【特集3-6】アフリカにおける「同性愛」の法と歴史  

更新:2016-02-27 掲載:2016-01-08 作成 富永智津子

【はじめに】

同性間の性交渉:紺( 同性結婚を容認)、黄(放置)、オレンジ(処罰)、赤(終身刑)、エンジ( 死刑)、2014年時点(出典)https://en.wikipedia.org/wiki/LGBT_rights_in_Africa

「異性愛」以外の性的指向の多様性や性自認の自己決定権を認めることは、人格の本質であるセクシュアリティに関する権利の保障と、それを通しての人間としての「尊厳」の担保を意味する。ここでは、LGBTIの内、古代ギリシア時代から今日にいたるまで、時空間を越えて広く実践され、社会的にも、法的にも、差別と規制の対象となってきた「同性愛」(法的には同性間の性的接触であって、かならずしも「性交」にいたらない場合や「愛」が絡んでいない場合も含まれる)について、アフリカ諸国の法と歴史を俯瞰する。

国連もしくはアフリカ連合(AU)、あるいはその両方が承認しているアフリカ独立国55か国のうち、同性間の性交渉を容認している国は20か国、非合法化して違反者には刑罰(実刑・罰金など)を科している国は35か国となっている(詳しくは、後記の国別状況参照のこと)。

ただし、容認している20か国のうち、法律で権利を保障しているのは9か国(南ア、カポヴェルデ、中央アフリカ、コンゴ共和国、ギニアビサウ、サントメプリンシペ、レソト、マダガスカル、ベナン)のみであり、そのほかの11か国(ガボン、ブルキナファソ、チャド、コンゴ民主共和国、コートジボワール、ジブチ、赤道ギニア、マリ、ニジェール、ルワンダ、モザンビーク)は、日本と同じく、同性間の性交渉を処罰する歴史も法制もないまま放置されている状態であることに留意すべきである。この「放置」されてきた理由が、性的指向としての同性愛が自然なものとみなされてきたせいなのか、あるいはひとつの「文化」として社会的に容認されてきたせいなのか、それとも差別の対象となってきたにもかかわらず放置されてきたのかは、それぞれの地域や国の歴史と現状に照らして精査してみる必要がある。

ちなみに、同性間の性交渉を違法としている35か国の中で、男性のみに罰則を科し、女性間の性交渉を容認している国は8か国(ガーナ、モーリシャス、ナミビア、セーシェル、シエラレオネ、スワジランド、チュニジア、ジンバブウェ)であり、その他は男女両方の同性間の性的接触を禁じている。女性間の同性愛に対する処罰規定も保護規定もないこの状態をどう考えるかは、男性間の同性愛禁止との非対称性の問題点とも関連して、重要な論点であろう。

「同性愛」を含む性的マイノリティの権利擁護を推進するためには、「同性愛」がなぜ法律で禁止され、懲役刑や死刑の対象にまでなっているのかという理由を明らかにする必要があるだろう。法律の文言から見えてくるのは、「家族の名誉」「公序良俗に反する淫乱」であり、法律の施行の歴史過程からは、西欧キリスト教国による植民地化が「同性愛」規制の動因となっていたことが見て取れる(社会的スティグマをともなう慣習の起源を外部に求めようとする精神構造は世界共通であり、同性愛の起源をアラブや西欧に求めるアフリカ人の思考もその一環に位置付けられる。今日では、植民地化以前からアフリカ社会には土着の「同性愛」行為が存在したことが跡づけられているー詳しくはStephen O. Murray and Will Roscoe eds., Boy-Wives and Female Husbands: Studies of African Homosexualities, MacMillan 1998の序章を参照のこと)HIVなどの性病との関連も、違反者への罰則強化の口実として挙げられている。その他では、同性愛が西欧によってもたらされた「悪習」であると考えている人びとも多く、それが、同性愛への偏見を下支えしている状況も散見される。この点に関しては、「同性愛」が、植民地化前のアフリカ社会に、どのような形で存在していたのかを明らかにすることが重要となる。筆者のこれまでの知見によれば、アフリカ社会は、子孫を残すことを婚姻の最大の目標としてきた社会であり、子供が生まれない同性間の結婚は、原則として慣習法でご法度となってきた。しかし、例外はいくつもある。たとえば「女性婚」。女性と女性との結婚である。彼女たちは子供を他の男性との間で作ることもできる。こうした結婚が社会的に容認されてきた背景には、子供と両親は必ずしも生物学的なつながりがなくても、社会的に親子と認められるという「ジェニター」(生物学的な親子関係)と「ペイター」(社会的親子関係)の概念の存在がある。しかも、この両者では、ペイターの方が優先される。こうした性的指向とは関係のない、子孫を残す制度としての女性婚やペイター概念が、アフリカ社会の緩やかな男女関係や多様な婚姻制度を支えてきたといえよう。ただし、男性同士の結婚の慣習は存在しない。

ところで、同性愛を容認している20か国を地域別に見てみると、北部(0か国)、北東部(1か国)、東部(1か国)南部(4か国)、西部(8か国)、中部(6か国)となっており、14か国が西部と中部に集中している。これをかつての宗主国別に見てみると、フランス領が14か国、イギリス領が2か国、ポルトガル領が2か国、ベルギー領が2か国となっている。この違いは、フランスでは1791年に同性愛を非犯罪化しているのに対し、イギリスでは1960年代、地域によっては1982年まで刑事罰を科していた(男性のみ)ことが背景にある。ちなみに、ドイツで同性愛が解禁されたのは東ドイツが1968年、西ドイツは1969年だった。

なお、南アは、アフリカ大陸で唯一、憲法の「性的指向による差別」にもとづき、Civil Union Actで「同性婚」を保障し(2006年)、カミングアウトした同性愛者を軍人として受け入れている(2002年以降)国であるが、世論調査では、61%の人びとが「同性愛」を社会的に受け入れるべきではないとしており、法律が保障しようとしている理想とのギャップが歴然としている。このように、法律で認可されている国においても、現実とのギャップをどのようにして埋めていくかが、今後の課題となっている。ちなみに、法律で「同性愛」を禁止している国においては、その数値はきわめて高い。たとえばケニアでは90%、ウガンダ96%、ガーナ96&、セネガル96%、ナイジェリア98%が、同性愛に否定的であるとの結果がでている。一方、禁止する法律も権利を保障する法律も持たない日本は36%となっており(Pew Research Center―Global Attitude and Trend, “The Global Divide on Homosexuality; 2013)、アフリカ諸国に比べれば、同性愛に寛容な社会であるといえるかもしれない。しかし、さまざまな保障が担保される「婚姻・家族に関する法制度」の適用が異性間に限定され、憲法24条第一項では「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し・・・」とあり、性的マイノリティがそこから排除されている現状からすれば、日本が決してそうした人びとに寛容な社会であるとは言えない。(この点に関する議論については、中里見博「『同性愛』と憲法」三成美保編著『同性愛をめぐる歴史と法―尊厳としてのセクシュアリティ』84~85頁を参照のこと)。

世界の宗教分布(出典)https://en.wikipedia.org/wiki/Religion

https://en.wikipedia.org/wiki/Africa

LGBTIの人びとが直面している問題については、各地域で活動している反LGBTI組織の報告書から知ることができる。例えば、社会的差別、暴力、排除、精神的スティグマ・・・などの他に、医療機関や福祉機関へのアクセスが制約されていること。報告書からは、実際に男性の同性愛者のHIV/AIDS感染者の治療の問題が、いずれの地域でもきわめて深刻な状況にあることが見て取れる。政治家が同性愛を政治的なレトリックとして使用しているケースも多い。

こうした問題の解決には、世界のいずれの地域や国家においても、個人や、とりわけ人権団体が原告となった裁判を通しての条例や法令の制定や改正がひとつの突破口となっている。その際、南アの事例からも伺えるように、憲法に「性差別」を禁止する文言が入っていることが、大きな弾みとなっていることは、注目してよい。というのは、男女平等にしても「人権」条項にしても、国際的な圧力の下に憲法に取り入れている国が、アフリカでは多いからである。それが、法律の改正や修正を通して、LGBTIの人びとの人権を保障するプロセスとなっていることに注目していきたい。各国別の実情にみられるように、法による平等の達成のあとには、法と乖離した実態との闘いが展開されており、それが、解決すべき次なる課題となる。

【同性間の性交渉に関する法律:国別情報】赤字は合法化している国・地域)

国際連合によるアフリカの地域の分類:青(北アフリカ)、緑(西アフリカ)、ピンク(中部アフリカ)、オレンジ(東アフリカ)、赤(南部アフリカ)

<主な出典> State-sponsored Homophobia: A world survey of laws prohibiting same sex activity between consenting adults: The International Lesbian, Gay, Bisexual, Trans and Intersex Association, authored by Lucas Paoli Itaborahy & Jingshu Zhu, May, 2014;State-Sponsored Homophobia:A World Surveu of Laws- Criminalisation, Protection and recognition of same -sex love, May 2015, 10th edition by Aengus Carroll and Lucas Paoli Itaborahy.

その他、アメリカ国務省や各種団体が報告しているデータを参照したが、データ間に食い違いが見られたり、解釈の違いが見られたりしており、今後、随時、改定する予定である。

<北アフリカ>

1  アルジェリア:1966年の刑法66-156によれば、同性間の性的接触は2か月~2年の実刑、および500~2000アルジェリア・ディナールの罰金。18歳以下の相手との性交渉の場合、年長の者は3年の実刑と1万ディナールの罰金。異性装も禁止。家族の名誉を守るために、家族によって殺される事例も報告されている。

【実態】小さいが、活発に活動しているLGBTの組織体あり。出版やオンラインを通して、運動を行っている。また、中には、ゲイの男性とレズビアンの女性とが結婚し(Rainbow Marriages)、家族からの結婚へのプレッシャーを、それによって回避しつつ、一方で同性愛関係を選択する者もいる。(Human Rights Campaign, USA, NPO, 2014,p.6)

2  エジプト:私的空間における成人の同性間の性的接触そのものを禁止する法律はないが、最近、売春防止に関する法と刑法のいくつかの項目が、男性同士が性的接触を公的な場所で行った場合に実刑を科すために援用されている。罰則は初犯が1か月の実刑、初犯後一年以内の再犯は6か月以下の実刑と50ポンド以下の罰金など。女性間の性的接触については犯罪化されていない。刑法58/1937、売春防止法10/1961参照。

【実態】2011年のムバラク大統領を辞任に追い込んだ「アラブの春」以降、LGBTの人びとへの手入れが強化され、75人以上が逮捕されたとの活動家の報告がなされている。裁判の結果、4人が「変質」的なセックスパーティーを開催したとの嫌疑で2014年4月に8年の懲役刑を言い渡された。(Human Rights Campaign,2014,p.8)

3    リビア:1973年の修正刑法第70条407項によれば、同性間の性的接触は5年以下の実刑。

4  モロッコ:1962年の刑法489によれば、同性間の性的接触は6か月~3年以下の実刑、および120~1000ディナールの罰金。

【実態】2013年、5人の男性が同性愛と公序良俗に反する行為により収監された。さらに、2014年には6人の男性が同様の罪で告訴されている。非公式の解放運動組織が存在する。反LGBT政策は、観光業にも影響を与えており、2012年には、ゲイのクルーズ船がカサブランカに寄港することを拒否された。(Human Rights Campaign,2014,p.11)

5  チュニジア:1913年の刑法230によれば、男性間の性的接触は3年の実刑。女性間の性的接触は合法。

【実態】チュニジアの活動家は、2011年の「ジャスミン革命」以降、新しい革命体制下で、LGBTの人びとへのハラスメントや監視が強化されているという。同性愛の告発が政治的道具として使用され、2013年にはLiberal Partyの指導者がソドミーの罪で3か月間投獄された。チュニジア政府は、同性愛の非犯罪化を拒否し、人権大臣は、同性愛を病気であるとして、治療が必要であると語った。チュニジアにはLGBT擁護のオンライン組織があり、2011年には雑誌を公刊し始めている。(Human Rights Campaign,2014,p.15)

6   サハラ・アラブ民主共和国(南部州を除く):同性間セックスは非合法。3年以下の実刑。

7 モーリタニア:1984年の刑法308条によれば、同性間の性的接触は違法。男性の場合は石打による死刑(1987年以降は公開処刑を禁止)。女性の場合も罰則あり。

【実態】アメリカ国務省は、2013年の反同性愛法のもとでの処刑は知られていないと報告しているが、モーリタニア政府は、しばしばLGBTの人びとの処刑に関する報告を怠っている。活動している権利擁護組織はないが、少なくともひとりの同性愛者の男性が、故郷で、命を脅かされているとして、アメリカに難民認定されている。(Human Rights Campaign,2014,p.11)

 

<北東部アフリカ>

8  スーダン:同性間の性行為は1899年(イギリス=エジプト共同統治期)以降違法:3度目の違反行為で死刑、女性の場合は4度目で死刑。1991年の改訂刑法148では、男性か女性を問わず、ソドミー(肛門性交)は初犯と再犯の場合100回の鞭打ち刑か5年の実刑。3度目は死刑または終身刑。ソドミーに至らない尊厳を侵害するような著しい性的行為は、40回の鞭打ちと1年の実刑および罰金が科される。

【実態】2010年、19人の男性が「女のような振る舞い」をしていたとして30回の鞭打ちに処せられ、2013年には9人の同性愛の男性が逮捕され、ハルトゥームで鞭打ちの刑を受けた。逮捕や死刑という脅迫にもかかわらず、LGBT擁護組織が一つ存在し、2012年には、オンライン・マガジンを発行し始めた。(Human Rights Campaign,2014,p.14)

9 南スーダン:同性間セックスは1899年(イギリス=エジプト共同統治期)以降違法:2008年の刑法248では、10年以内の実刑と罰金。憲法での禁止条項は2011年以降。

【実態】アメリカ国務省の報告によれば、2013年度にこの法律によって処罰された事例なし。(Human Rights Campaign,2014,p.14)

10 ジプチ:同性間の性的接触は放任(違法とする法律は歴史的に存在したことがないため)

【実態】活動しているLGBT組織なし。2013年の報告によれば、反LGBTに関する暴力事件はなし。(Human Rights Campaign,2014,p.8)

11 エリトリア:1957年、エチオピアの法令に準じ、同性間の性的接触は違法。10日~3年以下の実刑。(刑法600項「不自然な性交」参照)

【実態】同性愛は違法であるが、アメリカ国務省の報告によれば、この法律は強制されてはいない。同性愛者は社会的スティグマを負わされているが、同性愛者擁護の組織は活動していない。2013年に、イタリア人教師がゲイであるとの理由で国外追放されたと報じられている。(Human Rights Campaign,2014,p.9)

12   エチオピア:同性間の性的接触は違法。1年~10年以下の実刑。ただし、性病をうつしたり、暴力を伴ったりする悪質なケースは、3年~15年以下の実刑(エチオピア連邦民主共和国による2004年の修正法第629「同性愛ならびにその他の不適切な行為」参照)。

【実態】2007年の世論調査によれば、97%が同性愛は違法とすべしとの意見を表明。

LGBT擁護の組織なし。多くのLGBT活動家は国外逃亡を余儀なくされている。2014年、同性愛を「許されざる法律違反」とする新しい法令を出すとの計画が提示された。のちに、この計画は撤廃されたが、エチオピアは、LGBTの人びとに対して、きわめて敵対的であり、2012年、政府は公的に「我が国は同性愛の墓場となるだろう」と宣言している。(Human Rights Campaign,2014,p.9)

 

<東部アフリカ>

13 ソマリア:1962年の刑法409,410により、同性間の性的接触は違法。3か月~3年以下の実刑。性交以外の行為の場合は3分の1に減刑。1991年のバーレ政権の崩壊以降の状況は不明。北部のソマリランドについては、1962年の刑法が適用されている。13 ケニア:同性間の性的接触はイギリスによる保護領化にともない、1897年以降非合法化。2003年の修正刑法では、状況によって5年~14年の実刑。相手の同意なし、あるいは暴力的な性交渉の場合は21年の実刑。

【実態】同性愛者は、ケニアなど、他の国に逃亡している。LGBT権利擁護の組織なし。(Human Rights Campaign,2014,p.14)

14 ブルンジ:2009年の修正刑法no.1/05によれば、同性間の性的接触は、3か月~2年の実刑と5万フラン~10万フランの罰金、もしくはそのどちらか。

【実態】アメリカ国務省によれば、少なくともひとつのLGBT擁護団体があるが、指導者たちは、仮名で活動している。(Human Rights Campaign,2014,p.7)

15 ルワンダ:同性間の性的接触は社会的にタブー視されてはいるが、法的に非合法化されたことはない。婚姻法により、男女間の一夫一婦のみを許可するとの憲法の規定に基づき、同性婚は禁止されている。2009年、政府は同性愛を犯罪とし、5-10年間の懲役刑とする法案の制定について議論を行った。この法案は、隣国のウガンダで物議を醸していた反同性愛法案(Uganda Anti-Homosexuality Bill)と類似した法案であり、同性愛を犯罪とし、特に未成年者や身体障害者と関係を持った場合、違反者がHIV陽性であった場合、同性愛による再犯の場合には死刑を適用するとの規定が盛り込まれている。なお、ウガンダの同法案では上記内容に加え、家族や知人が同性愛者と知りながら通報しなかった場合、通報しなかった者も逮捕の対象となっているが、ルワンダの法案には同様の条項は含まれていない。なお、この規制法案が提出された後、同国の法務大臣は “ホモセクシュアリティの問題は私的な問題であって、政府が関与すべき問題ではない”としてこの法案の審議を阻んだ。

【実態】活動している組織はあるが、当局からの妨害やハラスメントに直面している。(Human Rights Campaign,2014,p.13)

16 ケニア:同性間の性的接触はイギリスによる保護領化にともない、1897年以降非合法化。2003年の修正刑法第5条では、状況によって5年~14年の実刑。相手の同意なし、あるいは暴力的な性交渉の場合は21年の実刑。

【実態】世論調査によれば、88%のケニア人が同性愛は「道徳的に受け入れられない」と回答。(Human Rights Campaign,2014,p.10)

【解放運動】LGBT擁護組織は存在するも、警察や政府からのハラスメントに直面している。近隣諸国からのLGBT難民が集まっているが、多くはさらなる暴力やスティグマを受けている。(Human Rights Campaign,2014,p.10)

17 ウガンダ:同性間の性的接触は1894年のイギリス保護領化にともない非合法化。1950年の修正刑法145によれば、違反者は14年以下、未遂の場合は7年の実刑。同性婚は2005年に憲法で禁止。2009年、違反者に終身刑、場合によっては死刑とする反同性愛法案(Uganda Anti-Homosexuality Bill)が提出され、国際社会からの批判の中、いったんは見送られたが、2012年に終身刑が相当との実刑に変更されて再提出され、2013年に議会を通過、2014年、大統領がこれに署名。しかし、ウガンダの憲法裁判所は、この法律の提出に要する法律家の定数を満たしていなかったとして無効とした。政府は最高裁に上告するとの姿勢を示したが、海外の反響を気にしたムセベニ大統領がこれを阻止し、最高裁判所が上告を却下。

【事例】
・「イギリス首相キャメロンは、オーストラリアのパースで開催されたコモンウェルス首脳会議で、同性愛を禁じている法律を改正しない政府への一般会計への援助を見合わせる、と発言した。人権に関する改革はコモンウェルスの首脳会議で合意に達していない懸案の課題のひとつだった。マラウィは援助の条件である貧困削減や報道の自由、あるいはげゲイの権利に関する対応に問題ありとして、すでに一般会計への援助の一部を停止されており、ウガンダとガーナが新たな対象に挙げられた。54のコモンウェルスのメンバー国のうち41か国が同性愛を禁じている。これらの禁止法は大英帝国の法律の遺産である。2009年のウガンダ議会での反同性愛法に関する議論は、大きな反響を呼び、実際、David Katoというウガンダ人のゲイ擁護運動家がヘイトクライムを思われる暴力によって殺害された。ナイジェリア議会も、同性婚を禁じ、同性婚を目撃したりサポートした人びとに刑罰を科す法律について議論を重ねている」(2011年10月30日:BBCニュース)
・「ウガンダ、キャメロン首相の同性愛者の権利に関連しての脅迫に怒り」(2011年10月31日、BBC)
・「ウガンダ大統領顧問のJohn Nagenda は、キャメロン首相の脅かしを”精神的ないじめ”であり、ウガンダ人を子供として扱っていたかつての植民地的メンタリティそのものであるとして拒絶。多くのアフリカ人は同性愛を自分たちの宗教的、文化的信念に反すると考えており、もし、援助を削減するなら、そうしたらよい、と述べた。」(2011年11月2日、BBC)。

18 タンザニア:島嶼部のザンジバル(1890から1963年に独立するまではイギリス保護領)は1934年の刑法(2004年に改訂)により同性間の性的接触は終身刑、未遂は25年以上の実刑。本土側はドイツ領東アフリカ時代(1885~1919)の1899年に非合法化。イギリス統治下の1945年の刑法(独立後の1998年にSexual Offences Special Provisions Act154により修正)によれば、自然に反した性行為に対しては終身刑、もしくは30年以上の実刑。10歳以下の子供への性行為も終身刑。未遂の場合は20年以上の実刑。

【実態】2014年3月、タンザニア国会議員のあるメンバーが、同性愛を「広めた」ことへの厳罰化を提案。外務大臣は「同性愛はわれわれの文化ではなく、けっして合法化はしない」、「反LGBT法を維持するためには、海外援助を失うことさえ喜んで受け入れる」と語った。Human Rights Watchは、タンザニア警察はLGBTの市民を迫害し、LGBT擁護のメディアは政府によって妨害されていると報告している。(Human Rights Campaign,2014,p.15)

<西部アフリカ>

19 ベナン:刑法は、1887年にフランスが制定した植民地法が、ベニンを含む仏領西アフリカに適用されてきた。この法律は1947年に改訂され、21歳以下の相手との同性間の性的接触が「淫行」として罰せられることになった。違反者には6か月~3年の実刑と200~5万フランの罰金。その後、何回か刑法が改訂されたが、同性愛に関しては1947年の規定が継承されてきたが、現在、高い同意年齢のみに限って男女ともに同性愛が合法化されている。なお、2013年の時点で、各地に9つのLGBT擁護団体が活動している。

【擁護団体】
Bénin Synergie Plus (BESYP);
l’Union pour la Solidarité, l’Entraide et le Développement (USED);
les Amis de Sans Voix;
Swallow (the bird) Club of Benin;
Tous Nés Libres et Egaux.

20 ブルキナファソ:同性間の性的接触は一度も法律で禁じられたことがない。

【実態】刑罰化はされていないが、社会的に抑圧されており、カミングアウトはできない状態にある。政府は、LGBTの人びとへの暴力や差別に目をつぶっている。ブルキナファソのカトリック司教が、同性愛者の結婚は「家族への攻撃」であるとの宣告をしてことが、この傾向に拍車をかけた。LGBT権利擁護の組織は存在するが、法的には認められていない。(Human Rights Campaign,2014,p.7)

21 カポヴェルデ:14歳以上の同性間の性的接触は2004年以降合法。

22 コートジボワール:同性間の性的接触は放任(違法とする法律は歴史的に存在したことがないため)。2004年の刑法にも、同性愛を処罰化する規定は盛り込まれていない。

【実態】同性愛は犯罪化はされていないが、同性愛者は暴力や社会的差別にさらされている。2014年1月、数百人の暴徒が、もっとも大きなLGBT権利擁護組織を攻撃。こうした攻撃が何回も繰り返され、支援者が姿を隠す状況になっている。政治家も反LGBTのレトリックを使って、「同性愛者の結婚はこの世の終わりだ」といった発言をしている。にもかかわらず、コートジボワールは、LGBTの人びとにとっては、他の国より安全な場所であると考えられている。あるイヴォアール人のトランジェンダーの女性は「ここは天国ではないが、他の国よりずっとまし」と語っている。(Human Rights Campaign,2014,p.8)

23 ガンビア:同性間の性的接触はイギリス植民地下の1888年に非合法化。無期懲役の実刑。独立後の1965年に施行され2005年に改訂された刑法144条によれば、14年の実刑。

【実態】
・ジャメ大統領は、反ゲイ強硬派で、保護を求めるLGBTの人びとを殺すとまで放言し、「同性愛は、すべての自然災害より悪い」と語っている。2012年には、20人が「自然に反する行為」で告訴され、その後、放免されたが、多くの人びとが釈放後、国外に逃亡している。(Human Rights Campaign,2014,p.9)

24 ガーナ:1960年施行され、2003年に改訂された刑法29条によれば、16歳以上の同性間の性的接触は、5年以上~25年以下の実刑。女性間セックスは合法。

【実態】
・「2014年の世論調査(Pew survey)によれば、98%の人びとが同性愛を「道徳的に受け入れられない」と回答。アフリカ諸国の中でも、もっとも高い数値を示した。反LGBTのレトリックは政治家によって、頻繁に使用されており、LGBTの市民は、社会的差別と暴力にさらされている。」(Human Rights Campaign,2014,p.9)
・「ガーナ大統領John Atta Millsは、イギリス首相キャメロンの同性愛者の権利を認めない場合には援助を削減するとの発言に対し、ガーナの社会的規範はイギリスとは異なり、その価値観を共有できないとして、同性愛の合法化を拒否(2011年11月2日、BBC)。

25 ギニア:1998年の刑法325条によれば、同性間の性的接触は非合法。6か月~3年の実刑および10万~百万ギニア・フランの罰金。21歳以下の相手との同性間セックスの場合は、以上の実刑のうちの最高刑が科される。

【実態】この法令によって処罰された人はいないが、2012年にmorality police unitが設置された。活動しているLGBT擁護組織なし。(Human Rights Campaign,2014,p.9)

26 ギニアビサウ:同性間の性的接触は1993年に合法化。ただし、日常的な住宅取得などの権利については、差別化されている部分がある。2008年に“United Nations Statement on Human Rights, Sexual Orientation and Gender Identity”に署名(署名国は66か国)。

【実態】米国務省は、ギニアビサウを「比較的、同性愛行為に寛容な国」と表現。(Human Rights Campaign,2014,p.10)

27 リベリア:1978年に施行された刑法(14.74;14.79;50.7)によれば、合意に基づくソドミー行為は1年以下の実刑、あるいは1000リベリアドルの罰金、もしくはその両方。目的は「家族の権利の保護」。2012年に、Archie PonponによってMovement for the Defence of Gays and Lesbians in Liberiaが組織されたが、リベリア政府はその要求を拒否、Ponponの母親の家が放火されたり、彼自身も警察に保護されねばならないほどの危険にさらされた。議員の一部からは、刑罰の強化を求める意見もでており、LGBTを取り巻く状況は緊迫している。

【実態】米国務省は、社会的差別やハラスメントが拡大していると報告。2012年、ノーベル平和賞を受賞した大統領エレン・サーリーフは、同性愛を違法とする法律を擁護。(Human Rights Campaign,2014,p.10)

28 マリ:同性間の性的接触は放任(違法とする法律は歴史的に存在したことがないため)

【実態】米国務省によれば、LGBTの人びとは「肉体的、精神的、性的暴力」に直面しており、2013年9月には、200人以上のLGBTの人びとが暴徒によって家から追われ、イスラム教徒の防露が、2人の男性をゲイを理由に処刑すると脅迫した。活動中のLGBT組織なし。(Human Rights Campaign,2014,p.11)

29 ニジェール:同性間の性的接触は放任(違法とする法律は歴史的に存在したことがないため)

【実態】2013年、2人の男性が車の中で不純な行為を行っていたとして逮捕された。LGBTの人びとは深刻な社会的差別を受け、スティグマを抱えていると、米国務省は報告している。(Human Rights Campaign,2014,p.12)。

30 ナイジェリア:同性間の性的接触はイギリス保護領下の1901年以降非合法。14年以下の実刑。1990年施行の刑法77章によれば、14年の実刑。未遂の場合は7年の実刑など。北部のイスラーム法が適用されている地域に関しては、Bauchi (2001), Borno (2000), Gombe (2001), Jigawa (2000), Kaduna (2001),Kano (2000), Katsina (2000), Kebbi (2000), Niger (2000), Sokoto (2000), Yobe (2001) そして Zamfara (2000)の各州では男性には死刑、女性には鞭打ち、もしくは実刑。
なお、2014年にSame-Sex(Prohibition)Actが施行され、同性婚が禁じられた。海外で認められた同性婚も、ナイジェリアでは無効となる。ゲイクラブやゲイのデモ行進なども禁止。

【実態】
・「イギリス首相キャメロンは、オーストラリアのパースで開催されたコモンウェルス首脳会議で、同性愛を禁じている法律を改正しない政府への一般会計への援助を見合わせる、と発言した。人権に関する改革はコモンウェルスの首脳会議で合意に達していない懸案の課題のひとつだった。マラウィは援助の条件である貧困削減や報道の自由、あるいはげゲイの権利に関する対応に問題ありとして、すでに一般会計への援助の一部を停止されており、ウガンダとガーナが新たな対象に挙げられた。54のコモンウェルスのメンバー国のうち41か国が同性愛を禁じている。これらの禁止法は大英帝国の法律の遺産である。2009年のウガンダ議会での反同性愛法に関する議論は、大きな反響を呼び、実際、David Katoというウガンダ人のゲイ擁護運動家がヘイトクライムを思われる暴力によって殺害された。ナイジェリア議会も、同性婚を禁じ、同性婚を目撃したりサポートした人びとに刑罰を科す法律について議論を重ねている。」(2011年10月30日:BBCニュース)
2014年の新しい法令が署名された数日のうちに、何十人ものLGBTの人びとが逮捕され、数人が公開の鞭打ち刑に処せられた。85%の市民が同性愛を「道徳的に受け入れがたい」と考えているとのPew Researchの結果がある。(Human Rights Campaign,2014,p.12)。

31 セネガル:1965年の刑法319によれば、同性間の性的接触は非合法。1~5年の実刑および10万~150万フランの罰金。21歳以下の男女を相手とした同性間セックスの場合には最大限の実刑と罰金が科される。禁止理由は「自然に反する淫行」。

【実態】2014年2月、2人の男性が反同性愛法を犯した罪で6か月の実刑判決を受けた。2013年11月には、セネガル唯一のレズビアン擁護団体のアシスタント・ディレクターを含む5人の女性がレズビアンの嫌疑で拘束された。2010年、Human Rights Watchは、反LGBTサイドによる暴力は増大しており、大統領もそれに加担していると報告している。大統領は、「われわれの文化的価値のルーツは、同性愛の非犯罪化を考慮することを許さないし、LGBTの権利を保障するつもりはない」と宣言している。(Human Rights Campaign,2014,p.13)。

32 シエラレオネ:男性の同性間の性交渉(ソドミー)は、イギリスの法律を継承し、1861年の刑法61章で非合法化。終身刑の実刑。女性間の性交は認可されている。

【実態】米国務省は、「性的指向に基づく社会的差別はあまねく広がっていること、LGBTの99%がハラスメントに遭った経験があることを、Global Right 、Pride Equality、Dignity Associationが報告している。政治家は同性愛関係を非犯罪化することに抵抗しており、2014年3月に、コロマ大統領は、反LGBT法を施行する国家への援助のカットしようとしている西欧諸国を非難した。(Human Rights Campaign,2014,p.13)。

33 トーゴ:同性愛行為はドイツの植民地トーゴランドとなった1884年以降非合法:罰金と3年の実刑。1980年施行の刑法88によれば、1年~3年の実刑および10万~50万フランの罰金。

【実態】2011年、トーゴは、同性愛を非犯罪化するようにとのUN Universal Periodic Reviewの勧告を拒否した。LGBT擁護に活動している組織はない。(Human Rights Campaign,2014,p.13)。

34 サントメプリンシペ:2012年以降、同性間セックスは合法。

【実態】非犯罪化にもかかわらず、社会的差別は存在し、LGBT擁護団体も存在しない。(Human Rights Campaign,2014,p.13)。

<中部アフリカ>

35 カメルーン:1965年と1967年、および1972年の改訂刑法347によれば、同性間の性交渉は6か月~5年以下の実刑および2万~20万フランの罰金。

【実態】カメルーンでは、世界の他のどの国よりも性的指向を理由に逮捕されている人びとが多い。米国務省は、200人が実刑判決を受け、5年間の懲役刑に服していると推定されている。84%のカメルーン人が、カメルーンはLGBTの人びとにとって住みよい国ではないと思っており、人権団体はしばしば攻撃の対象となっている。2013年だけでも数人が逮捕され、告訴され、投獄され、拷問を受け、しかもLGBT活動家のEric Lembembeは7月に殺されている。(Human Rights Campaign,2014,p.7)。

36 中央アフリカ共和国:同性間の性交渉は2007年に非合法化。6か月~2年の実刑、および罰金15万~60万フランの罰金。片方が子供の場合、成人側は2~5年の実刑、もしくは10万~80万CFAフランの罰金。2011年にLGBTの権利擁護の国連声明に署名。

【実態】米国務省によれば、「LGBTの人びとへの社会的差別は確固たるものであり」、LGBT擁護団体は知られていない。(Human Rights Campaign,2014,p.7)。

37 チャド:同性間性交渉は放任(違法とする法律は歴史的に存在したことがないため)

【実態】2013年に2人の男性が、酒場で不品行なダンスをしたとして逮捕され、その酒場は2年間の営業停止処分を受けている。(Human Rights Campaign,2014,p.7)。

38 コンゴ民主共和国:同性間性交渉は放任(違法とする法律は歴史的に存在したことがないため)

【実態】国会のメンバーによって、「アフリカ人の価値観を守る」ためにLGBTを犯罪化する法令を導入しようとする動きが繰り返されてきた。しかし、その動きは2009年、2010年、2013年に失敗に終わっている。米国務省は、LGBTの人びとは社会的差別やハラスメントに直面しているが、保健省は、LGBT団体と協力してスティグマを減らそうと努力していると、報告している。(Human Rights Campaign,2014,p.8)。

39 赤道ギニア:同性愛は禁止されたことがないという意味で合法。しかし、異性婚のカップルと同等の社会的保護は受けていない。同性婚に対する法的認可はなし。

【実態】活動しているLGBT擁護組織はない。

40 ガボン:同性間の性的接触は放任(違法とする法律は歴史的に存在したことがないため)

【実態】社会的差別はまん延している。2014年1月、6人の男性が同性愛者の結婚式に参加したために逮捕されたが、のちに釈放された。(Human Rights Campaign,2014,p.8)。

41 コンゴ共和国:フランス領時代の刑法331(1947年に修正)が、21歳以下の同性愛行為を非処罰化しており、それが現在も生きている。

【実態】米国務省は、警察がLGBTの人びとにハラスメントを行うことが、時にはあると報告している。(Human Rights Campaign,2014,p.12)。

<インド洋地域>

42 セーシェル:1955年の刑法151により、男性間の性交渉は非合法。14年の実刑。女性間のセックスは合法。雇用の際に同性愛者を差別することは、1995年に禁止された。

【実態】政府は2011年にUnited Nations Periodic Review プロセスの一環として。この法律をできるだけすみやかに撤廃すると約束したが、まだ実現してはいない。(Human Rights Campaign,2014,p.13)

43 モーリシャス:1838年の刑法250では、同性間の性的接触は違法、5年以下の実刑となっていたが、2007年にソドミーを犯罪とする法が削除されたとされている。しかし、実際にこの法令が施行されたかどうかは不明。女性間の性交渉は認可されている。

【実態】モーリシャスは性的指向を理由に雇用差別を行わない数少ないアフリカの国のひとつ。少なくともひとつのLGBT権利擁護のために活動している組織があり、2006年に初めてのprode marchを行った。(Human Rights Campaign,2014,p.11)。

<南部アフリカ>

44 コモロ(フランス領のマヨット島以外):同性間の性交渉は刑法318条により非合法。1~5年の実刑および5万~100万フランの罰金。未成年を相手にした場合には最高の実刑と罰金が科される。

【実態】2012~13年の一年間にこの法令の下に告訴されたのは3人。米国務省によれば、LGBT権利擁護団体は存在しない。(Human Rights Campaign,2014,p.7)。

45 マダガスカル:21歳以上の同性間性交渉は合法。ただし、21歳以下の場合は、2~5年の実刑ならびに900~4500USドル相当の罰金。同性愛者への保護規定はなく、差別したものに対する罰則もなし。

【実態】2009年のクーデタ以降、LGBT市民への抑圧が増大し、LGBTの集会は政府の役人によって禁止されたり、警官によって攻撃されたりしている。(Human Rights Campaign,2014,p.10)。

46 アンゴラ:ポルトガル統治下の1886年に制定され、1954年に改訂された刑法16によれば、同性間の性交渉を行った者に対して、矯正措置もしくは農場などでの6か月~3年の研修が科されることとなった(モザンビークと同じ法律を共有)。独立後の1992年憲法にはLGBTの権利についての明示的な言及はなかったが、2010年の新憲法では、人権、自由、平等、寛容といった価値基準が性的指向やジェンダー・アイデンティティに関係なく保障されることになった。一方、刑法では、LGBTの人びとを、性的指向を理由として罰することのできる公共領域における「不道徳」な行為の禁止が示唆的に記されている。この刑法は、2011年に改訂され、性的指向に基づく差別を禁止しているが、古い刑法がしばしば判事によって使用されている。一般の人びとの間には、カトリックとプロテスタントの道徳観が浸透しており、LGBTの人びとへの虐待や差別は根強い。

【実態】社会的差別に抵抗する小さなLGBTの共同体が存在する。アンゴラのもっとも有名なミュージシャンはTiticaと言う名前のトランジェンダーの女性。TiticaはKuduro music sceneに名を連ねているが、偏見と暴力にもさらされている。(Human Rights Campaign,2014,p.6

47 ボツワナ:1885年のイギリスによる保護領化(ベチュアナランド保護領)にともない同性間性交渉を非合法化。1998年改訂刑法第08-01章によれば、7年以下の実刑。未遂の場合は5年以下の実刑。しかし、実際に処罰されるケースはきわめて少ない。2010年には、雇用の際に性的指向による差別を禁止。一般に、同性愛は「西欧の慣習」であって「アフリカの慣習」ではないとみなされている。

【実態】ボツワナの活動家であり作家であるKatlego K Ko-Kesは、2013年は反LGBT感情の高揚が見られた年であったと報告している。政治や宗教の指導者たちがLGBTの人びとを「悪魔的」であり「受け入れがたい存在」と指摘した。2014年6月にボツワナは、アフリカ連合の人権団体によるLGBTの人びとの権利擁護の呼びかけを支持した。にもかかわらず、政府は同性関係を犯罪化する法律を撤廃しようとはしなかった。(Human Rights Campaign,2014,p.6)。

48 レソト:1939年の刑法では男性間のセックスは違法だったが、2012年に合法化。女性に関しては規定なし。

【実態】Matrix Support Groupは、心理社会学的な支援を柱としたレソトで最初のNGOのLGBTI団体として公的に認知され、2010年にはNPOに認定されている。 (2008年創設:2009年NGO:2010年にNPO登録)

49 マラウィ:1891年のイギリスの保護領化にともない非合法化。14年以下の実刑および鞭打ち。2011年の改訂刑法713Aにより、女性間の性交渉の場合も5年の実刑がかされることになった。ただし2012年以降、この法律の適用が禁止された。

【実態】
・2009年には2人の男性が不道徳かつ不自然な行為により14年の懲役刑に処せられたが、国際的な非難を受けて、大統領が恩赦を与えた。
・「イギリス首相キャメロンは、オーストラリアのパースで開催されたコモンウェルス首脳会議で、同性愛を禁じている法律を改正しない政府への一般会計への援助を見合わせる、と発言した。人権に関する改革はコモンウェルスの首脳会議で合意に達していない懸案の課題のひとつだった。マラウィは援助の条件である貧困削減や報道の自由、あるいはげゲイの権利に関する対応に問題ありとして、すでに一般会計への援助の一部を停止されており、ウガンダとガーナが新たな対象に挙げられた。54のコモンウェルスのメンバー国のうち41か国が同性愛を禁じている。これらの禁止法は大英帝国の法律の遺産である。2009年のウガンダ議会での反同性愛法に関する議論は、大きな反響を呼び、実際、David Katoというウガンダ人のゲイ擁護運動家がヘイトクライムを思われる暴力によって殺害された。ナイジェリア議会も、同性婚を禁じ、同性婚を目撃したりサポートした人びとに刑罰を科す法律について議論を重ねている」(2011年10月30日:BBCニュース)
・2014年7月にマラウィのSolicitor Generalは、Law Commissionが憲法の見直しを準備している間、反ソドミー法を棚上げにすると国連に通告した。(Human Rights Campaign,2014,p.11)。

50 モザンビーク:ポルトガル統治下の1886年に制定、1954年の改訂刑法によって同性間の性交渉を行った者に対して、矯正措置もしくは農場などでの6か月~3年の研修が科されることとなった。

【実態】2011年、モザンビークの法相は、国連人権委員会に、同性愛はモザンビークでは非合法ではないと語った。モザンビークには、非公式なLGBT擁護団体がひとつあり、2014年、前大統領チサノは、アフリカにおけるLGBTの平等を公に呼びかけた。(Human Rights Campaign,2014,p.12)。

51 ナミビア:男性間性交渉は南ア統治期の1920年に非合法化。女性間のセックスは認可されている。コモンローによる規定であって、制定法には規定なし。

【実態】米国務省は、ナミビアにおいて、LGBTの人びとへの社会的秒力や差別が依然として続いていると報告。ナミビアの政治家は、反LGBT感情に油を注ぐような言動をしばしば取る事があるが、そうした中、2013年にある政党の指導者がLGBT権利擁護のために立ち上がった。2013年12月にはナミビア最初のpride marchが行われた。(Human Rights Campaign,2014,p.12)。

なお、ナミビアに本部を置くレズビアンの組織に Coalition of African Lesbians がある。 

52 南アフリカ共和国:アパルトヘイト時代には、Roman-Dutch法を起源とする「ソドミー」および「不自然な性的行為」違反として、男性間の性的接触は禁じられており、7年以下の懲役刑が科されていた。1969年のImmorality Act修正法でも、2人以上の男性による性的行為を禁止。1976年には、政権党である国民党はソドミー法を強化している。一方、1970年代~80年代には、LGBTの権利擁護運動が多くの人権運動のひとつとして浮上し、LGBTの権利擁護に特化した活動も現れたが、運動や組織はアパルトヘイト政策をめぐる対立を反映して、人種によって分断される状態が続いた。
全人種による総選挙を翌年に控えた1993年、ANC(アフリカ民族会議)は、新生南アフリカのための法案を作成。その中で、ジェンダーと性的指向に基づく差別を禁止した。この法案は1994年の暫定憲法に盛り込まれ、1996年に国会で可決された憲法(翌年発効)に正式に盛り込まれた。こうして南アはLGBTの保護を憲法で保障した世界で最初の国となる(Section 9-3;人種、ジェンダー、性的指向などに基づく差別を禁止)。2年後の1998年には、性的指向に基づく雇用差別を禁止、2000年には、Promotion of Equality and Prevention of Unfair Discrimination Actにより、公共サーヴィスにおける同様の差別が禁止された。
2005年12月、憲法裁判所は、同性結婚を認めないのは憲法違反であるとしてCivil Union Act(To provide for the solemnisation of civil unions, by way of either a marriage or civil partnership; the legal consequences of civil unions; and to provide for matters incidental thereto.)を議会に上程、一年後の2006年11月、議会は230対41でこの法案を可決、南アは、同性婚を法律で承認しているアフリカ大陸唯一の国家となった。しかし、ANCのメンバーの中にも反対意見はあり、ズマ大統領はそのひとりである。

【実態】
・CONTRALESA(Congress of Traditional Leaders of South Africa)による憲法への攻撃は、家父長的、かつ同性愛を嫌悪してきた過去にとらわれている伝統的指導者たちの心理状況を物語っている。CONTRALESAは、憲法が西洋中心的価値観の輸入であるとしているが、われわれは、Ubuntuという基本的なアフリカの価値観は、人間の尊厳を守ることと密接に関連しており、このUbuntuを通して、すべての人びとは尊敬されていると考えている。だから、同性愛嫌悪は非アフリカ的な考えなのである。CONTRALESAは、アフリカには同性愛の文化は存在しないというが、アフリカの人びとが同性間のセックス関係を実践していたことを示す調査結果が存在する。たとえば、ナミビア、ケニア、ナイジェリア、南アの女性夫や男性妻などである。こうした文化は植民地化前やアパルトヘイト以前からアフリカでは受け入れられていた。憲法を改正しろという提案は時代に逆行するものだ。(2006年10月26日、OutRight Action International)
【補足】
・全国規模のLGBT擁護組織にNational Coalition for Gay and Lesbian Equalityがあり、LGBTの権利の平等化を求めた1998年の裁判の原告でLGBT差別禁止法制定のきっかけとなった。その他に、レズビアンの組織 Forum for the Empowerment of Women ( a black lesbian organisation based in Johannesburg)が活動している。
・2003年、LGBT擁護団体の組織的強化のためにJoint Working Group(JWG)が結成された。そのメンバーは以下のとおりである。

Activate WITS;Behind the Mask; Durban Lesbian and Gay Community and Health Centre;
Forum for the Empowerment of Women; Gay and Lesbian Archives; Gender Dynamix;
Glorious Light Metropolitan Community Church; Good Hope Metropoliran Community Church;
Hope and Unity Metropolitan Community Church; Jewish OUTlook; LEGBO Northern Cape;
Pietermaritzberg Gay and Lesbian Church; OUTLGBT Well-being;
Out in Africa South African Gay & Lestian Film Festival; Rainbow UCT; Triangle Project; XX/Y FLAME

53 スワジランド:男性間の性交渉は1880年代以降、コモンローにより禁止。2005年、政府はSexual Offencesに関する法律を改訂し、男性と女性のホモセクシュアルに対して、2年の実刑、もしくは5千エマランゲニの罰金を科す規定を制定しようとしたが、その後、実施されたかどうかは明らかではない。

【実態】LGBTの人びとは社会的な差別や排除に直面している。首相は、同性愛を「おぞましい病気」だとし、王は「悪魔的」な行為と呼んでいる。にもかかわらず、スワジランドは少なくともひとつのLGBT擁護組織を持ち、2012年に、政府は同性愛のカップルを含めて、HIV対策に乗り出した。(Human Rights Campaign,2014,p.14)。

54 ザンビア:ローデシア時代の1911年以降非合法化。2005年の改訂刑法155によれば、同性間性交渉は、15年以下の実刑、もしくは終身刑。

【実態】米国務省は、反LGBT法の強化対策が近年とられるようになっており、一般市民のLGBTの人びとへの不寛容さも目立ってきていると報告している。ザンビアの法相は、LGBT団体が「ザンビアの文化を破壊する」と避難し、国務大臣も、「政府は同性愛を支持しない」と表明。2013年に、あるゲイのカップルがソドミーの嫌疑で逮捕され、保釈なしに1年以上も拘束された。(Human Rights Campaign,2014,p.16)。

55 ジンバブウェ:ローデシア時代の1891年に男性間の性交渉は非合法化。女性の場合は認可。2006年の修正刑法73により罰金か1年以下の懲役、もしくはその両方。同性婚は2013年に禁止。

【実態】米国務省は、「社会的差別が蔓延しており、LGBT擁護団体や活動家が、しばしばハラスメントに直面し、政府によって逮捕されていると報告している。ムガベ大統領は、もっとも激しくLGBTに反対している指導者のひとりである。数個のLGBT擁護団体が存在し、その最大のグループは2014年2月に、活動を継続する認可を求めて裁判を起こし、勝訴している。(Human Rights Campaign,2014,p.16)。

 

<国連およびAU非承認国>

・ソマリランド:1941年のイギリス保護領時代の規制を継承し、同性間の性的接触は非合法。3年以下の実刑。

<西欧諸国の海外領土>

・スペイン領

カナリア諸島、セウタ、メリージャ、ブラサス・デ・リベラニア:同性間性交渉は1979年以降合法。同性愛は1998年に、同性婚は2005年に、同性婚者の養子縁組は2005年に合法化。

・フランス領

レユニオン(海外県):1791年以降、同性間の性交渉は合法。1999年以降はCivil solidarity pactが同性愛者に適用。2013年に同性婚と養子縁組を認可。

コモロ諸島のマヨット島(海外県):同性間性交渉は放任(違法とする法律は歴史的に存在したことがないため)。1999年以降、同性愛者にCivil solidarity pactを認可。2013年以降、同性婚と養子縁組を認可、

・イギリス領

セントヘレナ・アセンシオン&トリスタンダクーニャ(海外領土):2001年以降、同性間性交渉は合法。同性婚は禁止。

【アフリカ史の中のLGBT

Stephen O. Murray and Will Roscoe (eds.), Boy Wives and Female Husbands: Studies of African Homosexualities, St. Martin’s Press, 1998:6~8頁によれば、アフリカの「同性愛」には次の3つのパターンが存在する。①age-based pattern(年長者の男性と若い男性:年長者が男性役;両方ともにジェンダーは男性)、②gender-defined pattern(受け身側の男性は、ジェンダー的には女性の役割を演じる。傍目には、普通の男性からは、異なる衣服を身に着け、女性の仕事を行うことで差異化された)、③egalitarian same-sex relation。

・古代エジプトの事例

古代エジプトにおけるホモセクシュアリティについては、直接的な文書がないため、研究者の間でも見解は一致していない。以下は、研究者の間で論争を呼んでいるいくつかの事例である。

 第5王朝のファラオNiuserreにつかえていたNyankh-KhnumとKhnum-hotepというふたりの高官の関係。ふたりには妻も子供もいたが、死んだとき、家族はふたりを一緒の墓に葬った。その壁には、ふたりが抱き合って鼻と鼻をくっつけている絵が残されていることが、ふたりが同性愛関係ではなかったかという憶測を呼んでいる。というのは、鼻と鼻とをくっつけるしぐさは、古代エジプトではキスの表象とされていたからであるという。この壁画の解釈は、研究者によって異なる。同性愛だとする研究者もいれば、彼らは双子の兄弟であって、死後も生きている時のように仲睦まじく描かれているのだという研究者もいる(Richard Parkinson: Homosexual Desire and Middle Kingdom Literature. In: The Journal of Egyptian Archaeology (JEA), vol. 81, 1995, pp. 57–76)。

 中王国の王PepiⅡ(Neferkare)とその高官Sasenetの物語。ある人物が、王の前で直訴をしようとしたが、王はそれを聞きたくなかったので、宮廷の音楽隊に演奏させて彼の声を封じた。そうしたことが何回か続いたので、彼は宮廷にいる友人に王を見張らせたとこと、夜になると王が高官のSasenetのもとを訪れ、数時間を過ごしていることを発見したというよく知られたパピルス文書の中の物語である。研究者が注目するのは、その中の「王はSasenetの家に行くと、望みどおりのことを彼にやらせた」というくだりである。「望みどおりのこと」は、セックス表現としてよく用いられる言い回しである。この点についても、研究者の間で意見が分かれている。同性愛だとする研究者もいれば、王が太陽神で、夜に地下の神オシリスを訪問している比喩としてえがかれているのだとする研究者もいる(Emma Brunner-Traut: Altägyptische Märchen. Mythen und andere volkstümliche Erzählungen. 10th Edition. Diederichs, Munich 1991,  178–179.)。

 Horus とSethの事例。中王国時代のパピルスに残された同性間の性交についての情報がその根拠。Papurus Illahunには、オシリス神話とエジプトの王位を争ったHorus とSethの戦いがほぼ完全な形で残されている。ホモセクシュアリティの話はHorus とSethの間の出来事。若い甥のHorusに嫉妬していたSethが、Horusに酒を飲ませて酔っぱらわせ、その間にレイプして侮辱しようとしたが、Horusは酔ったふりをしていただけで、Sethの精液をひそかに持ち帰った。それが証拠となり、裁判で、Horusが敗訴したという話である(Richard Parkinson: Homosexual Desire and Middle Kingdom Literature. In: The Journal of Egyptian Archaeology (JEA), vol. 81, 1995, pp. 57–76.)。

これについても研究者の間で議論がある。ホモセクシュアリティとレイプとの違いもそのひとつ。両者の唯一の共通点は、どちらも同性間で行われるといる点だけである。

・マムルーク朝時代エジプトの事例

北アフリカにおけるホモセクシュアル関連の歴史史料、とりわけ、マムルーク時代の史料は世界でも例を見ないほど充実している。
アラビア語の詩には、しばしば少年を相手にした男色が登場する。ヨーロッパからセックスワーカーとしてエジプトに送り込まれたキリスト教徒の少年についての物語も残っている。カイロでは、異性装の“Khawal”と呼ばれた男性が、歌や踊りで聴衆を楽しませていたという記述もある(おそらくはイスラーム化以前)(Anthony Appiah and Henry Louis Gates, Encyclopedia of Africa, Volume 2 OUP, USA, 2010)。

・20世紀エジプト・スーダンの事例

① エジプトのSiwa Oasisは、20世紀初頭の数名の旅行家によって、同性愛がごく一般的に見られる場所として描かれている。この地域の戦士は若い男性に婚資を支払っていたことで知られていたが、1940年代に法律で禁じられた(Anthony Appiah and Henry Louis Gates, Encyclopedia of Africa, Volume 2 OUP, USA, 2010)。

② Siegfried Frederick Nadelは、1930年代末のスーダンにおけるヌバ民族について書いている。Otoro、Moru, Nyima, Tiraという民族集団には、女装して女性として生活している男性がおり、KorongoとMesakinという民族集団には一頭のヤギを婚資として男性同士が結婚するlondotubeleといった婚姻の慣習があったという。Nadelは、このKorongoとMesakinの両集団には、男性だけでの定住キャンプの快楽を捨てられない傾向があったと報告している(The Nuba: An Anthropological Study of the Hill Tribes in Kordofan, Siegfried Frederick Nadel, Oxford University Press, London, 1947)。

③ 1970年代のハルツームで、Carolyn Fluehe-Lobbanは、畑仕事の最中に、結婚前の男性のホモセクシュアル行為が行われているのを目撃している。彼女は、もし、男性が毛混前に性的な経験をするとしたら、売春宿か一時的なホモセックスであるとコメントしている。(Stephen O. Murray and Will Roscoe eds., Boy-Wives and Female Husbands: Studies of African Homosexualities, MacMillan 1998:25)。

④ Constantinidesは、1970年代のスーダン北部で、女性の癒しのカルトzaalに参加してる男性を目撃している。「定期的に参加している男性もいれば、指導的地位についている男性もいる」と。こうした男性のなかにはカミングアウトしている同性愛者がいた。しかし、病気のふりをして女性に近づこうとしてる男性もいるのではないかとも疑われている。これと同じ嫌疑が、ナイジェリアのボリカルトにおける’yan dauduにもかけられている。(Stephen O. Murray and Will Roscoe eds., Boy-Wives and Female Husbands: Studies of African Homosexualities, MacMillan 1998:25-26)。

⑤ Jean Buxtonによれば、スーダン南部のムスリム社会であるMandari (Mondari,Mundar) では、ウィチクラフト(妖術)と同性間の性交渉とが関連づけられているという。「同性間の性交渉は非生産的であり、すべての性的倒錯者がかならずしも妖術と関係はしていないが、妖術師はそうした習癖を持つ者を意図的に、通常の生活を妨害するために利用している。」(Jean Buxton, Religion and healing in Mandari,Oxford:Clarendon Press, 1973: 209,220-21 in:Stephen O. Murray and Will Roscoe,eds., Boy-Wives and Female Husbands:Studies of African Homosexualities, Mcmillan,1998:35)

・エリトリアの事例

1900年頃、イタリア人Paolo Ambrougettiは、エリトリア人の男性間の同性愛関係(年長の男性と少年の関係)についての報告をしている。この関係はエリトリア社会では、まったくオープンで、むしろ少年の父親は、それによって収入を得られるということから、寛容に見ているという。普通、20歳くらいまでにこうした同性愛関係は終焉するが、20歳を過ぎても関係が続くことがある。その場合は、収入減としてではなく、「愛人」関係に発展しているとされている。(Stephen O. Murray and Will Roscoe eds., Boy-Wives and Female Husbands: Studies of African Homosexualities, MacMillan 1998:21~22)。

・エチオピアの事例

① 1909年、Friedrich Bieberは、エチオピアの都市ハラール近くに住むHarariというムスリムの人々の間では「ソドミーは珍しいことではなく、同様の慣行は南部の牧畜民Gallaの社会やSomaliの社会にもみられる」と報告している。(Stephen O. Murray and Will Roscoe eds., Boy-Wives and Female Husbands: Studies of African Homosexualities, MacMillan 1998:22)。

② また、1960年代にも、エチオピア中部のケマント人の牧童の間に同性愛関係がみられるとの報告がある。(Stephen O. Murray and Will Roscoe eds., Boy-Wives and Female Husbands: Studies of African Homosexualities, MacMillan 1998:22)。


東アフリカの事例

① 憑依カルト以外のホモセクシュアリティ(cross-gender homosexuality)については、東アフリカのいくつかの社会の事例が報告されている。植民地化前の東アフリカには、伝統的な宗教の司祭の中に、女性の衣服を身に着けた男性がいた。こうした男性については、Needhamが次のような報告を残している。ケニアのメル民族やキクユ民族にはmugaweと呼ばれる宗教指導者がおり、彼らは女性の衣服を身に着け、女性の髪形をしている。このmugaweは同性愛者であり、正式に男性と結婚している者もいる、と(Rodney Needham, Right and Left: Essays on Dual Symbol Classification, University of Chicago Press, 1973.)。

② ブルンジとルワンダにおいては、そのような男性は“ikihindu”と呼ばれており、スワヒリ社会のMashogaと同じような役割を男性が演じている。“ikihindu”は女装をし、しばしば女性の名前を名乗り、「夫」のために料理や掃除などの女性の仕事をするという報告もある(Anthony Appiah and Henry Louis Gates, Encyclopedia of Africa, Volume 2 : OUP, USA, 2010)。

③ Brykは報告書の中で、onekと呼ばれるキクユ人の男色家や、牧畜民のナンディやマラゴリの社会の“home-erotic bachelors”と呼ばれる独身男性に言及している。なお、ナンディやマサイの社会では、成人式の儀礼の一環として、男性が女装することがある、と。(Felix Bryk, Boodoo-Eros: Ethnological Studies in the Sex Life of the African Aborinine, United Book Guild,1964, published first in 1928 in German, 1939 in English)

④ Donald Donhamは、エチオピア南部のMaaleと呼ばれる民族集団には、女性の役割をするマイノリティの男性集団がいたとの次のような記録を残している。「生物学的に男性であるが、彼らはashtimeと呼ばれ、女性の衣服を身に着け、女性の仕事を行い、家事を担い、明らかに男性と性交渉をもち、王によって庇護されていた。」(Donald Donham, Work and Power in Maale, Ethiopia, Columbia University Press,1994)。また、エチオピアにおいて、Bieberは、セム系民族のハラリ人のUranismと呼ばれる男色に遭遇し、次のように報告している。「ソドミーはハラリ人の間では珍しくはない。それほど一般的ではないが、ガラ人やソマリ人の間でも見られる」と。さらに、この3民族集団には、すべての年齢の男女がマスターベーションをし合う慣習があること、そして特にハラリ人は、成人男性の間と成人男性と少年との間のソドミー(男色)がよく見られるとも報告している(Irving Bieber, Homosexuality: A Psychoanalytic Study of Male Homosexuals, 1962)。最近ではGamstが、エチオピア中部のクシ系言語集団であるケマント人の少年たちの間にホモセクシュアルの慣習があることを報告している(Frederic C. Gamst, The Qemant. A Pagan-Hebraic Peasantry of Ethiopia. New York: Holt, Rinehart And Winston, 1969)。アムハラの農民については、Messing が「神のミステイク」と見られている男性の異性装者に出会っている。見た目は男性の性的特徴を持っているが、Wändarwäräd(男=女の意味)という文字通り、構造的には欠陥があると信じられている(Simon Messing, The Highland-Plateau Amhara of Ethiopia, 1957)。

⑤ ウガンダでは、異性装の男性(ホモセクシュアル)の宗教的役割が、ブニョロ人社会に存在していた。同様に、ブガンダ王国では、同性愛のある種の形態が制度化されていた。宮廷に仕える若い男性が、訪問客やエリート男性に性的サーヴィスを提供していた。ブガンダ王Mwangaは、キリスト教に改宗したため、そのような義務を拒否した数人の小姓(Uganda Martyrs)を処刑した事件も記録に残っている(Anthony Appiah and Henry Louis Gates, Encyclopedia of Africa, Volume 2 OUP, USA, 2010)。同様にテソ社会にも、異性装の男性というカテゴリーが存在している。

⑥ Jean La Fontaineは、ウガンダのGisu人は「異性装の人びとを軽蔑するが、嫌悪するほどではなかった。しかし、今では以前とちがって、異性装がホモセクシュアルと関連づけて見られている」と報告している。彼女は、異性装をした3人の男性とひとりの女性について「彼らは精神的におかしくないし、特別な魔力を持ってもいない」と観察している(Jean La Fontaine, The Gisu of Uganda, London: International African Institute, 1959:60-61)。しかし、Needhamは、アルバート湖の東部に住むNyoro社会についての報告の中で、「性的倒錯」と占いの能力との関連を示唆している(Rodney Needham, “The left hand of the Mugwe: An analytical note on the structure of Meru symbolism,” In: Right and Left; Essays on dual classification, Chicago: University of Chicago Press, 1973:116;Stephen O. Murray and Will Roscoe,eds, Boy Wives and Female Husbands: Studies of African Homosexualities, St. Martin’s Press, 1998:38)

⑦ John Faupelによれば、ウガンダ王ムアンガがクリスチャンの従者を迫害したのは、彼らが王の性的なアプローチを拒否したことに起因している。とりわけ、お気に入りの従者であるMwafuがソドミーを拒否したときに王が激高したという。(John Francis Faupel, African holocaust: The story of the Uganda martyrs, New York, P.J.Kennedy, 1962:9-10,68,82-83; Stephen O. Murray and Will Roscoe,eds., Boy Wives and Female Husbands: Studies of African Homosexualities, St. Martin’s Press, 1998:38)

⑧ 沿岸部のモンバサの事例については、Gill Shepherd, “Rank, gender, and homosexuality: Mombasa as a key to understanding sexual options,” in: Pat Caplan(ed.), The Cultural Construction of Sexuality, Routledge, Sondon & New York, 1987,pp.241-270のモンバサの事例が参考になるだろう。以下、少々長いが、部分的に紹介する。
「1980年代の調査の時点でのモンバサ社会のムスリム・スワヒリ人口は約5万人。そのうち、同性愛者の推定人口は約5千人。しかし、一生の内のある時期を同性愛者として過ごす人びとの人数を入れると、もっと多くなる。思春期前後に同性愛を経験する少年が多いのに比べ、女性の同性愛者はすべて既婚者か寡婦か離婚経験者に限られている。モンバサ社会の人びとの同性愛者に対する態度は、オープンであり、日々の生活の一風景として溶け込んでいる。とはいえ、息子が同性愛者であることを知って驚く両親もいれば、同性愛者の親戚の女性を訪問することを控える男性もいる。したがって、同性愛を全く問題なしとしているわけではない。ちなみに、隣接して住む非ムスリムのアフリカ人社会にはほとんど同性愛者がいないことは確かであるが、その違いの原因を短絡的にイスラームと結びつけるのは危険である。
モンバサの同性愛は、男性の場合、必ず年長の金持ちと、若い貧乏人との間で成立する(スワヒリ語ではバシャとショガという)。関係が短期の場合も、長期にわたる場合もある。短期の場合は、支払われる金額には相場がある。長期の場合には、プレゼントや生活費が支払われ、ある種のパトロン・クライアント関係が展開している。一方、女性の同性愛者(ムサガジ)の場合、同居型が多い。特徴は、彼女たちが、ある種のクラブを作っていることである。中心にいるのは、年配の女性で、若く貧しい女性が「恋人」になる。同性愛者になるきっかけは、家が貧しくて身分の高い男性と結婚できない場合、不幸な結婚から逃避したい場合、結婚しそびれた場合、あるいは過度な期待からの緊張からの逃避の手段としてこうしたクラブに入る裕福な家の女性など、動機はさまざまである。」
ちなみに、スワヒリ社会のアラブ系の人々の間では、同性愛者は「ハニース」(ホモの男性相手の売春によって生計を立てていた性的無能力者を指すこともあり)と呼ばれているが、この語源は、アラビア語である。アラブ諸国で使用されている同性愛者(男性)の用語が、東アフリカのスワヒリ語に取り入れられた事例である。オマーンのハニースに関しては、ベルギー人の人類学者ウン二・ヴィカンの詳細なフィールドワークに基づく報告がある。(Unni Wikan, “man becomes woman: Transexuals in Oman as a key to gender roles,” Man 1977,13:304-19)
Stephen O. Murray and Will Roscoe eds., Boy-Wives and Female Husbands: Studies of African Homosexualities, MacMillan 1998:30頁によれば、スワヒリ社会では、年齢差とジェンダー役割分担と平等の立ち位置という同性愛の3類型すべてが存在するという。このうち、年齢差に基づく同性愛関係は、社会的地位(貧富の格差)の格差とパラレルの関係となっている。1882年に出版された最初のスワヒリー英語辞典には、「男女」を意味するmumemukeという用語が含まれていたという。男性でありながら、女性の役割をするゲイを指していたのか、それともトランスジェンダーのことを指していたのかは不明である。

⑨ スワヒリ文化圏の中心のひとつであるザンジバル島(タンザニア)の黒人系住民のセクシュアリティについては、Haberlandiが友人のDr. Oskar Baumann(オーストリアの探検家)にあてた個人的な手紙が残っている。その原本は、1899年にドイツの人類学系の雑誌に掲載されたものである。以下はその概容である。

「生まれつきの性同一性障害の者と生後に獲得した同性愛指向のものとの両方をカヴァーしている。そもそも、こうした性的指向、とりわけ生後に獲得した同性愛的指向は、アラブ系、コモロ系、スワヒリ系の人びとの間では珍しくはなかった。比較的早くから性的経験をした少年の中で、長じて同性愛行為に収れんしていくものが出てくる。その際に相手となっているのが、奴隷である。貧しいアラブ系の男性が相手となる場合もあるが、めったに見られない。そうした奴隷は、通常の労働を免除され、女性化することを期待される(ku/anishwa)。こうしたアラブ系の人びとの慣行と並行して、黒人の住民の間にも男性の売春行為が展開した。その中にはアラブ人相手の稚児的役割をしていた奴隷も見られた。多くが女装しており、女性のダンスの集会には、必ずひとりはそうした男性が混じっていた。男性の衣服を身に着けているものもいるが、そうした男性はムスリム帽のかわりに布を頭に巻いている。普通の衣服を着用し、稚児であることを隠す者も多い。多くが直腸の問題を抱えている。

生まれつきの性同一性障害者は、男性にも女性にも見られる。男性の場合、幼いときから料理や茣蓙つくりなどの女性の仕事を好み、女装し、編み込みのヘアスタイルをしている。性的行為は、女性のパートを演じる。よそ者が、外見で、性同一性障害者であるか、生後の性癖であるかを識別するのは難しいが、現地の人びとは、この両者をはっきり見分けている。生まれつきの障害者は、「神の御意志」であるとして容認されているが、生後の性癖は蔑視されている。

女性の同性愛者も珍しくはない。女性が男装をするのは厳禁のザンジバルだが、家の中では可能である。スルタンの王宮内では、隔離されている女性間でも見られた。(Stephen O. Murray and Will Roscoe, eds., Boy-wives and Female-hustands: Studies of African Honosexualities, MacMillan,1998:pp63-65)

⑩ ルワンダ王国の宮廷に仕える若者の中には、客人をもてなすために訓練された同性愛者がいた。とりわけツチの若者は、兵士の訓練を受けている間に同性愛行為を行う慣行があり、それが、しばしば大人になっても続いたという報告もある(Stephen O. Murray and Will Roscoe, eds., Boy Wives and Female Husbands: Studies of African Homosexualities, St. Martin’s Press, 1998:38)

・中部アフリカの事例

① 現在のコンゴ民主共和国北部からスーダン南西部と中央アフリカにまたがって住むAzande民族の人類学的調査を行ったE.E.Evans-Pritchardは、Azandeの戦士が一時的な妻として少年を娶る慣習を持っていたとの報告を行っている。この慣習は彼が調査をした1930年代にはすでに衰退していたが、まだ記憶されていたのだ。少年に「婚資」を支払って「結婚」をするという制度であったという。(E.E.Evans-Pritchard,”Some notes on Zande sex habits,” American Anthropologist 75,171-75. 彼はこの慣習について死ぬ直前に公表した。詳細はStephen O. Murray and Will Roscoe eds., Boy-Wives and Female Husbands: Studies of African Homosexualities, MacMillan 1998:Prefaceを参照のこと)

②エヴァンス=プリチャードは、コンゴ北部のアザンデ人社会では、かつて成人男性が、12~20歳の若者の恋人を抱え、家事をさせ、股間セックスをさせる習慣があったとの報告をしている。この慣習はヨーロッパ人がやってきた20世紀初頭には消滅しており、エヴァンス=プリチャードの調査は、老人からの聞き取りに依拠している(Evans-Pritchard, E. E. (December, 1970). Sexual Inversion among the Azande. American Anthropologist, New Series, 72(6), 1428–1434.)。

③ アザンデ社会のホモセクシュアルは、女性との性交渉の機会のない戦場や、富裕層が女性を独占している状況下で展開したとする説が19世紀初頭の参与観察者によって提示されている。(Stephen O. Murray and Will Roscoe eds., Boy-Wives and Female Husbands: Studies of African Homosexualities, MacMillan 1998:28)

・西アフリカの事例

① 西アフリカには、ホモセクシュアリティに関する歴史的史料が多く残っている。18~19世紀のアサンテ王国(現在のガーナ)の宮廷には、「妾」にされた男性の奴隷がおり、女装し、主人が死ぬと、殉死を強制された。ダホメー王国では、宦官が宮廷で重要な役割を担っていたことが知られている。このダホメーの同性愛については、Herskovitsの1930年代の報告がある。一時的な関係の場合もあれば、生涯にわたって継続する場合もあったという(Melville J. Herskovits, Dahomey: An ancient West African Kingdom, New York 1938:289)。

② ブルキナファソに住むダガーバ人は、ホモセクシュアルの男性は精霊と人間の言葉を仲介できると信じられていた。

③ナイジェリアのハウサ社会では、ホモセクシュアルの男性集団は“yan dauda”と呼ばれ、ある種の宗教カルトと結びつけられている。彼らは他の男性とエロティックで情緒的な関係を持っている。また、女性同士の結婚は、いくつかの西アフリカの社会で見られ、女性夫が複数の妻を娶ることもある(Anthony Appiah and Henry Louis Gates, Encyclopedia of Africa, Volume 2 OUP, USA, 2010)。

・南部アフリカの事例

① 2000年前の岩絵に男性同士の性交の絵が確認できる(Anthony Appiah and Henry Louis Gates, Encyclopedia of Africa, Volume 2, OUP, USA, 2010)。

② David Livingstonは、19世紀のジンバブウェに関する記述の中で、年配の首長たちによる女性の独占は、若い男性による「非道徳」な慣行に責任があると主張している(David Livingstone, The Last Journals of David Livingstone, in Central Africa, From 1865 to His Death, 1866-1873 Continued by a Narrative of His Last Moments and Sufferings)。

③SmithとDaleは、女性の恰好をしたイラ語を話すある男性が、女性の仕事をし、女性と共に生活している事例を報告している。そうした男性は、イラ語で預言者を意味するmwaamiとのレッテルを張られていたという。また、少年相手の男色も珍しくはなかったが、「少年が妊娠するという理由から危険な行為だと考えられていた」との報告もある(Stephen O. Murray and Will Roscoe (eds.), Boy Wives and Female Husbands: Studies of African Homosexualities, St. Martin’s Press, 1998)。

④ Epprechtは、1892年から1923年までの250件の裁判記録を分析している。それによると、1892年の判例はすべてアフリカの黒人に関するものであった。被告は、ソドミー(男色)は慣習の一環であるという主張をしている。ある判例では、首長が、罰則の慣行についての証言するために出廷を要請され、「罰金は姦通より軽く、牛一頭」と報告している。Epprechtは、この時期の250件の判例の黒人と白人との比率は、人口に比例していると指摘している。しかし、彼は、判例が法廷の注意を惹いたものだけであり、プライベートな領域で行われる合意の上での関係が注意を惹くことはなかったこと、パートナーに棄てられたり、前のセックス相手から約束された補償を受け取れなかったために裁判になったりした事例がいくつかあると述べている(Stephen O. Murray and Will Roscoe (eds.), Boy Wives and Female Husbands: Studies of African Homosexualities, St. Martin’s Press, 1998)。

⑤社会人類学者のStephen Murray とWill Roscoeは、レソトの女性がmotsoalleと呼ばれる性的で長期にわたる関係を認められていると報告している(Stephen O. Murray and Will Roscoe (eds.), Boy Wives and Female Husbands: Studies of African Homosexualities, St. Martin’s Press, 1998)。