*【特集8】法制史(西洋)

中世ローマ法と法学教育

2015.02.06更新(執筆:三成美保/初出『法制史入門』一部加筆修正)

ローマ法学の復活

フィレンツェ写本

1060年ころ、ピサ人たちが、ビザンツのアマルフィから学説彙纂の最古の手写本をピサにもちかえった(ピサ写本、のちのフィレンツェ写本)。1070年ころには、ピサ写本の手写本がボローニアにとどき(ボローニア本、または通俗本とよばれる)、法学研究がはじまる。これを「ローマ法学の復活」とよぶ。

社会・経済的発展がいちじるしかった11-12世紀の西欧社会では、アラビアからはいった古典古代のテキストをもとに、「12世紀ルネサンス」とよばれる知的運動もまた展開していた。法学は、新しい取引社会に直接適用できる世俗的な学問として注目され、専門職としての法律家によって研究されはじめたのである。テキストの研究は、ボローニア大学を拠点としておこなわれた。中世ローマ法学は、大きく2期に分かれる。12-13世紀なかばまでを註釈学派(glossatores)、13世紀なかばから16世紀初頭にいたる時期を註解学派(commentatores)とよぶ。

註釈学派 

註釈学派の創始者は、ボローニアの学芸学校教師イルネリウス(c.1055-c.1130)である。かれより前、法学は、7自由学芸[3学=文法、修辞学、論理学、4科=算術、幾何学、天文学、音楽]のうちの修辞学の一分野をなしていた。教師たちは、要約的書物や大全の一部を用いながら、法律文書の作文術を教えていた。これにたいして、イルネリウスは、はじめてユスティニアヌス法典全体(⇒*【法制史】ユースティーニアーヌス法典(三成))をとりあげ、そこにあらわれる専門用語を説明[註釈]して、講義をおこなったのである。こののち、法学は、修辞学から完全かつ最終的に分離し、専門研究の対象とされていく(⇒*【法制史】中世の大学と法学教育(三成美保)

アックルシウス『標準註釈』中央が本文、周囲が註釈

まもなく、ボローニアにはイタリアのみならず、ヨーロッパ中から学生が集まるようになる。12世紀のボローニア大学をささえたのが、イルネリウスの弟子たち、いわゆる「四博士」[マルティーヌス、ブルガールス、フーゴー、ヤーコブス]である。

アーゾ(c.1150-1230)の『勅法彙纂・法学提要集成(Summa Codicis et Institutionum)』は、法律学案内書としてヨーロッパ中に広まり、「アーゾをもたざる者は法廷に赴くべからず」といわれた。アーゾの弟子アックルシウス(c.1185-1263)は、イルネリウス以来150年にわたる歴代註釈学者の註釈を集大成した。かれの『標準註釈(Glossa ordinaria)』(1235年頃)は、9万6940もの註釈をふくみ、市民法大全の権威的な標準解釈書とされていく。もはや過去の註釈も、新しい註釈書も不要としたアックルシウスの業績をもって、註釈学派の時代はおわる。

註釈学派による法学研究の特徴は、つぎのような点にあった。市民法大全は、「書かれた理性(ratio scribta)」として、あらゆる法を包含し、矛盾のない完璧なものとみなされた。したがって、註釈学派の課題は、大全のテキストを完全なものに復元することにおかれた。復元されたテキストは、聖書とおなじく、一言一句たりともおろそかにせず、厳密に釈義(註釈)することがめざされたのである。

アックルシウス

註解学派

註解学派[後期註釈学派、助言学派]の成立は、当時の社会経済的変化と密接に関係している。自治都市の発達、商取引の活性化は、市民法大全では対応しきれない新しい問題を噴出させた。いまや、単なる用語説明では不十分となる。条文の意味を考え、ローマ法を現実問題に利用しようという動きがあらわれたのである。この時期の法学者の活動が註解学派とよばれるのは、本文と解説を分離する新しい文書形式[註解]をとったからであり、助言学派とよばれるのは、広範な実務鑑定活動を展開したことによる。

バルトルス

註解学派の活動は、14世紀、バルトルス  (1314-1357)とその弟子バルドゥス(1327-1400)のときに、頂点に達する。註解学派がさきだつ註釈学派と異なる点は、①法実務への関わりが格段と強まったこと、②弁証法の導入に代表されるような学問的方法が発展したことにある(⇒*【特論2】西洋中世の大学と学生生活ーバルトルスとその遺産(三成美保))。

法実務にかんして重要なのは、①実務鑑定活動、②条例優先理論の形成である。註釈学派では、皇帝の排他的立法権が前提とされ、都市の固有の立法活動[条例の制定]は、原則として認められなかった。しかし、13世紀以降、都市が発展するにつれて、条例立法も飛躍的に発達した。このような情勢変化をうけて、バルトルスにより、条例優先理論が完成される。条例は特別法として優先され、ローマ法は普通法として補充的効力を有するという理論である。また、条例相互間の抵触という問題は、国際私法という新しい法分野を生みだしていった(⇒*【法制史】ローマ法の継受)。