本記事は、アジアジェンダー研究・ウェビナーシリーズ第2回「近代国家形成と家名~タイと日本の比較から」(2022年3月8日)の二宮周平氏(立命館大学教授)による講演の資料(レジュメ)です。講演の動画は改めて掲載予定です。

当日のプログラムは以下をご参照ください→国際シンポジウム:アジアジェンダー研究ウェビナーシリーズ第2回:近代国家形成と家名ータイと日本の比較から(2022年3月8日:オンライン)

近代日本の家名~家制度の確立と氏

                                             掲載2022-03-13 二宮周平(立命館大学法学部教授)

1 苗字の公称許可から強制へ

明治維新(1868) → 四民平等(士農工商の身分制を廃止)

欧米の技術・法制度の導入、殖産興業・富国強兵

 (1) 苗字の公称

  1870年9月19日 太政官布告608号 平民苗字公称許可令

「自今平民苗字被差許候事」(これから平民も苗字を名乗ってよい)

  布告を建議した細川潤次郞の述懐:「どうも天賦固有の権利を同等に持ち居りながら、人為の階級に拠りて、平民ばかりには名前のみを呼ばせて、苗字をいはせぬ。苗字を呼ぶことは相ならぬと申すのでありますから、随分圧制な訳です。又一方から考へると、随分窮屈な理由です。元来、人の姓名といふものは、自他の区別を相立てゝ、相乱れざる様にするものであって見れば、……姓氏を其の名前の上に加えて、一層之が区別を容易ならしむるやうにせねばならぬ」(「町人百姓の苗字差許」日本及日本人714号(1917)46~47頁)

井戸田教授の指摘:苗字公称の自由は、それまでの苗字が持っていた身分特権性・権力付与性・公称許可性を否定したもの → 苗字の質的変化(増本敏子・久武綾子・井戸田博史『氏と家族』(大蔵省印刷局、1999)9頁〔井戸田〕)

犬伏教授の分析:政権側が平民の氏を称する「権利」についてどの程度考えていたか懐疑的な見解(山中永之佑「明治初年の氏」阪大法学35号(1960)52頁) → しかし、細川の指摘(下線部分) → 氏名の個人識別機能を明確に認識して、すべての国民に氏の公称を許した(犬伏由子「選択的夫婦別氏(別姓)制度導入の意味」二宮周平・犬伏由子編『現代家族法講座 第2巻 婚姻と離婚』(日本評論社、2020)63頁)

 (2) 苗字と名(名前)の固定化

 1872年5月 7日 同149号 複数名の禁止=一人一名主義

「従来通称・名乗両様用来候輩(用い来たりそうろうともがらは)、自今一名タルヘキ事」  (通称・実名など複数名を用いている者は、これから一つの名を名乗るように)

*大隈重信は、大隈(①)八太郎(②)菅原(③)朝臣(④)重信(⑤)。1869年4月、森有礼は、②通称と⑤実名(名乗)と2つの個人名が存在している状況を問題視し、人名は個人を識別するためだけにあるとして、通称を廃し、実名のみを使用すべきだと主張していた(尾崎秀和『氏名の誕生~江戸時代の名前はなぜ消えたのか』(ちくま新書、2021)197頁)。

 1872年8月24日 同235号 苗字不可変更令=苗字不変更の原則

  「華族平民迄自今苗字名並屋号共改称不相成候事」(苗字、名、屋号などを改称してはならない)

犬伏教授の分析:戸籍法(1871年4月4日太政官布告170号) → 戸籍による一元的人民管理の実現を目指す → 「戸」を通して「氏と名」により個人を把握するための厳格な氏の規律が必要(犬伏・前掲論文64頁)

 (3) 苗字の強制

1875年1月14日 陸軍省伺

「僻遠ノ小民ニ至リ候テハ現今尚苗字無之者モ有之兵籍上取調方ニ於テ甚差支候 右等ノモノ無之様御達相成候也」(地方の平民には苗字のない者がいて、兵籍(徴兵名簿)を作るのに支障を来している。苗字のない者がないようにしてほしい)

 1875年2月13日 太政官布告22号 平民苗字必唱令

「自今必苗字相唱可申。尤祖先以来苗字不分明ノ向ハ新タニ苗字ヲ設ケ候様可致」(これからは苗字を必ず名乗ること。祖先以来の苗字がわからない者は新たに苗字を設けること)

創氏の自由(地域、職業、祖先、主張など)

人民にとっての個人識別機能、国家にとっての国民識別機能 → 近代化の二重性

⇒ タイは国民に姓(家名)を付与して統制・管理を図った=近代化の象徴的意味という点で日本と共通性あり

2 家制度の確立と家名としての氏

 (1) 戸籍制度における姓の統一

1871年4月4日 戸籍法(太政官布告170号)制定 → 戸主と家族で戸籍を編製

  1876年3月17日 太政官指令「婦女人ニ嫁スルモ尚所生ノ氏ヲ用ユ可事。但夫ノ家ヲ相続シタル上ハ夫家ノ氏ヲ称スヘキ事」(女性は結婚しても所生の氏(生家の苗字)を用いること、ただし、夫の家を相続した場合は、夫家の氏を名乗る事) → 夫婦別氏

戸籍に記載される人は同じ姓か、異なる姓でもよいのか。

1876年5月9日 内務省指令「同戸異姓ハ不相成議ニ候条一姓ニ可引直候事」

(同じ戸籍に姓の異なる者がいてはならない、一つにすべき)

1877年2月12日 内務省指令「戸主タル者ノ姓ニ為復候議ト可相心得事」

(戸主と異姓である家族は、戸主の姓にすべし)

⇒ 戸籍では、戸主の姓への統一

 (2) 家制度の確立

近代的な法制度整備へ(不平等条約改正のためには、ヨーロッパのような法律〔法典〕と裁判所制度が必要)

1879年~1888年、民法の草案を検討する過程では、フランス法、ドイツ法等参照 → 民法草案人事編:夫婦の氏、子の氏等の規定を設ける、氏と家の結びつきを示す規定なし →市民法的性格が批判を受ける(犬伏・前掲論文67~68頁)

  *1882年、戸籍規則に関する元老院会議での議論

フランス法学派、箕作麟祥:「戸籍法は東洋に固有なものであり、昔の封建時代では必要だったかもしれないが、今日の政治体制では無用のものである。欧米各国には日本のような戸籍法はない。民法が制定され、欧米のような身分証書制度が施行されると、戸籍法は無益になる」

地方長官、渡辺清:「一家の長である戸主が一家の責任を負い、老人や子どもを扶養し、家族の倫理を守っている。また救貧院がなくても、貧しい者が衣食を得ているのは、善良な慣習があるからである。戸籍にはこうした家族のあり方が示されているのであるから、廃止するべきではない」(福島正夫編『「家」制度の研究 資料編二』(東大出版会、1962)160~163頁) ⇒ 戸籍に示される家族のあり方に法的根拠を与えるために、民法において家制度の確立を目指す

1890(明治23)年10月6日「民法人事編」 → 夫婦、親子という個別身分関係に基づく氏の規定消滅 → 「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」(13章「戸主及ヒ家族」243条2項) → 個人主義的との批判を受ける → 施行延期、廃止へ(犬伏・前掲論文67~68頁)

 明治民法(1898年7月16日施行)

732条1項 戸主ノ親族ニシテ其家ニ在ル者及ヒ其配偶者ハ之ヲ家族トス

733条1項 子ハ父ノ家ニ入ル

2項 父ノ知レサル子ハ母ノ家ニ入ル

735条1項 家族ノ子ニシテ嫡出ニ非サル者ハ戸主ノ同意アルニ非サレハ其家ニ入ルコトヲ得ス

  〇746条   戸主及ヒ家族ハ家ノ氏ヲ称ス      →この条文だけ翻訳

788条1項 妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル

2項 入夫及ヒ婿養子ハ妻ノ家ニ入ル

   家族が属する家が定まる → 家族となる → 家の氏を称する=家名の誕生

 「氏ハ家ニ属スル名称ニシテ、以テ他ノ家ト区別スル所以ナリ。我邦往古ノ旧慣ニ於テハ、人ノ妻トナリテ他家ニ入リタル後モ、尚、生家ノ氏ヲ称スルノ慣習アリ。維新以降ニ於テモ、法律上ノ関係に於テハ尚此旧慣在リタルコト、太政官若クハ司法省等ノ指令ニ依リテ明ナリト雖モ、此慣習ハ既ニ事実上廃滅ニ帰セルヲ以テ、本法ハ氏ヲ以テ専ラ家ニ属スル名称トナシ、同一ノ家ニ在ルモノハ皆同一ノ氏ヲ称スルヲ要セシメタリ」(奥田義人『民法親族法論 全』(有斐閣書房、1898)62~63頁)(奥田は法典調査会委員)→下線のみ翻訳

本来、苗字は個人識別機能のためのもの → 氏に家名としての意味が付与される

個人が家に従属 → 家父長制の温床

⇒ この点でもタイの家名と共通性あり

3 おわりに

1947年12月、民法改正:家制度廃止 → しかし、氏の再定義なし → 慣行尊重として夫婦同氏・親子同氏の原則採用、戸籍法は同氏同籍の原則採用

最高裁1988年2月16日判決:「氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものというべきである」 ⇒ 人格権としての位置づけ

2020年12月25日、政府の第5次男女共同参画基本計画:「夫婦の氏に関する具体的な制度の在り方に関し、戸籍制度と一体となった夫婦同氏制度の歴史を踏まえ、また家族の一体感子供への影響や最善の利益を考える視点も十分に考慮し、国民各層の意見や国会における議論の動向を注視しながら、司法の判断も踏まえ、更なる検討を進める」 ⇒ 夫婦・親子が同じ氏(実は夫・父という男系の氏)を名乗って一体となることを当然視する考え方 → なお続く家名意識と家父長制 → 個人の尊重という近代化は未達成

参考

【講演資料】坂田聡「姓から苗字へ―日本の家制度と家名の成立過程―」(2022年3月8日)