コメント「インド史の立場から」

掲載2022-03-13 押川文子(国立民族学博物館・地域研究企画交流センター長・インド史)

本記事は、国際シンポジウム:アジアジェンダー研究・ウェビナーシリーズ第1回「家父長制についてー南アジアのジェンダー研究から」(2022年1月28日:オンライン)におけるチャクラヴァルティ氏の講演に対するコメントです。押川氏はインド史研究者であり、そのお立場から専門的なコメントをいただきました。

本日、チャクラヴァルティ先生のご講演を伺う機会を得ましたこと、大変にうれしく存じます。また昨年、落合恵美子先生をはじめお三方の編集による近刊予定の叢書(『リーディングス アジアの家族と親密圏』全3巻)のなかで、先生のご論文Conceptualizing Brahmanical Patriarchy in Early India: Gender, Caste, Class and State の翻訳にかかわらせていただく機会を得まして、あらためて先生のご著作によってインドのフェミニスト歴史学の基礎となる理論が築かれたことを実感し、深く感銘を受けました。本日、発言の機会をいただきましたこと、大変に光栄に存じております。

同論文は、バラモン的家父長制(Brahmanical Patriarchy)とバラモンを頂点とする身分階層制度が互いに支え合う連結として成立し、このインターロックされた構造のもとに、古代国家の権力と生産関係が確立したことを明快に論じたものでした。アーリアの、とくにバラモン女性が、バラモン的家父長イデオロギーを内面化し貞淑な女性になろうとすることによって自ら家父長制家族を維持・強化すること、家父長制家族による女性監視や統御は身分制を固定化し、下層の男女の労働力の調達を可能にしたこと、権力(王権)は家父長制家族を支持することによって規範的正当性と安定的支配の基盤を確保したことが、バラモン経典や仏教説話(ジャータカ)など豊富な文献資料を駆使して論じられています。すなわち、バラモン的家父長制が女性のセクシュアリティの制御こそが、古代国家の骨格を形成したことが明らかにされたのでした。

本日のご講演では、この古代に骨格が形成された家父長制による女性のセクシュアリティの管理、カースト、階級が連結する構造が、その後もインドにおける生産・再生産の両面を支配してきたことが論じられました。とくに、内婚とそれに伴う様々な慣習的婚姻規制の重要性を指摘されたことが大変に印象に残りました。そのことを踏まえて、2点、質問をさせていただきます。

1点は、家父長的家族、カースト、階級の結合が崩れるとすれば、それはどのように起きるのか、という点です。近現代のインドでは、カーストと階級が重なる場合が多いのは事実だとしても、カーストによる生産手段の独占はすでにありえなくなっています。家父長的家族も、徐々にではあれ弛んできているように思われます。そのなかで、カースト内婚は、階層や地域によってはかつてのような厳格さは失われている例はあるものの、いまだに大きな変化にはなっていません。すなわちカーストと階級の楔はやや弱まっているのに、なぜ内婚には大きな変化がないのか、ということです。日本の「部落」差別問題においても、この結婚差別が現在も大きな課題となっています。先生のお考えを伺えれば幸いです。

第2点。カーストと結合した家父長制家族では、上位の女性は下位の女性から自らを差別化することによってのみその正当性を得ることができるという、いわば女性の分断を不可欠の要素として内包している点に関わる問題です。カーストにおいて下位の女性は、家父長制による男性の支配だけでなく、上位の女性からも支配、あるいは差別を受けることになります。インドのフェミニスト運動にとって大きな課題であるこの点について、先生のお考えをお聞かせください。

参考

【コメント】ウマー・チャクラヴァルティ氏の講演に寄せて(粟屋利江)

【コメント】チャクラヴァルティ氏の講演に対してーイスラーム法との比較から(小野仁美)