目次
「21世紀のジェンダー法学とジェンダー史学」
家政学研究(奈良女子大学)「研究紹介」(2012年) 三成 美保
はじめに―グレートヒェン悲劇(ゲーテ『ファウスト』)に潜むジェンダー・バイアス
その娘が「体が裂けるようなすごい痛み」を感じたとき、血が両足を伝って流れた。強度の生理痛だと娘は思った。しばらく月経が止まっていたから、一挙に血が流れたのだろうと。仕事の手は止められない。洗濯場に灰(石けんのかわり)を運び込んでいると、子どもが「洗濯場の石の床板の上に突然生まれて落ちた」。
娘の名はズザンナ。ドイツ中部にある帝国都市フランクフルトの小さな宿屋に勤めて2年半になる。ある商人の従僕が彼女に目を留めた。部屋に呼び、ワインを飲ませてレイプ。客はそのまま宿を去り、ズザンナの腹に種が宿った。堕胎は非合法。性そのものがタブーとされる時代、娘に性知識は乏しい。つわりも陣痛もそれと自覚しないまま、ズザンナは子を産み落としてしまった。医者も姉も彼女の妊娠を見抜けなかった。「仕事を失うのを怖れて妊娠を隠した」との官選弁護人の弁護空しく、ズザンナは子殺しの罪で公開斬首刑に処せられてしまう。1772年のことである。
裁判に強い衝撃を受けた青年がいた。弁護士資格をもち、眉目秀麗なその青年こそ、ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ。彼の筆により、哀れなズザンナは永遠に名を残すことになる。『ファウスト』(1808/33年:初稿1775年頃)を彩るグレートヒェン悲劇のモデルとして。
悪魔と契約したファウストに誘惑され、子を宿して捨てられた「汚れなき乙女」グレートヒェン。ゲーテが書くヒロインは、か弱く、慎ましく、美しく、愛にあふれ、善意に満ちている。
「弱さ」や「愛」は女ならではの「美徳」とされ、1770年代に「美しき女性性」(schöne Weiblichkeit)とよばれて大流行した。それは廃れるどころか、その後2世紀にわたり、あるべき女性イメージを支配する。「女は放縦で悪魔の手先」と決めつけ、多くの女性を魔女として火刑台に送り込んだ17世紀までの女性像とはなんという違いか(1)。だが、生身の女は魔女でも聖母でもない。もっとタフでしたたかだ。ズザンナも働く女性だった。「美しき女性性」「母性」「女性の名誉」はいずれも啓蒙後期(18世紀後半)に作り出されたフィクションで、市民社会に適合的な新しい概念だったのである。
筆者がはじめてジェンダー・パースペクティブから考察したテーマが、この嬰児殺(子殺し)である。1994~95年の比較家族史学会シンポジウム「女性史・女性学の現状と課題」における報告を頼まれたのがきっかけであった。シンポジウム成果は、田端泰子・上野千鶴子・服藤早苗編『ジェンダーと女性(シリーズ比較家族8)』(早稻田大学出版部、1997年)として刊行された。「ジェンダー」をタイトルに冠する初期の研究書の1つである。
その後、研究テーマを広め、主著である三成美保『ジェンダーの法史学ー近代ドイツの家族とセクシュアリティ』(勁草書房、2005年)をまとめた(2)。同書は、啓蒙期からナチス期にかけてジェンダーが法的にいかに構築されるかを論じたものである。たとえば、嬰児殺の場合、女性論や母性論と結びつきながら、刑罰が変化する(同書第5章)。
中世まで追放刑ですまされた嬰児殺は、治安維持と結びついた厳罰化のなかで16世紀には心臓杭刺し刑(女性に対する最高刑)となる。17世紀には死刑ながら斬首刑に軽減され、ズザンナ事件に端を発する1780年代の嬰児殺論を経て、19世紀刑法典では終身刑に変化した(通常の殺人罪は死刑)。これは「刑事法におけるヒューマニズムの勝利」を象徴する変化とされた。しかし、果たしてそうか。ジェンダー・パースペクティブから見ると、むしろそれは、近代的なジェンダー・バイアス(性にもとづく偏り・偏見)が法的に固定化されていく過程に他ならない。「経済苦に喘いで子を殺す」という行為が同情されたのではない。婚前交渉という「恥」の証拠たる子を殺してまで「女性の名誉」を守ろうとする行為を、多くの男性知識人が賛美したのである。カントはこう言い切る。「死刑に値する犯罪ではあるが、それに対してはたして立法が死刑を科す権限をもつかどうかが依然として疑問であるような犯罪が2つある。これら2つの犯罪に誘うものは名誉感情である。1つは女性の名誉(Geschlechtsehre)に関わる犯罪であり、もう1つは軍人の名誉に関わる犯罪である。しかも、これらの名誉はいずれも、こうした2種の人間に義務として課せられている真の名誉である。一方の犯罪は母親による嬰児殺しであり、他方の犯罪は戦友殺しつまり決闘である」(『人倫の形而上学』1797年、傍点筆者)。
わたしたちが「進歩」「正義」として受け止めている事柄のいくつかには、抜きがたいジェンダー・バイアスがからみついている。これらのバイアスを「発見」し、適切な「言葉」を与え、真の平等をめざして理論構築する学問が「ジェンダー研究」gender studiesである。筆者は、法制史から研究をはじめて「ジェンダー法史学」を提唱し、目下、ジェンダー法学、ジェンダー史、ジェンダー史教育へと研究対象を広げている。以下、1男女共同参画、2ジェンダー法学、3ジェンダー史学・ジェンダー法史学の3点について研究内容と成果を簡単に紹介しておきたい。
1 男女共同参画とジェンダー-ジェンダー研究の課題
(1)男女共同参画とジェンダー平等
[1]男女共同参画社会基本法
男女共同参画社会基本法(1999年)は、日本で17番目の基本法として成立した。同法の公式英訳(外務省HP)は、Gender Equality Law(ジェンダー平等法)。つまり、日本は、対外的には「ジェンダー平等」gender equalityという国際社会の通用語を用い、国内向けには「男女共同参画」という聞き慣れない語を法律に冠したのである。それには2つの理由があった。①男女の協働をはかるという積極的意味、②「平等」という語を避けるという消極的意味である。ここでは詳細に立ち入らず、少なくとも「男女共同参画」には、①「男女の協働」という目的が込められていたことを確認しておこう。
同基本法の前文は、こう謳い上げる。「男女が、互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画社会の実現は、緊要な課題となっている。このような状況にかんがみ、男女共同参画社会の実現を二十一世紀の我が国社会を決定する最重要課題と位置付け、社会のあらゆる分野において、男女共同参画社会の形成の促進に関する施策の推進を図っていくことが重要である」(傍点筆者)。
[2]第3次男女共同参画基本計画(2010年)とジェンダー研究
男女共同参画社会基本法にもとづき、5年ごとに「基本計画」が策定される。第1次男女共同参画基本計画(2000年)は「家庭科教育の充実」と題して、「家庭科教育については、男女共同参画社会の推進に対応し、新しい学習指導要領(平成10年12月、平成11年3月改訂)において、家庭の在り方や家族の人間関係などに関する指導の充実を図っており、特に、高等学校家庭科では、男女が相互に協力し、家族の一員としての役割を果たし、家庭を築くことの重要性について認識させることとしており、その趣旨の普及・徹底に努める」と定めた。2005年第二次計画もほぼ同様の課題を掲げている。
2010年の第3次計画は、より包括的かつ具体的であり、国際社会の水準を意識した目標設定になっている。「男性と子どもにとっての男女共同参画」という新項目も盛り込まれた。第11分野「男女共同参画を推進し多様な選択を可能にする教育・学習の充実」では、「男女共同参画社会は男女の生物学的な違いを否定するものであるなどの誤解を払拭するためにも、教育関係者に対し男女共同参画に対する正確な理解の浸透を図る」とされ、「高等教育機関において、男女共同参画の正確な理解の浸透を図るため、ジェンダー研究を含む男女共同参画社会の形成に資する調査・研究のいっそうの充実を促す」(傍点筆者)と記されている。2012年4月の国家戦略会議の提言にもとづき設置された「女性の活躍による経済活性化を推進する関係閣僚会議」に関する文科省発表資料(2012年5月)でも、同じ文言が繰り返されている。
[3]ポジティブ・アクション
第3次基本計画は、前2次の基本計画よりもかなり広範に各分野の女性登用について数値目標を明記した(表1)。「ゴール・アンド・タイムテーブル方式」(目標達成の期日と数値を設定する)と呼ばれるポジティブ・アクションの一種である。対象が公務員に限定されていること、育児休業取得率については現状と成果目標が一桁違うことが目を引く。
項目 |
現状 |
成果目標(期限) |
衆議院議員の候補者 | 16.7%(H21) | 23%(H27) |
検察官 | 18.2%(H21) | 23%(H27) |
国家公務員Ⅰ種事務職 | 25.7%(H22) | 30% |
国の本省課室長相当職以上 | 2.2%(H20) | 5%程度(H27) |
国家公務員の男性の育児休業取得率 | 0.7%(H20) | 13%(H32) |
都道府県地方公務員(上級) | 21.3%(H20) | 30%程度(H27) |
都道府県本庁課長相当職以上 | 5.7%(H20) | 10%程度(H27) |
地方公務員の男性の育児休業取得率 | 0.6%(H20) | 13%(H32) |
【表1】第3次男女共同参画基本計画における「数値目標」(三成他『ジェンダー法学入門』2011年) |
前2次の基本計画では、審議会等の女性委員比率や日本学術会議の女性会員比率を一定比率にあげることが目標に設定された。教育・学術(とくに大学)での女性参画も徐々に進んでいる。ただし、50%という大学進学率は先進国で最低レベルであり、国際的評価を高める結果にはつながっていない。女性教員比率もまだ国際的に見て低い(第2次基本計画の目標は20%)。
しかし、もっとも本質的な問題が依然として解決されていない。政治・経済上の重要な意思決定に女性が参画する道がきわめて狭いことである。2010年の日本で、国会議員の女性比率は11.3%、企業の上級管理職(部長級以上)の女性比率は4.1%にすぎない。前者について、スウェーデンは45%、ドイツは32.8%に達する。ドイツの場合、緑の党を皮切りに各政党が自主的にクォータ制(不均等が大きい部門について均等性が確保されるよう優遇措置をほどこす割合を設定する)を導入し、そのたびごとに女性議員比率が上昇した。1995年時点で日本よりも数値が低かった韓国では、2005年男女同権法でクォータ制が導入され、今では日本を上回っている(表2)。
フランスでは早々とクォータ制が導入された。パリテ法成立にあたっては、逆差別との批判があり、憲法改正まで行われた。2012年5月16日、フランスで発足した新内閣では、「女性を半数に」というオランド大統領の公約どおり、閣僚34名のうち女性が17名となった。人種のバランスにも配慮されており、アフリカ系・アジア系からも閣僚が選ばれている。近年のフランスでは、民間企業についてもクォータ制が導入された。「取締役・監査役の構成に関する法律」(2011年)によれば、上場企業は2017年までに同役職の男女比率をそれぞれ40%以上にしなければならない。ノルウェーやスペインにも同様の法律が存在する。
このような国際情勢に照らすと、日本の急務は政治・経済上の意思決定におけるジェンダー・バイアスの是正であることに疑念の余地はない。女性議員は一過性の「マドンナ議員」ではない。国家や自治体、経済社会のリーダーとなる女性を育てる一方、チャンスの不均衡が是正されるまでの時限措置としてクォータ制を含むポジティブ・アクションの実効化が必要であろう。憲法解釈学上、国政選挙の比例代表制部分でクォータ制を導入することは可能であるとされている。
(2)ジェンダー研究の課題
[1]ジェンダー主流化
欧米で1970~80年代にはじまったジェンダー研究は、日本には1990年代に本格的に導入された。重要なきっかけとなったのは、1995年の第4回世界女性会議(北京会議)における「ジェンダー主流化」gender mainstreamの提言である。国連は次のように定義している。「ジェンダー観点(gender perspective)を主流化するということは、あらゆる領域とレベルにおいて、法律、政策もしくはプログラムを含む全ての活動が、男性と女性に対して及ぼす影響を評価するプロセスなのである。これは、女性の関心と経験を、男性のそれと同じく、あらゆる政治、経済、社会の分野における政策とプログラムをデザインし、実施し、モニターし、評価するにあたっての不可欠な部分にするための戦略であり、その結果、男女は平等に利益を受けるようになり、不平等は永続しなくなる。主流化の最終の目標は、ジェンダー平等(gender equality)を達成することである[3]」(1997年国連経済社会理事会)。
筆者がジェンダー・パースペクティブを分析視角として重視するのは、既存の研究・教育や現実社会のジェンダー・バイアスの問い直しが未来を展望するために不可欠だと信じるからである。事実、1970年代のアメリカでセクシュアル・ハラスメントやドメスティック・バイオレンスなどの概念が生み出されて以来、見えなかった暴力が見えるようになり、1990年代末以降、日本でも立法や法改正が続いている。これらはジェンダー法学を含むジェンダー研究の成果にほかならない。「ジェンダー」ですべてを語ることはできないが、「ジェンダー」抜きで何かを語ることももはやできないのである。
[2]ジェンダー平等
「ジェンダー」の意味内容は、ジェンダー研究の深化とともに変化している。それを概念の曖昧さとして批判する向きもあったが、むしろジェンダー概念の「発展」として積極的に評価されるべきであろう[4]。
ジェンダー研究は、性別の二元構造(生物学上の性差)を否定するものではない。ヒト(人類)が有性生殖で種の存続をはかる以上、男女の身体機能の違いは決してなくならないからである。しかし同時に忘れてならないのは、性別の二元構造があるゆえに必然的に多様な性の組み合わせが生じることである。「性分化障害」として治療が必要なケース、「性同一性障害」として戸籍変更を求めるケース、医学的処置や法的手続きを必要とはしないケースまで、当事者のニーズは実に多様である。法は権力作用を伴うゆえにいっそう速やかに、これらの人びとの権利を抑圧しないよう洗練(改正)されねばならない。
2008年のドイツ憲法判例を紹介しておこう。妻と3人の子をもつ男性は、2001年、72歳のときに女性名に変え、性別再指定手術を受けた。ドイツの性転換法(1980年:日本の2003年性同一性障害者特例法に近い)によれば、婚姻関係にある者は性別再指定手術を受けることができない。彼は、いったん離婚して手術を受けるのではなく、婚姻を継続しつつ手術を受けようとして、連邦憲法裁判所に同法を訴えた。裁判所は訴えを認め、こう判示した。「(男女間の)婚姻保護はたしかに重要である。しかし、トランスセクシュアルへの権利侵害もこれと比較にならないくらい大きい」。その結果、法律が改正された。EU運営条約(1997年)はこう定める。「EUは、その政策および活動の決定と実施において、性別(gender)、人種もしくは種族的出身、宗教もしくは信条、障害、年齢または性的指向(sexual orientation[異性愛/同性愛など])に基づく差別を闘うことを目指す」(第10条、[ ]内筆者)。
「ジェンダー平等」とは、性を含む人間の多様性を互いに尊重し、特定の性役割や性規範(異性愛主義など)を強制しない社会を築こうとすることである。したがって、男性を縛る「大黒柱」規範や「男性=仕事」神話も研究の俎上にのせ、規範や神話の解体をはからねばならない。三成美保「マスキュリニティの比較文化史―現状と課題」(『女性史学』22号、2012年)は、こうした「男性性(マスキュリニティ)」の歴史研究に関するレビューである。同稿は、科研費共同研究(基盤研究(B)「『マスキュリニティ』の比較文化史―公私関係の再検討に向けて」2009~11年度、研究代表者:三成美保)の成果の1つでもある。
[3]ジェンダー研究の多様な成果
今日、いくつかの大学や研究プログラムが、ジェンダー研究の拠点として活発な活動を展開している。奈良女子大学アジア・ジェンダー文化研究センターもその1つであり、魅力的なシンポジウムを提供してきた。お茶の水女子大学ジェンダー研究センター、東北大学ジェンダー平等と多文化共生研究センター、一橋大学ジェンダー社会科学研究センターも有力なジェンダー研究拠点である。また、東北大学21世紀COEプログラム「男女共同参画社会の法と政策」とその成果たる「ジェンダー法・政策研究叢書」全12巻(5)(2004~2008年)、同プログラムを発展させた東北大学・東京大学グローバルCOE「グローバル時代の男女共同参画(ジェンダー平等)と多文化共生」、お茶の水女子大学21世紀COEプログラム「ジェンダー研究のフロンティア」は、数多くの成果を生み出した。
2001年度からは科研費分科細目に「ジェンダー」がもうけられ(当初は時限付き、現在は恒常化)、日本学術会議でもジェンダー関係の分科会が複数立ち上げられて活発に活動している。日本ジェンダー学会(1997年)、ジェンダー法学会(2003年)、ジェンダー史学会(2004年)などの学会も次々と設立された。こうした流れのなかで、筆者は、ジェンダー法学会副理事長、日本ジェンダー学会理事、比較家族史学会理事として役目を果たしてきた。また、2005年以降、日本学術会議連携会員として、法学委員会「ジェンダーと法分科会」、同「親密圏の制度設計分科会」、同「学術創生分科会」、史学委員会「歴史学とジェンダー分科会」、領域横断「ジェンダー分科会」に属し、さまざまな分野の研究者との連携をはかっている。
2 ジェンダー法学が示す日本の展望
(1)国際社会のなかの日本―ジェンダー平等に向けての課題
[1]国連ジェンダー指数の順位は世界最低レベル
日本のジェンダー法政策は、国際社会のなかでも最低レベルに位置する。それをよく示すのが、2つのジェンダー指数(GEM、GGI)である。GEM(ジェンダー・エンパワーメント指数)は、1995年以来、国連開発計画が毎年発表している指標で、政治・経済の決定権に女性がどの程度参画できるかを示す。健康・教育・生活水準にもとづいて以前から算定されていたHDI(人間開発指数)のジェンダー版である。他方、GGI(ジェンダー・ギャップ指数)は、世界経済フォーラムが新たに作った指標で、GEMより項目が多く厳密であり、各分野でのジェンダー・バイアスの程度を示す。
2009年度、日本はGEMが109カ国中57位、GGIが134カ国中101位であった。HDIは182カ国中10位であるにもかかわらずである。ちなみに、ドイツはHDIが10位、GGIは13位とほぼ順位が等しい。女子学生のため息が聞こえてきそうだ。「大学を出るまでほとんど男女差別なんて感じなかったのに、いざ就職しようとしたら女子学生は妙に不利。志望先の面接で出会う幹部のほとんどは、父親くらいのおじさんばかり。なぜ?」。
こうした女子学生の素朴な疑問に答えるべく、大学教養及び法学専門科目のテキスト兼資料集として執筆したのが、三成美保・笹沼朋子・立石直子・谷田川知恵『ジェンダー法学入門』(法律文化社、2011年)である。同書は、ジェンダー法学の典型的テーマ群(ジェンダー論・身体と性・親密圏・労働・ジェンダー主流化)を取り上げているが、構成はかなり異色である。見開き2頁を1項目として、本文と資料を組み合わせた全16章とし、各章は原則として、①概説、②~⑤本文、⑥男性、⑦比較、⑧判例という8項目編成にした。歴史と比較を交えて現代日本法のジェンダー・バイアスを明らかにし、学際的成果も盛り込みつつ、専門外の人でも資料集・読み物として使えるよう工夫した。
[2]CEDAW勧告と民法改正
国際社会でジェンダー差別撤廃の根拠とされるのが、女性差別撤廃条約(1979年)である。日本は、1985年に同条約を批准した。男女雇用機会均等法の制定や高校家庭科の男女共修化などとひきかえであった。今日、同条約批准国は186カ国に及ぶ(2009年時点)。
批准国は、条約遵守に関するレポートを国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)に提出して、審査を仰がねばならない。過去に日本政府は6回レポートを提出し、合同審査を含めて4回の審査をうけた。審査の結果示される総括所見では、さまざまな勧告が出される(表3)。育児休業法の制定(1991年)、均等法改正(1997年)、間接差別の導入(2007年均等法改正)、人身売買罪の制定(2005年刑法改正)など、勧告に即して立法や法改正がなされるケースも多い。しかし、幾度も指摘されながら、法改正が遅々として進まない領域がある。民法家族法である。
今日の国際水準に照らすと、現行家族法にはいくつかの見過ごせないジェンダー差別がある。1996年、法務省法制審議会は、「民法改正要綱」をまとめた。婚外子相続差別の撤廃、選択的夫婦別姓の導入などが盛り込まれている。過去のレポートでは、同要綱があることをもって日本政府の対応として弁明してきた。だが、要綱はいまも国会を通っていない。2009年総括所見が、2003年勧告への対応を「不十分であり遺憾」とし、民法家族法改正について「直ちに行動を」と強く要請したのはそのせいである。
(2)家族法システムの比較研究
筆者の最新の論攷から、家族法システムの比較研究を紹介しておきたい。三成美保「家族法システムの改革とジェンダー秩序の変容-戦後~1970年代のドイツと日本」(三成美保・阿部浩己・小島妙子・広渡清吾編『ジェンダー法学のインパクト』日本加除出版、2012年11月予定)である。同書は、ジェンダー法学会10周年を記念した企画出版である講座『ジェンダーと法』全4巻の第1巻である。
日独の戦後家族法システムを比較すると、96年民法改正要綱の提案は、ドイツの1970年代の法改正に等しいことがわかる(表4)。日本は戦後改革でいち早く男女間の「形式的平等」を達成したが、いまなお「ジェンダー平等」は遠い。ドイツは、1970年代にようやく「形式的平等」を達成し、同時にその時点から「ジェンダー平等」への歩みが始まった。
21世紀を迎えて、「ジェンダー平等」はEU諸国の基本方針になっている。これに呼応して、スペインなどのカトリック国までが同性婚を認めた(2006年)。これにひきかえ、日本では、「形式的平等」の達成が早く、根本的であったために、法学の世界でも「ジェンダー平等」への関心は低いままにとどまった。DVを原因とする離婚調停でも、ジェンダー教育を受けていない調停委員が「別れずに我慢しなさい」と被害女性を諭す場面があとをたたない。ジェンダー法学の実践的課題は、なお多く残されている。
【表4】家族法システムの比較ー戦後のドイツと日本(三成「家族法システムの改革とジェンダー秩序の変容」2012年)
(太字=家父長制的な規定、下線=性的自己決定権の抑制・軽視、網掛け=案の未成立、四角=日本の未成立案に対応するドイツの法改正)
ドイツ (一般家族支援型) |
福祉・雇用レジーム |
日本 (男性雇用志向型/日本型福祉社会) |
1949年:ドイツ基本法 人間の尊厳(1条)・人格形成権(2条)・男女同権(3条)・家族保護(自由権)(6条) |
憲法 |
1946年:日本国憲法 幸福追求権(13条)・平等権(14条)・婚姻における個人の尊厳と両性の平等(平等権)(24条) |
1896年:BGB(夫権的家父長制・伝統家族=主婦婚モデル)→1957年:男女同権法(主婦婚モデル維持)→76年:婚姻・家族法第1改革法(主婦婚モデル放棄)→96年:親子法改正 |
家族法 |
1947年:民法改正(父権的=夫権的家父長制の否定・家制度廃止・近代家族モデルの採用)→96年:民法改正要綱(未成立) |
1896年:管理共通制→1956年:違憲判決→57年:獲得財産共通制(婚姻後の獲得財産を共有とし、婚姻解消時には等分する) |
夫婦 財産制 |
1947年:管理共通制から別産制へ→90年代:判例(婚姻後の獲得財産は離婚時に等分)→96年:獲得財産均等清算案(未成立) |
1896年:父子の血族関係認めず・婚外子の相続権なし→1969年:相続差別撤廃(相続相殺請求権・「婚外子」への呼称変更)→96年:子の完全平等 |
婚外子 |
1947年:婚外子の家督相続権消滅・遺産相続差別(1/2)存続→95年:最高裁合憲判決→96年:婚外子相続差別撤廃案(未成立) |
1896年:同氏(夫氏)→1976年:同氏(平等選択)・結合氏可→94年:選択別氏 |
氏 |
1947年:同氏(夫家氏から平等選択へ・ただし夫氏選択98%)→96年:選択別氏案(未成立) |
1949年:27年判例(医学的適応のみ中絶可)に復帰→62年:ピル解禁→74年:第5次刑法改革法(期間規制型)→75年:第1次堕胎判決→76年:刑法修正(適応規制型)→92年:統一中絶法(期間規制型)→93年:第2次堕胎判決→95年:中絶法(期間規制と適応規制の折衷型・葛藤モデル) |
生殖 |
1948年:優生保護法(適応規制型・事実上の中絶自由化)→70年代:優生政策強化→96年:母体保護法(適応規制型・自己決定権保障せず)→99年:ピル解禁 |
1871年:刑法(反自然的淫行罪・姦通罪)→1969年:姦通・成人間男性同性愛を不処罰化→73年:「風俗犯罪」から「性的自己決定に対する罪」へ→80年:性転換法→94年:同性愛処罰規定の撤廃→2001年:生活パートナーシップ法(同性カップルの家族形成権保障) |
セクシュアリティ |
1947年:姦通罪廃止→1969年:ブルーボーイ事件→69-98年:性別適合手術の抑制→2003年:性同一性障害者特例法 |
1984年:養子法改正(代理母禁止)→90年:胚保護法(クローン産生・着床前診断の禁止) |
生殖補助 医療 |
2001年:クローン技術規制法→08年:学術会議生殖補助法・代理母案(未成立) |
3 ジェンダー史とジェンダー法史学
(1)歴史教育とジェンダー
[1]高校世界史教科書にみるジェンダー・トピック
高校社会科で、ジェンダーはどの程度教えられているのだろうか。公民部門の「現代社会」教科書では、男女共同参画基本法は必ず本文ゴシック体で取り上げられる。「ジェンダー」という語を用いたり、ジェンダー指数を紹介する教科書も複数ある。では、「世界史」教科書では、「ジェンダー・トピック」はどれほど取り上げられているのか。これを検討したのが、三成美保「高校世界史教科書にみるジェンダー」(長野ひろ子・姫岡とし子編著『歴史教育とジェンダー―教科書からサブカルチャーまで』青弓社、2011年)である(表5)。
ジェンダー・トピック |
教科書(略称)A=9点/B=8点 |
ジェンダー | 東書B・山川現A |
フェミニズム | 山川詳B・東書B |
ウーマン・リブ | 東書A |
女性解放運動・女性解放 | 山川新B・帝国B・東書B・東書新B・山川現A・帝国明A・三省A・東書A |
性別役割分担・性別分業・公私分離 | 山川新B・帝国B・東書B・東書新B・山川現A・帝国明A・三省A・東書A |
男女の二重規範 | 実教B |
産児制限 | 第一B |
ナポレオン法典の家父長制 | 実教B・帝国明A・実教A・三省A |
同性愛 | 帝国B(レズビアン・ゲイ解放運動、ナチス期の男性同性愛者差別)・清水B |
マリア信仰・マリア崇拝 | 東書B・清水B |
グージュ | 第一B・東書新B・実教B・帝国明A・実教A・三省A・東書A |
ウルストンクラフト | 実教B・山川現A・東書A |
シャネル | 第一B・帝国明A・清水A・東書A |
カルティニ | 東書新B・三省A・東書A |
【表5】高校世界史教科書のジェンダー・トピック (三成「高校世界史教科書とジェンダー」) |
世界史教科書の「ジェンダー・トピック」には明らかに偏りがある。①トピックは近現代西洋史に集中している。フランス革命や近代市民社会の性別役割分業に言及している点には、ジェンダー史の成果が認められる。②女性の主体性に対して十分な配慮がない。たとえば、産業革命期に女性が安価な労働力として搾取されたという「被害者」史観を抜けきっていない。③固有名詞で語られる女性が少ないだけではなく、取り上げ方にバイアスがある。中国史でほぼ必ず本文ゴシック体で名が挙がる武則天(則天武后)と西太后は、いまなお「悪女」扱いである。近年の研究成果を反映して、武則天が、家柄に関係なく才能ある者を抜擢し、治世を安定させたすぐれた政治家であったと記しているのは、わずか1点。また、文化史に女性の名はほとんど登場しない。教科書は「男女共同参画」どころか、「文化=男性/自然=女性」といった二元論的思考様式にとどまっているかのようである。④「ジェンダー・トピック」を本文ではなく、コラムや図表キャプション、注で言及するケースが多い。ジェンダー史への配慮はあるが、ジェンダー・パースペクティブが歴史枠組みの見直しや文化・社会分析に決定的な意義をもつことへの共感は弱いと言えよう。
[2]ジェンダー史教育とその課題
上述の長野・姫岡編著『歴史教育とジェンダー』は、日本学術会議史学委員会「歴史学とジェンダーに関する分科会」が主催した公開シンポジウム「歴史教育とジェンダー―教科書からサブカルチャーまで」(2009年12月)の成果である[6]。シンポジウムにおいて今後の課題として提起されたのは、次の3点である。①ジェンダー史研究が弱い分野(アジア史・アフリカ史・前近代西洋史・文化史・科学史・美術史など)の研究を強化する。②手軽にアクセスできるサブテキストを作成する。③高校歴史教育・大学教養歴史教育・大学専門歴史教育を連動させる。
①についての取り組みは、すでに学界全体で始まっている。ジェンダー史学会が中心となって編纂した『ジェンダー史叢書』全8巻(明石書店)もその一環である。服藤早苗・三成美保編『権力と身体』(ジェンダー史叢書第1巻、2011年)で発表した「戦後ドイツの生殖法制―『不妊の医療化』と女性身体の周縁化」は、筆者が構想しているジェンダー法史学の一環であり、戦後法史の取組の1つでもある。
②については、『歴史学とジェンダー』メンバーを中心に、『歴史を読み替える』全2巻(世界史篇=三成美保・姫岡とし子・小浜正子編/日本史篇=久留島典子・長野ひろ子・長志珠絵編)として2013年刊行予定である。高校教科書叙述を前提にして、ジェンダー・トピックを解説・資料付きで参照できる体裁にする。
③の目的を果たす一助として、同上②の延長上に共同研究を行う。大学教養教育の改革をにらみ、今年度より3年間、科研費共同研究(基盤研究(B)「歴史教育におけるジェンダー視点の導入に関する比較研究と教材の収集及び体系化」研究代表者:三成美保、2012~14年)をめざす予定である。
(2)ジェンダーの法史学
[1]ジェンダー法史学の提唱
筆者は、もともと法史学の研究に携わってきた。法史学は、法制度や法文化の歴史を考察する研究領域で、基礎法学に属する。1990年代半ばまで、中世末期の体僕領主制、中世都市の遺言、ローマ法継受期(15~16世紀)における都市裁判所の変化、宗教改革期(16世紀)における婚姻裁判所の創設、近世の夫婦財産制、近世の都市=農村関係、近世大学の貴族化など、前近代を対象に関心を国制(立法・行政・司法)から家族へと移した。
1999年の法制史学会研究大会ではじめて「ジェンダー法史学」を提唱した。これを機に、科研費基盤研究(C)「近代法形成過程のジェンダー的分析―18~19世紀ドイツの性差論と立法への反映」(1999~2001年)、同(C)「ジェンダーの比較法史学―近代法秩序の再検討」(2002~03年)に取り組み、前述の『ジェンダーの法史学』、及び三成美保編『ジェンダーの比較法史学―近代的法秩序の再検討』(大阪大学出版会、2006年)として刊行した。後者は、2003年法制史学会シンポジウム「ジェンダーの法史学―近代法の再定位・再考」(企画・趣旨説明・総括・司会を担当)の成果でもある。
ジェンダー研究は、「近代的な諸価値」の見直しという性格が強いため、研究対象はしだいに近現代に移っていった。また、比較の視点を強く打ち出すよう努めている。目下取り組んでいるのは、西洋法制史としての研究蓄積が乏しい現代法史である。日本やアジア諸国との比較という点でも、「20世紀法史」の体系化はきわめて重要である。これに関連して、2004~2006年科研費基盤研究(C)「ナチス優生法制の歴史的位相と戦後ドイツにおける生殖関連立法への影響」(研究代表者:三成美保)、「『生殖管理国家』ナチスと優生学」(太田素子・森謙二編『<いのち>と家族―生殖技術と家族1』早稲田大学出版部、2006年)、「ドイツにおける家族・人口政策の展開とジェンダー」(富士谷あつ子・伊藤公雄編『超少子高齢社会からの脱出―家族・社会・文化とジェンダー政策』明石書店、2009年)を発表した。
[2]ジェンダー法史学・ジェンダー法学・ジェンダー史学の架橋
植民地主義の否定とグローバル化の進展に特徴づけられる「20世紀法史」は、必然的に「20世紀比較法史」となる。一方、公私二元システムの相対化、生殖補助技術のめざましい発展、グローバルな人口移動、環境への配慮、親密関係の多様化など、「21世紀法学」の構築に向けては、近代法的枠組みの根本的な見直しが急務となっている。「国語」を自在にあやつり、「理性」にもとづいて判断する「自律的個人」(「ひと」という名の中流白人男性)を法主体として想定した一国主義的な法システムは、すでに破綻しつつあると言えよう。筆者がめざしているのは、20世紀比較法史と21世紀法学の接合である。
そのさいもっとも重視したいのが、「複合差別」の問題である。人種・民族・経済力・ジェンダーは人びとを差異化する典型的な要因であり、互いに密接にからみあいながら社会階層を固定化する要因として機能してきた。とくに、ジェンダーは、「性と生殖」という集団の再生産に関わる問題であり、どの集団内にも必ず存在する基幹的な「差異化要因」なのである。ジェンダーにもとづく自集団内での差別(家父長制)と他集団を排除抑圧するためのジェンダー差別(婚姻規制・性愛規制・強制不妊化・強制妊娠・性犯罪など)はいかに結びついているのか。今後とも、ジェンダーを過去から現在にいたる複合差別の基幹的要因として位置づけ、解決策を展望するための手がかりを考えたい。
おわりに
ジェンダーが「性と生殖」に関係するゆえに複合差別の基幹要因になるということは、「ケア」をだれが担うかという問題につながる。育児・介護といったケア労働は、人間社会の営みにとって不可欠の労働であり、世代間で交互に担いあう必要がある。したがって、人間像も修正されなければならない。近代法システムで前提とされた「強き人間」モデルから、ライフサイクルのなかで初期と終期は他者から「ケア」を受け、青壮年期には自他を「ケア」する「可変的存在」(弱く強い人間)モデルへの修正である。だれもが「ケア」を受け、「ケア」を与えるとすれば、そこにジェンダーや人種・経済格差にもとづく一方的な授受関係が結ばれるべきではない。
奈良女子大学は、女子高等師範にさかのぼり、女性リーダー育成の歴史と伝統をもつ。本学は、基本理念1をこうかかげている。「男女共同参画社会をリードする人材の育成―女性の能力発現をはかり情報発信する大学へ」。そして、生活環境学部は、「生活を取り巻く様々な生活環境を教育研究の対象とし、生活に関わる諸問題を科学的に分析し、高度な教育・研究を進め、生活診断力や生活改善力に優れ、生活者の目で見て社会をリードできる女性専門職業人を養成することを目的とする」。奈良女子大学は、日本有数のジェンダー教育・ジェンダー研究の拠点であり、数多くの実績もある。こうした実績の上に立ち、大学・学部理念に即した学際的なジェンダー教育システムを構築し、学生と市民に提供することができよう。筆者の研究がその一助になれば幸いである。