【教科書書き換え】アフリカの民主化と貧困・内戦 

2015.05.09掲載 執筆:富永智津子

教科書キーワード

○人名:マンデラ
○事項:ジンバブエ、南アフリカ、アパルトヘイト政策、アフリカ民族会議(ANC)、エチオピア
○参考:山川『詳説世界史B』(2012) 406~407頁
※赤字は教科書キーワード、青字はジェンダー視点からの書き換え

アフリカの民主化と貧困・内戦

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アフリカの諸国家

ほとんどのアフリカ諸国は、複数政党制による国政選挙を経て独立しており、その意味では、議会制民主主義という民主化を経験している。しかし、1973年と79年の石油危機が加速した経済状況の悪化や政情の不安定化によって、軍事独裁政権や一党制支配に移行する国家が多く見られた。

こうした民衆抑圧的な政権が、改めて民主化という課題を突き付けられたのは、援助の条件として国際開発金融機関(世銀など)や国際通貨基金(IMF)(→注)が提示した構造調整プログラムを受け入れざるを得なくなった90年代に入ってからのことである。構造調整プログラムとは、市場への国家の介入を縮小して経済の自由化を促進するとともに、複数政党制の導入による民主化を強要するものであった。しかし、結果は、選挙にまつわる暴力、政治家の露骨な腐敗の横行、物価の高騰による貧富の格差の増大、目に見える形で改善されない貧困や失業であった。こうした社会の混乱や政情不安が高まると、女性の問題はますます後回しにされ、扶養すべき家族を抱えて露頭に迷う貧困女性が増加した。

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ネルソン・マンデラ

一方、独立後も白人少数支配体制が続いていたジンバブエ(65年に独立)と南アフリカ(10年にイギリス連邦の自治領だった南アフリカ連邦が61年に自治領を脱して南アフリカ共和国として独立)は、80年と94年に相次いで黒人主体の国家に生まれ変わった。ジンバブエが議院内閣制を廃止(87年)して独裁的な国家運営の道を歩みだした一方、アフリカ民族会議(ANC)(→注)の抵抗や国際連合の経済制裁を受けてアパルトヘイト差別法(→注)を廃止した南アフリカでは、全人種参加の総選挙でマンデラ(→注)が大統領に当選、民主主義国家としての歩みを踏み出した。しかし、ここでも貧困に苦しむシングルマザーや生活手段を奪われた女性にまで光があてられることはなく、むしろ学歴を積んだ女性との格差は拡大した。

時を同じくして、アフリカは内戦の時代に突入する。91年にソマリアで内戦が勃発、94年のルワンダ内戦では、約100万人の犠牲者が出た。リベリア、シエラレオネ、コンゴ民主共和国などでも内戦が続いた。この時期の内戦や紛争の特徴は、民間人の犠牲者、とりわけ女性や子供の犠牲者が多かったことである(→【ジェンダー法学4】女性に対する暴力)そんな中、長期にわたった戦闘の末、93年にエリトリアがエチオピアから、2011年に南スーダンが北部スーダンから(2011年)独立し、アフリカ統一機構(2002年に「アフリカ連合」AUとして改組)の領土の保全を目的とした国境不変更の原則が崩れた。

21世紀にはいり、内戦が下火になり、政情が安定化に向かうと、中国をはじめ各国が、広大な農地や鉱物資源や安い労働力をめざして、人口10億人のアフリカ市場に進出し始めた。それが、アフリカ各国の経済成長率を押し上げているが、その恩恵は底辺の人びとにまでは届いていない。また、自由化を促進する構造調整プログラムの導入によって国家の保護を失った脆弱な産業が国際社会の競争にさらされ、外国企業に買収されたり、倒産に追い込まれたりしており、産業の空洞化も進行している。加えて、イスラーム原理主義を掲げる戦闘集団が、中東から国際社会にネットワークを広げる集団に呼応して、アフリカ北部から南下し、中部・西部・東部を脅かし始めている。

2011年の時点で、貧困と飢餓の状態にある人口は、全世界でなお10億人以上存在し、そのなかでもサハラ以南アフリカが48%と、大きな比重を占めている。

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リーマ・ボウイー

「民主化」とは、人びとが描く貧困や飢餓のない、安心して生活できる社会像に、政治がどのような形を与えていくかという長期的な試みである。内戦の終焉と政治の民主化はその第一歩である。これからは、避けて通れないグロバリゼーション(→注)のなかで、自分たちの意思を発信するメディアや教育制度などの整備によって、国際社会の一方的な介入と闘うことができる人材の養成が目指されている。そんな中、世界的なフェミニズムの高揚もあって、民主化や開発における女性の存在にも注目が集まっている。リベリア内戦を終結に導いたリーマ・ボウイー(平和運動家)とエレン・サーリーフ(選挙で選ばれたアフリカ初の女性大統領)のノーベル平和賞受賞(2011年度)は、アフリカ人女性に希望と勇気を与えた出来事として記憶されている(→【エッセイ】アフリカ事情雑感④ノーベル平和賞(富永智津子))。

考えてみよう

  • ① アフリカ諸国の「民主化」の歴史を辿り、「民主化」の意味を考えてみよう。
    • ヒント 議会制民主主義、複数政党制、構造調整プログラム、グローバリゼーション
    • 参考→【特論5】Ⅰ―④「アフリカ人の道徳性」by Godfrey Wilsonから、アフリカ社会固有の「政治」の在り方とヨーロッパ型の「政治」の在り方とを比較し、現在のアフリカ社会の混乱状況の源をたどってみよう。
  • ② アフリカの女性と「民主化」との関係を考えてみよう。

【注】

  • 世銀、IMF
    • →各国の中央政府または同政府から債務保証を受けた機関に対し融資を行う国際機関
  • アフリカ民族会議(ANC)
    • →黒人や有色人種の権利擁護のために1912年に設立され、アパルトヘイト期間は、獄中のネルソン・マンデラをシンボルに白人政権に対して果敢な闘争を繰り広げた。現在は政権与党。
  • アパルトヘイト差別法
    • →公共施設や居住地を白人用と有色人種用に区別する隔離施設留保法や集団地域法、白人と有色人種との結婚を禁止する雑婚禁止法など。
  • ネルソン・マンデラ(1918~2013)
    • →若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に反逆罪で終身刑を受け、27年間獄中にあった。90年に釈放され、93年にノーベル平和賞を受賞。94年~99年まで大統領を勤める。
  • グローバリゼーション
    • →さまざまな思想やシステムが国境を越えてひろがり、経済的・政治的・文化的なつながりを急速に深めていくプロセス。通常、第一次世界大戦以降の現象を指す。