◆歴史教科書

高校世界史教科書を一度ひもといてほしい。久しく教科書から離れている人は、その変貌ぶりに驚くはずだ。カラフルで、コラムや図版が満載。読みものとしても十分楽しめる。末尾近くには、クローン羊ドリーや同時多発テロの写真。学習指導要領に即して、人の交流・モノの流通に重きがおかれ、日本との関係、世界を全体として眺める視点、少数民族の苦難など、歴史の片隅においやられがちな人々に関する記述も多い。

では、女性はどうか。ジェンダーへの配慮は十分か。答えはそう簡単ではない。第一に、教科書によってかなり異なる。第二に、分野による差が大きく、近代欧米に限定されている。第三に、固有名詞で登場する女性は相変わらず少ない。むろん、変化の兆しは確実にある。「ジェンダー」や「フェミニズム」に言及する教科書もあらわれた。しかし、ジェンダー視点は貫徹していない。

【表1】世界史教科書のなかのジェンダー・トピック

(世界史A [近現代史中心]教科書9点/世界史B教科書8点。数字は左記ジェンダー・トピックに言及がある教科書の点数)

ジェンダー・トピック

世界史

世界史B

古代ポリス(アテネ)の女性差別
女性参政権の獲得(20世紀初頭)
ジェンダー
フェミニズム
ウーマン・リブ(1960年代末)
女性解放運動・女性解放
性別役割分担・性別分業・公私分離
男女の二重規範(性規範の男女差)
産児制限(20世紀初頭)
ナポレオン法典の家父長制
同性愛
マリア信仰・マリア崇拝(中世)
オランプ・ドゥ・グージュ(18世紀末)
メアリ・ウルストンクラフト(18世紀末)
ココ・シャネル(20世紀)
カルティニ(インドネシア民族主義の母)

◆ジェンダー平等とジェンダー主流化

高校現代社会教科書で必ずゴシック体で言及されるのが、女性差別撤廃条約(1979年)と男女共同参画社会基本法(1999年)。女性差別撤廃条約は、いまなお性差別に関するもっとも基本的な国際法である。その署名・調印式が行われたのは、国連が主催した第2回世界女性会議(1980年)。世界145ヵ国の代表が集まる席上、日本政府代表高橋展子もまた署名した。だが、条約の批准はおくれた。それは、男女雇用機会均等法が成立した1985年のことである。その10年後、第4回世界女性会議(1995年北京会議)は空前の熱気に包まれていた。政府関係者のみならず、各国の多数のNPOが集う会場で、「ジェンダー主流化(gender mainstreaming)」が提唱されたからである。

国連で用いられる定義によれば、「ジェンダー主流化」は、「女性の関心と経験を、男性のそれと同じく、あらゆる政治、経済、社会の分野における政策とプログラムをデザインし、実施し、モニターし、評価するにあたっての不可欠な部分にするための戦略」であり、「主流化の最終の目標は、ジェンダー平等(gender equality)を達成すること」とされる(1997年国連経済社会理事会)。世界サミットの成果文書(2005年)もまた、「我々は、ジェンダー平等を実現するためのツールとしてジェンダー主流化の重要性を認識する」と約束した。

◆ジェンダー指数

外務省のホームページを開いてみよう。そこには、gender equalityが頻繁に登場する。対応する日本語は「男女共同参画」である。男女共同参画社会基本法は、公式英訳では、Basic Act for Gender-Equal Society、つまり対外的には「ジェンダー平等社会基本法」なのである。

ジェンダー平等の達成度をはかる指標を「ジェンダー指数」という。1995年のジェンダー主流化提唱以後、国連開発計画は、毎年、ジェンダー統計を公表している。そのうち、女性の政治的・経済的決定権への参加度を示す指数が、「ジェンダー・エンパワーメント指数(GEM)」である。日本は、生活水準の程度を示す人間開発指数では世界10位前後を推移しながら、GEMでは、測定可能な70~90ヵ国中50~60位から浮上できないままでいる。

2009年、従来のジェンダー統計に、世界経済フォーラムの指数が加わった。「ジェンダー・ギャップ指数(gender gap index=GGI)」という。GGIはGEM以上にジェンダー・ギャップを如実に反映すると言われるが、それによると、日本のGGIは世界101位。識字率・小~中等教育在学率や健康寿命では世界1位、高等教育在学率は順位がぐっと下がって98位。女子の大学進学率が50%を超えたとはいえ、国際社会のなかでは男女とも進学率はまだ低い。(参考→【解説】ジェンダー・ギャップ指数(三成美保)

GGI順位を低くしている元凶は、経済・政治分野にある。管理職や国会議員、専門職における女性比率の低さが足枷となっている。つまり、日本は、世界有数の暮らしやすい安全な国だが、同時に、先進諸国では他に例がないほどジェンダー・ギャップが大きい国なのである。

【表2】2009年GGIの日本順位(平成22年度男女共同参画白書)

内訳

順位

内訳

細目

順位

GGI(全体)

101

健康分野

健康寿命

政治分野

110

教育分野

識字率

経済分野

108

初等教育在学率

健康分野

41

中等教育在学率

教育分野

84

高等教育在学率

98

◆日本におけるジェンダー主流化の停滞

政府も手をこまねいてはいられない。2010年12月に閣議決定された第3次男女共同参画社会基本計画では、2015~20年をメドに数値目標が定められた。国家公務員Ⅰ種や地方公務員上級の女性比率30%をめざすというタイム・ゴール方式のポジティブ・アクションである。大学や学術分野での女性活用はとくに重視され、かなり大きな成果が出されている。しかし、ジェンダー平等にもっとも効果的として各国で導入されている国会議員のクォーター制(30~50%の議員を女性とするなど)は検討すらされていない。

男女共同参画社会基本法にしたがい、政府は企業のポジティブ・アクションを支援している。しかし、厚労省の「2010年度均等・両立推進企業表彰」で最優秀賞を受賞した日本IBMの実績は、16,000人の社員のうち、11名の男性が育児休業を1ヶ月とったというレベルである。イクメンはたしかに大事だが、部課長の女性比率10%前後で大臣賞とは情けない。

また、女性差別撤廃委員会(CEDAW)における最新のレポート審査(2009年)では民法改正が勧告されたが、実現にはほど遠い。欧米で1970~80年代に実現した婚外子差別撤廃や選択別姓導入は、1996年に民法改正要綱で原案がまとめられたのち、国会審議は止まったままである。2013年9月、ようやく婚外子相続差別について最高裁が違憲決定をだし、民法400条から婚外子差別規定が削除された。しかし、全体として、日本のジェンダー平等は、国際社会の水準に遠く及ばない。

◆フランス革命はどう書かれているか?

ジェンダー不在は教科書でも目立つ。ジェンダー視点を欠く教科書で歴史を学ぶと、知識はどのようにゆがむだろうか。受験でも必須の重要項目であるフランス革命を例に見ておこう。

高校世界史B教科書としてシェア50%近くを誇る『詳説世界史B』(山川出版社)には、こう記されている。「アメリカの独立革命は近代民主政治の基本原理を表明してイギリスからの独立を達成し、フランス革命は多様な社会層の複雑なからみあいのなかで、旧制度の廃棄と政治的発言力を有産市民層にもたらした。…これら両革命は、近代市民社会の原理を提起するものであった」(220頁)。

これに対して、『明解新世界史A』(帝国書院)では、「子どもと女性の地位」という本文見出しで次のように記す。「フランス革命では、『女性と女性市民の権利宣言』を発表したグージュのような女性革命家も現れた。しかし、ナポレオン法典で『夫は妻を保護し、妻は夫に服従する義務を負う』と定められたように、女性は男性と平等であるとは認められず、選挙権も与えられなかった」(95頁)。

◆「自由・平等」のジェンダー・バイアス

Marie-Olympe-de-Gouges

オランプ・ドゥ・グージュ

ほとんどの教科書は、『人権宣言』(1789年)をカラー図版で紹介する。しかし、この『人権宣言』が、フランス語のタイトル通り、「男性と男性市民の権利」しか保障していないことに言及する教科書はきわめて少ない。グージュは、『人権宣言』を批判して『女権宣言』(1791年)を書き、女性の政治参加と財産権の自由を訴えた。政治的には穏健派に属した彼女は、ロベスピエール率いる国民公会によって処刑される。このロベスピエールは、『人権宣言』が有産市民の政治参加しか保障していない点を厳しく批判し、成人男性すべての政治参加、すなわち「男性普通選挙」を訴えた。だが、急進派の彼とて、女性に選挙権を認める発想はもたなかった。(参考→10-3.フランス革命ーフランス人権宣言と「女権宣言」

アメリカも事情は変わらない。市民革命が達成した「自由・平等」は、男性と男性市民の「自由・平等」にすぎなかった。近代市民社会は、本質的にジェンダー・バイアスをともなった社会として出発したのである。

◆女性の政治的発言権

では、女性は歴史を通じてずっと政治的決定権から疎外されてきたのか。決してそうではない。古代日本には、8代6人の女帝が存在する。最新のジェンダー史研究によると、古代日本では男女の首長がほぼ半数存在し、「性」ではなく「実力」が決め手となった。卑弥呼もまたそうした女性首長の一人である。しかし、戦後、象徴天皇制の成立とともに、教科書記述に変化が生じる。1960年代以降の日本史教科書では、「卑弥呼が祭礼/男弟が政治」という役割分担論が定式化された。

ふたたび、世界史教科書に戻ろう。中国史で必ず取り上げられる二人の女性政治家がいる。武則天(則天武后)と西太后だ。武則天については、「ライバルをおとしいれて皇后となり」「恐怖政治で独裁」とさんざんな評価を書く教科書もあれば、「比較的統治が安定し、政治改革が進んだ時期であった」という新しい解釈を取り入れたものもある。

断頭台に消えたフランス王妃マリー・アントワネットについてはどうだろうか。近年、ジェンダー史ではアントワネットの新しい評価が登場している。彼女は、「贅沢好きの無能な王妃」だったのではなく、弱気な国王に代わって政治を取り仕切り、かえって反発を買ったというものだ。「フランス政治に口出しするオーストリア女」に対するバッシングは苛烈だった。歴史上はじめてポルノグラフィーが大衆化し、国王夫妻を性的に中傷する道具として利用されたのである。しかし、こうした研究成果は、まだどの教科書にも反映されていない。

◆歴史教科書の書き換えに向けて

近代歴史学は、近代市民社会の学問であり、それ自体が「公(政治・経済)=男性/私(家庭)=女性)」という近代的なジェンダー規範に縛られていた。政治に関わる女性を貶め、「自由・平等」があたかも「普遍的人権」であるかのような錯覚は、近代歴史学が生み出した「歴史的産物」なのである。

歴史学は高邁な学ではなく、すぐれて実践の学である。歴史教科書は、男女がともに歴史の主体であった過去を教え、現在を相対化し、差別のない未来を展望させねばならない。歴史のなかで活躍した女性は数知れず、名もなき民にはつねに男女が半数ずついたのだから。男女を対等に評価する視点で歴史教科書の書き換えが進むならば、GGI順位の低さに象徴される事態も克服されていくだろう。ジェンダー主流化は、まず教育からはじめねばならない。

◆参考文献

三成美保・姫岡とし子・小浜正子編『歴史を読み替えるージェンダーから見た世界史』大月書店、2014年
長野ひろ子・姫岡とし子編『歴史教育とジェンダーー教科書からサブカルチャーまで』青弓社、2011年
オリヴィエ・ブラン(辻村みよ子・太原孝英 訳)『オランプ・ドゥ・グージューフランス革命と女性の権利宣言』信山社、2010年
義江明子『つくられた卑弥呼ー<女>の創出と国家』ちくま新書、2005年
リン・ハント(正岡和恵・吉原ゆかり訳)『ポルノグラフィーの発明ー猥褻と近代の起源ー1500年から1800年へ』ありな書房、2002年
リン・ハント(松浦義弘訳)『人権を創造する』岩波書店、2011年