。しかし、とくに普及したのは、1825 年に出された選集である。50 話を収録し、1858年までに10版を重ねた。グリム童話のなかで女性が主人公となるメルヘンはおよそ3分の1であるが、選集版ではそれが6割にも達する。人気作はこれらに多い。

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聞き取りのもっとも重要な相手方となった「メルヘンおばさん」ことドロテア・フィーメンニン。フランスでナント勅令が廃止され(1685年)、ドイツに移り住んだユグノーの子孫である。この挿絵は、グリム童話第3版(1837年)のものであり、グリム兄弟の末弟ルートヴィヒ・エミール(1790-1863)が描いた。

グリム童話では、男性主人公はしばしば無能な怠け者である。これに対し、女性主人公は親孝行で従順な働き者として描かれる。けなげに生きる美女が王子に見初められ、結婚というハッピーエンドを迎える。他方、いじわるな継母をはじめ、高慢で自己主張が強い女性は厳しい罰を受ける。

人気メルヘンのモチーフとなっているロマンチックな「愛」の賛美は、ゲーテ『若きヴェルテルの悩み』(1774年)によって定式化された。フィヒテに至って、それは哲学になり、法原理となる。「男性には根源的には愛はなく、性衝動があるだけである。・・・あらゆる自然衝動のうちで最も高貴な愛という衝動は、女性にだけ生得的である」(『自然法論』1796年)。彼にとって、「愛」を本性とする女性の本来的居場所は「家庭」であり、その「愛」は夫と子に対してのみ向けられるべきであった。

ここでの「愛」は対等なパートナーシップではない。「シンデレラ(灰かぶり姫)」、「白雪姫」、「眠れる森の美女(いばら姫)」のいずれにおいても「待つ」だけというヒロインの受動性がきわだつ。ヒロインが愛されるのはその美しさゆえである。王子については、美醜も性格もほとんどわからない。政治的・経済的実力が王子という肩書きから推察されるにすぎない。

◆教養市民と「近代家族」

かぞく

図2:家族像(G.アダム、1830年以前)

近代ドイツの新しいエリート層ーー「財産と教養をもつ」市民(教養市民)ーーは、新しい家族観をもっていた。これが「近代家族」である。中央には父、床には少年が座る。2人の女性は子の母と姉であろうか。3人のまなざしは子どもに注がれている。父は厳しく、母たちはやさしく子を見守る。そばには大きな暖炉、そして犬。家父長制的であるが、子どもを慈しむ家族の姿がそこにある(図2)。やすらぎとくつろぎの場としての「家庭」が登場したのである。夜ともなれば、父は書斎で専門書を読み、母は子ども部屋で眠りにつくわが子にメルヘンを読み聞かせることであろう。グリム童話はこのような市民家族のための物語であった。

グリム兄弟がメルヘンを蒐集したのは、ドイツ民族の「自然文学」を再評価しようとしたからである。メルヘン集としてはすでに、イタリアのバジレ版とフランスのペロー版が知られていた。これらに編者の意図を感じた兄ヤーコプ・グリム(1785-1863年)は、ブレンターノの知人女性たちから聞き取ったメルヘンをできるだけ忠実に再現しようとした。言語も法も民族とともに発展すると唱え、歴史法学の祖となった師サヴィニー(1779–1861年)の考え方に共通する。しかし、子どもへの教育効果を期待する以上、物語は教訓と幸福に満ちたものでなければならない。ヤーコプが採用した初版の残酷な場面は、弟ヴィルヘルム(1786-1859年)によって第2版以降改められていく。性描写を省くなど、敬虔なキリスト教徒としての立場からも改訂が加えられた。

たとえば、「白雪姫」では、子の虐待者は実母(初版)から継母(第2版以降)に変わる。母性を本性とするべき女性がわが子を殺すという筋書きは、市民社会の倫理にそぐわなかったからであろう。また、継母が犯した罪は、殺人未遂という犯罪にとどまらない。版を重ねるごとに、彼女が「高慢」「嫉妬」「憎悪」というキリスト教上の「罪」を犯していることが強調されるようになる。「眠れる森の美女(いばら姫)」の場合、バジレ版では未婚の出産や重婚といった性的逸脱が認められるが、グリム版ではそうした叙述はない。姫はあくまで清純無垢に描かれる。姫と王子の盛大な結婚式がハッピーエンドとなる点は、「シンデレラ」や「白雪姫」と共通する。恋愛過程は描かれず、結婚こそが女性の幸せであるという観念が表現されている。

インターネット時代の読書には、もはや性別はない。公私の区別も曖昧になった。しかし、それは「私」の安易な暴露という新たな危険と隣り合わせでもある。ネット上で手軽に得られる情報は匿名性が強く、根拠薄弱なものも少なくない。個人の責任で情報を選別しなければならない時代が訪れたと言えよう。選別能力は読書によって培われた教養が決める。図書館にある古今東西の書物をそれぞれの歴史にも思いを馳せて手にとってほしい。

○歴史法学及びサヴィニーとグリムの関係については→【法制史】ドイツ同盟体制(三成賢次)

◆参考文献

三成美保『ジェンダーの法史学ー近代ドイツの家族とセクシュアリティ』勁草書房、2005年
野口芳子『グリム童話と魔女―魔女裁判とジェンダーの視点から』勁草書房、2002年
野口芳子『グリムのメルヒェンーその夢と現実』勁草書房、1994年
グリム、J.,グリム、W.(高木昌史・高木万里子訳)『グリム兄弟メルヘン論集』(叢書・ウニベルシタス)法政大学出版局、2008年
高橋義人『グリム童話の世界ーヨーロッパ文化の深層へ』岩波新書、2006年