ジェンダー概念の展開

掲載:2016-05-04 執筆:三成美保

(1)ジェンダーとセックス(概要) 

ジェンダー概念の変化は、ジェンダー概念の曖昧さを意味するのではなく、「ジェンダー概念の発展」として積極的に評価されるべきである。

中世以来、ジェンダーは文法用語であり、名詞の性をジェンダーとよんだ。1960年代半ば、フェミニズム(feminism女性解放運動)が高まったころ、ジェンダーは別の意味を獲得する。「自然的・身体的性差」としてのセックス」sexに対比して、「社会的・文化的性差」を意味する概念として「ジェンダー」が用いられはじめた。

国連では、「ジェンダーは、生物学的性差に付与される社会的な意味」と定義され、「思想的、文化的構築物」であるとされている。たとえば、西洋近代法を規定した「公的領域=理性=男性/私的領域=感情=女性」という公私二元的なジェンダー規範は、当時の言説でしばしば表明された。

【史料】国際社会における「ジェンダー」の定義( 国連「開発と女性の役割に関する世界調査報告書」(1999年)/女性差別撤廃委員会一般勧告第25号(2004年))
「ジェンダーは、生物学的性差に付与される社会的な意味と定義される。ジェンダーは、思想的、文化的な構築物であるが、同時に物質的な実行の領域においても再生産され、ひるがえってそのような実行の結果に影響を及ぼす。それは、家族内および公的活動における資源、富、仕事、意思決定及び政治力、そして権利や資格の享受における分配に影響する。文化や時代による変化はあるものの、世界中あまねくジェンダー関係の顕著な特徴として、男女間の力の非対称がある。このように、ジェンダーは、社会階層を作り出すものであり、この意味において、人種、階級階層、民族、セクシュアリティ、年齢などの他の階層基準に類似している。ジェンダー・アイデンティティの社会構築及び両性間の関係に存在する不平等な権力構造を理解するのに役立つ。」[UN:A/54/227,para16]
【解説】社会構築主義
ジェンダーなどの諸カテゴリーが社会的に構築されていく過程を重視する立場。「女/男」に何らかの本質があるとする本質主義に対抗する。ジェンダー研究としては、ジュディス・バトラーの理論が有名。
【史料】1819世紀ヨーロッパの性差論
①ルソー『エミール』(1762年)「男性が幼いときは養育をし、成人したら世話をやき、男性の相談相手となり、男性をなぐさめ、男性の生活を心地よく楽しいものにすること、これが女性のあらゆる時期の義務である」

②フィヒテ『自然法論』(1799年)「女性には性衝動はなく、愛だけがある」

③ヘーゲル『法哲学』(1823年)「女性の生きる場は本質的に結婚生活に限られる」

④ドイツのブロックハウス百科事典(1844年)「女性はおもに倫理、感情、愛、羞恥心を主要素とする家族生活の責任を負い、男性はおもに法、思慮、義務、名誉心を主要素とする国家生活の責任を負う」

(2)日本における「ジェンダー」概念の導入ーイリイチのジェンダー概念 

日本で最初に「ジェンダー」という語が翻訳導入されたのは、1984年、イリイチの著作を通じてである(1)。イリイチの著作の主眼は、産業化の進展とともに、前近代における男女のジェンダー役割が否定され、「ユニセックス化」が進展することへの批判にあった。「概して男は、女のやるしごとをやれるものではない(2)」というのが、イリイチの基本的な考え方である。ジェンダー役割の固定化を理想化するようなイリイチのジェンダー理解が、フェミニズムのジェンダー理解とはまっこうから対立することは明白であろう。このため、日本ではジェンダー概念をめぐって、その後多くの誤解が生じることになった。

(3)ジェンダーがセックスを規定するーバトラーのジェンダー理論

「ジェンダー」はフェミニズムが発明した新しい造語ではない。それはもともと言語学用語であり、中世以来、男性語・女性語の区別をさした。しかし、「フェミニズムの第2の波」のなかで、「ジェンダー」は、独自の意味をおびはじめる。「ジェンダー」は、「自然的・生物学的性差」をあらわす「セックス」sexの対語として、「文化的・社会的性差」を示す語として用いられはじめたのである(3)

「ジェンダー」と「セックス」の関係については、ある時点で認識が完全に変化した。初期には、「セックス」と「ジェンダー」を峻別し、「セックスがジェンダーを規定する」と理解された。しかし、このような考え方は生物学的な男女二分法を前提としており、それ自体がジェンダー・バイアスにからめとられている。生物学や精神分析学の研究により、「ひと」が生物として必ずしも男女に二分されるわけではないことが明らかになったからである(4)。

1980年代以降、フェミニズムの「ジェンダー」概念は大きく変わる。「セックス」と「ジェンダー」の不可分の関係に着目したうえで「ジェンダーがセックスを規定する」と主張されるようになったのである。その先駆的研究とみなされ、「フェミニズムの新時代を、広くはっきりと告げた(5)」のは、バトラー『ジェンダー・トラブル』(1990年)である(6)。

【解説】ジュディス・バトラー(1956~)
アメリカの政治哲学者・ジェンダー理論家。カリフォルニア大学バークレー校修辞学・比較文学科教授。
ヘーゲル、ニーチェ、フロイト、ラカン等をフェミニズムの視点から批判的に読み直し、1990年代以降のフェミニズム「理論」を新しい地平に押し上げたと評価されている。彼女の事実上のデビュー作『ジェンダー・トラブル』とE・K・セジウィック(1950-2009)の著作(『男同士の絆ーイギリス文学とホモソーシャルな欲望』1985年、邦訳2001年など)が、1990年代の「クイア政治」を牽引した。
【主著】Gender Trouble: Feminism and the Subversion of Identity, (Routledge, 1990).(竹村和子訳『ジェンダー・トラブル――フェミニズムとアイデンティティの攪乱』青土社、1999年)
【資料】バトラー『ジェンダー・トラブル』(1990年)

そもそもセックスとジェンダーの区別は、<生物学は宿命だ>という公式を論破するために持ちだされたものであり、セックスの方は生物学的で人為操作が不可能だが、ジェンダーの方は文化の構築物だという理解を、助長するものである。…セックスの不変性に疑問を投げかけるとすれば、おそらく「セックス」と呼ばれるこの構築物こそ、ジェンダーと同様に、社会的に構築されたものである。…ジェンダーは、それによってセックスそのものが確立されていく生産装置のことである。(訳27-29頁)

(4)ジェンダー・アイデンティティ

今日の精神医学では、「ジェンダー・アイデンティティ」gender identity(性同一性=性における自己認知・性自認)は、①「中核性同一性」、②「性役割」、③「性的指向」sexual orientationの3要素からなるとされる(7)。ひとりの人間のなかで、「セックス」「ジェンダー」「セクシュアリティ」の3要素は不可分にむすびついており、社会のなかでさまざまに誘導・抑圧される結果、個人のストレスをよびおこす。ジェンダー研究は、こうした抑圧メカニズムの考察を重要な研究課題としてひきうけた。

(5)フェミニズムへの批判

その過程で、1990年代以降、フェミニズムの従来の枠組みに対して根本的な批判がつきつけられる。①異性愛主義に対する批判、②白人女性中心主義に対する批判である。

①の正面にたったのはクィア理論であった。それは、多様な非異性愛の存在を認めて異性愛主義の偏向を問題化しようとした(8)

②は、欧米によって植民地化されたアジア・アフリカにおけるフェミニズムの進展をうけて展開する(グローバル・フェミニズム)。たとえば、買売春をめぐって、それを「セックス・ワーク」とよび女性の職業選択権の一つとして保障しようとする欧米フェミニズムと、買売春にともなう人身売買や、経済格差にもとづく欧米男性によるアジア・アフリカ女性への性的搾取などを糾弾しようとする第3世界フェミニズムとでは真っ向から利害が対立した(9)。こうして、フェミニズム自体がパラダイム転換を余儀なくされたのである。

(6)ジェンダー/セックス/セクシュアリティの関係をどう見るか? 

「身体(広義のセックス)」には、「事実としての身体(経験としてのセックス)」と「身体への意味付与(認識としてのセックス)」という二面があり、後者がジェンダーとしての考察対象となる。前者は、人間身体に性差(セックスとしての男女)があるという事実、にもかかわらず人間身体のすべてが男女に二分されるわけではないという事実をさし、これらの事実は認識によって左右されるものではない。

ジェンダーは、①身体(認識としてのセックス)、②セクシュアリティ(性的指向)、③ふるまい(性別役割・性別特性など「狭義のジェンダー」)のすべてにわたって「知(知識)」として構築される(「広義のジェンダー」)。「ジェンダー・アイデンティティ」(性同一性・性自認)は、身体的性別に関する認容や違和、セクシュアリティ、ふるまい(異性装を含む)のすべてに関わる。性自認も性的指向も、ほぼ生得的に決定される場合もあれば、生活経験によって決定される場合もある。また、それらは必ずしも生涯を通じて固定しているとは限らず、成長や生活経験によって変化する場合もある。このような生得性あるいは可変性を含めて、個人のそれぞれの身体とジェンダー・アイデンティティを尊重しなければならない。

生殖・性自認・性的指向・性別役割は、歴史学や法学を含む社会科学でこれまでほとんど論じられなかった。ジェンダー研究は語られなかった諸問題にことば(定義)を与え、学問の俎上にのせた。それは、既存の社会科学への根本的な挑戦を含んでいる(10)。

【セックスとジェンダーの関係に関するモデル(仮図)】

セックス(広義) 経験としてのセックス(事実としての身体) 性染色体・内性器・外性器・妊娠出産機能などの身体的性差。ただし、人間身体は必ずしも「典型的」男女身体に二分されるわけではない(性分化疾患・性染色体異常など)
認識としてのセックス(身体への意味付与)性別認容・性別違和・生殖科学・医学・スポーツにおける性別判定など ジェンダー・アイデンティティ(男・女・男女の中間・男女のいずれでもないなど) 「知」としての構築(ジェンダー研究の対象)
ジェンダー(広義)
セクシュアリティ(性のありかた)性的指向・性暴力・性売買など
ジェンダー(狭義)性別役割・ふるまい・親密関係の形成など

(注)

[1] I.イリイチ(玉野井芳郎訳)『ジェンダー-女と男の世界』(岩波書店、1984年)。

[2] イリイチ『ジェンダー』140ページ。

[3] タトル『新版フェミニズム事典』140ページ以下。ジェンダーとセックスの概念的区別を最初に行った研究者の一人として著名なのは、アン・オークレーである。江原由美子『フェミニズムのパラドックス』(2000年)、38ページ。

[4]  1970年代半ばにマネーとタッカーによる性診療外来の「治療」から自然的性差の「連続性」が確認され、①「セックス」と「ジェンダー」には「ズレ」があ ること、②人間にとって決定的な性別は「セックス」ではなく「ジェンダー」であることが明らかにされた。ただし、マネーとタッカーの「治療」法や研究につ いては、さまざまな問題が指摘されている。J.マネー、P.タッカー(朝川新一訳)『性の署名』(人文書院、1979年)、上野千鶴子「差異の政治学」 (岩波講座『現代社会学11:ジェンダーの社会学』岩波書店、1995年)、4ページ以下。

[5] 江原、金井編『フェミニズムの名著50』(平凡社、2002年)、394ページ。

[6] J.バトラー(竹村和子訳)『ジェンダー・トラブル-フェミニズムとアイデンティティの攪乱』(青土社、1999年)、27-29ページ。

[7] 土場学『ポスト・ジェンダーの社会理論』(青弓社、1999年)、47ページ以下、および、『岩波女性学事典』、296ページ参照。

[8] たとえば、『実践するセクシュアリティ』(動くゲイとレズビアンの会、1998年)、『クィア・スタディーズ'97』(七つ森書館、1997 年)、伊藤公雄『男性学入門』(作品社、1996年)、同『<男らしさ>のゆくえ-男性文化の文化社会学』(新曜社、1993年)。また、井上輝子他編 『日本のフェミニズム別冊、男性学』(岩波書店、1995年)をも参照。

[9] 若尾典子氏の一連の研究を参照。

[10] 参考文献として以下を参照。
三成美保「ジェンダー概念の展開」(三成美保他『ジェンダー法学入門・第2版』法律文化社、2015年)
三成美保『ジェンダーの法史学ー近代ドイツの家族とセクシュアリティ』勁草書房、2005年、12-14頁
三成美保「ジェンダー概念の展開と有効性」『ジェンダーと法』5号、2008年
辻村みよ子編『ジェンダーの基礎理論と法』東北大学出版会、2007年