荻野美穂『女のからだーフェミニズム以後』岩波新書、2014年
女性解放運動/フェミニズムの諸潮流の中でも、1970年代に全米から展開した「女の健康運動」は、男性医師の管理下にあった性や生殖を女の手に取り戻 す、生身の実践だった。日本ではウーマン・リブの優生保護法改定反対運動、さらには生殖技術をめぐる議論へつながっていく。意識変革の時代を振り返り、女 のからだの現在と未来を考える。
自著紹介『女のからだ フェミニズム以後』 荻野美穂
荻野美穂(掲載:2014.07.07)
わたしは女性の歴史を研究していますが、そのなかでも特に関心をもってきたのが、性と生殖など、女の身体(からだ)と関係の深い問題です。こうしたテーマに惹かれるようになったきっかけは、1980年代後半に出会った1冊の本でした。
アメリカでは1960年代後半から、現在では第二波フェミニズムと呼ばれている女性解放運動が大きな盛り上がりを見せるようになります。その過程で多くの女たちが、自分たちはこれまで自分自身のからだについていかに無知で、医者や男まかせにして来たかに気づき、からだについての正しい知識にもとづいて自分の生き方を自分で決められるようになることこそ女性解放の基本だとする運動を始めました。「女の健康運動」と呼ばれるこの運動はまるで野火のように全米に広がっていき、そのなかから生まれた「女による女のためのからだの百科全書」ともいうべき本が、Our Bodies, Ourselves (OBOS)です。たんに医学的な情報の受け売りではなく、女たち自身の経験にもとづくさまざまな情報がぎっしり詰め込まれたこの本は、たちまちベストセラーとなり、その後も現在まで何度も改訂版が出されるロングセラーとなっています。
1980年代後半、当時京都にあった女の本屋、ウィメンズブックストア松香堂が1984年版OBOSの翻訳出版を決意し、わたしもそのプロジェクトの一員として、他の多くの女たちとともに翻訳・編集作業に参加しました。『からだ・私たち自身』というのが日本語版のタイトルです。この作業を通してわたしは、女の生き方の選択肢には性と身体の問題が大きくかかわっていること、その性や身体は自然でも普遍でもなく、そのときどきの社会や政治、文化のあり方との密接な関係のもとに変化してきたこと、にもかかわらずこうした問題は「私事」だとか、学問研究の対象にはふさわしくないとして、日本の学界ではほとんど関心をもたれてこなかったことに気づき、それならいっそそれをテーマに研究してみようと思い立ったのです。2人の子どもの出産と育児、夫との離婚といった個人的な経験も、こうした問題関心を抱く背景となっていました。
その後、現在では当たり前のことになっている避妊という行為が、どのような歴史的プロセスを経て一種の「市民道徳」と見なされるようになっていったのか、その過程ではどんな対立や議論があったのかとか、あるいは日本ではそれほど問題にはなっていない人工妊娠中絶が、アメリカでは長年にわたって世論を二分し、大統領選挙の行方にさえ影響を与えるような大きな問題となっているのは何故なのか、といったことをテーマに、何冊か本を書いてきました。その間にも、これらの研究の出発点となった女の健康運動について、いつかきちんとまとめてみたいと考えてきたのですが、ようやくその宿題を果たしたのが、今回の『女のからだ フェミニズム以後』です。
女の健康運動が起きたのはアメリカだけでなく、同時期の日本でもウーマン・リブの女たちが女のからだをめぐる活発な運動をくり広げました。さきほど日本ではアメリカのように中絶が問題になっていないと書きましたが、じつはこの頃には日本でも、中絶を合法化していた優生保護法を改定して事実上中絶禁止にしようとする動きがあり、それに対する反対運動がリブの出発点でした。優生保護法をめぐる同様の動きは80年代にもくり返され、そのなかで日本の女の健康運動は、アメリカの場合とはまた異なった、障害者運動との連携と優生思想の問題化という独自の特徴を獲得していきます。また、健康な女性の子宮・卵巣を多数摘出して問題になった富士見産婦人科病院事件も、女の健康運動が活発化する重要なきっかけとなりました。
この本では、アメリカと日本、それぞれの女の健康運動がどのような社会条件のもとで起こり、何を主要な課題としてかかげ、具体的にどのような活動を展開したのかを、時代を追って紹介しています。そこには、OBOSへの共鳴と翻訳のように相互が交錯する場面もあれば、中絶やピルをめぐる状況のように、両者の間に大きな差異が見られることがらもあります。そしてそうした両国の女たちの歴史的な経験の違いは、たとえば代理出産や卵子提供のような、いまホットな話題となっている先端生殖技術についてどう考えるかという問題にまで、微妙な影を投げかけているのです。
女の健康運動がさかんだった時代と比べると、現代の女たちはずっと多くの情報が簡単に手に入るようになり、生き方の選択肢も増えたように見えます。でも、わたしたちは本当に自分のからだや性の主人公として、自由に生きられるようになったのでしょうか。もしかしたら「自己決定」や「選択」の名のもとに、女のからだや性はまたしても医療産業や企業社会、あるいは市場の望む方向へと巧妙に誘導されたり、管理されたりしているのではないでしょうか。そうした「いま」の問題を考えるためにも、ぜひ近い過去の女たちの奮闘の歴史をふり返ってみてほしいと思います。
(初出:『女性情報』2014年6月号、パド・ウィメンズ・オフィス)