歴史の風 歴史学と政治の緊張関係
掲載:2018-08-08 執筆:姫岡とし子
最近、多くの学会で「慰安婦」問題や戦争と性に関するテーマが取りあげられている。二〇一三年の一二月に歴史学研究会と日本史研究会が合同で開催したシンポジウム「「慰安婦」問題を/から考える―軍事性暴力の世界史と日常世界」(同じタイトルの本が岩波書店から二〇一四年に刊行されている)、一六年九月はじめの日本オーラル・ヒストリー学会のシンポジウム「日本軍「慰安婦」問題とオーラル・ヒストリー研究の/への挑戦、その二週間後の日本アメリカ史学会のシンポジウム「アメリカ占領下日本におけるセクシュアリティ統制の遺産」、一六年一二月に開催されたジェンダー法学会での「戦時性暴力と法―慰安婦問題と戦後補償」などである。
「慰安婦」問題をはじめとする戦争と性に関するテーマは重く、歴史認識や政治的な立場が絡んでくるので、取りあげるのが難しい問題である。それでも、いくつかの学会が集中的にこのテーマを選んだのは、日本社会の右傾化の進展とともに、「慰安婦」の「強制連行はなかった」説が当たり前のように語られ、幅広く浸透している現実に対する危機感が深まっているからだろう。他方で、「慰安婦」の強制性を指摘する人たちの間でも、日本の責任とともに朝鮮半島での協力者の存在や「慰安婦」たちのエイジェンシーや朝鮮人協力者の存在にも眼を向ける朴裕河氏の主張(『帝国の慰安婦』朝日新聞出版社、二〇一四年)をめぐる対立に象徴されているように、問題解決の方法をめぐって意見が分かれ、その影響は学会にも及んでいる。
ドイツ・ジェンダー史の研究者である私は「慰安婦」研究そのものにはタッチしていないが、「戦場の性」という文脈で「慰安婦」研究とも交錯し、東アジア地域での「慰安婦」支援の社会的取り組みに刺激されてドイツ人がドイツ国防軍について研究した、レギーネ・ミュールホイザー著『戦場の性-独ソ戦下のドイツ兵と女性たち』(岩波書店、二〇一五年)を監訳した。ちなみに翻訳は私自身が思い立ったわけではなく、人を介して著者から依頼されたのだが、翻訳が戦争と性に関する研究の深化や戦時性暴力の批判的検証の一助になることを期待し、私の手で翻訳できることをうれしく思った。この翻訳が契機となって、上記の学会をはじめ、「戦争と性」関連の学術的な催しに参加する機会が増え、内容についての考察を深めるとともに、政治と学問との関係についても考えさせられている。
私自身、個人としての政治的見解は持っているし、私の研究もその影響を受けているが、研究するさいには、そのことを自覚し、できるだけ客観的であるよう心がけ、当然のことながら、「結論先にありき」的な研究姿勢は退けている。そもそも研究者は、見解の異なる人たちとも開かれた形で議論し、執筆にあたっても、イデオロギー性の強い用語の使用は避けて、すべての人に理解可能なように執筆し、普遍性をもつ結論に到達しなければならない、と考えている。他方で、絶対的な客観性など存在しえないし、先入観に左右されない白紙の状態での研究は不可能だとも考えている。どのような問題意識で、どのような視点から考察対象と向き合っていくかによって考察結果に違いが出てくるし、同じ史料を扱っても、読み手によって、その解釈は異なってくるからである。
私の専攻する女性史・ジェンダー史は、そもそも女性史が女性解放という目的と密接に結びついて登場したため、その経緯からして政治性を帯びている。研究がすぐさま現状変革につながるわけではないが、現状変革という目的が研究を深化させ、方法論を鍛えてきたのは確かである。女性史の場合、方法論に関する最大の目的は、男性中心の叙述という歴史研究のバイアスを修正することだった。価値自由とはいえない女性の視点を打ち出したことによって、「中立」だとされていた従来の歴史研究が男性に照準を合わせたものであることが鮮明になったのである。現状変革という目的なしには、歴史叙述のなかで居場所のなかった女性が歴史の主体として可視化されたり、彼女たちの歴史に対する貢献が示されたりすることもなかったのだ。
その後、女性史は多くの研究成果を蓄積したが、残念ながら女性史の成果を導入して全体史を書き直すという当初の目的はかなわず、歴史学の世界では、女性史は「特殊」なものとして「一般史」から分離して扱われて孤立した。そのような状況を打破しようとして知的格闘を続け、結果的に女性史からジェンダー史への転換を導いたのが、『ジェンダーと歴史学の政治』(邦訳『ジェンダーと歴史学』平凡社、一九九二年)の著者のスコットだ。
スコットは、歴史研究に構築主義という方法を浸透させた立役者の一人である。もともと別個のものとして本質的に捉えられがちな女/男を、彼女は切り離さずに一対の互いの存在によって定義されるものと捉え、その定義のプロセス、つまり権力である知による意味付与によって女/男が差異化されていく過程に注目した。こうして歴史的に構築される性差が、ジェンダーである。スコットによれば、女性史も、歴史学と別個に存在しているわけではなく、歴史学から切り離して周縁化する構造を歴史学という知が作りだし、再生産してきた結果、孤立したのである。知の権力構造を暴くこと、知による歴史の構築過程を明らかにすること、それこそが歴史学を舞台とするスコットの政治的実践であった。
「慰安婦」研究も、政治的な実践である。「慰安婦」研究は、「慰安婦」制度の内実を明らかにする実証研究から出発して、「慰安婦」にされた女性たちの出自や経緯、慰安所での生活実態の解明、「慰安婦」を生みだす土壌となった植民地下の日常生活や公娼制度の探求など、しだいに考察範囲を拡大し、着実に深化していった。その研究推進の大きな原動力の一つとなったのが、修正主義者による「強制性のなさ」や「慰安婦は売春婦」という主張に対抗するという政治的な動機だった。もちろん、「慰安婦」研究者の政治的な立場が問題設定だけではなく、考察の仕方や結論にまで影響を及ぼしている場合もあるが、それでも「はじめに結論ありき」の歴史修正主義者とは異なり、全体的に見れば、学問的に誠実に推進され、普遍性を主張できる、すぐれた成果を生みだしているといえる。
「慰安婦」研究では、聞き取りという手法がよく用いられている。当初は、文字史料には残されていない歴史的な「事実」を把握することが主眼であった。しかし、「慰安婦」研究に限らず聞き取りによる「事実」把握は、それほど単純なものではなく、相手のある対話なので、インタビューアーの聞き方次第で語りの内容が異なってくる、という結果の構成性が指摘されている。
先述のオーラル・ヒストリー学会では、どのように聞き取り、どう叙述するのかが議論になった。私にとって印象深かったのは、韓国で何度も出版された「慰安婦」たちの証言集に関して、当事者や支援運動とのさまざまな緊張関係を繰り返しながら試行錯誤して到達したという、「質問はせずに、当事者に自由に語らせる」という方法である[1]。その背景には、「証言を通して『慰安婦』問題を提起し、それを解決しようとすることと、『慰安婦』女性の経験を語り、聞く作業は、同じようだがレベルの違うことである。・・・『慰安婦』女性たちの経験を聞く作業を『証言』に局限する場合、面接者が聞きたい話だけを聞くという過ちを犯しやすい」(山下英愛氏の報告レジメより抜粋)という認識がある。政治性を帯びつつも、狭義の政治に左右されるのではなく、運動にとっては不都合なことでも明らかにし、政治への固執によって見落とされていく多様な側面を丹念に拾いあげることは、学問的普遍性という観点から非常に重要なことだ。残念ながら、そのようにして得られた情報は語り手や叙述者の意図とは無関係に政治的に利用される恐れもあるが、それでも、学問研究の深化と信憑性の担保のために、そして歴史的な事実を明らかにするために不可欠なものだと思う。
もう一つ、この聞き取りでは、「口述者の記憶構造、すなわち、話す主体は誰か、社会的言説の地形の中にいる口述者が記憶することと沈黙することは何か、どのような形式で記憶しているか」(山下氏報告レジメより抜粋)が重視されていた。私が監訳した『戦場の性』でも、著者がインタビュー内容を紹介するにあたって留意したのは、まさにこの点だった。著者は家父長制的文化と時の政治情勢という当時者を拘束する二重の縛りを鑑み、フェミニズム・ジェンダー研究や歴史方法論研究の成果を取り入れながら、語りと沈黙の意味内容を見事に読み解いていった。口述者の記憶構造の解明は、研究者がなしうる特権的な営為である。研究対象とされることで当事者にとって不愉快な結果を招いてしまう恐れもあり、当時者が被害者の場合には、より難しくなるが、それでも特権性を自覚し、彼女たち・彼らの人格と尊厳に十分に配慮しながら、研究者としての仕事をしていかなければならないと思う。
[1] 山下英愛氏の「韓国の『慰安婦』聞き取り作業の歴史-証言集を中心に」というタイトルの報告。日本軍慰安婦被害者の証言集は、韓国挺身隊対策協議会・挺身隊研究会他が編者となって、一九九三年から二〇一三年まで韓国で計一一冊出版された。そのうち一冊目と七冊目が日本で翻訳出版されている。『証言―強制連行された朝鮮軍慰安婦たち』(従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク訳、明石書店、一九九三年)、『中国に連行された朝鮮人慰安婦』(山口明子訳、三一書房、一九九六年)。八冊目では「質問はせずに、当事者に自由に語らせる」という編集方針が取られ、挺対協付設戦争と女性人権センター研究チームが編者となって『歴史をつくるものがたり-日本軍“慰安婦”女性たちの経験と記憶』というタイトルで二〇〇四年に出版されている(出版社、女性と人権(挺対協))。本文中に山下氏の報告レジメより抜粋と書かれている引用部分は、同書の一三頁、一八頁に掲載されている。なお、情報はすべて山下氏の報告レジメから引用した。
(初出)『史学雑誌』第126編第一号