ジェンダーから見直す科学史

(執筆:小川眞里子/参考『歴史を読み替える(世界史篇)』2014年)

私たちがよく知っている科学者はほとんど男性である。歴史を通して科学技術分野で活躍した女性が少ないのはなぜなのだろうか。それぞれの時代に活躍した女性が、近年、発見されつつある(⇒【特集7】科学史とジェンダー

◆高等教育から締め出されていた女性 

科学分野で女性が活躍するためには高等教育が受けられなければならないが、19世紀半ばまで公的な女子の高等教育はほとんど開かれていなかった。イギリスでは1870年代初めからフェミニストによる働きかけで、ケンブリッジ大学にガートン・カレッジとニューナム・カレッジ、オクスフォード大学にレディ・マーガレット・ホールとサマヴィル・カレッジのそれぞれ2つの女子カレッジが開かれた。アメリカではマウント・ホリヨーク神学校(1837年創立)が一つのモデルとなり、1865年のヴァッサー・カレッジのオープンを皮切りに、次々と女子カレッジがオープンし19世紀末までにようやくセヴン・シスターズと呼ばれる7カレッジが誕生した。

◆学会から締め出された女性研究者 

科学研究の継続には学会に所属して絶えず最新の知識を吸収していく必要があるが、1660年創設のイギリス王立協会で最初の女性正会員が誕生したのは1945年、1666年創設のフランス科学アカデミーでは1979年のことである。マリー・キュリーは1911年アカデミーの会員に推薦されたが、僅差で落選。この直後、彼女は2度目のノーベル賞を受賞した。

◆ノーベル賞と女性科学者 

マリー・キュリーが受賞したノーベル化学賞の賞状(1911年)

長く大学や学会から締め出されていた女性たちも20世紀になるとようやく公的機関に認められ、第一線で活躍し始めた。20世紀にノーベル賞に輝いた女性は10人であるが、最初の3人はすべて夫とともに成果をあげて受賞している。例外的なのはマリー・キュリーで、単独で2つ目のノーベル賞を獲得している。続く3人の女性は夫とは独立に受賞しているが、彼女たち第2世代の受賞者は、第1世代の3人とともに全員結婚し子供をもっている。女性研究者である前に、妻であり母である役割を強く意識せざるを得ないダブルスタンダードが当然の時代であった。1980年代に入ると60年代からのフェミニズムの影響もあってか、続く第3世代の3人の女性はすべて独身でノーベル賞を受賞している。10人目の受賞者は、女子の高等教育が遅れたドイツからであった。(小川)

【科学史】ノーベル賞量産国日本で、なぜ女性受賞者がでないのか(小川眞里子)

◆参考

【特論】なぜ、女子に理系分野なのか(小川眞里子)

【世11-11】男性優位の科学への挑戦ー女医の誕生(小川眞里子)

【世15-10】現代科学とジェンダー(小川眞里子)

【研究会報告】18世紀博物学に見られるジェンダー(小川眞里子)

【訳書紹介】ロンダ・シービンガーの科学史・科学政策研究(小川眞里子)

【書評】石原あえか著『ドクトルたちの奮闘記』(小川眞里子)