【コメント】ウマー・チャクラヴァルティ氏の講演に寄せて

2022-03-08掲載 粟屋利江

本記事は、国際シンポジウム:アジアジェンダー研究・ウェビナーシリーズ第1回「家父長制についてー南アジアのジェンダー研究から」(2022年1月28日:オンライン)におけるチャクラヴァルティ氏の講演に対するコメントです。粟屋氏はインド史研究者であり、そのお立場から専門的なコメントをいただきました。

コメント

チャクラヴァルティ氏の講演は、彼女が1993年に発表した論考「初期インドにおけるバラモン的家父長制を概念化する―ジェンダー、カースト、階級、国家」[1]で論じた「バラモン的家父長制」の概念を簡潔にまとめたものだった。家父長制の現われ方は、各社会、時代で異なる。インドにおいては、カースト制とジェンダーとが有機的に関連し、カースト秩序の維持のために[2]、ことさら女性、とくに上位カースト女性のセクシュアリティの管理が厳格になる点がインドの家父長制の特徴である、とチャクラヴァルティ氏は指摘する。これまでカーストとジェンダーの関係が看過されてきたわけではないが、初めて統合的に論じられたことに加え(彼女の著作のタイトルを借りれば、「カーストをジェンダー化」したと表現できよう[3])、「バラモン的家父長制」と概念化したことは画期的であった。同論考がEconomic and Political Weeklyという有力雑誌に掲載されたことも手伝って、「バラモン的家父長制」概念は、その後のフェミニズム運動やジェンダー研究に大きな影響を与えてきている。ただし、彼女は最近の論考で、「バラモン的家父長制」よりも「カーストに基づいた家父長制(caste-based patriarchy)」のほうが良いとの見解を示し、講演のなかでもこの言葉への言及があった。彼女によれば、後者は批判的な鋭さは弱くなるが、「ダリト家父長制」といった用語に横滑りしてしまうことがないという[4]

ジェンダーとカーストとの関係について彼女に熟慮させる契機となった事件として、チャクラヴァルティ氏は、反マンダル・アジテーション(1990年)から受けた衝撃をたびたび記している。反マンダル・アジテーションとは、当時の首相V.P. シングが、それまで議席や公職、高等教育の分野で指定カーストと指定トライブに認められていた留保制度を、後進諸階級(Other Backward Classes、OBC)に拡大する(公職の27%)と決定したことに対して、北インドを中心に巻き起こった抗議運動である[5]。チャクラヴァルティ氏が教えていたデリー大学は、アジテーションの中心の一つであった。この運動のなかで抗議の焼身自殺をする男子学生も出て、センセーショナルな話題となった。

デリー大学の女子学生が掲げたスローガンの一つ「わたしたちは失業した夫はいらない」は、彼女たちにとって、留保枠の拡張によって公務員になると想定されるOBCの男性が結婚相手になるという可能性はまったく想定されておらず、OBCによって職を「奪われる」上位カースト男性との結婚(カースト内結婚)を当然と考えていることを示した。自分たちの職ではなく、夫となるべき上位カーストの「男たちの」失業しか問題にしていないとして、スローガンを掲げた上位カースト女子学生たちを嘲るレベルにとどまった「進歩的な」人々とは異なり、チャクラヴァルティ氏は、内婚というカースト制を存続させる根幹のイデオロギーを、上位カーストの女性自身が内面化している問題をスローガンから読み取った。

家父長制の存続に女性自身が「加担」するという現象は、いずれの社会にもみられる。インドの場合、チャクラヴァルティ氏が詳しく論じるように、パティヴラター、ストリーダルマ(一人の夫へ献身・貞節)といったイデオロギーは、神話などの力も借りて強固に働き、女性によって目指すべき価値として内面化されてきた。しかし、家父長的価値の女性自身による内面化という問題も、インド固有の現象ではない。固有の問題は、「貞節」の価値が特定の婚姻サークル内部で追及されるべきであるとされたこと、つまり、デリー大学の女子学生が示したような「内婚」の価値の女性による内面化であるといえる。カースト秩序を存続させる内婚慣習、それを担保する両親・親族によって相手を決められた結婚(arranged marriage)を女性たちが内面化する条件やロジックは何かがさらに問われるのである。これもチャクラヴァルティ氏が指摘しているが、女性たちを内婚に同調させるために行使される家族・親族やカースト・コミュニティ、国家による暴力の果たしてきた役割は無視できない。しかし、こうした強制的な側面だけでは、カースト内婚の存続は十分に説明できない。

カースト制度・差別の廃絶に生涯をささげ、死の直前に仏教に改宗したダリト出身の指導者B.R.アンベードカル(1891-1956)は、カースト制を「階層化された不平等(graded inequality)」と概念化した。上位カースト女性は、カースト制と結びつくジェンダー・イデオロギーを実践する限り、下位のカースト男性・女性の優位にたち、カースト秩序が提供する文化資本や社会関係資本を含むリソースを享受できる。したがって、上位カースト女性にとってカースト秩序の存続(内婚の維持)から受けるメリットは少なくない。一方、セクシュアリティの厳格な(自己)管理は、カースト・ヒエラルキーにおける上下の位置づけを決定する要素とみなされてきたために、下位カーストが地位の上昇をはかるとき、上位カースト的なジェンダー規範を取り入れるという現象(「サンスクリット化」と呼ばれる)が繰り返される。不平等が階層化されて配分されてきた社会において、女性内部での「団結」はさらに困難なものとなる。

内婚とカースト制との関係は、アンベードカルも指摘し、異カースト結婚こそが、カースト制の絶滅の道であると訴えた。チャクラヴァルティ氏は、アンベードカルのカースト制理解とそれへの批判から大いに学んでいる。「バラモン的家父長制」概念は、カースト制が女性のセクシュアリティの自律性と自由を阻害してきたとする理解する点で、アンベードカルの議論をフェミニズムの観点からより深めたという性格がある。

「バラモン的家父長制」概念は、さらに実証的で歴史的な研究が求められている。チャクラヴァルティ氏の議論で使われる文献は、バラモン男性の世界観・ジェンダー観を濃厚に反映した規範的な文献や仏教文献であるが、多くは紀元数世紀までに成立したものである。それ以降から18,19世紀までの間の時代における変化、地域的差異など、まだまだ実証研究の余地が大いに残されているといえよう[6]。内婚慣習の成立や実態(つまりはカースト制)、その変化についても不明な点が多い。そもそも規範的な文献から「実態」をいかに読み解くかという問題に加え、インドにおける史資料が有する特殊性(「歴史的」な文献が徹底的に少ない、知識の生産が圧倒的に上位カースト男性によってきたなど)は、インドのジェンダー研究者がつねに直面する問題である。

1990年代以降の経済自由化とグローバル化のもとで大きな社会経済的変貌を遂げつつあるインドにおいて、セクシュアリティの問題は、都市ミドル・クラス(カースト的には上位カーストが優勢である)の領域において、とくに英語メディアでは、セクシュアリティの「商品化」とも呼べるような状況がみられる。高等教育を受けた都市のミドル・クラスの間ではカーストにこだわらない結婚が(そして離婚も)増加していると喧伝される一方で[7]、異カースト間の結婚は5%くらいにすぎないという報告もある[8]。カースト内婚がなぜこれほどまでに強固に維持されるのか、すでに述べたように、さらなる検討が必要である。上位カースト女性と下位カースト男性の性的関係に対する過剰な暴力が脅威となっていることは否定できないだろう。しかし、福祉政策などのセイフティーネットが脆弱である状況下ですすむ社会経済的な大きな変動のなか、個人的に十分な経済力、文化資本、社会関係資本を持たない場合、内婚ルールを守ることによって親族・カーストのネットワークから零れ落ちないことはますます重要になっているであろうし、さらには、長きにわたるカースト秩序が醸成してきた「心性」もまた考慮すべきであろう。チャクラヴァルティ氏は、「不幸なことに」(彼女自身の表現)カースト制自体が近い未来に消滅するようにはみえないという観測を述べている[9]。カースト内婚、カースト秩序維持への欲望が、今後もジェンダー的に構成されるのか、さらなる批判的研究が求められている。

[1] 森本和彦・平井晶子・落合恵美子編『リーディングス アジアの家族と親密圏 第1巻 家族イデオロギー』(有斐閣、2022年)に所収。

[2] 階級構造とカーストのヒエラルキーが多くの場合パラレルである状況のもとで、カースト秩序の維持は階級構造の維持をも意味する。

[3] Uma Chakravarti (2003), Gendering Caste: Through a Feminist Lens, Calcutta: Stree.

[4] Uma Chakravarti (2017), “The Burden of Caste: Scholarship, Democratic Movements and Activism”, S. Anandhi and Karin Kapadia (eds.), Dalit Women: Vanguard of an Alternative Politics in India, London and New York: Routledge, p. 348 note 11. ダリトとは「不可触民」を総称する用語。「踏みつけにされたもの」といった語義。ダリトのコミュニティ内部における家父長制は、別個のものとして考えるのではなく、あくまで、上位カースト中心のイデオロギーが貫徹したインド社会全体の機制、すなわち「バラモン的家父長制」/「カーストに基づく家父長制」のなかに位置づけるべきであるという主張は、ダリト・フェミニズムの主張でもある。

[5] この政策は、1980年に提出され、その後棚上げになっていたマンダル委員会(委員長マンダルの名前からこう呼ばれる)報告書の提言の一部である。州レベルでは、すでにOBCへの留保を実施してきた州も存在した。留保制度をめぐる議論は、これ以降、さらに政治問題化した。OBCとは、社会的・教育的に後進であるとみなされる諸集団。階級という表現が使われているが、ほぼカーストを単位として認定される。

[6] チャクラヴァルティ氏自身、この間の歴史についても議論を進めていることは明記したい。ex. Chakravarti, Gendering Caste.

[7] 講演でも述べていたように、タミル・バラモンであるチャクラヴァルティ氏自身は異カースト結婚をしている。彼女の出自、結婚については、注4で記した論考に記されている。

[8] Rukumini S. ”Just 5% of Indian marriage are inter-caste: survey”.

https://www.thehindu.com/data/just-5-per-cent-of-indian-marriages-are-intercaste/article6591502.ece  (最終閲覧日2022年2月28日)

[9] Chakravarti, “The Burden of Caste: Scholarship, Democratic Movements and Activism”, p.348.

参考

3-2.ヒンドゥー教の社会とカースト秩序

粟屋利江・井上貴子編『インド ジェンダー研究ハンドブック』東京外国語大学出版会、2018年