5-1:中世イスラーム社会のジェンダー秩序
目次
【5-1:中世イスラーム】(1)クルアーンのジェンダー規範
掲載:2016-11-04 執筆:小野仁美
クルアーンとは
聖典クルアーンは、7世紀に預言者ムハンマドが神から授かった啓示を、彼の没後に信徒たちが一冊の書物にまとめたもので、一字一句が神の言葉であると信じられている。クルアーンには、遺産相続の対象者や割合を具体的に詳述するような箇所もあるが、その真意を容易にはつかみかねるような抽象的な表現も多くみられ、それぞれの章句について多様な解釈がほどこされてきた[1]。
イスラームは、いまや世界人口の4分の一にものぼる勢いで増え続けている世界宗教である。しかし、近年マスメディアを騒がせることが加速する過激派の影響で、イスラーム教徒のイメージは悪くなるばかりである。そして、イスラームは女性にたいして抑圧的であるという評価も、欧米や日本では以前から強くもたれている。イスラーム教徒の間においても、ジェンダー平等を訴える流れは他と同様に見られる。しかしながら、多くのイスラーム教徒は、神の示した行動指針の源であるクルアーンは、神の前において人間は皆平等であると教えていると信じている。
日本人ムスリムによる「クルアーンの中のムスリマ[2]」
イスラームを信仰する人々の多くは、イスラームの教えそのものに男尊女卑的な価値観がそなわっているとは考えない。ここでは、ある日本人ムスリムによる「クルアーンの中のムスリマ」と題された論考に示されたクルアーンの中の女性について紹介したい[3]。
クルアーンの中には「女性」という言葉が24回登場し、これは「男性」の言及回数と等しい。そして、唯一の神アッラーの前では男女は完全に平等である。男女平等の考えを示すものとして、たとえば以下の章句がある。
男の信徒と女の信徒はお互いに仲間である。善を命じ、悪を禁じ、礼拝を守り、ザカーを払い、アッラーとその信徒に従う。そうした者たちをアッラーはやがて慈しんでくださろう。まことにアッラーは威力並ぶものなき御方であり、英明なる御方。
アッラーは男の信徒と女の信徒にその下を川が流れる楽園かつそこでの永住、それから永久の園の中の素晴らしい住まいを約束してくださった。だがアッラーからのご満悦はさらに大きく、それこそが偉大なる達成である。(クルアーン第9章第71-72節)
まことに、男のムスリムと女のムスリム、男の信徒と女の信徒、男の従順な者と女の従順な者、誠実な男と誠実な女、耐え忍ぶ男と耐え忍ぶ女、恐れ畏まる男と恐れ畏まる女、施しをする男と施しをする女、斎戒をする男と斎戒をする女、自らの恥部を守る男と守る女、アッラーを数多く思い起こす男と思い起こす女、アッラーは彼らにお赦しと大いなる報奨を用意された。(クルアーン第33章第35節)
このように、アッラーが男女の信徒にたいして等しく語りかける章句は多い。一方で、「男性は女性の一段上にある」(クルアーン第4章第34節)という章句もあるのだが、これについては、あくまでも男性に負わされた責任の重さを表す聖句であり、イスラームが説くのは性差別ではなく、性区別すなわち役割分担の大切さであるとする。同様の見方は、他のイスラーム教徒からも提示されており、これについては後述する。
同論考ではまた、クルアーンに唯一その名前が言及される女性マルヤム(イエスの母マリア)を紹介している。
また、天使たちが(こう)言ったときのこと。『マルヤムよ、まことにアッラーはそなたを選り抜き、そなたを清め、全世界の女たちの上に選ばれました。マルヤムよ、そなたの主に服従し、跪いて額をつき、身を屈めて祈る者たちとともに身を屈めて祈るのです。』
これは目に見えないものの消息の一つであり、われらはそれを汝に啓示する。誰がマルヤムの世話をするのかをめぐって彼らがペンを投げたとき、彼らが言い争ったときに汝は彼らのもとにはいなかった。
天使たちが(こう)言った時のこと。『マルヤムよ、まことにアッラーはそなたにかの御方からの御言葉の吉報を伝え給う。その名はマスィーフ・イーサー、マルヤムの息子、この世でもあの世でも尊重されし者にして、側近の一人たる者。その者は揺りかごの中でも、壮年でも人々に語りかける、正しい者の一人である。』
彼女は言った。『わが主よ、誰も私に触れたことがないのに、いかにして私に子どもが出来ましょう。』彼(天使)は言った。『そのようにアッラーは御望みのものをつくり給う。事を決められたときは、ただただ、“あれ”と仰せられるだけでそれはあるのです。』(クルアーン第3章第42-47節)
マルヤムは、クルアーンにおいてもたいへん尊重され、イスラーム教徒にとっての理想の女性と考えられている。他にも、預言者アダムの妻ハウワー、預言者アブラハムの妻サラ、預言者モーセの母、モーセを育てたファラオの妻アースィヤなど旧約聖書で知られる女性たちの物語をクルアーンは伝えている。
イスラーム・フェミニズムと新しいクルアーン解釈
クルアーンの章句のいくつかは、多くのフェミニスト活動家によって批判の対象となり、イスラームが現代の人権スタンダードに反していることの根拠とされる。たとえば以下の章句である。
男は女の擁護者(家長)である。それはアッラーが、一方を他よりも強くなされ、かれらが自分の財産から(扶養するため)、経費を出すためである。それで貞節な女は従順に、アッラーの守護の下に(夫の)不在中を守る。あなたがたが、不忠実、不行跡の心配のある女たちには諭し、それでもだめならこれを臥所に置き去りにし、それでも効きめがなければこれを打て。それで言うことを聞くようならばかの女に対して(それ以上の)ことをしてはならない。本当にアッラーは極めて高く偉大であられる。(クルアーン第4章第34節)
冒頭の「男は女の擁護者(原語ではqawwāmun)である」の解釈をめぐっては、これまで様々な主張と議論が提示されてきた。同句をもって、女性にたいする男性の優位性の根拠であるとするイスラーム教徒も少なくない。一方でイスラーム教徒の中でも、クルアーンの章句を男女平等の規範であると積極的に捉えるイスラーム・フェミニズムの立場からは、当然この章句は肯定的に解釈されることとなる。
アメリカのアフリカ系イスラーム教徒女性であるアミナ・ワドゥード(1952~)は、男女平等の視点によるクルアーン解釈を提示する学者・活動家として知られている[4]。その著書『クルアーンと女性』(1992年初版)においてワドゥードは、男性中心の伝統的なクルアーン解釈を批判している。上述の、「男は女の擁護者(保護者[5])である」という、男性の優越性を示すとして批判の対象となることが多い言葉について、以下のような解釈を展開しているという。
ワドゥードによれば、女性が第一の責任として、身体的強靭さやスタミナ、知性、深い個人的かかわりを必要とする出産を担っていることに対して、男性が家族に対して担っている責任や役割がこの「保護」である。よってこの句は、女性が第一の責任を果たすのに必要なもの全て、つまり身体的保護や生活必需品は、男性によって与えられるのが理想だという意味に解釈されるという。同句を狭い意味でとらえるのではなく、男性が女性とのバランスのとれた連帯を実現するための理想的な義務について述べていると解釈し、「保護」を物質面だけではなく、精神、倫理、知性、心理などの範囲にまで広げるべきであるというのが彼女の主張である。
現代のクルアーン解釈と家族法改革
イスラームが女性抑圧的であるとされる要因の代表的なものとして、より有名なものに一夫多妻の容認がある。クルアーンは、以下のように述べる。
あなたがたがもし孤児に対し、公正にしてやれそうにもないならば、あなたがたがよいと思う2人、3人または4人の女を娶れ。だが公平にしてやれそうにもないならば、只1人だけ(娶るか)、またはあなたがたの右手が所有する者(奴隷の女)で我慢しておきなさい。このことは不公正を避けるため、もっとも公正である。(クルアーン第4章第3節)
これにもとづいて、伝統的なイスラーム法においては、男性が4人までの女性を同時に妻とすることができるとされてきた。現代の多くのイスラーム諸国においても、一夫多妻を許容する条項が家族法典に存在する。実際には、二人以上の妻をもつにあたって裁判所の許可が必要であったり、一人目の妻の許可が必要であったりするなど、一夫多妻制が制限されている国も多いし、複数の妻への扶養義務の負担が重いことから複数妻帯者の数はわずかであると言われるが、クルアーンに明確に示された規範を正面から否定するような家族立法には困難がともなうのである。
こうした中、チュニジアの家族法典(独立直後の1956年制定)は、一夫多妻を禁じた画期的な法律として知られている。チュニジアではこれに先立つ1930年、クルアーンの再解釈による女性の権利拡大を主張する著作『我々の女性』(ターヒル・ハッダード著)が出版され、伝統的イスラーム法学者たちに大きな波紋を投げかける出来事があった。
ターヒル・ハッダードは、以下のように述べている。
私は、一夫多妻制がイスラームを根拠としているとは考えない。それは、ジャーヒリーヤ時代の習慣であった。アラブでは、数の制限なく一夫多妻婚が一般的であったが、それは、耕作や家事や性的欲求を満たすため(そのような感性は今日にいたるまで我が国でも後進地域には存続している)に必要とされていた。イスラームはそうした習慣に対して、「4人までにしておけ。それ以外の者は解放してやれ」と命じたのである。つぎの段階として、それぞれの妻への公平を条件づけた。「気に入った女を2人なり、3人なり、あるいは4人なり娶れ。もし妻を公平にあつかいかねることを心配するなら、ひとりだけを(第4第3節)」として、一夫多妻にかんして警告したのである。さらに、それぞれの妻への公平という条件を満たし続けることは困難であるとして、つぎのような啓示を与えた。「おまえたちがいかに切望しても、女たちを公平にあつかうことはできない。(第4第129節)」この啓示以降、一夫多妻の習慣がなくなっていったのであれば、これが禁止事項であることは明らかである[6]。
エジプトのイスラーム改革主義思想家ムハンマド・アブドゥ(1849-1905)による同様の見解が、『マナール』誌にすでに見られたことから、こうした議論は、進歩的なイスラーム運動家の間では知られ始めていたのであろう。しかしながらチュニジアにおいては時期早尚だったのかもしれず、ターヒル・ハッダードは『我々の女性』が出版されると、反イスラーム的であるとして宗教勢力の猛撃に遭い、失意のうちに病に倒れ亡くなっている。しかしその思想は、20年後にチュニジア家族法典のなかに実を結んだのである[7]。
【関連ページ】
*【5-2】(1)イスラーム法にみる母親の位置づけ(小野仁美)
注
[1] クルアーンの日本語訳が複数出版されているが、それぞれが異なる複数の古典クルアーン解釈書を参照している。本稿でのクルアーン日本語訳は、日本ムスリム協会発行
『「日亜対訳・注解 聖クルアーン(第6刷)」のウェブ版http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/koran_frame.htmlを使用する。ただし、参考文献中の引用をする際には著者による訳をそのまま記す。
[2] アラビア語の名詞には男性形と女性形があり、「ムスリマ」は、「ムスリム(イスラーム教徒)」の女性形で、女性のイスラーム教徒を表す。
[3] 前野直樹「クルアーンの中のムスリマ」『イスラームと女性(イスラーム信仰叢書7)』河田尚子編著, 国書刊行会, 2011,165~206頁。
[4] 大川玲子『イスラーム化する世界―グローバリゼーション時代の宗教』平凡社新書, 2013.
[5] 同書においては、qawwāmun の訳語として「保護者」の語があてられている。
[6] Ṭāhir al-Ḥaddād, Imraʾat-nā fī al-sharʿīya wa al-mujtamaʿ, Tunis: Dār Tūnisīya lil-nashr, 1985, 65-66. (英訳 Husni Ronak and Daniel L. Newman, Muslim women in law and society: annotated translation of ºāhir al-Ḥaddād, Imraʾat-nā fī al-sharʿīya wa al-mujtamaʿ with an introduction, London and New York: Routledge, 2007, 63.)
[7] 拙稿「女性の地位と一夫一婦制 : 斬新な家族法(人の絆と人の流れ)」,鷹木恵子(編)『チュニジアを知るための60章』明石書店, 2010.