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近代社会におけるシンボルとしての男性性
ジョージ・J・モッセ『男のイメージ-男性性の創造と近代社会』細谷実、小玉亮子、海妻径子訳、作品社、2005年
掲載:2019-12-09 執筆:姫岡とし子
本書の著者モッセ(一九一八~一九九九)は、わが国ではシンボル政治史の研究者としてその名を知られ、本書を含めて六冊の単行本が翻訳刊行されている。彼は、近代ヨーロッパ社会全体を射程にいれ、ナショナリズムを核にしながら、市民社会の形成やその後の歴史的展開に決定的な影響を及ぼした市民的価値観や大衆心性について、国民、ユダヤ人、セクシュアリティ、英霊などのシンボルの作動に注目しながら、比較史的に考察する。
本書でモッセが取りあげるシンボルは、<男性性>である。彼は過去の研究でも女性史の成果を貪欲に取り入れていたが、本書は、一九九六年に刊行されたことに示されているように、ジェンダー史の影響を受けて書かれ、ジェンダー史とシンボル政治史の見事なコラボ作品となっている。ジェンダー史は、<女性>と差異化されて構築される<男性>、<男性性>を浮き彫りにし、これまで一般的な意味での人間と等値されてきた男性を、ジェンダー的存在として歴史研究の舞台に登場させた。ジェンダーは、近代社会の構成要素となり、構造を作りだす「力」として作用している。それゆえ<男性性>は、近代社会の形成と維持・変化、その内実、そして諸勢力の台頭と隆盛、その目的をシンボル政治史的に読み解くのに、まさに格好のテーマとなる。モッセの出発点は、ナショナリズムや戦争など、通常「男らしい」とみなされる事象だけではなく、近代の歴史のほとんどすべての局面に男らしさの理想が存在し、影響を及ぼしている、という認識である。
近代的な男らしさのステレオタイプが形成されるようになったのは、一八世紀後半の啓蒙の時代、ドイツでは、ちょうど市民層=中産階級が政治参加を希求して貴族層に対抗しはじめた時代で、仕事への愛、調和、清潔といった、この階層の理念や価値規範に適合的な男性性の理想が創られていく。そして、勇気、沈着、名誉、正義感といった騎士道的理想も、尊敬に値する振る舞いの一部として、中産階級の礼儀作法や道徳のなかに吸収された。特徴的なのは、男性の身体が真の男性性の象徴として重要になったことだ。啓蒙主義は、身体と魂の一体性を唱え、フランス革命以降に国旗や徽章などの視角に訴える象徴が有力になって身体も象徴としての意味を獲得し、人相学、医学、人類学などの科学が、身体と魂、道徳と身体構造の結合を示すのに寄与したのである。
道徳、魂の表れとしての男らしい身体の美は、ギリシャ彫像の美が新しく意味づけされたことによって誕生した。理想的な身体の範例となったのは若き運動家の像で、そこでは、力と抑制の両方の均衡が表現されていた。真の男らしさのステレオタイプは、身体の美という具体的な形姿を獲得したことによって目に見えるものとなり、社会の理想と希望の象徴を、まさに強力に提供したのである。男らしい美に到達するには、自己陶冶が必要で、身体的鍛錬、これによる意志の鍛錬、自己抑制が求められた。さらに近代的な男性性は、一九世紀の新しいナショナリズムに取り入れられ、死、自己犠牲、英雄主義と関連づけられていった。戦士として男性性の頂点は、強い民族を象徴する身体美をもって大義のために生命を捧げるという、ナチの男性イメージである。
こうした男性性は、けっして単独で存在するのではない。戦士に対して怯える女性が付置されるように女性との、さらに臆病で男性美と対極的な身体をもつユダヤ人や衰弱した病人である同性愛者などアウトサイダーとの対比の存在が重要で、彼女・彼らは男性性の引き立て役に貶められ、両者のヒエラルヒーと男性性がますます強化されるのだ。
こうした男性性とは異なるイメージの形成も試みられた。社会主義知識人は、戦士像とナショナリズムに反する平和な人類愛と市民社会の男らしさに反する両性の平等というステレオタイプとは異なる男性性を掲げたが、結局は失敗に終わる。社会主義者の間でも戦士像を打破することはできず、労働者は男らしい力強さ、鉄のように鍛えられた身体で表象されていた。
男性性には、社会形態や目標とする理念の違いによってバリエーションはあり、「新しい女」などの挑戦によって脅威にさらされもしたが、近代的な男性性はつい最近まで一貫して大きな社会的・政治的力となり、規範であり続けた。男性性が近代の国家秩序を創り、近代という時代は男性性を求めたのだ。
それが揺らぐ(崩壊する)のは、若者文化や学生運動、続いてフェミニズムが勃興する一九六〇年代後半以降のことだった。