【コメント】チャクラヴァルティ講演に対する西洋史からのコメント

掲載:2022-04-30 執筆:姫岡とし子

西洋史からのコメント

チャクラバティ先生、今日 は 素晴らしい ご 講演 どうも ありがとう ござい まし た 。ドイツ近現代ジェンダー史を専門にしている姫岡といいます。専門外からのコメントになります。今日のご講演のバラモン教的家父長制は、宗教的形態をとり、カースト制度との結びつきが指摘されました。家父長制には、いろいろな形態があります。時代、地域、階層によって家父長制の形態は非常に異なっています。西洋史では、インドやイスラームのような基軸はなく、私の専門領域にかかわる西欧近代的家父長制では、近代の一般原理である人間の平等を唱えた上で、男性優位、女性を無権利状態におきました。その根拠は、自然(生まれながらの)性差、男女の本質的な相違です。たとえば啓蒙主義者のフィヒテは、婚姻は自然的倫理的関係で、妻は女性にのみ備わる本能的で自発的な愛によって自らの性格を捨て、夫に服従し、財産も市民権もすべて夫に委ねる、と述べています。

女性の従属のなかでも、今日のお話では女性のセクシュアリティの管理が重要なポイントでした。西洋史では時代と地域によって家父長制の性格は異なっていますが、バラモン的家父長制と共通項が見られるのは、古代ギリシャ、アテネの民主政ではないでしょうか。専門外なので、詳しいことはわかりませんが、ここでは市民の男性は平等の権限で政治に参加していました。奴隷、外国人、他のポリスからの移住者は市民から排除されました。市民と非市民との婚姻では市民権は得られないため、市民はその特権を維持するため、嫡出子の出生によって家を継続させようとしました。市民女性には、嫡出子の出生が期待されたのです。妻は家に閉じ込められ、夫の許可がないと客ともあえませんでした。地位維持のための嫡出子の出生、そのための女性の管理という点は、初期インドと一緒です。ただ、インドでは、女性はセクシュアルな存在で、女性セクシュアリティが脅威になるので、それを統制してカーストの浄性を保持する、とされたのですが、ギリシャでの女性のセクシュアリティの捉え方については、私にはわかりません。

もう一つ、ウマさんは、女性の「生産」活動への参加が一定の階層で見られなくなる、と言われましたが、ギリシャでは奴隷もいたので、市民女性は稼得という意味での生産には従事していませんでした。ただし、家のなかでの織物、粉挽きなど収穫した農作物の処理・分配と調理、奴隷労働の管理と監督などの労働を行ない、農作業をすることもありました。

質問

ここで、いくつか質問をしたいと思います。

1,初期インドで男性のセクシュアリティはどう捉えられたのでしょうか。男性には貞淑は要求されたのか?男性は自由だったとした場合、男性が婚姻外で性的関係をもった女性はどのような人で、男性が他の女性に産ませた子どもはどう扱われたのでしょうか。

2,高位カーストの女性と低位カーストの男性との性的接触は、もっとも恐れるべきものだったそうですが、高位男性と低位の女性の場合はどうだったのでしょうか。

3,西洋の身分制社会では、家を代表する家長である男性に妻・子ども・奉公人が従属しましたが、夫が死んだ場合、一時的に寡婦が家長になることもありました。初期インドでは、夫の早期の死亡の場合、誰が代替したのでしょうか。

4,イデオロギーに関して、女性の共犯が指摘されていましたが、これは西洋近代も同じです。その背景には、規範の受容、女性としての「誇り」の他に、自らの生活や社会秩序の安定を望んだことが指摘できます。初期インドでは、生活面や自らのカーストの地位はどう捉えられたのでしょうか。イデオロギーの他に、法や慣習も西洋近代でも同じです。女性は、男性と女性の領域分離を受け入れて、社会のなかに女性の世界を作ろうとしましたし、近代国民国家では、その女性の世界が必要とされたことを指摘しておきます。