補論2:前近代社会における同性愛の位置づけ

掲載 2018-06-16 執筆 三成美保

◆古代アテナイの市民社会と少年愛 

家父長制社会では、性は男性がもつ権力の社会的表現となる。古代アテナイも同様で、市民男性は性行動において常に「支配側(能動側)」でなければならず、女性・少年・外国人男女・奴隷男女は市民男性に対しては「従属側(受動側)」と位置づけられた。他市民の妻や娘に性的関心を向けることや成人男性間の性的関係は「市民の平等」を損なう行為であり、タブー視された。少年愛は「市民の平等」とも異性間結婚とも矛盾せず、市民になるための教育として機能した。それゆえ求愛には儀礼が伴い、少年の同意が必要とされた。また、必ずしも性的関係を伴ったわけではない❶。

◆キリスト教と「自然に反する罪」 

キリスト教会は、生殖に結びつかないすべての性・生殖行動(自慰・中絶・避妊・同性間性交・獣姦)を「自然に反する罪」と呼んだ❷。その場合の「自然」とは「神が創造した秩序」を意味した。2世紀頃、キリスト教会はローマ多神教や皇帝の神格化に対抗するためにストア派の禁欲主義を取り入れた。これにより、性の抑圧と「肉欲の放棄」という「西洋史の根本的は出来事」(ル=ゴフ)が生じたのである。西ローマ帝国が崩壊した5世紀からキリスト教神学理論が確立する12世紀にかけて、「原罪」は「傲慢の罪」から「性的な罪」に変えられていった(→『世界史』*)。同性間性交と獣姦はとくに「ソドミー」よばれ、死刑相当(火刑・絞首刑など)とされた❸・❹。

◆多様な性文化の存在

非キリスト教社会には男女二分モデルや性別役割がなじまない文化が数多くあった。アメリカ原住民の中には、性自認が男女の中間であって生物学的男性が社会的には女性役割を演じ、女性を性的パートナーとする文化があった。アフリカの一部には扶養や財産継承の必要から「女性婚」の風習が存在した。インドの「ヒジュラ」はトランスジェンダーの一種であるが、出産儀礼など人々の生活に深くかかわった。しかし、このような「クロスジェンダー文化」は、キリスト教的自然観からも近代的自然観からも「野蛮」とみなされ、植民地支配の格好の口実とされた。また、古代中国の陰陽二元論は「陽=男/陰=女」を固定的にとらえるのではなく、陰陽を両極とする循環を重視した。同性愛は排除されていない。清代に鶏姦罪が導入されたが、これは貧困男性の取り締まり策であった。同性愛排除が強まったのは中華人民共和国成立(1949)以降である。同性愛はプロレタリア革命を阻害するとみなされた。(三成)

資料

❶プラトン『饗宴』(岩波文庫87頁)

「最後に男性の片割れである者はいずれも男性を追いかける。そうして少年である間はーー彼らはもともと男性の片割れだからーー成年男子を愛し、またこれと一緒に寝たり抱擁し合ったりすることを喜ぶ、しかもこれこそ少年や青年のうちもっとも優秀な者なのである。なぜなら彼らは本質上もっとも男性的な者だからだ」 図:少年愛(少年は「贈り物」であるクルミの入った袋を手にしている:前530-430年)

❷キリスト教聖書から

「あなたは女と寝るように、男と寝てはならない。これは忌みきらうべきことである」(「レビ記」18章22節)/「男がもし、女と寝るように男と寝るなら、ふたりは忌みきらうべきことをしたのである。彼らは必ず殺されなければならない。その血の責任は彼らにある」(「レビ記」20章13節)

「正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。」(「コリントの信徒への手紙一」6章9-10節)(いずれも日本聖書協会新共同訳1987年)

❸1532年神聖ローマ帝国カロリナ刑法典(塙訳257頁)

「第116条(自然に反してなされた不倫に対する刑罰)さらに、ある者が、畜類と、または男が男と、または女が女と不倫(Unkeusch)をなすときは、その者どもも生命を奪わるべく、しかして、一般慣習に従いて、火をもって生より死へと処刑せらるべし。」

【解説】カロリナ刑法典は、神聖ローマ帝国初の統一刑事法典である。各地の法が優先したため、帝国全土にゆきわたったわけではないが、多くの領邦国家で模範とされた。ローマ法継受の産物として重要な意味をもつ。

❹チューリヒ市の処刑数(三成編『同性愛』)

死刑総数 うち風俗犯死刑(%) ソドミー 嬰児殺 重婚 強姦 姦通 近親相姦 買売春
獣姦 男色
1401-1500 388 43(11%) 31 26 5 4 4 3 1
1501-1600 572 103(18%) 67 56 11 11 8 3 4 5
1601-1700 336 205(61%) 68 36 32 17 1 5 63 39 11
1701-1798 149 73(49%) 13 7 6 28 1 1 12 9 9

【コラム】「レズビアン」について

「レズビアン」という語は、前6世紀初頭に活躍したギリシアの女性詩人サッフォー(前630/前612~前570頃)の故郷レスボス島に由来する。しかし、「レズビアン」は、長く否定的ニュアンスを伴う語として用いられた。「レズビアン」が女性同性愛者を肯定的に意味する語として用いられるようになったのは、19世紀末であった。サッフォーが生きた時代には、女性同性愛の性的指向のゆえに糾弾されたことはなかったようである。しかし、彼女に対するその後の毀誉褒貶は変転著しい。サッフォーは、代表的な女性同性愛者に祭り上げられる反面、「レスボフォビア(レズビアン嫌悪)」の象徴的存在ともなった 。

前近代ヨーロッパ社会では、同性間性関係を挿入行為と射精によって定義していたため、女性間の性愛はほとんど問題とされなかった。生活費を倹約するために独身女性が同居するのはごくありふれており、ベッドの共有(同衾)もまた一般的であったので、エロティックな関係が発生する素地は十分にあった 。しかし、取り締まり対象とされていなかったため、あるいは、女性自身が記録を残す手段がかぎられていたために、女性間性愛に関する史料はほとんど残されていない 。1980年、アドリエンヌ・リッチは、ゲイ解放運動のなかでレズビアンの存在がしばしば不可視化されていることを厳しく批判した。

参考文献

三成美保編『同性愛をめぐる歴史と法――尊厳としてのセクシュアリティ』明石書店、2015。

関連ページ

【セクシュアリティ】古代ギリシアの同性愛(栗原麻子)

【セクシュアリティ】旧約聖書にみる同性愛禁忌(ソドムの町)と近親姦(ロトの娘たち)(三成美保)